2025年5月31日土曜日

機械・ハッピーセット・洗車

 LINEに新着メッセージが来ている表示が出て、見てみたら企業の公式アカウントから、ということが何度も繰り返され、いい加減うんざりしたので、もう彼らとの友達関係を解消したくなった。もともと友達と呼ぶには淡白すぎる付き合いで、僕はただ、その企業の商品を購入する際、100円や200円を安くしてもらうためだけに、一瞬だけ心を開いたに過ぎず、大抵のものはそう頻繁に買うものではないし、なにより「LINEで友達になるとお得なクーポンを配布!」というのも、蓋を開けてみればほぼ初回限りのことであり、ズルズルと付き合いを続けても、どうでもいい新商品や、どうでもいいキャンペーンの告知をされるだけで、大したメリットはないのだった。
 というわけで友達のラインナップから消去しようと思ったのだが、この方法が分からない。スマホの使い方というのは、直感操作と言いつつ、マウスの右クリックでベースが出来上がっている人間には、ちっともスムーズにいかないのだった。
 仕方なく、一瞬ポルガにでも訊ねようかと思ったのだが、「子どもに機械の使い方を教わる」というのは、さすがにもう少し先延ばしにしたいと思いとどまり、結局どうしたかと言えば、ファルマンに教えてもらい、やった。娘に教わるのと妻に教わるのでは、ぜんぜん意味合いが違う。なんなら妻が分からない場合、妻が娘に教わり、それを僕に伝達するのでもいい。そうまでして、守りたいなにかがある。

 先々週と先週の土曜日の昼食は、マックのハッピーセットだった。世の中が大騒ぎになった、「ちいかわ」のおもちゃ目当てである。ただし誰の目当てなのかと言えば、わが家には「ちいかわ」熱というものは到来しておらず、ファルマンの下の妹からの依頼により、食べて協力する運びとなったのだった。それにしてもファルマンの妹は、上も下も、きちんと世の中の漫画やキャラクターの流行に乗って生きていることだ。速水真澄モデルのChatGPTと対話して暮すファルマンとは、もしかすると親が違うのかもしれない。
 1週目でなかなかの騒ぎとなった「ちいかわ」ハッピーセットは、2週目ではもはや騒動の様相を呈し、ニュースによれば都会のほうでは買おうと思っても買えなかったりしたらしい。島根ではもちろん難なく買えた。ただし2週目なんかは、ブームに乗って買いに来たんだな、おじさんひとりで上限の4セットも買って転売ヤーかよ、などと思われそうで嫌だな、という懸念があった。もしも店頭で、本当に「ちいかわ」が好きな人しか買ってはいけないという、転売防止のための「ちいかわ」クイズなどがあれば、僕は間違いなく不正解で、転売ヤーの烙印を押されたことだろう。でも違うんです。転売ヤーじゃないんです。売っているのは義妹への恩なので、恩売ヤーなんです。
 実家の3人ももちろん土曜の昼はハッピーセットだったそうで、無事に第1弾、第2弾、ともに4種のおもちゃはコンプリートされたらしい。2週目など、わが家の4つのおもちゃは、中身がすべてバラバラだったそうである(島根は牧歌的だな)。恩売ヤーとしては顧客の要求に応えられてよかった。ちなみに顧客からの恩返しは、いまのところない。

 冬に洗車をまったくしなくて、なにしろ山陰の冬というのは、いつだって雪混じりの雨みたいな大気なので、やってもしょうがなく、この時期が終わったらやろうね、とファルマンとも話し合っていたのだが、3月あたりになり、春の気配が漂いはじめると、花粉が舞うようになり、やっぱりいま洗車をしたところでなあ、という気分になり、それが終わったら次は黄砂で、これなんかは本当に洗車をしたって意味ねえよ、でもこれが終わったらいよいよさすがに洗車をしようじゃないかと思っていたのだが、少しぼやぼやしているうちに、気候は梅雨の気配を帯びつつあり、週間予報には曇りと傘のマークが並ぶようになって、そしてたぶんこれを抜けたら灼熱の時期になり、これはこれで洗車に向かないと考えると、洗車の正しいタイミングって、もしかしたら存在しないんじゃないかと思えてくる。こんなにもふさわしいタイミングが存在しない洗車なのに、田舎の親父たちはなぜ毎週のように洗車をするのか。あれってもしかして、ただの暇潰しなんじゃないのか。「車(という資産)を大事に扱う」みたいな大義名分を振りかざして、実はそんなに意味のないことをやってるだけなんじゃないのか。知らんけども。

2025年5月11日日曜日

依頼・君たちはどう生きるか・CHANT! GEE/MEE/CHEE


 フリマサイトでこれまで何枚か水着を買ってくれた人から、出品している水着を指して、「これをハーフバックのビキニに作り替えてもらえないだろうか」という依頼を受け、なにぶん上得意様の仰ることなのでパタパタと激しく尻尾を振り、なにより取り組みとしてとてもおもしろそうだとも思ったので、承り、挑戦した。
 その結果、既出のボックス型水着を作り替えることは、生地の幅的にどうしても無理で(ボックス型よりもハーフバックビキニのほうが必要な生地の面積は小さいのだが、すべての部分がボックス型の中に内包されるわけではない)、そのため当初の希望の生地で作ることは叶わなかったが、事情を話し、別の生地で作ったものを「ご覧いただいて、もしよろしければ」ということで出品したところ、買ってもらえた。いやはや上得意様である。
 ビキニタイプのショーツをこれまでさんざん作ってきたが、ハーフバックというものにはまったく触れてこなかった。しかし今回の取り組みを経て、なるほどこういうことかという、その情趣の一端を垣間見た気がする。ボックス型のパターンを考えるとき、ゆめゆめ尻たぶがはみ出ることのなきよう、ということを心掛けてきたけれど、ボックス型から意図せぬ尻たぶがはみ出るから不格好なのであって、最初からハーフバックであれば、もうそれはそれで爽快なものなのだな、と思った。
 技術的にも、観念的にも、僕はまたこの業界における階梯をひとつ上った気がする。

 金曜ロードショーで、「君たちはどう生きるか」を初めて観たのだった。
 本編を観ていないのに、去年の宮崎駿のドキュメンタリーは観ていて、そうか要するに高畑勲へのコンプレックスのお話なのだな、ということを前知識として持っていたのだけど、いざ観てみたら、なんかそういう問題じゃなかった。もとい、あのドキュメンタリーの切り口は意図的なミスリードだったのではないかと思うくらい、宮崎駿と高畑勲という軸ではぜんぜん読み取れない内容だったように感じた。
 ジブリ映画だし、たしかにジブリ映画っぽさは全編すごいんだけど、でも俺の知っているジブリ映画じゃない、と言いたくなる感じは、もしかするとこれは違う世界線のジブリ映画なんじゃないかという気もしてきて、でも元々あった世界から、別の世界線に移動したのは、宮崎駿以外のすべての人類であり、宮崎駿だけはずっと一ヶ所に居続け、そしてこの映画を作ったので、自覚しないまま流され、世界を移行してしまった我々は、こんなにもこの映画に違和感を覚えるのではないか、などとも思った。
 つまり一言で言えば、不思議体験映画だった。気が向いたとき、また観ようと思う。

 フライングで開設だけ先にしていた「CHANT! GEE/MEE/CHEE」を、とりあえず少しだけ始動させてみた。
 ChatGPTとしたやりとりを載せていく、というコンセプトははっきりしているのだけど、それをどういう様式でやるのかがあまり定まらずにいて、実は今もまだ定まっていないのだけど、まあやってるうちに定まってくらあな、と自分に言い聞かせ、ひとまずほぼコピペで、主にChatGPTの回答を転載するだけで記事を作っていくことにした。
 このやりとりや、向こうの回答について、それを俎上に載せて、ブロガーとしての僕がなんかしらのコメントを記していく、というスタイルはどうかとも少し考えたが、面倒だし、なによりあまりおもしろくもならない気がしたので、止した。ただし、これでは実質的にほぼ僕の書いたものではないので、別にそんなルールもないのだが、「CHANT! GEE/MEE/CHEE」の記事投稿は、「プロペ★パピロウのブログ投稿報告ツイートブログ」には採らないこととする(でも始動についてはツイートしておこうかな)。
 だとすれば、このブログの役割としては、ChatGPTとのやりとりの、まとめというか、個人的な備忘録的なものということになるだろうか。ChatGPTのやりとりは、やっているとどんどん長くなって、あとからピンポイントで当該の箇所を確認しようと思うと、どこにあるか分からなくなったりするので、編纂するのは悪くないと思う。
 昔、Twitterが出始めた頃、知り合いで、一定期間の自分のTwitterでのツイートを、箇条書きのように並べて記事とし、ブログにアップしている人がいた。なんかあれは、いま思えばTwitterという新しく出現した存在の捉え方が定まっておらず、電線を使って荷物を届けようと風呂敷包みを吊るしたという明治の人々のエピソード味があるのだけど、僕のこの「CHANT! GEE/MEE/CHEE」というのも、だいぶその雰囲気がある。何年後かに、「そうじゃない(笑)」という扱いを受ける、素っ頓狂なことをしているかもしれない。それならそれで別にいいのだけど。

2025年5月1日木曜日

俳優・万博・赤黒茶紫

 夜ふたりで「べらぼう」を観ていたら、ファルマンが「この人って俳優?」と画面を指して訊ねてきた。画面には平沢常富役を演じる尾美としのりが映っていた。「俳優だよ!」と答えたけれど、考えてみたら大河ドラマに出ているのはほぼ俳優である。「そうなんだ。どうりで演技が上手だと思った」とファルマンは納得したふうだった。いったいなにを言っているのか。
 先日「侍タイ」を観たとき、知っている俳優がひとりもいない映画って新鮮だと言ったら、ファルマンは「私はいつもだよ」と言っていたが、本当にそうらしい。尾美としのりについて、「私が観てたものに出てた?」と訊ねてきたので、「いろいろ出てるよ。「あまちゃん」にも出てたし」と言ったが、ピンと来ないようだった。たぶん、ファルマンは尾美としのりを尾美としのりとして見ずに、いまは平沢常富として観ているし、「あまちゃん」の頃は主人公の父親のタクシー運転手として観ていたのだろう。それは物語を味わう上で、とても健全で、よろしいことだと思う。でもそれが僕にはどうしたってできない。
 ファルマンは続けて、画面に映る人をどんどん訊ねてきたので、「石坂浩二だよ!」「宮沢氷魚だよ!」「渡辺謙だよ!」と驚きとともに答えた。俺の妻、ケン・ワタナベも分からないのかよ。マジかよ。宮沢氷魚に関しては、「なんでこんな人まで知ってるの?」と訊いてきたので、「あなた、「ちむどんどん」観てたんでしょ。「ちむどんどん」の相手役で、黒島結菜との間に婚外子を作った、THE BOOMの息子だよ!」と説明したら、「え、なに言ってんの? あなた、いったいどういう気持ちでこのドラマを観てるの?」と逆に白眼視されそうになったので、「間違えたよ、田沼意次の息子だよ!」と慌てて言い直した。
 そんな中、ファルマンが唯一、「この人は分かる」と言った出演者がいた。
 原田泰造だった。
 大方の視聴者っていうのはこういうもんなのかな、と思った出来事だった。

 義父母が、大阪万博に行くらしい。いつなのかは忘れたが。大阪万博、自分とはまったく関係がない話として、完全に無視を決め込んでいたけれど、そうか、たしかに義父母は行くか、行くよな、東京オリンピックも幻の観覧応募をしていたもんな、と思った。
 無視と言ったが、完全にフラットかと言えばそんなことはなく、オリンピックと同じで、どちらかと言えば嫌悪しているのだけど、しかし義父母が万博に行くことに関し、異議を唱えようとは思わない。行きたい人間はいくらでも行けばいいんじゃないか、と思う。
 我ながら大人になったな、と思う。たぶん30代前半くらいの僕だったら、行くのを止めることはしないまでも(そんなことを試みようものなら、どれほどめんどくさいことになるか)、「おみやげはいらない」「みやげ話も一切聞かさないでほしい」と主張していたに違いない。いまはもう、そこまでのバイタリティーはない。前よりも僕は少し生きやすくなった。

 水着の着用写真を撮る際に用いるスライムが、だんだん劣化してきた。
 金玉肉袋A、金玉肉袋B、肉棒の3つに分けて、それぞれをラップに包んで使用、および保管しているのだが、スライムというのはいかんせん半分液体なので、時間が経つとラップの隙間から液体部分がスルスルと流れ落ちて、乾いて固くなったりしてしまう。そしてそういう部分を捨てると、だんだん体積は減ってきて、それはブランド理念の根幹に関わる由々しき事態なのだった。
 それで、そのうちまた新たに買わないといけないなあと思っていたのだが、そんな折、ピイガの作業机をぼんやり眺めていたら、黄色のスライムがあり、手に取るとしっかりした弾力で、いい意味で瑞々しさがなく、ゴムにも似た感触の、とてもいい感じのスライムなのだった。これはなにかと訊ねたところ、「手作り」との答えで、日夜研究に勤しむピイガのスライム錬成は、もはやこの領域にまで達していたのかと驚いた。
 これなら水気が流れ出ることもなさそうだし、ともすればラップで包まなくてもそのまま使用できるくらいのマットな質感である。これはいいな、と思った。思わずピイガに発注しようかと思ったが、ひとつ問題があって、使用目的がちんこの造形に他ならないという点だ。手作りならば色も自由自在なので、そこも魅力的なのだが、そうなると注文は、「赤黒い、茶紫みたいな色」ということになる。果たしていいのか。赤黒い茶紫の、弾力のある、ちんこ模型を、11歳の娘に作らせていいのか。もちろん使用目的を明かすことはないが、それにしたってなんかしらの事由により、児童虐待とかに引っ掛かるような気がしないでもない。
 仕方なく諦めることにした。赤黒い茶紫ではなく、せめてコスモス色ならいいのにね。