2023年8月20日日曜日

王家・ハイカカオ・絵本

 夏休みに借りて読み始めた「王家の紋章」が滅法おもしろい。
 話そのものがもちろんおもしろいのだけど、それに加えて、「ガラスの仮面」とまったく同じ、「作者の情熱」としか言いようのない、読者の反応だとかマーケティングだとか、そんなものに囚われていない、混じりっ気のない「私はとにかくこれが描きたいのだ!」という強烈な業が、全編に渡って満ち溢れていて、それがたまらなくおもしろいのだ。作者が自分を愉しませるためだけに描かれている(実際はそんなことないのかもしれないが)ものが、なぜか「読者はこういうのが読みたいだろうな」と計算されて描かれたものよりもはるかにおもしろいという、その奇蹟的な現象を生み出す力こそ才能というのだろうな、などと読んでいて感じる。
 状況に恵まれ、いま実は、家に最新刊までの全巻が揃っている(完結ではない)。だから心置きなく読み進められる。それはもちろん嬉しいのだが、時間を取られるのも事実で、なかなか他の読書や、日記を書いたりということができずにいる。でもこれはもうしょうがないと、あきらめている。おもしろい漫画は、しょうがないのだ。喩えは悪いが、これはもう蝗害みたいなもので、食い尽くすまで収まらない。せいぜい早く読み終えようと思う。ただし夏休みから読み始めているのに、まだ34巻で、やっと半分というところ。先は長い。嬉しいけども。

 先月の体調不良の折に服んだ薬で、陰嚢が思うがままに寛ぐ姿を目の当たりにし、血流というのはなんと大事なものかと再認識し、恒常的に血流が良くなれば、いつでもあのような陰嚢でいられるのかと希望を抱き、インターネットで血流を良くする方法を検索したところ、ハイカカオチョコレートを紹介される。カカオ分が70%とか80%とか90%とかの、あれである。
 これまでもチョコレートは愛好していたが、それはハイカカオなどと謳っているものではなく、そしてそれは、ハイカカオチョコレートをおすすめするページにおいて、「ああいうチョコレートは飴です」という、なかなかセンセーショナルな文言でばっさりと切り捨てられていた。それ以来、まだ食べかけだったそれは、そのまま冷蔵庫で冷やされ続けている。薄々は感じていた。薄々というか、甘いチョコレートはそもそも、罪悪感を伴う妖しいおいしさが身上みたいな食べ物だったはずだ。
 しかしページを読んだ日からすっぱりと宗旨替えし、今はせっせと、カカオ分80%台のチョコレートを摂取している。これまで食べていたものより甘くなく、口どけもよくないが、でもただそれだけのことだな、と思った。幸い僕は、これまで食べていた飴チョコに、飴を求めていたわけではなく、それでもチョコレートらしさを得ようとしていたようで、チョコレートの濃さを希求した製品に、抵抗感はなかった。なにより、これを習慣的に食べることで、陰嚢が寛ぎ、さらにはアンチエイジング効果まで望めるのだと思うと、メリットしかないと思った。ありがとうございます。

 夏休みに行なった図書館巡りには、スタンプラリーのほか、実はあともうひとつ個人的な目的があって、子どもたちに絵本を読んでやっていた頃に読んだものだと思うのだけど、断片的な場面だけが思い出され、しかしそれが誰の何の本だったかはっきりしないものがあって、家にある蔵書では見つけ出せず、図書館でその探し当てようと目論んでいたのだった。
 とはいえ、完全になんの取っ掛かりもなく、記憶の中の曖昧なひとつの場面だけを頼りに、絵本棚の端から端までを当たるわけもいかない。なんとなくイメージの中のそれは、五味太郎の絵ではないかという気がしていたので、行った先々の図書館で、五味太郎の本を片っ端に確認した。しかし「これだ!」というものは発見できなかった。もしかするとぜんぜん五味太郎じゃないのかもしれない。
 というわけで、今でもその本の正体は判明していない。
 思い浮かんでいる場面は、サーカスの情景が俯瞰で描かれていて、たぶん本の前半で、パフォーマンスを失敗し団員が怪我をするのだが、ショーの最後でその団員が再びステージに現れ、客は「大事なかったようだ」と安心する、みたいな、なんかそんな情景。
 どなたか、心当たりのある方は、お知らせください。なんてことを、妻以外ほぼほぼ誰も読んでいなさそうなブログで書くという、この行為の清廉と美しいこと。