2023年2月18日土曜日

ペース・寒さ・長髪

 19年分の日記ということは、すなわち228ヶ月分の日記ということである。20周年である来年の2月6日までにそれを読み終えようと思ったら、2日で1ヶ月超を読まなければならない計算になる。
 それは無理ですよ。
 2月に入って本格的に開始したこの作業、半月が過ぎ、2004年9月(の途中)から、2005年6月までようやくたどり着いた。これでやっと9ヶ月。半月のノルマが9ヶ月から10ヶ月なので、ギリギリセーフである。しかし開始早々からギリギリセーフではよくないだろう。だって、どうせ途中でダレる。断言する。ペースは絶対に落ちるのだ。それなのに最初から平均点では、だいぶ見通しは厳しい。
 (読み返し作業をする身にとっては)幸いなことに、あまり書いていない期間というのも存在する。しかしその一方で、こいつブログしか人生の娯楽がなかったのかな、というくらい異様に書いている期間もある。そして頻度としては後者のほうがよほど多い。
 あまりにも遠い、まだ21歳の頃の日記を眺め、そのあとに起るさまざまなことを経た今の自分は、今の自分に至るまで、そこにたどり着くまでの日々に綴られた情報量の多さが実感として察せられるので、その怒涛さに、クラクラする。
 もちろんとても愉しいのだけど。「おもひでぶぉろろぉぉん特設サイト フレーズで振り返る20年の歩み」、日々更新しております。これを見れば読み返し作業の進捗状況が一目瞭然という仕組みです。

 寒さが身に沁みる。正月が終わったあと、「これからは年末年始というゴールが失われた、ただの陰鬱な山陰の冬である」というようなことを書いた。本当にそうだ。2月に入り、もう寒さのピークは過ぎたな、と自分に言い聞かせるように主張したけれど、実際のところまだまだ寒い。日は少しずつ長くなってきた感じがあるが、寒さはまだ変わらぬ威力で続いている。寒さは一定だが、心はすり減っているので、1月よりつらみが強い。
 つらみと来ればセットで付いてくるのがうらみで、前向きなのかなんなのか自分でもよく分からないが、あったかくなったらこの野郎、覚えとけよ、という、一族を抹殺された少年のような思いが、頭の中に巣食っている。春になったら、この鬱憤をとことん晴らしてやる。せいぜい覚悟しとけよと、一体なにに差し向けたものか自分でもよく分からない、並々ならぬ敵意がある。くじけず生き抜くための精神作用なのだろうが、あまり健全ではないな、とも思う。寒い国の戦争意欲を理解することに繋がってしまうから。

 髪をとことん伸ばした。具体的にいつからだったかもう定かではないが、伸ばすほうに振れた時期がよかったように思う。男にとっての長髪に移行する時期と、秋から冬への寒さが増してくる時期がうまく噛み合い、髪を切らない大義名分が得られた。去年もそんなことを言ったような気がするが、今年は、今は、人生でいちばん髪が長い。「アトムの童」の山崎賢人くらいの長さ。外出時は必ずゴムで結っている。
 しかしいつまでも伸ばすわけではない。自分の中でも潮時は感じ取っている。乾かすのも時間が掛かるので、もう少し暖かくなれば、切るのもやぶさかじゃない。やぶさかじゃないのだが、他者から、他者というかファルマンなのだが、「切れ」だの「見苦しい」だのと言われるたびに、「なにを!」となり、散髪のタイミングがどんどん後ろにずれ込むのだった。まんま「北風と太陽」である。乱暴に取っ払おうとされるたびに、僕は必死でコートを守ろうとする。そのような類の言葉を掛けられるたびに、そこまで信念のあったわけでもなかった長髪が、必ず守らなければならないもののようになる。今のこの長さは、そんなファルマンの口さがない言い様を養分にして醸成されたと言っても過言ではないと思う。
 春になれば切る。切って、今度はまた色かな。