2023年8月2日水曜日

副産物・よよよよ400・あだち充足

 新型コロナに罹患した疑惑があり、その後遺症として名高い、「ちんこが小さくなる」について、「その様子は見受けられない」という報告をした(だからみんな安心したと思う)。しかしながら、まだサンプル数(回数)が少ないため確かなことは言えないのだけれど、なんとなく、罹患前に較べて、発射が早くなったような気が、しないでもない。前までなら耐えられていた度合で、「あっ、あっ」となる。ちょっとそんな傾向を感じる。
 そこで「新型コロナ 後遺症 早漏」で検索してみたところ、やはり「ちんこが小さくなる」や「勃起不全」ばかりが出てきて、早漏ということを言っているページは見つけられなかった。もしかしたら世界初の症例なのかもしれない。
 もっとも早漏かどうかというのは、長さや固さ以上に感覚的なものなので、それが事実かどうかは確かめようがない。あるいは発想の転換で、性器に問題が生じて早漏になったと考えるのではなく、コロナ罹患を経て、俺の指使いに磨きが掛かったと捉えることも可能だ。だとすれば後遺症ではなく、副産物だ。新型コロナの副産物、自慰のテクニックの上昇。力が抜けたことで、絶妙なタッチが実現したのかもしれない。

 先日、夏祭りが3年ぶりだか4年ぶりだかに執り行なわれたので、家族で参加した。コロナ以降、初めてだし、コロナ以前も、なぜか倉敷では不思議なほどに夏祭りというものに縁がなかったので、ポルガも含めて、子どもたちはほぼ人生初の夏祭りなのだった(ポルガは第一次島根移住の際に連れて行ったこともあったが、記憶にないという)。
 数年ぶりの開催だったからか、島根のくせにすごい人出で、身動きが取れなくなるほどの瞬間もあり、そもそもそういう状況に慣れていないし、さらには暑さもあって、ひどく疲弊した。来年からは子どもだけで行ってくれよとも思うが、夏祭りの日のティーンのハイテンションを思うと(目の当たりにした)、なかなか娘を野放しにする気にもなれないのだった。
 屋台もたくさん出ていて、僕はもちろんこういう所のものは決して口に入れたくないのだけど、子どもたちはピュアなので「あれも食べたい」「これも食べたい」と言ってきて、でもだいたいのお店が行列だったので買うこともままならず、それでもひとつくらいはということで、チョコバナナの店の列に並び、購った。値段がどこにも書いておらず、いくらなんだろう、どうせお祭り価格だから高いんだろうなと思いながら、ポルガとピイガの分、2本を注文したら、「800円です」と言われたので、聞き間違いかと思った。あるいは、4人で並んでいたので、ひとり1本、4本の注文だと思われたかと思った。いいいい1本、よよよよ400円? ここここの、いかにも安そうな貧弱なバナナを、衛生面に大いに不安のあるチョコレートのプールにくぐらせ、そこにカラフルな粒粒のやつを振りかけただけの、これで、400円? 400円取るの? マジで? えっ、マジで言ってんの? たこ焼き600円とか、りんご飴500円とかは、まあ「お祭り価格だから」の許容範囲だ。でもこのチョコバナナ1本400円は、さすがに限度を超えている。易々と超えてるだろ……、と思いながら、子どもを引き連れて並んだ手前、「じゃあいいです」とも言えず、忸怩たる思いで1000円札を出し、200円だけ返ってきた。カツアゲかと思った。子どもたちは「おいしい」と言って嬉しそうに食べていて、まあ子どもが喜んでいるならいっか……、というふうに思えればいいのだが、あんな不衛生で法外な値段のものを喜んで喰うなよ、むしろ唾棄しろよ、と思ってしまうので、いつまでも溜飲が下がらなかった。今もだ。この半年くらいで、いちばん無駄に使ったお金だったんじゃないかと思う。
 そのあとに見た花火も、この衝撃には敵わず、久々の夏祭りの思い出は、チョコバナナ1本400円という驚き一色に染まってしまった。だって、ほんとに、あれが400円は、さすがに間違ってるだろう。あまりに儲けが出過ぎだろう。将来もうチョコバナナ屋さんになろうかな。おっさんのチョコバナナも咥えてくれーや。

 「タッチ」を読み終えた。途中でも書いたが、結局は浅倉南なんだな、ということを思った。あだち充が描きたかったのは、上杉兄弟でもなく、もちろん野球でもなく、ただ浅倉南なのだ。あだち充が描く物語は、主人公とヒロインが、表面上は紆余曲折ありながらも、結局は深い部分で一切揺らがず強く結びついていて、それは少年が物語を読むときの願望である、「とにかく無条件に主人公(俺)がモテ続ける」に他ならないが、あだち充はたぶんそれをビジネスライクにやっているのではなく、さらにその上位の存在として、「それを描いているのは俺である」という、自身の歪んだ欲求の充足のためにやっているのだと思う。それだからこんなにも、人の情欲をくすぐるのだと思った。大いに参考にすべき創作法だろう。