映画「侍タイムスリッパ―」がPrime Videoに出たので、ファルマンと観た。噂どおり、とてもおもしろかった。盤石ではない態勢の中、監督ががんばって作って、公開後に評判を呼び、どんどん上映館が増えていった、というストーリーがあるようで、観ていて、なるほどそういう境遇でこの映画は作られたのだな、という情熱を感じ取った。映画に限らず、もといクリエイティブ関係に限らず、ありとあらゆる、作られるものの価値というのは、どれだけ情熱をもって作られたかなのだな、ということを最近しみじみと思うのだけど、この映画を観て改めてそれを実感した。
知っている俳優がひとりもいないというのも新鮮な経験で、あのドラマに出てた人だな、とか、あの番組でダウンタウンと絡んでたな、などという雑念が一切生じず、物語に没頭できてよかった。ぜんぜん知らない人たちだけだと、その役をやっているその人しか知らないので、ワンチャン本当にそういう人なのかもしれない、という気持ちになるのだった。ファルマンにそう言ったら、「私は人の顔を覚えないから、いつだってそういう気持ちでドラマを観てる」と言われ、それは人生が愉しいかもしれないな、と本心から思った。
エイプリルフールで、今年も企業がジョーク企画をやって、失敗したりしていた。中でもいちばん失敗したのは、持ち帰り弁当のほっかほっか亭で、価格高騰によって米が確保できなくなり、今後はおかずだけの販売になります、みたいなジョークを発表したところ、さすがに時勢的に笑えない、不謹慎だ、などと叩かれ、謝罪していた。
毎年こうやってジョークのあんばいを失敗して怒られる企業があるけれど、別に絶対にやらなければいけないわけでもない企画に自主的に参加して、自主的に参加するということは自信があるからなのに、それでいて外して、謝罪までしなければならなくなるという、このかっこ悪さたるや、すさまじいものがある。ウケると思っていたのにマジ叱られ、という部分に、共感性羞恥が刺激され、自身の嫌な思い出までよみがえってきたりする。
そもそもエイプリルフール企画って、もうぜんぜんおもしろくないと思う。怒られないやつも、おもしろいかと言えば別におもしろくなくて、それはもはや、この体制叩き体質の世の中において、「不謹慎ではないという看過」をいただいているだけであり、つまり手を出したところで、ゼロかマイナスしか得られないのだ。百害あって一利なし。ならば参加しないのがいちばん賢い。
こんなことを言うと、現代はエイプリルフールを愉しむ心の余裕さえ失ってしまったのだな、などと嘆く輩がいるかもしれない。そういうことではない。流行語大賞もそうであるように、大衆が、遍く共有する趣向というものが、存在しなくなったのだと思う。
「マツコの知らない世界」で40代50代の婚活事情を特集していて、おそるおそる観た。なかなかすさまじい内容だった。結婚とか、出産とか、子育てとか、話がセンシティブすぎて、迂闊に発言ができないけれど、そういったややこしいことを考えていると、僕の頭の中に、沖縄のおばぁがポンッと現れ、そのおばぁはなんでも分かってるような顔で、こんなことを言うのだった。
「腰を振ればいいさぁ」
僕が「まあとにかく腰を振ればいいんだよ」と言ったら、それはフジテレビ的な、野卑な男性主義になってしまってよろしくないけれど、同じ内容でも沖縄のおばぁなら許されるんじゃないかな、と思う。そういう考えから誕生した、イマジナリーおばぁなのだと思う。
イマジナリーおばぁに怖いものなどない。
「とりあえずキープしとけばいいさぁ」
「はじめ痛くても、すぐによくなってくるさぁ」
「外に出せばなんくるないさぁ」
次々に繰り出される最低発言。でも大丈夫。沖縄のおばぁだから。そういうvtuberとしてデビューしようかな。もういるかな。