2021年6月14日月曜日

みょうが・インスタ・直角二等辺三角形

 先日、今日のメニューは天ざるうどんだな、と心に決めてスーパーに行った際、ふと目に入ったみょうがを、なんとなくカゴに入れた。これまでいちども口に入れたことがなく、味の予想もつかなかったのだけど、絶賛する人は絶賛しているし、なんとなくだけど俺もそろそろみょうがの年齢になったのではないか、と思ったのだ。
 それで薄切りにして、青ねぎやしょうがとともにつゆに浸し、麵を啜ってみたところ、ファルマンと目を見合わせ、互いに目を丸くするほどに、それは衝撃的に絶妙な味で、ねぎと、青じそと、しょうがの、いい部分だけをひとつの肉体の中に内包させたかのような、マッドサイエンティストが生み出した悪魔のごとき食物だと思った。こんな、人類にとって都合のいい食べ物が、この世にあるのかよ、と震撼した。もうみょうがなしでは冷麺を食べられない体になってしまった気がする。
 それくらいおいしかったのだけど、とはいえ、これまで俺はどうしてみょうがを食べずに生きてきたのか、という後悔はまるでない。これまではみょうがを必要としない人生で、これからはみょうがを必要とする人生という、ただそれだけのことだからだ。この考え方は、みょうがが教えてくれたが、みょうが以外の事柄にも応用できると思う。みょうが人生訓。人生に大事なことはすべてみょうがが教えてくれた。

 ヒットくんオリジナル生地で作ったトートバッグが、本当にたくさん売れてほしいので、販促活動の一環として、インスタグラムを始めようと思い、アカウントを取得した。しかし取得したものの、記事はまだひとつもアップしていない。なにをどうアップしていいのか、さっぱり分からないのだ。思えばTwitterに関しては、始める前から一応の予備知識はあった。別に誰かのTwitterを熱心に読んでいたわけではないが、それでもインターネットをしていたらTwitterの画面というのは自然と目に入ってくる。そのため、ああいうものだな、ああいう文脈のものだな、というのが判っていた。しかしインスタグラムにはそれがまるでない。これまで、目に入ってきたことがない。「インスタグラムで話題」というウェブ記事は頻繁に目にするものの、インスタグラムのページそのものは見たことがなかった。本当にセンサーに引っ掛からなかったのだと思う。
 アカウントを取得すると、まず「おすすめ」として、芸能人とかのアカウントが列挙され、それらをボタンひとつでフォローできる。もちろんするはずもない。芸能人に限らず、僕は別に人の情報なんか欲しくないのだ。僕はただ、自分の作ったトートバッグの販促活動がしたいのだ。しかしSNSにおいて、情報というのは決して一方通行には進行しない。動脈と静脈のように、循環することによってようやく巡るようになっている。フォローしない、つながらない人間の放つ情報は、本当に誰の目にも届かない。本当にだ。なぜならそこには光がないからだ。光がなければ物は見えない。光とはすなわちつながりの関係性だ。世の中はいま、そういうことになっている。ブログ→Twitter→インスタグラムと、どうもこの順番に、その度合は濃くなるように思う。インスタグラムを始めて、誰のこともフォローしていない僕はいわば、「どろろ」の最初の状態のようなもので、ここから仮にいろいろな人をフォローして、つながりを持っていけば、手や足が手に入り、人間らしくなっていくことができるという、どうもそんなような世界観のようだ。厳しいな。
 スマホで「インスタグラムの愉しみ方」などで検索をかけ、出てきたページを必死で読んだりするが(やっていることがあまりにもおっさんらしい悲哀に満ちている)、読めば読むほど、いったいなにがおもしろいのかさっぱり解らず、途方に暮れる。画像と、短文と、ハッシュタグで、だからなんなんだ。他人のそれが、なんなんだ。もうおととしになるか、タピオカドリンクの写真を撮って、インスタにアップして、飲まずに捨てる輩が多くて社会問題になったりしていたが、実際にインスタグラムのアカウントを取得したことで、ますますこの話が奇異に思えてきた。タ、タピオカドリンクの写真……? いったいそれになんの価値が……?
 こんなに情趣が解らないのに、とにかく物を売りたくてとりあえずアカウントを取得してみるだなんて、まるで中小企業の役員のようだと思う。「なんか、あれだろ、若者は、ほら、エスエス……? エスエヌ……? なんかそういうので、すごく話題になるんだろ? あれやってみろよ。まずそういう行動をしてみることなんだよ」みたいな。完全にそれ。

 トートバッグのマチは5センチなのだけど、マチを縫う前のアイロンというのが、微妙に面倒臭い。片側にズレると不格好な三角になり、出来上がりのバッグの形も歪んでしまうので、けっこう気を遣う。最初に作った3枚(すぐに完売してしまった)は、それでもいちいちものさしを置いて、微調整してアイロンを当てたのだけど、今後さらに量産していくにあたり、どうすれば効率化できるか考え、ゲージを作ることにした。アイロンに耐える素材で、欲しい大きさの三角形を作り、それを布にピッタリ当てることで、一発で求める形の三角形を作り出すという寸法だ。
 それで、どういうゲージになるかということを頭の中で考え、下の辺の長さが5センチの、二等辺直角三角形ということだよな、と思う。そこまでは考えられた。でもそこから先がさっぱり解らない。一辺が5センチだとして、同じ長さとなる残りの二辺の長さはなにか。そして三角形の高さはなにか。まさかこの年になって、生活の中でこんな三平方の定理的な、サインコサインタンジェント的なことで頭を悩ますとは思ってなかった。
 考えても分からないので、試験問題ではない特権で、方眼紙に5センチの直線を引き、目的の直角二等辺三角形を切り出す。その形さえ手に入ればそれ以外の情報は別にいらないのだが、いちおう測ったところ、残りの二辺の長さは3.5センチとなり、そして高さは2.5センチだった。こうして測ってから気づいたが、5センチの下辺を合わせてこの三角形をふたつくっつけたら、対角線が5センチとなる正四角形になるわけで、そう考えたら高さが2.5センチなのは自明の理だった。さらにいえば、その正四角形の1辺の長さは3.5センチなので、面積は12.25平方センチとなり、これって対角線の5センチを2倍にした数字の半分だけど、そういう法則でもあるのかしら、と思って検索したら、「四角形の面積は対角線の二乗÷2」なのだそうで、大正解だった。僕は十代の頃、戦争がひどくて学校に通えなかったから、こういうことをまるで学ぶことができなかったのだけど、こうして自分で必要に迫られて考えると、とてもおもしろいもんなんだな、と思った。