2023年6月3日土曜日

サギ・暦・よそ者

 仕事の帰り道、田園地帯なのだが、その中の1枚の田んぼが、白かった。運転中でメガネを掛けていたため、なぜ白いのかはすぐに判った。サギなのだった。
 サギって日常の中で相対するにはちょっと大きすぎる生き物だと思う。倉敷時代も、家のすぐそばを用水路が通っていたためか、ゴミを捨てる際など、ちょっともう会釈くらいしたほうがいいのかな、というくらい至近距離に、1メートルを超える大きさのサギが平然と立っていたりした(体が大きいためかスズメなどのように臆病ではないようで、逃げないのだ)。横浜や練馬の暮しにそれは登場しなかったので、田舎暮しが長くなった今でも、見るたびに驚く。このあたりの部分に、先天的田舎民か後天的田舎民かの差が出る。
 しかしそんな田舎のサギ事情でも、大抵の場合、ひとつの視界にサギは1羽である。サギは群れで生活するタイプの生き物ではない(おそらく)。たまに2羽、3羽くらいが端々にいて、視界の中に同時に収まることはあるけれど、せいぜいそのくらいだ。
 それが今回の目撃の場合、田んぼを埋め尽くすほど、つい先ごろ植えられたばかりの苗はまだまだか細く、張られた水の水面は暮れなずむ夕空と同じ色を浮かべていたが、その1枚の田んぼだけは、それよりも白い面積のほうが大きかった。
 50羽以上いたと思う。
 帰宅後の食卓で家族に向かってこの話をしたら、「なぜ写真を撮らなかったのだ」と責められた。たしかにその通りだ。撮ればよかった。話だけでは、父の語ったビッグフィッシュである。続けてファルマンに、「アップしたらバズったかもしれないよ」とも言われた。
 ちょうど先日、嘘か誠か知らないが、田んぼの持ち主に向かって、カエルの鳴き声がうるさいから対策を取ってくれ、という手紙があった、というツイートがバズっていた(たぶん現代の世相を反映させた風刺の創作だろうと思う)。田舎のカエルの鳴き声は、たしかにすごい(でも6月に入ってピークは超えた)。それに関してもしも対策を取るとするならば、それはもうサギの大量投与しかないだろうと思う。
 というより、水を張った田んぼにカエルの鳴き声が鳴り響くのも自然現象ならば、それがやがて落ち着き、落ち着いたと思ったらサギが気色悪いほど増殖しているのも自然現象で、対策というか、そういうサイクルだ。カエルの鳴き声対策にサギを大量投与することはできない。カエルを食べて、サギは数を増やすのだから。サギの体の大部分は、たぶんカエルでできている。ありとあらゆる生命はそうやって連綿と連なっているのですよ、猿田。

 先週「整理」で書いたように、150枚ほどあるショーツをひとつの大きなカゴに入れ、そこへ毎日ずぼっと手を差し入れ、指の先に遭った1枚をピックして穿くということをしているのだが、これがとてもおもしろい。これまでの恣意的に選ぶスタイルでは絶対に選ばなかったようなものも一切の忖度なく選ばれるので、毎日「おっ、こう来たか」みたいな新鮮な感動がある。唯一の不満は、140枚くらいある、フロントが1枚のガーリーライクショーツに対し、のび助ショーツは10枚ほどしかないため、ぜんぜん当たらない(今週はいちども当たらなかった)という点で、この制度を取る前の半月間ほどは、恣意的にのび助ショーツばかりを穿いていたため、久々のガーリーライクは、ちんこの置き場所というか、根源的な姿勢の違いみたいなものに、戸惑いがあった。ちんこを、こんなふうに下方に押し込むような感じにしてしまって、よくなくないの? と不安を抱いた。でもその違和感も1日ほどで薄れ、やっぱりこれはこれで魅力があるよなあ、と再認識したりした。そうでなければ140枚も作ったりしない。それでもこれからはバランスが良くなるよう、のび助ショーツを主体に数を増やしていこうと思う。そうしているうちに、やがてショーツの数はとうとう365に達するだろう。そうなればショーツは暦になる。ショーツが暦になるってなんだろう。俺が言って俺が分かんなかったらこの世の誰にも分かんないじゃんね。

 先日、ひそかにおろち湯ったり館へ行った。週末の夜であった。ホームページに、「週末は夕方にかけてたいへん混雑するためお待ちいただく場合がございます」と書いてあったので、どうなんだろうとおそるおそる行ったのだが、なんのことはない、蓋を開けてみたらプールなんて貸し切りだった。「夕方にかけて」ということなので、夜はピーク後ということか。たしかに田舎の夜は早い。お年寄りしか行かないような昔ながらのスーパーは、16時半くらいに刺身が半額になるのでびっくりする。サマータイムかな、と思ったりする。
 サウナはさすがに貸し切りではなかった。たぶん、毎晩来ているのだろう地元のメンツがいて、僕以外は誰もが顔見知りのようだった。雲南市に観光客ってひとりもいないのだろうか。土曜の晩だぞ。地元の人たちの会話は、それはもうえげつなく、今ここが日本でいちばん田舎臭いサウナじゃないかな、ということを思ったが、たぶん同率一位が日本中にたくさんあるだろうとも思った。
 田舎の、人が少ない割に、施設が充実している空間に、永遠のよそ者として存在できるのって、すごく恵まれているな、ある意味俺は透明人間として温泉に来ているな、もちろん入るのは男湯だけどな、などと思った夜だった。