2025年7月26日土曜日

夏男・ピイガスマホ・鈴かすてらの終焉


 子どもたちが夏休みに入る。夏である。夏休みは例年通り海の日あたりから始まって、その海の日を起点とする3連休でこちらはテンションが上がるわけだが、しかし子どもたちにはその10倍もの休みが与えられているのだと思うと、貧富の差のようなものを感じ、切なくなるのだった。俺がおいしいと思う回転ずしを、あの層の人たちは食べ物のカテゴリに入れてさえいないのだろうな的な感じ。
 それにしたって暑い。幸い、労働中はわりと適温の中にあるので、そういう意味ではだいぶ救われていると思う。たまに外に出ると、そのあまりの暑さに時空が歪むような感触がある。5月や6月、なかなか気温がパッと上がらず、もしかして今年は冷夏なのではないか、これは米の生育が危ぶまれるな、などと本気で思っていた日々が、もうすっかり遠い。毎年騙される。毎年、今年はそこまで暑くならないのではないかと思う瞬間がある。希望的観測というか、正常性バイアスみたいなものもあるのだろう。まるでダメンズに何度も騙される女のようだ。そう考えたら、この茹だるような暑さは乱暴な男のギラつきのようで、日々激しく欲求をぶつけられてわれわれは参っているのだと捉えれば、夏のわれわれは老若男女、普段よりもちょっと色っぽいように感じられてくるやもしれない。だとすれば喜ばしいが、そんなプラス思考があるかよ。

 このたびピイガがスマホを持ったのだった。ポルガが持ったのが、小学校卒業のタイミングであったろうか。3年という時代の流れで、スマホデビューは半年ほど早まった。順当なところかもしれない。もっとも2人目だから、というのも多分にあるだろう。
 機種は、いつものように店頭で案内されたものをそのまま受け入れて、初期費用はポルガのときと同じようなものだったのだが、これももちろん3年という時代の流れの結果、今回のスマホのほうが性能がいい。容量も大きい。ポルガは悔しがっていた。
 しかしスマホデビューと言いつつ、ピイガはこれまでも僕やファルマンが使わなくなったスマホを活用していたし、もちろん自分専用のものを持ったからと言って小学校に持っていくわけでもないので、実はそこまで劇的な変化でもない気もする。
 結局のところ、変わったのはLINEのアカウントを持ったということくらいかもしれない。ピイガがLINEを始めたことにより、これまでピイガによって許されていなかった、わが家のファミリーグループLINEというものが作られたのだった。家族によるグループLINEは、ファルマンは既に両親および妹たちと組んでいるが、僕に関しては母と姉という3人でそれを組むという気配は一切ないため、実は少し憧れる気持ちがあった。ええやんな。家族の結束みたいなな。
 開始したグループLINEの一投目は僕がゲットし、「俺がリーダーだ!」と宣言したところ、ピイガから「何いってんの?」とあしらわれ、そのあとは他のふたりからも意味不明なスタンプばかりが連投され、そう言えば実際のリビングでもそうなのだから、LINEでだって、父親ひとりだけがノリについていけず浮くに決まってんじゃんな、と思った。

 イオンの鈴かすてらがまた終わったかもしれない。そして今回の終わりは、本当の終わりのような気がする。前までは、店頭から姿を消すという終わり方だっため、いつか復活してくれるかもしれないという望みがあり、実際にその通りになったわけだが、今回の終わり方は、これまで鈴かすてら(100g入り)があった所へ、鈴カステラ練乳風味(70g)が並んでいるからだ。目にした瞬間、売り場で膝から崩れ落ちそうになった。
 思えば常に恐怖感はあった。この値上げ値上げのご時世で、100g入り100円のこの上質な食べ物が販売され続けているのは、大企業イオンであればこその成せる業であり、たぶん道理からは外れている。いつ終了したって文句は言えない、と。
 でも、前にも言ったけど、ステルス値上げならば、別に不満はなかったのだ。内容量が100gから75gになったら、一抹の寂しさは覚えるだろうが、僕はその分、1.25倍の頻度で購入し続けたろうと思う。
 許せないのは、表面を練乳風味という名の砂糖蜜でコーティングする、その悪手だ。たぶんそのほうが、期限が伸びたり、重量を稼ぎやすかったり、いろいろコスパがいいのだろうと思う。鈴かすてら界隈で徒党を組んでいるわけではないので定かではないが、近ごろ鈴かすてらにはこのような細工がなされている製品が多いけれど、これを肯定的に捉えている購買客など存在しないように思う(世の中にはいろんな人がいるので、そんなこともないかもしれない)。それくらい、僕にとってあれは忌々しいものだ。あのタイプの鈴カステラ本体は、なぜか押し並べてカッサカサだからだ。あれは鈴かすてらの形をした、ぜんぜん別の食べ物だと思う。あれを食べて「鈴かすてらなんてそんなに美味しいもんじゃないよね」だなんて、口が裂けても言わないでほしい。
 これまでの鈴「かすてら」から、鈴「カステラ」になった、というところに、これまで熱い思いであの上質な鈴かすてらを作り続けていた、しかし時代に抗えずにとうとう砂糖蜜コーティングを受け入れざるを得なくなった担当者の、気概を感じる。「かすてら」のやわらかさを失った、これはカッサカサの「カステラ」という別個の食べ物ですよ、というメッセージだと思う。そうに違いないと思う。メッセージは受け取った。今まで本当にありがとう。僕はまた旅に出なければならない。