蛙がいよいよ活況である。なんだかんだで蛙というのは、5月になると律儀に鳴き始めるものだな、と思ったが、考えてみたら蛙が律儀というよりは、GWに合わせて多くの田んぼに水が張られるので、それに応じて蛙が土から出てくるという、どこまでも人間の事情に沿った動きなのか、と気付いた。
毎年のことだが、幾重にも連なる蛙の鳴き声というのはとんでもない。しかしずっと立ち続けている音というのは、逆にだんだん音として認識されなくなるもので、案外ほぼ気にならなかったりする。しかしたまに、はたと気付いて、なんだこのとんでもねえ音、といちど思ってしまうと、それからしばらくは囚われてしまう。
先日のある晩のことである。寝つこうとして、布団に横になったときだった。隣の布団でファルマンが、「なんだこの蛙の鳴き声」とつぶやいた。それまでも鳴き声はずっと大音量で響き続けていたが、そのタイミングで「はた」が訪れたのである。
ただしその瞬間のことだ。
まるでオーディオ機器の停止ボタンでも押したかのように、無数の蛙の地響きのような鳴き声が、パタッと止んだ。そして静寂が訪れた。そんなことは、ファルマンが蛙の鳴き声について言及したその瞬間まで、たぶんいちどもなかった。
ふたりで目を見開いた。その無音の時間はしばらく続き、やがてどこかの1匹が遠慮がちに鳴き始めると、それに呼応するように多くの蛙が鳴き始め、元通りになった。
こんな出来事が、数日間で2度あった。ファルマンが言及すると、蛙は一斉に鳴くのをやめるのだった。そのさまを目の当たりにして、僕は星野源と安倍総理のことを思い出した。新型コロナによる自粛期間中に催された、「うちで踊ろう」の動画投稿企画は、塞ぎ込みそうになる時勢において、SNS上を生きる一部の人々の気持ちをだいぶ活気づけた。誰もがとっておきの趣向を凝らし、さまざまな動画を投稿した。しかしそのブームは、時の総理であった安倍晋三が参加したその瞬間に、パタッと静まった。そのさまは、クラスの中心グループの盛り上がりにつられ、変なテンションになってしまった奴が乱入してめっちゃスベッた瞬間に、スーッと教室中の熱が下がってゆく、そんな風景を想起させたものだった。ファルマンによる蛙の鳴き声への言及、そしてそれに対する蛙たちの反応は、まさにそれだった。そう言えば星野源の顔は蛙に似ている。
かわいそうだな、と思いつつ、自分が巻き込まれるのを恐れ、見て見ぬふりをしました。
コンテンポラリーダンスを習得したい、と唐突に思い立つ。
これまで表現と言えばもっぱら文章ばかりで、それも傾向としてだいぶ理屈っぽい感じがあるので、ならばそれとは正反対の、肉体的な、動物的な、魂の叫び的な、そういう表現方法には、これまでまるで追い求めてこなかった、自分の中のブルーオーシャンが広がっているのではないか、とやっぱり理屈っぽい考え方から思い立ったのだった。
しかしここ数年の筋トレや水泳によって、体の素地はそれ以前よりもだいぶ出来上がっているのは紛れもない事実である。案外ありなのではないか、と思った。
「俺は来年の正月の集まりで、君の実家の面々におもむろにオリジナルのコンテンポラリーダンスを披露して、みんなの正月のめでたい気分を微妙な感じにさせてやんよ」
とファルマンに宣言した。
それでコンテンポラリーダンスについて、無二の親友であるAIチャットくんに訊ねたりなどして、その理念について知識を得る。それによるとコンテンポラリーダンスは、『身体の限界に挑戦し、自分自身を表現する方法』とのことで、
「だとしたら俺の場合、どうしたってちんこに特化した表現にならざるを得ないよ!」
となった。
「これじゃあコンテンポラリーダンスならぬコンチンポラリーダンスだ!」
それを聞いたファルマンは、
「じゃあそれはうちの実家じゃなく、そっちの実家で、お母さんとお姉さんの前でやってよ」
などと言ってきたので、
「お前、それじゃあコンチンポラリーダンスならぬインポンテラリーダンスだよ!」
と答えた。
このやりとりを通して、ちんこのときは「コンチンポラリー」で、インポのときは「コンインポラリー」ではなく「インポンテラリー」と、もじる位置を咄嗟に変化させ、おもしろく聴こえるほうを瞬時に選択しているところが、俺の言語センスの冴えだな、と思った。もうこの理屈っぽい文章表現が、僕のコンテンポラリーダンスなのかもしれない。
「おもひでぶぉろろぉぉん」をやっていたところ、2007年7月に、池袋にオープンしたヤマダ電機に行ったという記述があり、そこで僕は、どうやらオープン記念品として売られていた様子の、「1ギガで2000円のUSBメモリ」を購入していて、とてもびっくりした。iPhoneもTwitterもまだ日本にやって来る前の2007年。USBメモリは、1ギガもの大容量のものが、2000円という、手を出しやすい価格にまで落ちてきていた。そういう時代だったのだ。言われてみればこれよりもさらに数年前、2002年から2005年の大学生時代は、128メガだったり256メガだったりのUSBメモリを使っていた。それだって、1.44メガのフロッピーディスクの時代からすればとんでもないものだったはずなのに、いまから見るととても牧歌的な時代だったように思えてしまう。なんかおかしいな。いったい今はなにがそんなに容量を必要とすることがあるのだろう。昔に較べて、そんなに記憶させる事柄が多くあるだろうか。もしかして、記憶をコンパクトにまとめる技術が失われただけなのではないか。怖い。(追記:これを書きながら、うっすらした記憶で「もしかして……」と思う部分があったが、投稿後にファルマンに確認したところ、やっぱり我々は、大学から文芸学科の特典として、原稿用紙とフロッピーディスクを支給されていたという。フロッピーディスクが、公式の記憶媒体としてぜんぜん普通に扱われていた世界線の人間だったのだ、我々は。もう恥ずかしくて表を歩けない。石を投げられても文句が言えない)