2024年8月3日土曜日

タイトル・K・はたらくくるま

 戸田恵梨香が主役をやった朝ドラってなんてタイトルだったっけ、とふと気になった。なんだかんだで全編観たのに、タイトルだけがすっぽりと記憶から抜け落ちているのだった。
 2日ほど思い出そうとがんばったが、出てこない。仕方なくファルマンに相談する。林遣都が出ていたこともあり、ファルマンももちろん観ていた。ところが、「えっ、なんだっけ……」と、僕と同じように出てこない。
「なんかカタカナで、4文字か5文字くらいで、「カー」とかが入ってた気がする」というところまで、おぼろげにイメージできているのだが、ふたりともそこから先が出てこない。「「カーネーション」とか「スカーレット」とかが邪魔するんだよ!」と、次第にイライラしてくる。
 数十分悩んだ挙句、降参して、ネットに頼ることにした。
 そして正解を目にし、思わず「えっ」と声を上げた。
「スカーレット」だったのだ。
 それが出てくるせいで正解にたどり着けないと忌々しく思っていたものが、実は正解だったという、こんなパターンは初めてで、てっきり正解を目にした瞬間に、バチンッと蒙が啓けたような快感があるだろうと期待していたので、なんとも言えない気持ちになった。しかし自分たちの脳細胞への猜疑心が湧く一方で、なんかあのタイトルはあまりにもふわふわし過ぎだったのではないかな、とも思った。

 ポルガが、同じ部活動の同級生男子であるKの話ばかりする。Kとは部内での役割が同じということもあり、物理的に距離が近いことに加え、話もやけに合うらしい。そのため、「Kが……」「Kがね……」と、Kのエピソードがとても頻繁に出てくる。
 日々それを聞かされながら、もちろん内心では若干の違和感を抱いていた。なんでこいつは親に、こうも屈託なく異性の話をするのか。思わず何度か「えっ、ちなみにKのこと好きなの?」と訊ねそうになったが、どうもそれを言ったら軽蔑されそうな気配がするぞ、と察知して吞み込んだ。
 しかしポルガは実家でもKの話を披露するそうで、それを聞いた叔母、つまりファルマンの上の妹は、やはり僕と同じように、「あれってなに? Kのこと好きなの?」と気になって、ファルマンに確認してきたらしい。
 そうだよね! あんなに愉しそうに異性の話をするのって、それって絶対に好きってことじゃんね! と安心した。安心したが、やっぱり本人には確認できないし(必ずしなければならないわけでもない)、また頭のどこかで、しかしこれは古い時代の発想なのかもしれない、明石家さんま的思考かもしれない、という推察もあるので、余計に疑念を大っぴらにできず、結局「そうか」とだけ相槌を打ち、鷹揚なふりをして、ただ受け流している。
 なにしろあれらは、半ばオートメーションで個人と個人のコミュニケーションが可能なツールを得ている世代である。われわれの時代は、連絡先を知るということは、それすなわち特別な感情があるということだった。スタート地点が違う。まるで舞空術ができないのにスーパーサイヤ人になれる悟天のようだ。 
 でも簡単につながって、とりあえずダベるのが愉しかったら、なんかもう、あえてそこから先を目指す必要もないという発想になりそうで、こいつらはいったいどのタイミングで、もどかしい恋愛感情に胸を焦がすのだろう、と思った。古い。

 音楽のサブスクでポンキッキのCDを見つけ、聴いたら、感動してしまった。
 特に「はたらくくるま」がよかった。のこいのこが唄う1もよかったし、子門真人が唄う2もよかった。僕は子どもの頃から、車は別にぜんぜん好きではなかったので、テレビで視聴していた当時、特別この歌が好きだったということはなかったはずだが、それでも猛烈な懐かしさがあったし、なにより当時の、少年時代の自分を取り巻いていた世界のきらめきのようなものが象徴されているような気がして、激しく刺さったのだった。
 ポンキッキの放送は、1973年~1993年だそうだ。つまり僕が10歳までは放送されていた。奇遇にもだいたい氷河期世代あたりが、子どもだった頃にポンキッキを観ていたということになる。朝8時。それは放送時間であると同時に、長い目で見れば、われわれがポンキッキを観ていた人生の時間帯であるとも言える。人生の朝8時、1日が始まったばかりで、これからなんでもできる希望に満ち溢れた時間。そこへ、のこいのこ及び子門真人の、張りがあって伸びやかな清々しい声が、痛快に響く。たまらない。いろんな車があるんだな、いろんなお仕事あるんだな。そう信じていた氷河期世代の子どもたち。本当にたまらない。
 最近はよく通勤の車で大音量で聴いている。逆に病んでいるのかもしれない。