新しいテレビのリモコンに「ココロビジョン」という謎のボタンがあって、押したらシャープ独自のプラットホームみたいなものだった。しかし自分に関係のある機能はなさそうだなと思っていたのだが、コンテンツの中にミニゲームがあるのを子どもたちが目ざとく見つけた。そこにはナンプレや国旗当てなど、わりと素朴な遊びが並んでいたが、その中に「王将ゲーム」という見慣れないゲームがあって、それに僕とポルガがドハマりした。
ルールは、だいたいスイカゲームの将棋版という感じで、「歩」と「歩」が合体して「と」になり、「と」と「と」が合体して「香車」になり、という感じで、だんだん駒を強くしていって、最終的に盤面が一杯になる前に「王将」が完成したらクリアというもので、サウンドもグラフィックもきわめて無機質なのだけど、スイカゲームと同じでやけに熱中させられるのだった。
「むずかしい」のモードだと「王将」に至るまでの道のりがだいぶ遠くなり、なかなかクリアまでたどり着かない。僕はまだできていない。それなのにポルガが先日クリアしてしまって、忸怩たる気持ちになった。親の威厳のために、先にクリアしたかった。しかも自分はクリアしていないのに、人がもうクリアしてしまったことで、モチベーションも下がり、このままだと負け犬で終わりそうである。こんなことならファルマンのように、最初から、めんどくさいからそんなのやらない、というスタンスでいればよかったと後悔している。
祖母の誕生日祝いの写真が送られてきた。正確に言うと、母からファルマンに送られたものを、見せてもらった。なぜかいつもそういう形式で実家の動向を知らされている。
叔父と姉一家も集まって、皆で囲んでいたチョコレートのケーキには、「97」という数字の飾りが立てられていた。祖母は会うたび、話すたびに、「おばあちゃんはもう〇〇だから」と自分の年齢を伝えてくるのだけど、あまりにも積極的に伝えてくるものだから、逆に情報として入ってこず、正確な年齢が把握できていなかったのだけど、今回は視覚で「97」ということがしっかりと明示されたので、やっと認識できた。そうか、祖母、97歳なのか。すげえな。祖母と言ったら65歳くらいのイメージだったけど、なるほどそれは30年前の、自分が小学生とかだった時代のことなのだな。あの頃から、当たり前だが互いに年を取ったわけだが、しかし祖母と孫という関係性は、いい意味でも悪い意味でもなく、ぜんぜん変化していないな、と思う。この30年で祖母の意外な一面を知ったということも一切なく、本当に当時と同じ距離感でずっといる。いま65歳の祖母を目の当たりにしたら若く思うのかもしれないが、10歳の僕にとって65歳の祖母は老婆だったし、42歳の僕にとって97歳の祖母はやはり老婆だ。だからなんだ、なにが言いたいんだ、という話だが、もちろん特に意味はない。なんとなく不思議なものだな、と思ったので書いた。
祖母はまだまだ元気そうで、なによりだと思う。血縁が健康で長生きだと、それは自分にとって利のあることなので、そういう意味で喜ばしいと思う。
朝ドラが、松江が舞台の「ばけばけ」になった。「あんぱん」は実は途中で脱落してしまったのだけど、今回は最後まで観たいと思っている。今のところとてもおもしろく、地元民として誇らしい気持ちだ。もっとも自分を地元民と標榜していいのかは、微妙なところだ。ただ劇中の方言などにちょっと違和感を抱いたりすることもあるので、それは立派な地元民のムーブなのではないかな、と思っている。
主人公の父親は、明治になってだいぶ経つのに、まだ髷を落としていないという設定で、なかなか悲哀があるが、ファルマンに「これって今で言うとどんな感じなんだろうね」と問いかけたら、「いまだにブログをやってるみたいなもんなんじゃない?」という答えが返ってきて、ショックを受けた。ブログって、ちょんまげだったのか。ショックだったが、なんとなくしっくり来る部分もあり、それ以来あの父親にとても感情移入するようになった。いいさいいさ、俺と布川敏和は、いつまでもちょんまげを結い続けるさ。