2020年3月3日火曜日

コロナ・コロナ・コロナ

 コロナで春休み前倒しの一斉休校となり、ポルガの通う小学校も例に漏れず、先週の金曜日で今年度がほぼ終わった。なんとも性急で特異な事態なことだな、と思う。しかし小学校は休校なのだが、幼稚園は休園にならず、そのためピイガは今週も普通に登園している。なんとなくおかしな感じだ。小学生は留守番ができるが幼児はできない、みたいな判定なのだろうか。あまり理屈になっていない。そもそも理屈になっていないという意味では、これまでもこの時世は、女性に対して仕事と出産と子育てと家事というムチャブリをしてきたわけで、その時点でぜんぜん理屈になっていなかったし、今回のことでさらにその理屈は大いに破綻したように思う。わが家にはファルマンがいるので、今回の事態においてもあまり問題はなかったが、じゃあ結局、両親ふたりともが外に働きに出ていかないほうが正解なんじゃないの、ということになる。こうして、いざってときに結局は母親による融通に頼る感じになるんだったらば。

 コロナで買い占めが起っていて、気持ちがくさくさする。買い占めも嫌だし、高額転売も嫌。僕なんて平常の暮しにおいてもだいぶ他者のことを嫌悪しながら生きているのに、こういう事態になるといよいよ世の中に対しての苛立ちが募る。
 たしかに不足は怖い。物資に満ちているように思える現代社会だが、結局は「店に並んでいるもの」で生きているのだな、ということを、今回のことで痛感した。それはかつて自然の中で狩猟をしていた時代と、綱渡り加減はそう変わらないのかもしれない。どこのスーパーに行っても、肉も魚も野菜も売っていなかったら、われわれは10日くらいで飢えてしまう。店に売ってなかったらなんにも手に入らないんだな、としみじみと思った。
 マスクが店頭から消えて久しいが(幸い家にはまだストックがある)、近所のドラッグストアでは、がらんとしたマスクの売り場に石鹸が置かれ、その脇に手書きの、手洗いがどれほど大事か、どうやって洗えばいいかを伝えるポスターが掲示されていた。これはとかく気持ちがマイナスになりがちな今回の出来事の中で、だいぶ救われた。店頭のがらんとした棚というのは、それだけで寂寥感があるので、それを隠す意味でも、そしてマスクを妄信的に求める精神を諫める意味でも、とてもよかった。新聞に投書したいくらいの、いわゆるちょっといい話だ。

 コロナでやはり大相撲の3月場所は、無観客での開催が決まった。大相撲を無観客でやるとどういう感じになるのか、あまり想像がつかない。今週の日曜日が初日。相撲そのものへの興味よりも、その異常事態への興味本位で、チャンネルを合わせてしまうだろうな、と思う。
 その大相撲に関して、不謹慎なのであまり大きな声では言えないのだが、思いついた以上どうしても言わずにおれないフレーズというのがあり、ここに記しておきたい。
 「はっけよーい、濃厚接触!」というのがそれで、「のこった」と「濃厚接触」は「のこ」までが掛かっているので、これはかなり上手いのではないかと思う。決まり手は上手出し投げ。上手出し投げで破皮狼関の勝ち。