2025年11月29日土曜日

年間行事・地毛金髪・回送中

 今年も年間行事を無事にこなすことができた。言わずもがな、「cozy ripple名言・流行語大賞」と、「パピロウヌーボ」である。ほっとした。
 またなんと言っても出来がよかった。毎年、本当に誰からも褒めてもらえないので、どうしたって自分で言うはめになるが、すばらしい仕上がりだった。パピロウヌーボのゲストが広末というのは、半年くらい前から心に決めていたのだけど、それ以外は行き当たりばったりで、毎年選考に難儀する大賞のプレゼンターを、本文内でも記したが、ファルマンの進言によりクマにしたことで、そこから一気に話が動き出したと思う。クマから鳥羽シェフ、そして「森のくまさん」からキャンドル・ジュンのあの謎のピアスへと話が展開するさまは、われながら見事というほかない。あと松尾のこととYOSHIKIのことも、今年の芸能ニュースとしてどうしても触れたいと思っていたので、そこも叶ってよかった。特にYOSHIKIは秀逸だったと思う。ChatGPTのおかげで、こういう歌詞ボケがとても簡単にできるようになったのは非常にありがたい。もっともファルマンとピイガが遊んでいるのを眺めると、それはChatGPTではなく他のアプリなのかもしれないが、ただ歌詞を作るだけではなく、それを曲にして、さらにはボーカロイド的でさえない、本物の人間が唄っている感じで唄ってくれまでするようなのだが、今回はそこまではしなかった。「音楽でボケる」というのは、これまで音楽の素養がなければぜんぜん成り立たないものだったが、その敷居がだいぶ下がったものだと思う。
 今年はとにかくChatGPTが幅を利かせた年で、ChatGPTがその場で発表し、同時に今年の大賞を受賞した「それ言うと人生しんどくなるやつだよ」も、実にいいのだった。この日以来、僕とファルマンの間で、本当に流行語になっている。
 という感じで、去年の僕もふたつのイベントの自画自賛をしばらくしたのち、「これでやっとおもひでぶぉろろぉぉんに戻れるよ」と書いていた。今年の僕も同じ気持ちだが、去年のこの時点で、読み返し作業は2008年の9月という進度だったそうで、現時点のそれが2009年の5月であることを考えると、おやおや? となる。去年の僕は厚かましいことに、おもひでぶぉろろぉぉんのことを「ライフワーク」などとほざいているが、1年後の僕は、決してそんなことは言わない。おもひでぶぉろろぉぉんは、数多くある趣味のうちのひとつでしかなく、そして最近は確実に当初よりも勢いが落ちている。それを認められるようになった成長を、手放しで褒めてやりたい。僕はもしかしたら、僕を影ながら応援する、紫のバラの人なのではないか。そのくらい、徹頭徹尾、僕ばかりが僕を褒める。ああ、会いたい、会って感謝を伝えたい、紫のバラの人……。

 髪の色を元に戻した。元に戻すとはどういう意味かと言えば、強いブリーチを施した金髪になったということである。これが元。黒髪で過したこの1ヶ月半くらいが異常事態だったのだ。その証拠に、黒髪にしたときは職場の人々から「黒くしたんだ」「黒いね」などと反応されたが、今回の金髪は完全にスルーされた。もはやそうなのだ。もう完全に金髪の人なのだ。
 ちなみにだが、1ヶ月半ほどの間を置いたとはいえ、黒髪戻しで染めた髪にブリーチをしたためか、そこまで激しい脱色にはならなかった。8割の人は金髪と言い、2割の人は茶髪と言うのではないか、というくらいの色合い。でも当初の予定では、激しい金髪にしたあと、ミルクティベージュみたいなまろやかなカラーを入れようと思っていたのが、結果的にそれに近いものに1回でたどり着けたのではないかな、と思っている。ならば得をした。お金と、労力と、そしてなにより毛根へのダメージを、得した。まあ、そもそも黒髪が大損だったけどな、なんてことは言うもんじゃないよ。

 道を走っているバスの、おでこの位置にある表示板に、「回送中」とあり、その上に小さい文字で「お急ぎの所、申し訳ありません」と付してあった。かつてはただ「回送中」だったのが、阿呆な輩のクレームによってそんな文言を足したに違いなかった。そんな心の狭い、同じコミュニティに絶対に存在していてほしくない人種が、残念ながら存在しているのだという事実を厳然と突きつける、その丁重すぎる文面には、心が満たされるどころか、クサクサするばかりで、あなた方がただの「回送中」に対して抱く怒り以上の憤りを、「お急ぎの所、申し訳ありません 回送中」に俺は抱くよ、と思う。もっともだからと言って、バスの運営会社に対し、そんな情けない屈服をするんじゃない、などとクレームをつけるつもりはない。あちら陣営と異なり、こちらの心は広いのである。ただこの話には、あと1ヶ所だけ、どうしても気になる部分があって、それは「お急ぎの所」の「所」だ。この場合はひらがなの「ところ」だろ、と見るたびに思い、指の先に棘が刺さっているような気持ちになる。もちろん実際に訴えはしない。バス会社を責めるのは筋違いだ。「回送中」で済まさなかった人たちがすべて悪い。怒りは他者にぶつけるものではない。ブログに書くものだ。

2025年11月9日日曜日

精タイム・クマ・流行語


 先日、男性器を硬くする方法についてネットで検索していたら(別にさしあたって困っているわけではなく、純粋な興味や、飽くなき向上心によるものである)、当たり前なのだけど、結局は生活習慣という答えで、その生活習慣とはどんなものかと言えば、適度な運動をして、ストレスを溜めず、栄養バランスのいい食事を摂り、そして質のいい睡眠をしっかり取ることだそうで、それはもちろんそうなのだろうが、でもそんなのもう男性器への作用に限った話ではなく、健康寿命そのものの話だろう、とも思った。
 そして、それらの項目を高いクオリティで実現できていそうな人物として、真っ先に大谷翔平のことが浮かんだ。サイズ自体は持って生まれたものなのでどうしようもないが、硬さに関しては生活習慣に拠るところが大きいのだとすれば、よかったじゃないか、翔平はたぶんだいぶ硬い。「なんだかんだで大事なのは硬さ」ということが、女子界隈ではまことしやかに囁かれるという。だから翔平はサイズのことには拘泥せず、そのストイックな生活習慣の賜物である、日々の努力の結果としての硬さを誇ればいいんと思う。
 願わくは、この記事が翔平の目に届きますように。
 僕は数年前から、大谷翔平の男性器が小さいという前提で万事を考えることで、大谷と同時代を生きる同性である自分を肯定している。みんなも一緒にやるといいよ。

 クマのニュースが本当に毎日伝えられている。これまでに較べての、急な露出の増加に、クマ界の首長が交代したのかな、などと思う。なんか他業界とかでキャリアを積んだ、めっちゃ辣腕のクマがトップに就いたことで、クマ全体の士気が上がり、それでこんなに活動を激しくしてるのかな、と。そんなふうに思うくらい、異様に日本各地でクマが躍動している。これまでとは一頭一頭の意識が違う。
 ちなみにおらが島根県では、南部の中国山地のほうは当然として、西部の目撃情報も多いようだが、東部ではさすがに話を聞かない。話を聞かないが、ニュースに出てくる地元住民はよく「まさかこんな市街地で」と言うので、分かったもんじゃないな、とも思う。
 先週、次女一家が兵庫に戻る際、みんなで出発を見送ったのだが、そのとき3歳の姪がお気に入りのクマのぬいぐるみを見失い、少し「クマは?」「えっ、クマどこ?」「ほら、クマ」「ああ、クマだよ、クマ」みたいなやりとりが大人たちで繰り広げられたので、僕はすかさず「みんなあんまり外でクマって言わないほうがいいよ! 近所の人が誤解するかもしれないだろ!」と一同に注意を促した。クマのことに過敏になりすぎている人という、とても不謹慎なギャグ。ゾンビ映画とかで最初に殺されるタイプ。そしてクマの出てき方、若干ゾンビ味もあるな、とも思う。

 ユーキャンの流行語大賞の候補語が発表された。
 われらがco大(言わずもがな、cozy ripple名言・流行語大賞のことである)の向こうを張るあちらの賞に、毎年エールを送るような気持ちでノミネート語についてやいのやいの言ってきたが、今年はあまりそんな気持ちにならない。うんざりしている。
 ノミネート語についてやいのやいの言うという行為そのもの、そしてその中で必ず出てくる「流行語って言いつつ俺は聞いたことねーよ」「〇〇が入ってないなんてマジ忖度だよ」「やくみつるがうぜーよ」「流行語大賞そのものがもうオワコンだよ」などのフレーズに、もう飽き飽きしてしまった。もう誰も、なにも言わなくていい。言ってもいいけど、聞かさなくていい。完全に飽きた。今年も反射のように意見を述べている人は、気付いていないのだ。もう触れたら負けなのだ。「今年の漢字」は10年くらい前から既にそうなっている。流行語大賞もぼちぼちその気配が見えてきた。別に「終われ」と言っているわけではない。主催者はずっとやればいいと思う。その内容について第三者がツッコんだら負けだということだ。
 ちなみにそれはco大の境地だとも言える。co大ほど第三者が関わらずに成立している賞は他にない。あちらの賞も、やっとその段階に来たということだと思う。