2022年1月5日水曜日

ピイガ8歳・アッシュ・文学国語

 1月4日にて、ピイガが8歳となる。わが家の最年少であるピイガは、甘えん坊で、しかししっかり者でもあり、姉よりもだいぶ常識人である一方、野生動物のような苛烈さも持ち合わせ、自己肯定感はわが家でも随一だが、承認欲求も強く、まあどんな人間だってそうであるように、いろいろな面があるが、とにかく日々、激しく、そして愉しそうだ。少し落ち着け、声のボリュームを落とせ、と諭したくなる場面も多々あるものの、元気でなによりだと思う。
 誕生日は、リクエストにより昼ごはんはワカメの乗ったうどん、晩ごはんは餃子の皮を使ってのタラマヨピザだった。1月4日。正月と平日、ハレとケのあわいの日が、1年でいちばん大事な誕生日というのは、どんな気持ちなのだろう。気の早い話だが、12年後には成人式があるので、その年は平年に輪をかけてせわしないんだろうな、と思う。
 ケーキは、クリスマスが5号と4号の2段だったのに対し、今回は7号の1段。7号のスポンジって、売っているのを初めて見て、買ったのだが、切り分けたときの見栄えがとてもよく、1段ならばその大きさもちょうどいい感じがして、とてもよかった。おいしく食べれた。
 相変わらず体は小さく、こちらも末っ子として「小さくてかわいい」という扱いをするため、サイズも言動も、4、5歳くらいの印象があり、8歳だなんて嘘だろ、という気がする。たぶん末っ子というのは特に、実年齢と、こちらの抱く印象の年齢が、いつまでも合致せず、違和感を持ち続けるんだろうと思う。

 年末に脱色した髪が、下品な明るい茶髪だと、ファルマンにとても不評で、早急に色を入れろと命じられ、年明けに決行した。本当はブリーチからもうちょっと間を空けるべきらしいが、まあ仕方がない。どんな色にするか、ぜんぜん見当もつけずにドラッグストアに行き、店頭の限られた選択肢の中から、「これかなあ」と選んだのは、ちょっとグレー系のアッシュだった。まあどうせパッケージ通りの色にはなるまいと思っていたが、果してグレー感などほとんどなく、しかしただの脱色ではないまろやかな金髪めいた茶髪、みたいな感じになったので、まあまあ成功だと思う。考えてみたら岡山で髪の色をいじっていた時期も、ブリーチは最初だけで、あとは黒い部分が増えるたびに、カラーを重ねていたのだった。これってやればやるほど複雑な色味になっていくからいいんだよな。

 国語が「論理国語」と「文学国語」に分けられる、という話題がある。これが選択制になって、そして学問として試験などで重きを置かれるのは当然前者のほうなので、これからの国民はますます文学から遠ざかっていく、という。
 この問題について、僕は一家言あるだろうか、特にないだろうか、と少し考えて、当然あるよ、なんてったってあの日芸の、あの文芸学科卒だぞ、とまず思ったのだが、「じゃあどんなご意見・ご感想ですか」と問われると、「……ふうん、と思いました」としか答えらえないな、とも思った。別に文学を学んだからどう、学んでないからどう、なんてことは、人格形成、社会形成に、なんの関係もないと思う。この話題って、なんとなく「由々しき事態だよ!」といいたくなる雰囲気があるが、それは本当に「なんとなく」であって、実際にはなんの根拠もない。文学を一般教養として学ぶなら、なぜ映画は学ばないのか、という話になってくるし、そう考えると、あれ、もしかして、文学が学習要領だったのって、実は単なる既得利権だったんじゃないの、なんてことも思う。そういえば既得利権感の横溢する教授や講師を、学生時代にたくさん見たような気がする。
 映画や音楽、漫画、スポーツ、写真、料理、裁縫、学びたい奴は勝手に学ぶ。文学もそれと一緒でいいだろう。それらに較べて文学だけが、なんかしらの絶対的な価値や役割を持つなんてことは、まるでないと思う。結局、意見してしまった。