2024年2月15日木曜日

ジョグ・休肝・ドラクエ

 「おこめとおふろ」にも書いたが、いつものプールが閉鎖していて、地方民なのでそのプールが閉鎖するとそれはもうほぼプール難民ということになり、哀しみに喘いでいる。しかしなにぶん性根が前向きなので、打開策としてジョギングをぽつぽつとやっている。偉い。本当に偉いと思う。俺だけの国があれば、俺は俺に国民栄誉賞をあげたい。
 ジョギングは、プールほどはおもしろくないけれど、非日常感もそれなりに得られ、多少の気分転換になる気がする。そのついでに脂肪が燃焼されるのなら万々歳だ。
 夜に、車が来ないからという理由で近所の土手を走ったりすると、遠くに街の灯はあるものの、道や足元は本当に真っ暗で、平衡感覚が失われるほどだ。土手なので、片側は川べり、片側は道路となっており、転がろうものなら危険だし、もしも倒れたら朝まで発見されないな、などと思いながら走っている。
 空を見上げれば、冬の星がすごい。なにがすごいって、数がすごい。
 そんな星空を眺めて思ったのだが、にわかに変なことを言うようだけど、星の配置って、なんとなく線で繋いで、形を想像で補ったりすると、なんかしらの生き物や物品のように見えてきて、それらが星空を舞台に、呼応するように巡っているのだと思うと、ストーリー性さえ帯びてくるような気がする。あまりに荒唐無稽というか、無茶があるので、こんなことを考えるのなんて、過去現在未来併せても僕くらいのものだと思うけども。

 いつまで続くか知らんが、酒を飲むのは次の日が休みの晩だけにしようじゃないか、と思い立ち、実行している。いつからか。昨日からだ。昨日から始めた禁酒を、さも最近の暮しの報告です、みたいな面をして述べてみた次第である。
 酒を飲むことは、肝臓に悪いのはもちろん、なんかしら食べることになるので太るし、寝る前の飲酒はトイレが近くなるし、もちろん酒代も掛かる。冷静に考えるとメリットはデメリットに較べてとても少ないのだ。定期的にこの事実を噛み締めて、禁酒を誓う。それだのにいつの間にかこの誓いは破られるのだから不思議だ。頭おかしいんじゃないか。
 寝る前2時間くらいは食べないほうがいいとか、22時以降は食べないほうがいいとか、そういうことが言われるけれど、晩ごはんを食べたあと、寝るまでの数時間、なにも摂取せずに寝るのって、ちょっと寂しすぎると思う。これまではその思いから晩酌をしていたわけだが、禁酒ということになると、酒の代わりになにか別のものを用意しなければならず、これがけっこう難しい。コーヒーなどのカフェインを摂るわけにはいかないし、ホットミルクというのも大げさだ。じゃあぐい呑みに日本酒を一杯だけ、というのがいちばん簡単な話なのだが、しかし酒がぐい呑み一杯で終わるはずもなく、たぶんそこらへんから禁酒の誓いはいつも綻ぶのだ。
 昨日はどうしたかと言えば、沸かしたばかりの熱い麦茶を飲み、手作りのクッキーを2枚ほど食んだ。健康的だな、とも思うと同時に、それで人生の歓びは得られているのか、という自問も浮かんだ。時間の問題だな。

 ドラクエ11を買う。ポルガがお年玉で買う。それでポルガと同時進行で、僕も冒険の書を作り、プレイしている。実はポルガに買わせたのも、だいぶ僕が焚きつけたところがある。せこい父親だな。もっともドラクエというものは、人生の素養のひとつとして、ひとつくらい摘んでおいても損はないと思う。古い考えかもしれない。
 ドラクエは、たしかDSの9はしたのだったと思う。そしてオンラインの10には触れず、2作ぶりにこうしてまた巡り合った。やり始めてすぐは、ドラクエはもとよりRPGというものが久しぶりだったためか、いまいち気持ちが盛り上がらず、危機感を抱いたが、しばらくやっているうちに、乾燥していた土地に水が染み渡るように、きちんと愉しくなった。
 画面は、はじめにポルガが3Dでやるのを眺めていたら酔ったので、自分は2Dで進めていたのだが、せっかくの美麗なグラフィックを拒否し、ファイナルファンタジー6やドラクエ6あたりの感じのドット絵でプレイしているのが、なんだかすごく偏屈な行為であるように感じられ、途中から3Dに変更した。慣れたらぜんぜん大丈夫だった。これは経験則だ。「初見で拒否感があっても、だんだん慣れて大丈夫になる」のだ。これまでの半生で、さまざまな変遷に対峙し、そんなことは何度も何度も繰り返し学習しているはずなのに、なおも初見での拒否感に付き従ってしまう。年を取ると余計にその傾向が加速している気さえする。不思議だ。「初見で拒否感があっても、だんだん慣れて大丈夫になるんじゃよ……」と若者に諭せるようになれればいいのに、実態はその逆である。人は哀しいな。
 プレイしていると、子どもの頃のドラクエの愉しかった思い出がよみがえってきて、なるほど僕は過ぎ去りし時を求めて、ドラクエ11をしているのかもしれないと思う。