2023年4月18日火曜日

あまちゃん・髪・予報

 BSで「あまちゃん」の再放送が始まり、録画して観ている。おもしろい。放送が2013年だというので、ちょうど10年前ということになる。
 10年前の本放送時は第一次島根移住の頃で、3月で酒蔵の仕事を終え、4月からは洋服のお直し店に勤めていた。その勤務は午後からだったので、「あまちゃん」はちょうどその当時の生活リズムにマッチして、朝ふつうに観ることができたのだった。ドラマ自体が格別おもしろいのに加え、このドラマには個人的にそういう感慨もある。
 それにしても、10年後の今から見ると、震災のわずか2年後に、コメディタッチのこのようなドラマをやるなんてけっこう大胆だな、と思うのだが、当時はそんなことは思わなかった。丸2年は、その丸2年の当事者にとっては、大きい隔たりなのだ。しかし10年後の人間から見ると、2年なんて直後のように思えてしまう。僕の母は1954年生まれなのだが、僕は子どもの頃、母は戦後の生まれだと感じていた。しかし実は終戦から9年も経っているわけで、もちろん当時の空気感は分かりようもないが、たぶんあまり戦後という感じではない。これは大人になってからそう思うようになった。だから下手すれば1983年生まれの自分もまた、自分の子どもや、その子どもの目から見て、戦後の生まれのように思われてしまうかもしれない。なにしろ我々は、源頼朝などと同じ、1000年代生まれなのだから。

 散髪が失敗し、テンションが下がっている。救済策として脱色はしたものの、やはり形の気に入らなさは如何ともしがたく、鏡を見るたびに落ち込んでいる。何年間かにいちど、喉元を過ぎて熱さを忘れてしまうようで、短髪を求め、その似合わなさに絶望するはめになる。一生の大半を、丸っぽい、ちょいモサな髪型でやってきたのだから、僕の顔はもうその髪型に適合する仕様になっているのだ。忘れちゃダメじゃないか。
 鏡を見るたびにテンションが下がるんだ、ということをファルマンに嘆いたら、「あんたはこれまでそんなに自分のビジュアルが好きだったのか」と驚かれた。そう言われて改めて考えてみると、まあ好きなんだと思う。自己愛。ちょいモサの自分の愛しさ。
 ああ早く髪が伸びてほしい。
 そしてこの経験を通して、しみじみと思った。
 禿げたくない。

 帰省しないでいいGWに、心が躍っている。帰省しない代わりに何をするということもない。予定がないことが尊いのである。しかしずっと家や実家でダラダラというのもさすがに、ということでレジャー的な計画を立てた。予約申し込みをするタイプのレジャーである。その申し込みをするにあたり、日取りをどうするかファルマンと話し合う。タイミング的にこの日がいいだろうと決めたところ、ファルマンが天気予報を見て、「その日は雨の予報だ」と言ったのでびっくりした。GW、まだ半月後である。週間天気さえろくに当たらないのを何度も目の当たりにしてきたのに、半月後の天気予報を、見て、そしてそういうことを言ってくる。阿呆か、と思う。それでも予約は入れないといけないので、その日に入れた。もう天候は出たとこ勝負でしょうがない。しょうがないはずなのに、もしも当日が雨だった場合、半月後の、なんの信憑性もない天気予報を見て、「その日は雨らしいよ」と言った人が、たまたまの正解を振りかざして、「ほれ見たことか!」となることを思うと、すごく嫌な気持ちになる。嫌な想像を巡らせ、水を差しておく人、すなわち正常性バイアスの真逆を行く人って、卑怯だと思う。