2024年11月9日土曜日

流行語・おせち・瀬古

 今年もユーキャンの新語・流行語大賞のノミネート語が発表となり、じっくりと噛み締めた。しかしどんなに噛み締めても、まったくもって味が薄く、感想を求められても途方に暮てしまうような、そんなラインナップであった。
 ただ、ニュース記事において、どうしても目に入ってしまうヤフコメを眺めていると、誰も彼もが偉そうに、この企画に対して批判的なことをのたまっていたので、逆に擁護したくもなった。カカロットを倒すのはこのベジータ様なんだからお前らがとやかく言うんじゃない的なムーブである。
 とは言え、そういう気持ちもありつつ、しかし、しかししかし、さすがにあんまりではないかと、30語を見てやっぱり思う。ただしこれは選考委員に対する不満ではない。自分も含めた国民全員に対する思いだ。みんな今年一年、言葉作りをサボりすぎた。だから1年がこんなに早かったのだ。言葉でその瞬間に楔を打たないと、時間はどんどん流れ去ってしまうのだ。
 30語のうちのひとつに、「名言が残せなかった」がある。やり投げ金メダルの北口榛花が言った言葉だそう。これはもはやとんちの世界だと思う。「名言が残せなかった」というフレーズが、新語・流行語のノミネート30語に入ったのだ。こいつは一本取られたな、じゃない。だって一本目の投擲で金メダルを確定させましたからね、じゃない。やりはまっすぐ投げたらいいだろうが、言葉はもっとひねりをきかせるべきだ。言葉作りに、投げやりになっちゃいけないよ、榛花。
 ちなみにユーキャンの向こうを張るcozy ripple名言・流行語大賞は、例年どおり11月23日発表予定となっております。年の瀬ですね。

 先日岡山に行ったとき、運転しながらおやつなどをパクつくわけだけれど、そのとき僕が食べていたのが、おなじみの鈴カステラと、あとチップスター(筒に入った成型ポテトチップス)で、しっとり甘い鈴カステラと、パリっとしょっぱいチップスターが、絶妙の組み合わせで、AからB、BからA、どちらの瞬間にも口の中に多幸感が生じ、感動したのだった。
 その感動を、僕はこう表現した。
「おせちだ」
 これは我ながら名表現ではないかと思った。延々と食べ続けられるものへの礼讃の言葉として、「おせちだ」はとてもいいと思う。
 無粋な解説をするならば、おせちがイメージ的に、とても格式の高い、ハレの日の贅沢品であるとされるものであるがゆえに、今回の鈴カステラとチップスターのように、要するにそれ、砂糖の小麦粉と塩の芋じゃねえかという、安っぽいものであればあるほど、そのギャップが愉快に感じられるのだ。だから、マックシェイクとマックフライポテトであるとか、五円チョコとうまい棒であるとか、そういうものを食んで、言えばいい。
「おせちだ」

 市民マラソンの大会で優勝した。そういう夢を見た。
 ほとんど飛び入りのような感じで参加して、普通に走っていたら、僕よりも速く走っている人が誰もいなくて、トップの座を明け渡すことなく、いちばんにゴールしてしまったのだった。流れで参加したものだから、家族も応援になど来ていなくて、ゴールしてから電話をし、テレビを付けるよう伝えた。テレビで中継されるような規模のマラソン大会だったのだ。実際にそんな大会で僕が優勝できるはずはないのだが、さすがは夢である、こんなこともあるんだな、と受け入れていた。小賢しいなと思ったのは、今大会の解説をしていたのが瀬古さんで、瀬古さんは大会を振り返り、そのレベルの低さに苦言を呈していた。ここに、(実際はぜんぜん合っていないが)帳尻を合わそうという魂胆が透けて見える。僕が優勝するマラソン大会など実際にはあるはずがないが、瀬古さんが憂うほどに選手のレベルが低かったわけで、そうなってくると僕が優勝というのにも若干のリアリティが出てくる、という計算らしい。完全な計算ミスである。憂うどころの話ではない。この瀬古さんのいる世界線の日本マラソン界、もとい日本国そのものは、運動能力的にもう完全に終わっている。そう考えると、国として完全に終わっているのに瀬古さんが解説している、というのが逆におもしろく思えてくる。なんかそういう夢だった。人の夢の話ってね。

2024年11月2日土曜日

布袋・寝言・新ブログ

 3部作となった「子羊たちのちんこ」がとても愉しかった。手応えがあった。たぶん読者の多いブログであったらば、「あれは反響が大きかった」などと語ることになったと思う。なんと切ない仮想であろう。読者が一切いない、反応が完全にないブログを十何年もやっていると、もはやこんな境地に至るのかと我ながら驚いている。
 反響の内容はさまざまだったが、誰もが押し並べて唱えたのは、自分の口から言うのは少し面映ゆいところがあるけれど、筆者である僕の優しさだ。僕としては思ったことをそのまま訴えただけだけど、それが結果として、読んだ人たちに優しさを感じさせたのだとしたら、これほどハッピーなことはないと思う。やっぱり、逮捕されたからすなわち悪い、では、思考する生きものである人間としての矜持が揺らいでしまう。思いを馳せ、寄り添い、慮る。これがプロペファイリングの骨子。君が好きだと叫びたいのと同じくらい、ちんこを出したいときってたしかにある。分かるよ。我慢は大事。でも心のインナーが我慢汁でもうグショグショになってしまったら、そのときはもう本丸を射出せざるを得ない。そういうものだ。
 事件から約1ヶ月が経ち、ニュース記事はもう読めなくなったりしている中、こうして男の汚名返上のために言葉を弄し続けることに対し、ファルマンからは「とんだ布袋行為だよ」と白い目で見られた。
 布袋行為とは、コブクロがマラソンレースの開会式で国歌独唱をした際、とんでもない感じで声が裏返ったという、僕なんか「つらい時かなしい時はコブクロの国歌を聴けと祖母の遺言」と短歌にさえ詠んだ、本人とランナー以外のあらゆる人を笑顔にした、あの一件があったろう、あれに関して、発生からたしか10日とか2週間くらい経って、世の中がさすがにそろそろ忘れかけていたタイミングで、コブクロの兄貴的存在らしい布袋寅泰が急に、「みんなあれで笑うのやめろよ」と、世間に対して諫める発言をし、それでまた息を吹き返して、みんなもういちどあの国歌独唱の映像を見て愉しくなった、という流れを表した、われわれ夫婦間における隠語である。つまり擁護しているように見せかけて、もういちど薪をくべること、これを布袋行為と呼んでいる。ちょうど不貞行為と語感が似ていることもあり、いいネーミングだと思う。
 僕の今回の「子羊たちのちんこ」がそれだって言うんですよ。失礼しちゃうよね。

 久々の寝言シリーズ。
 ファルマンがメモしてくれた。たまたま起きてメモしてくれたが、さすがに深い睡眠のときはファルマンだって起きないだろう。だとすれば誰にも聞かれることなく過ぎ去る寝言もたくさんあるはずだ。もったいない。聖なる俺の寝言なのに。
 その寝言がこちら。

「うん、あのね、きょうはね、うん、うん、……あ、やあらかい」

 これを、少年のような甘えた口調で言ったらしい。嬉しそうに。最後の「やあらかい」は、「やわらかい」ではなく、「やあらかい」であったという。
 なんか、こじらせたカルマを感じさせる寝言だ。41歳の僕の中にいる、まだ7歳くらいの少年の部分。そして性的欲求はその中間である19歳くらいのギンギンさを感じさせる。歪な危険性がある。
 「やあらか」かったのはなんだろう。普通に考えればおっぱいだろう。相対している人のそれについて言及したと考えるのが自然だ。でも僕のことだから、僕のことについて、相対している人に伝えているのだ、という可能性もある。その場合は金玉肉袋のことを指しているとも考えられる。どちらにせよそれは僕にとっては喜ばしいことだったようで、例のごとくまったく夢の記憶はないわけだが、愉しく過しているのならなによりだと思う。たしかに、感触が確かめられる対象が期待通りのやあらかさだった、というのは多幸感があるな、と感じ入った。
 一方的に寝言を記録してもらってばかりで申し訳ないので、たまには僕もファルマンの寝言を聞きたいものだと思うが、ファルマンはたまに獣のように慟哭する以外、寝言らしい寝言は一切唱えないのだった。あれはただ怖い。

 予告していたブログを作る。泳ぐことにまつわるあれやこれやに特化したブログ。
 タイトルは「swimming pooling」。
 最初は、同じアルファベットが2つ並ぶ単語という共通点から、「swimming pooling telling」とし、アドレスなんかはそれで登録したのだが、語呂が悪いしさすがにしつこいので要らないな、と思い直して削った。スイミングプーリング。
 ブログの背景を、プールらしさを感じさせるいい感じのものにしたいと考えていて、とにかくそこにこだわった。フリー素材からこれだというものをもらってきて、設定する。そして、透過にしないとせっかくの画像が隠れてしまうので、読みやすさなどはかなぐり捨て、雰囲気を優先させた。パソコン上では、マウスでドラッグさせて読めばいいと思う。モバイル上では、そこまで読みづらいということはないと思う。
 ブログのスキンは急に変えることもあるから、スキンについて語った文はあとから読むとなんの意味もなくなる、というのは十何年も前から経験則として知っているのだけど、こうして気張って設定した直後はどうしても語ってしまう。そういうところが好き。
 このブログに書くべきことを、これまで別のブログに書いてきたので、既にいちど語ったことを、改めてこちらに書き直す、ということもあるだろうと思う。そのあたりのことをあらかじめご理解いただきたいと、いない読者に向かって平身低頭する。腰が低くて好感。