2025年2月22日土曜日

ポルガショート・ティーン毛髪・スマ落と

 ポルガが美容院で髪を切った。
 これは一般的にはなんということもないことかもしれないが、わが家にとっては非常に大きな出来事である。ポルガが美容院で髪を切ったのは、これがたぶん人生で2度目。最初は小学校の卒業式を前に、祖母までを含めた周囲がさんざん説得したことで根負けして行ったのだった。しかしそのときの体験が本人的にだいぶ不快だったようで、そこからさらにこじらせて、とうとう今日まで来たという次第であった。そのためこれまでは、あまりに髪が伸び、乱れてくると、ファルマンがなだめすかして椅子に座らせ、なんとか見苦しい部分だけを素早く刈り取るという、そういう感じでやり過ごしてきたのだった。
 それがどうして唐突に、本人から美容院に行くと言い出したのかと言えば、どうやら学校の友達の美容院の話を聞いて、行ってもいいと思うほうに針が振れたという、それくらいの理由のようで、これは今に始まったことではないけれど、親がどれほど口を酸っぱくして言うより、友達による何の気なしの、特に「おすすめ」というわけでもない、ただのトークのほうが、よほど心を動かす効果があるようで、もちろん自分のことを顧みても、たしかにそうだった面はあるけれど、親というのは切ないものだな、としみじみと思った。
 しかしそれはさておき、プロの手で、「ただ伸び、手入れという概念もない」状態であった髪は、まさかあの内側にこんな鮮やかなものが隠されていたのかと驚くような、形のきれいなショートカットとなった。長かった髪が、ともすれば僕よりもコンパクトな短い髪になったというのに、印象としては大人っぽくなった。中学2年生も終盤であり、ポルガはここではっきりと、成長の階梯がひとつ上がったのだな、と思った。

 一方で僕はまだヘアスタイルに関する逡巡を続けている。そこに関して僕の意識はまだティーンなのかもしれない。
 先日お店でヘアカラーの棚を眺め、こんな色もいいかなと思ったりもしたのだけど、なにしろ現状の頭がツートンになっているため、染色をするためには、まずはブリーチで全体を均一にしたほうがいいよな、などと考え出すと、億劫だし、また頭皮へのダメージのことを思うと、なかなか踏ん切りがつかないのだった。間違えた、もっとティーンらしく言うべきだった。踏ん切りがつかないんだぜ!
 しかし黒髪の比率が高まってきたことで思い出したのだが、前髪が風圧などで分かれたとき、僕は遺伝的におでこが広いので、髪が黒いとおでことの境目が明瞭で、そしてそれがだいぶ上のほうまで続いているのが可視化されると、われながら鏡を見たときにぎょっとするので、それを避けるためにも、髪の毛の色は肌の色と若干まぎれるような、淡い色のほうがいいのだった。このおでこの広さに関しては、本当に誤解を受けやすいのだけど、昔からこうであり、進行しているという事実は一切ない。ファルマンは20歳の付き合いはじめの頃、僕のおでこの広さに少しびっくりしたそうだが、今現在、「でもあの頃とずっと変わんないよね」と言う。しかしそれは20年間一緒にいるファルマンだから証言できるのであって、それほど深い付き合いでない人にとっては、僕は「だいぶ後退が進行している人」ということになってしまう。それを避けるために、やはりヘアカラーは必須であると心得るのだった。間違えた。心得っぜ!

 不思議な出来事があった。
 労働の帰りにスーパーに寄って買い物をし、帰宅したら、スマホがなかった。車だろうと思い、駐車場に戻って車内を探すが、ない。ファルマンに電話を掛けてもらうが、家でも車でも振動している音は一切聴こえない。これはスーパーで落としたな、となって、スーパーに電話をするが、自動音声になってしまう。しかしまだ営業時間中なので、仕方なく再び店に戻り、店員に訊ねた。日本の治安を信頼しているので、てっきりこれで解決だろうと思ったが、返事は「届いてません」。マジかー、となり、見つかった場合の連絡先としてファルマンの電話番号を伝え、店を後にする。それから先ほど駐車したあたりの地べたなどを探すが(他の車も多数ある中で車体の下を覗いたりする行為はなんとなくびくびくした)、もう暗いこともあり、見つけられない。仕方なくそのまま家に帰るよりほかなかった。「見つからなかった」と伝えると、ファルマンは「えー」と戸惑ったあと、「たしかGoogleでパソコンと繋がってるんなら、スマホの位置が分かるんじゃなかったかな」と言い出し、僕のパソコンを起動すると、その操作をしてくれる。すると本当に僕のスマホの現在地というものが表示され、それによるとその位置は、あのスーパーから大きな道を挟んだ反対側の別のお店の脇の歩道のあたり、ということであった。この日の帰りにはあのスーパーにしか寄っていないので、そんなはずないだろう、GPSの機能はすごいが、しかし少々の誤差はあるようだ、これはやはりスーパーの駐車場に落とし、まだそこにあるということだろうと判断し、仕方なくみたび、スーパーへと車を走らせた。今回はファルマンのスマホを借りてきていて、駐車場に着いたところでポルガのスマホに連絡した。Googleの機能には、位置情報のほか、「音を鳴らす」というのがあるそうなので、それをやってもらう。しかしなにも鳴らない。そもそも音がどういう音なのかも分らず、蚊の鳴くような音であれば、屋外では聞き取れないだろう。なかなかの絶望感だった。なにしろ、暗く、寒く、さらには雪混じりの雨だ。最悪だ。スマホを落としただけなのに! もう若干やけくそな気持ちになり、そんなはずがない、大きな道路を挟んだ反対側の、GPSではそこに落ちているとされるほうへも行ってみる。こんなところにあるはずもないのに。ファルマンのスマホを持つ手は凍りつきそうで、いよいよつらい。意味が分からん、ああめんどい、新しいスマホを買ったり、データをどうにかしたりするの、マジでめんどい……と項垂れていたところへ、ピッピー!ピッピー!と、あまり聞き慣れない音が鳴っていることに気付いた。大きな道路沿いなので、しばらくそれが自分に関係のある音だと認識できなかった。音の大きくなるほうに進み、地面に目を走らせると……あった! 暗い中、ダークグリーンのスマホケースの背面を向いていて、音がなければ絶対に気付けないような感じで、ガードレールの根元らへんに、僕のスマホはポツンと落ちていた。拾って、起動させると、スマホはなんだか「平然」としていた。嘘だろ、と思った。スーパーの駐車場からこの位置へ、第三者の恣意なく移動するはずがない。「すごくおそろしかったですよ~、ご主人さま~」と泣きつくのが正しいだろう。お前はなぜ平然としているのか、と思った。
 なにはともあれ、無事に戻ってきてよかった。壊れてもいなければ、SDやSIMをどうにかされた様子もない。ただ、移動していた。不思議である。こういうことかな、と思うのは、悪意というほどでもなく、お、スマホ落ちとるやん、なんか使えるんちゃう、と拾った人間が、ファルマンのスマホからの繰り返しの着信表示を目にし、そこでやっと厄介さに思い至り、その場に棄てたという、そんなパターンだ。ちょうどそんな距離である。証拠隠滅のために側溝などに棄てられていたらおしまいだった。これは不幸中の幸いである。そしてとにかく、Googleが尊い、とも思った。Googleのふたつの機能がなければ完全にお手上げだった。夜が明けて明るくなり、もしも通行人が警察なりに届けてくれたとしても、短時間だったからスマホは「平然」としていたのであり、ひと晩あの雨雪に晒されれば、さすがに息の根が止まっていたのではないかとも思う。Googleに足を向けて寝られない。一生かしずいて生きようと思う。みんなBloggerやりなよ、と宣伝もしたい。GoogleがBloggerを宣伝してもらって喜ぶのかどうかは知らないけれど。

2025年2月12日水曜日

髪の企て・集団Tシャツ・哀しい色やね


 思えば髪型が安定しない系男子である。形そのものは、「なんとなく丸い感じ」というのが通底しているが、その長さや色が、いつまでも固定しない。行きつけの理容店がないというのも要因かもしれない。世の中の男性は、2ヶ月にいちどそこに行くと、「いつもの」という注文で、それまでの2ヶ月分がリセットされるという、そういう仕組みになっているようで、楽でいいなあと思うと同時に、そんなのめちゃくちゃつまらないな、とも思う。
 いまの僕は、たしか晩秋くらいに脱色をし、それっきりなので、プリンを超えて逆ポッキーくらいの感じになっている。表面は金だが、少しかき上げれば中はほぼ黒い。長さは、少し前までわりと長かったが、毛先が見苦しい感じになったので、ファルマンに全体を梳いてもらうのと一緒に、その部分のカットを頼んだことにより、短くも長くもなく、「普通」である。
 それでこれからどうするつもりなのかと言うと、あくまで現時点での気分だが、ここでひとつ、本腰を入れて髪を伸ばしてみようかと考えている。乱れた毛先を切ったのもその布石だ。「髪を切らない」という考え方で、ただ伸ばしても、どうやら長髪というものは成立しない。41歳になり、何度か失敗を繰り返したことで、ようやくそのことに気付いた。長髪を成立させるためには、髪をいたわり、世話してやる必要がある。長くて、荒れている髪は、目も当てられない。長い髪は、きれいでなければ成り立たないのだ。
 そのため先日から、ヘアケア的なことを心掛けて暮している。ドライヤーも温風のあと冷風で仕上げているし、就寝時はヘアキャップを被っている。ヘアブラシも、豚の毛のものを使いはじめた(ネットで検索したところ、豚の毛がいいということなので、ファルマンに「買ってもいいか」と訊ねたところ、「豚の毛のブラシならある」と言って、引き出しの奥から出してくれた。なにかの折に人からプレゼントされたらしいが、本人が使っている姿はいちども見たことがない)。
 まだそこまでの変化は見て取れないが、これから髪が長くなってきたとき、今度こそ金谷英美(「ガラスの仮面」でマヤとともにヘレンケラーオーディションを受けたごつい少女)のようにならず、サラサラのきれいな感じになったらいいと思う。今年の夏は俺、ポニーテールで過そうと思うよ。

 まだ多少気が早いのだけど、Tシャツのことに思いを馳せている。所持しているTシャツが、わりとベテラン揃いになってきていて、くたびれもそうなのだけど、だいぶ飽きが来ているので、今年はちょっと新物を仕入れたいな、と考えている。
 それでいま目をつけているのが、クラT的な、特定の集団によるオリジナルのプリントが施されたTシャツだ。僕自身はそういうのに縁のない半生を送ってきて、そういうのを作ってみんなで着るような集団に実際に属したいと思ったこともないけれど、その集団が、実際には僕が所属していない、もちろんTシャツが実在するということは実在するのだけど、僕にとっては架空も同然というような、縁のない集団であれば、そのオリジナルデザインTシャツを着るというのも一興なのではないかな、と思ったのだった。この嗜好は前からあって、クラTならぬクラショーを自作したこともあった
 というわけで先日から、フリマサイトでその手のTシャツを探している。ところがなかなか思ったようなものが出てこない。クラス全員のファーストネームが列記されているようなものがいいのだけど、そういうのはさすがにあまり出品されないようだ。部活のTシャツというのはそれなりにあるが、やはり体育会系が多く、そうなると素材がポリエステルなどのスポーツニットになってしまうので、それも意にそぐわない。
 まだ夏まで間があるので、気長に探そうと思う。

 三女がコツコツと実家の整理をしていて、巣立っていった姉たちが置きっ放しにしているものなどを、勝手に捨てるわけにもいかないので、たまに渡してくるのだった。
 先日はそれで、ファルマンの小学校の卒業文集というものがわが家にやってきたので、ファルマン以外の家族3人で、大笑いしながら眺めた。内容は、作文と、全員が同じ項目に答える質問コーナー。作文ももちろんおもしろかったのだが、そちらは長いので割愛するとして、最もファルマンらしさが出ていたのが、質問コーナーの中の、「好きな色は?」という問いに対する答えだ。これはまあ、質問自体が、訊いてどうする、という性質のもので、他の子の回答を見ると、「あか」とか「くろ」などと書いてあり、それ以外どうしようもないわけだが、それにしたってあまりにつまらない設問なのだった。
 でも卒業生の中にひとりだけ、本当にひとりだけ、この質問に対し、「おもしろく」答えていた児童がいたんですね。誰もがボケようがないとあきらめていたお題に、その子だけがあざやかにボケてみせたのです。それがもちろん、われらがファルマン。
 小学6年生のファルマンはこう答えていた。
「海の色、空の色、草の色」
 さすがとしか言いようがない。信じられない。こんな華麗なシュート見たことない。われらがファンタジスタ、ファルマン。思い出して、一生笑えると思う。

2025年2月5日水曜日

寒波・叡智・象徴

 とてつもない寒波が来ている。1月も寒かったけど、雪はそれほどなくて、今年はほどほどな感じの冬だったな、などと思っていた。なにしろ寒いのがつらいので、1月が終わるともう前のめりで、寒さの底をついたという気持ちになるのだけど、そういうことを言うとファルマンはすかさず、「本当に寒いのは2月だよ」と言ってくる。今年もそのやりとりが1週間ほど前にあって、そしてまんまとその通りになった。成功体験を与えてしまって悔しい。地震の予知などと一緒で、外すときもわりとあるのに、的中したときのインパクトが強いので、それがまるで神託であるかのような力を持つ。
 しかし今週いっぱい居座るというこの寒波の、今日が水曜日なのでまさに真っ只中なわけだが、それゆえにしっかと思う。いまが、いまこそが底であると。これに耐えればあとはもう上り坂。あたたかさがやってきて、やがて暑さがやってくる。嬉しい。猛暑日が連続した昨夏、40年あまりの人生、ずっと暑い夏にいたような気持ちになったけれど、いまは逆で、ずっと寒い冬を生きてきたような気がしている。もしかすると僕は2ヶ月くらいのスパンで別人格に生まれ変わり続けているのかもしれない。

 プールが休館期間に入ってしまったので、プールでやった気になっていた筋トレを、代わりに家でやっている。これまでもやっていたが、比重が増したということだ。
 その筋トレで、去年の11月15日に、見知らぬじいさんから「腹、割れとったな」と言われて気を良くしたこともあり、大胸筋だけでなく腹筋にも力を入れていて、腹筋ローラーなんかをやっているのだけど、最近になってどうも効果が薄まっている感触があるのだった。はじめは、やった翌日には腹が強張り、刺激が与えらえているという実感があったのに、最近はどれほど転がしてもそんなことにはならない。原因は判っている。
 僕が優れているからだ。
 前にも書いたが、筋トレは、バカのほうが向いているのだ。なぜなら、筋肉を余計に刺激する、効率の悪い動きができるから。僕なんかはどうしてもそれができない。慣れない最初こそその状態になっても、わりとすぐに要領を得てしまう。意思では、無理やりに腹に負担をかけようと思うのに、知性がそれを遮断し、効率よく動かずにおれない。
 かくして僕は腹筋ローラーを、完全に力の入らないフォームで、乗りこなしている。これではもはや安楽椅子みたいなものだ。いっそ腹筋ローラー探偵でもやろうかな。

 去年末に行なった親族カラオケで、次女の夫がDA PUMPを唄ったのである。「if...」であった。それを受けて僕は急遽、序盤で唄うつもりのなかったSPEEDを入力したのだけど、それはまあ別にどうでもよくて、なんかDA PUMPというグループ、そしてそれを唄う人間というのが、これまであまり身近にいなかったものだから、わりと衝撃を受けた。「if...」のリリースが2002年で、次女の夫は僕の5個下なので、当時中学生ということになる。彼は、声の低いラップ部分なんかもばっちり決めて、ウケを取っていて、ああこの男は、高校生の頃とかに、仲間とこんなふうに唄って盛り上がったのだな、ということを思った。繰り返しになるが、僕はそのあとSPEEDを唄った。「ALIVE」だ。ちなみにこの歌のセリフ部分、「ずっとこの想いは胸に息づいてる」を、「女の子のいちばんの性感帯は頭の中にある」と言い換えるのが、別に仲間とそんなふうにして盛り上がったわけではぜんぜんない、僕の持ちネタなのだけど、さすがにそれは、義父母も、多感な年頃の娘もいる親族カラオケでは、実行しなかった。
 ところでMD世代という言葉があって、だいたい僕から前後3歳くらいの年代のことを指し、だから次女の夫なんかはこの括りには入ってこないのだけど(彼は世間に名高い「ゆとり世代」である)、このMDには、「無気力ではない・どうでもいいや」であるとか、「モーレツでもない、デジタルネイティブでもない」、そして「無回答・どちらでもない」など、いろんな言葉が掛かっているのだけど、もちろん記憶媒体としてのMD、すなわちミニディスクがネーミングの由来の主体で、このMDに入れていた音楽の代表として、これまでMAXとV6というのが、あの時代の象徴としてふさわしいと思っていたのだけど、次女の夫のそれを聴いて、V6じゃないよDA PUMPだよ、と喝破した。なにしろMAXとDA PUMPなら、それもまたMDなのだ。いよいよ上手い。いよいよこの言葉は日の目を浴びるべきだと思う。