2020年9月24日木曜日

葡萄・ソファー・はてしない物語

 祖母から葡萄が届く。毎年忘れた頃にやってくる。いつも突然届くのだが、今回は僕がLINEでクロネコヤマトと繋がった関係で、「明日この荷物をこの時間に届けるよ」ということが告げられ、前日に分かったのだった。そして、それで気を重くしていた。ああ今年も例のあの葡萄が届くのか、と。食べるにはあまりにも酸っぱく、種が多く、どこまでもワイン醸造用の甲州。それの段ボールいっぱい分の房。野菜室を大きく占領して、いつまでも減らないが、「ちゃんと腐る」まで捨てるのも忍びないという、プロペ家の秋の風物詩、あの葡萄。
 そんなわけで翌日、きっかり所定の時間に配達されたそれを、ため息まじりに受け取った。そしてため息まじりにガムテープを剥ぎ、ため息まじりに箱を開けた。
 そこで「あっ」と思わず声が出た。
 中に入っていたのは、あの紫がかった薄いピンクの甲州ではなく、ザ・葡萄という感じの濃い紫色をした大ぶりの巨峰2房と、そしてきみどり色に発光する(本当に鮮やかで発光しているかのようだった)シャインマスカット1房なのだった。
 えっ、えっ、となって、テンションが爆上がりして、小躍りしながら冷蔵庫に移した。
 そのあと祖母にお礼の電話をしたところ、なぜ今年から甲州ではなくなったのかという説明は一切なかった。しかしこれはファルマンの証言によれば、僕は今年の正月の帰省の際、母に向かって「実は毎年の甲州に困ってるんだけど……」ということを普通に伝えていたらしい。だからそこからきっと母が、いいように祖母を操作してくれたんだと思う。感謝だ。なにに感謝って、母に訴えた正月の自分に感謝だ。「シャインマスカットは皮ごと食べられるやつ。値段はこれだけする」と、祖母は言わずにおれなかったのだろうシャインマスカットの値段を電話口で伝えてきた。「人から贈られなかったら絶対に買って食べない!」と僕は答えた。そして「どうもありがとう!」。これで来年以降のシャインマスカットも確定だろう。
 皮ごと食べられるシャインマスカット、というものは、存在は知っていたが、これまでいちども食べたことがなかった。叶姉妹とか、デヴィ夫人とか、あるいは中国の富裕層とかが食べるものだと思っていた。初体験のそれは、おいしさよりも感動のほうが大きかった。粒をもいで、そのまま口に運んで齧る。爽やかに甘い。夢みたいに満ち足りた果物だな、と思った。もうスーパーでデラウェアなんて買う気になれない。すれてしまった。

 わが家にソファーがやってきた。これまでもソファーが欲しいという話はずっとあったのだが、スペース的にままならず諦めていた。それがこのたび、あれを捨てて、あれも捨てて、あれをあっちへ移し、これをこっちへ移せば、居間にスペースができてソファーが置けるじゃないか、という計算が成立したので、とうとう実現したのだった。しかし考えてみたら居間には、7月に工業用ミシンがやってきている。さらにはこれまで子ども部屋にあった本棚までもが今回の大移動で居間にやってきて、そのうえソファーなのだから、どうも居間は空間が歪んでいるようだ(タンスが廊下に出ていった、というのはある)。
 それで実際のところ、そんな状態で導入されたソファーは成立しているのか、快適なのか、という話だが、これがとても快適なのである。買ったのはふたり掛けのもので、子どもとならば余裕で3人で座れる。これまで居間には座卓しかなく、そして座布団しかなく、つまり背を預けることのできるものが一切なかった。そのため居間は寛げる場所ではなかった。それがなんということでしょう。ソファーを置いた途端、家族が居間に集うようになったのです。ソファーに座り、優雅に読書なんてするようになったのです。こんなにいいものだったのか、ソファーは、と効果の程に驚いている。
 前回の模様替えでミシンとパソコンデスクが一体化し、居間は半分僕の部屋みたいになっているのだが、このたびそこへソファーまでやってきたわけで、その快適さはいよいよ天井知らずだ。もういっそ簡易トイレとかもあったらいい。よくない。

 ソファーが快適なので読書をしたくなり(ベタに秋になって過しやすくなったのもある)、それも「物語感のある物語」が読みてえな、ということで、ソファーに座ると自ずと目に飛び込んでくる本棚から、「はてしない物語」を選び、読んだ。やっぱり物語感のある物語といえば、ファンタジーだろう。本はファルマンが学生時代に買ったものだそうで、箱入りハードカバーの立派なものだ。
 読んだ感想としては、「なんかファンタジー小説って勝手が凄いな!」というもので、やっぱり大人になると主人公が少年のファンタジー世界に没入できるはずもなく、しかし物語は読者が世界に没入できていることを前提にずっと書かれるので(じゃなきゃおもしろくない)、大人の僕は終始、「勝手だな!」「勝手だな!」「勝手だなー!」と思いながら読み続けた。要するに「ついていけなかった」という感想になるのだと思う。
 小説を読み終えたあと、せっかくこのたびこうして小説を読んだのならば、あの映画「ネバーエンディングストーリー」も観てみたいものだと思い、試しにアマゾンプライムで検索したら幸いなことにあったので、観た。導入がけっこう丁寧に描かれ、しかし映画が90分ほどしかないことは画面で判っていたので、「えっ、どうなるの? これ、どうまとめるの?」と戸惑った。結果として、原作に対して信じられない端折り方だったが、しかしまあ話の骨子はこういうことで、むしろ原作の後半がいらなかったのかもなー、とも思った。
 そんな感じの「はてしない物語」体験だった。ファンタジー小説に対して我ながらピュア。