2023年12月3日日曜日

流行語大賞・牛乳と子ども・年末年始の帰省について

 cozy rippleじゃないほうの流行語大賞が発表された。大賞は予想通りの「アレ」。もうひとつの、とにかく明るい安村も登壇するだろうから授賞式も久しぶりに盛り上がるだろうという予想は、受賞(選考委員特別賞という、「大賞」や「トップテン」に対してどういう序列になるのか意味不明なやつだが)というのは正解したが、安村は授賞式には出席せず、映像でのスピーチとなったようなので、まあ外れたと言うべきだろう。そしてこれは、予想が外れたことが残念というよりも、いよいよユーキャン流行語大賞がベストジーニスト化してきたというか、昔ならばお笑い芸人がこの賞を獲るとなれば、万難を排して出席したに違いないのに、もうそんな存在でなくなったということを象徴しているようで、一抹の寂しさを感じた。
 3年連続で野球関連の言葉が大賞になったこともあり、やくみつるが槍玉に上がって、感覚があまりにも時代遅れだ、ということが例年以上に叫ばれている様子があるけれど、かと言ってネット流行語大賞やSNS流行語大賞といったものがより世相を反映しているかと言えばそんなこともないわけで、現代はメディアが多様化しているので昔と違ってあらゆる世代で全般的に流行するものなんてないのだ、という意見は、それを言ったらおしまいだよ、という正論ではあるのだけど、やはりもうしばらくはユーキャンのそれが、このジャンルでの最高権威ということでやっていくしかないと思う。最高と言っても、もはや本当に乏しい高さだけども。

 牛乳の1リットルパックが2日もたないので、日々せっせと買う。1ヶ月に15本以上20本未満くらい買っているのだと考えると、毎月4000円近くを牛乳代として使っている計算だ。ちなみに僕は成分無調整の生乳は飲まず、低脂肪乳を別で買っているので、これは僕以外の3人による消費である。3人というか、ファルマンはたぶん朝のミルクティー以外では牛乳は飲まないので、ほぼほぼ子どもたちふたりということになる。
 うちの子は本当に牛乳をよく飲むものだな、と牛乳を買いながら考えていて、あることに思い至る。それは、うちの子って水分を、牛乳と麦茶でしかほぼ摂ってない、という事実である。ジュースの類を進んで与えることはしないし、炭酸やカフェインはふたりともまったく飲めない。であれば、子どもというのは、牛乳と麦茶ばかりをせっせと飲むほかないのだ。自明の理と言えば自明の理なのだけど、改めてこのことを認識して、なんだかびっくりした。あいつらって、そんなに水分補給のバリエーションが少ない生き物だったのか。この多彩な世界において、そんな野生動物のような暮しをしていたとは。どうりで冬になり、ココアが食卓に現れると異様にテンションを上げるわけだな、と腑に落ちた。

 この年末年始には帰省をしないことにした。理由は複合的で、複合的な理由をひとつひとつ挙げて説明していくと、どうしても言い訳めくというか、(行かないという)結論を正当化するための材料探しに余念がないっすね、という感じになってしまうのだけど、それでも述べてゆく。
 まず、自分が思っていたよりも新幹線の料金というものは高額であった、ということ。これまでファルマンに任せきりだったのだけど、聞いてみたらすごい金額だった。これは今回からポルガが大人料金になるというのも影響している。
 そしてその新幹線が、今回の年末年始期間から、自由席車両というものがなくなるそうで、それ自体はいつも指定席を取っていたから関係ないのだけど、じゃあこれまで自由席車両にぎゅうぎゅう詰めになっていた、指定席を取らない輩はどうするのかと言えば、どうもデッキ部分や指定席車両の通路部分などに立って乗車するようで、これを聞いたとき、起りそうなトラブルや気まずさ(すぐ横に高齢者や赤子連れが立ったらどうすればいいのか)などを想像し、とてもそこに身を置きたくないと思った。
 さらには、そんな苦労をして年末年始に帰省をしても、年末年始なので、せっかく首都圏に行ったのだから行きたいと思うような施設もほぼ休業しており、現地でできることは実家で酒を飲んでダラダラすることだけだ、というのもある。それでも顔を出すことが大事なんだ、という意見もあろうが、それならば年末年始じゃなくてもいいはずだ。
 95歳になる祖母の存在はもちろん気にかかるのだけど(元気だそうだが)、先日17年前に書いた日記を読んでいたら、23歳の僕が、年末年始の帰省に際し、「行かなくて祖母になにかあったらいけないので行く」と書いていて、急に気が楽になった。もうその懸案は長年じゅうぶんにしたので、ローンで言うなら払い終わったと言っていいと思う。もうこの案件は自分の所有になったので、好きにして許されると思う。
 というわけで、僕はこの年末年始の帰省をやめた。やめることにしたらとても身軽な気持ちになった。よほど気重だったのだな、と気付いた。