2024年7月24日水曜日

発見・一途・赤髪

 学者が科学的に発見したことを、実は市井の人々は感覚として理解していた、という類の話をする。
 ここ数年、日常を過す中で僕が気付いた、世界の法則。
 髭は、ちょうど24時間経つと、ちゃんと生える。
 朝剃ったのが、夕方になると少し伸びている、というのは、それはまだ髭的にはおそるおそる様子を窺っているような状態である。まだ朝剃られたときの恐怖を忘れていない。でも髭の記憶は23時間59分しか持たない。24時間が経った瞬間にそのことはすっかり忘れ、気ままに外の世界へ顔を出す。そしてあえなく剃られ、哀しむ。この繰り返しなのである。
 前日よりも剃る時刻が5分くらい早く、すなわち前回から23時間55分しか経過していないと、明らかに髭の伸びが小さい。剃り心地で明確にそれが判る。
 このことが科学的に検証され、いつか論文が発表されたとき、こんなブログ記事があったということを思い出してほしい。たぶん西暦8000年とかに。

 子どもたちが夏休みに入った。入る前から、もうすぐ子どもたちは夏休みなのだということはもちろん判っていて、だから先週の海の日の3連休も、3連休だやったーと思いながらも、心の中はどこか冷えていた。たとえば、自分が大学の野球部でレギュラーになり、それはもちろん嬉しいことなのだけど、それを知ってお祝いしてくれると言ってきた高校時代の仲間たちは、実はもうみんなプロ野球選手、みたいな、そんな感じだ。お前らが獲得しているものに対して、俺がやっとの思いで得たものの、つましさと来たら!
 でもね、なんで急に野球でたとえたのかと言ったらね、たとえ他のみんなが今を時めくプロ野球選手だとしても、私は、野球部のメンバー全員が一様に好意を寄せていた私は、大学で野球を一生懸命がんばってる、世間的に見れば地味なあなたのことが、高校時代からなぜかずっとひたすらに好きなんだよ、というあだち充的なことを言いたいからで、もうこうなってくると、この心の中の美人マネージャーは、神であり、僕自身であり、つまりは僕こそが新世界の神なんだと思う。

 先週ブリーチをしてまた金髪になったのだが、そのあとはまだ何もしていない。今回は色を入れようと思っているのだが、その色で迷っている。
 脱色的な行為はもう人生最後かもしれないし(するたびに思う)、だとすれば派手な色にしたいな、という思いがあって、赤はどうかと考えた。赤。赤髪。なるほど金髪に対する憧れを叶えたあと、次の少年時代からの憧れということになると、たしかに赤髪かもしれない。赤髪。ふざけている。でもたしかに人生でいちどくらいやってみたい気もする。赤髪だった時代のある人生。
 しかし家族に相談したところ、びっくりするくらい反応が悪かった。夫が赤髪、父が赤髪ということに対し、「え~……」と誰も賛成してくれなかった。ファルマンは「コスプレイヤーみたいだよ」と言ったし、ポルガは「赤髪でハゲてたら最悪だよ」みたいなことを言った。いまハゲてねえし! 赤髪にしたことで将来的にハゲに繋がる可能性はあっても、そのときにはもう赤髪じゃなくなってるし! とムキになって反論した。そもそも娘から毛量のことを言及されたのが初めてで、なんだか驚いた。
 とは言え妻子に反対されながら貫き通すほどの気概もないので、赤は取り止め、今はピンク系で考えている。でもピンクってすぐにただの茶髪みたいな感じなりそうだよなー、などと悩んでいる。

2024年7月11日木曜日

休校史実・愛好家たち・交際開始記念日

 七夕のあたりというのは毎年のように豪雨災害になる。岡山時代に真備がすごいことになったり、今年は日御碕の道が陥落したりと、わりと身近なエリアで発生するので、びっくりする。おとといの帰り道では、テレビでたまに見るような、地面に10センチくらい水が溜まっている場所があり、前の車が普通に進めていたので「まあ大丈夫なんだろう」と思って通ったけれど、なかなかおそろしかった。
 おととい昨日と、線状降水帯も発生し、かなり荒れていたが、今日になってやっと少し落ち着いた感がある。まだ雨は残っているが、いわゆる普通の雨の日だった。
 そして子どもたちは学校が休みだった。
 昨晩に連絡が来たのだった。教育委員会の方針により、全校休校であると。
 真備のときもそうだったが、学校はいつも、風雨がとんでもなかった日の次の日を休校にすることだ。判断が難しいのは分かるけれど、災害級のそれが過ぎ去った翌日の休みで、その前日の、「いま思えば危険だった登校」が救われるわけではない。しかし実際には救われるわけではないのだが、長い目で見たとき、その前後関係は曖昧になり、「真備の水害の際は、子どもたちの安全確保のため学校を休校にした」という史実だけが残りそうで、これはそのための休校なのではないか、と勘繰ってしまう。
 いや、まあ、判断が難しいのは分かるけれども。でもほら、俺、権力が嫌いだから。教育委員会の方針、などと言われると、とりあえず文句を言いたくなるんだよな。

 通っているプールには週にいちどの定休日があって、普通に営業している日には、泳ぐ気分にならず行かなかったくせに、定休日に限って「今日プールが開いてたらなあ!」と地団駄を踏みたくなるほど泳ぎたい気分になる、というのは、プールあるあるだと思う。たぶん会員同士で話したら、「めっちゃわかる!」と盛り上がることだろう。会員に親しい人がひとりもいないので、想像だけども。
 ところで先日、プールの更衣室で、僕以外の会員同士がこんなやりとりをしていたのである。
「〇〇さん、明日はプール、休みですからね」
「分かってるよ」
「休みなんですからね」
「分かってるって」
 そのときは、うるせえなあ、つるむ奴ら嫌いやわー、としか思わなかったのだけど、あとになって、なんだあの会話、と思った。だってプールの定休日は、会員なら分かり切っていることなのだ。それなのになぜそれをわざわざ声に出して伝えたのか。
 怪しい、と思った。
 連想したのは、最終バスが行ったあとの深夜に、なぜか運行しているバスだ。それは知る人ぞ知る乱交バスで、愛好家たちがひそかにスリルを味わっている。主人公の女の子は、間違えてそれに乗り込んでしまい、ひどい目に遭うのである。
 そういうパターンのエロというのがあるだろう。
 もしかしてそれなのではないか、と思った。
 定休日のプールには、普通の人間は近付かない。なぜなら定休日だからだ。しかし実はそこでは、プールを舞台にした酒池肉林が開催されているのではないか。だって、そうでもなければあの会話は本当に理解ができない。たしかに日々どうでもいいことを大声でのたまう迷惑な人たちだけど、それにしたって文言通りであればあまりにも無駄な会話である。もしかしてあれは、周囲に向けて、新たな参加者を募るメッセージだったのではないか。そんなの創作の世界だけの話だと思っていたのに、現実にあるんだな。
 だとすればもったいないことをした。僕はその翌日の、定休日のプールには行かなかった。行けばよかった。水着ものっていいよね。

 7月8日はファルマンと僕の交際開始記念日である。
 毎年、祝うんだか祝わないんだか、とても微妙な扱いで、今年ももちろんそうだった。それでも仕事帰りに、なんかしら買って帰ろうかしらと思い、なににするかしばし思案する。
 花は、ずっと前にあげたところ、ファルマンは花瓶の水を取り替えることをせず、花と水が腐臭を放ち、さらには虫もたかって、さんざんな気持ちになったので、もう二度と贈るまいと思った。
 ケーキは、先日書いたように家族で僕ばかりが突出して好きなだけで、子どもたちはそうでもないし、ファルマンに至っては「重い」と言って半分残し、「あとは明日食べるね」などと言っておきながら、そのまま冷蔵庫で腐らせたりするので、やはり贈ってもろくなことがない。
 そんな思考の末に僕が買って帰ったのが、日本酒とかっぱえびせんで、ファルマンは「これよ、これ」と満面の笑みを浮かべた、21年目でありました。

2024年7月3日水曜日

ファルマンの懊悩・ブーの夢・ホイップクリームvs

 7月に入り、ちゃんと暑い。6月の終わりにやっと訪れた梅雨は、あちこちで被害はあるようだが、自分の生活圏では今のところあまり大したことなく、それよりも暑さのほうに気を取られている。梅雨がなんとか勇気を振り絞ってステージに上がったというのに、続けて暑さもすぐに現れたため、観客の目はやはりスター性のある暑さにばかり集中してしまい、梅雨は鬱屈を募らせるという、なんかそういう構図。怒らせたら怖いのに。
 こう暑いと、就寝時のエアコン操作が悩ましい。悩ましいと言ったが、横になったらすぐに寝ることで有名な僕は、実はなにも悩んでいない。悩んでいるのは、寝付くのに時間を要し、しかも汗をかかない体質のファルマンである。毎晩とても苦心しているようで、ご苦労様なことだと思う。そうねぎらいたい気持ちは、僕としては大いにあるのだけど、ファルマンのエアコン操作の懊悩においては、素っ裸で寝ている夫、というのも厄介なファクターのひとつであるらしく、意思と現実はなかなか噛み合わない。ファルマンには憂いなく快適に寝てもらいたい。でも服を着て寝るつもりは一切ない。なのでエアコンの風は細心の注意をして設定していただきたいと思う。

 おもしろい夢を見た。
 いかりや長介と、仲本工事と、僕の3人で、もちろんバラエティ的な感じの、チチチチチ、と音を立てる黒いボール状の時限爆弾を、互いに投げ合う夢。
 もうこんなの、絶対におもしろい。爆発しそうな爆弾を相手になすりつけ合うとか、おもしろいに決まってるじゃないか。なんで誰かが遠くに投げて全員で逃げないんだ、などと無粋なことを言う者などひとりもいない。長介と、工事と、僕は、恐怖で興奮しながら、時限爆弾をひたすらパスし合っていた。もしかすると、別収録のおばさんたちの笑い声もあったかもしれない。
 起きてからしみじみと、「おもしろかったなあ……」と思った。おもしろさとは要するにああいうものなのかもしれないと思った。自分が高木ブーの役回りであったことも含め、ひたすらおもしろかった。

 スーパーで売っている、4切れ入りのロールケーキがあるだろう。スイスロールではなく、中心にたっぷりとホイップクリームが入っている、300円前後するやつ。あれがたまに安くなっていたりすると、わあ、となって買って帰るのだけど、先日それが冷蔵庫で売れ残っているのを目の当たりにし、びっくりした。ロロ、ロールケーキが、持て余されてる、だと……? ファルマンに訊ねたら、
「あー、子どもたちはそこまでこういうの好きじゃないからね」
 という答えが返ってきて、ショックを受けた。
「こういうのより、ゼリーとかのほうが好きなんだよ」
 そして極めつけはこれである。
「って言うかあなたがこの家でいちばん、やけにホイップクリームが好きだよね」
 なんてこった、と思った。ホイップクリームとは、いつなんどき、どんな状況でも、最高にハッピーなものであると、人類全員においてそうであると、疑わずに生きてきたけれど、もしかしてそうではないの? それはホイップクリームが特別好きな人の考え方だっていうの? 実は僕はそっちの部類の人間だったの? 全員がこうなんじゃないの? えっ、ゼリー? ホイップクリームvsゼリー? 誰がゼリーに賭けるの? そんなのオッズがとんでもないことになるんじゃないの? そうでもないの? マジで?
 それにしても、ホイップクリームが絶対的なものであると信じて疑わない父と、実はゼリーのほうが好きな娘たち、というのが、なんだか非常におじさん的な、昭和的な、哀愁を感じさせるエピソードで、これが自分の身に起った出来事だなんていまだに信じられずにいる。