親鸞の言葉に、「ひとりで悲しいときはふたりいると思え。ふたりで悲しいときは三人いると思え。そのもうひとりは親鸞である」というのがあって、なにしろ本人が現代語で書いたわけではないので、言い回しはいろいろ別バージョンもあるんだろうが、「そのもうひとりは親鸞である」というのがとにかくかっこいいと思う。劇団ひとりの紹介していたテクニックで、名前を名乗るとき、ファーストネームを言ってからフルネームを言う、というのがあって、つまり劇団ひとりの場合「省吾、川島省吾」となり、これはなるほどちょっとかっこいいのだが、なんかそれと親鸞のこれは似ている気がする。僕は将来、菅原道真が学問の神様になったように、セックス的な快楽分野の神様的な存在になりたいという夢を持っていて、だとすれば「ひとりでしているときはふたりでしていると思え。ふたりでしているときは三人でしていると思え。そのもうひとりはパピロウ、プロペ★パピロウである」という言葉を遺したい。
3月11日の日記を僕もファルマンも書いたのだけど、毎年この日の日記に関しては互いに「これ、大丈夫だよね?」と確認し合う。絶望的なまでに人に読まれていない我々の日記だけど、それでもそんな風になる。トラウマがあるからだ。とは言え別に本当に誰かから苦言を呈されたみたいな実害があったわけではない。この「実害があったわけではない」というのがまた、関東在住のくせに震災に精神的ショックを受けすぎる輩に対しての、「エア被災」という当時の流行語に通じるものがあり、しょっぱい気持ちになる。斯様に、実害があったわけではないけれど、当時のあの閉鎖的と言うか、揚げ足の取り合戦と言うか、あの感じは本当に嫌だった。そのときの気持ちが3月11日にはよみがえって、それでセンシティブになる。今年の震災関連の話でも、「5年で区切りみたいになってしまったのは本当に残念」なんてことが言われて、それはまったくもってそうなのだろうけど、しかしそうは言っても5というのは十進法において節となる数字なのだから、4年目や6年目よりも、「5年の月日が経ったのです……」、と声高に言いたくなるのは仕方のないことであり、なんかその感じまでをとやかく言わないでほしいと思った。別に誰も「風化しようぜ!」とは言ってないではないか。優しさ合戦、と言うと言葉があまりにも悪意的で、それこそ怒られそうだけど、思いやりの細やかさを出し過ぎると、光が強ければ影も濃くなるの理屈で、そんな思いやりにはぜんぜん思いが至らなかった人が糾弾される流れになりがちで、それはとても居心地が悪い。その居心地の悪さは、本当に当時の、絆、絆と拘束具でしかないものを褒めまくっていたあの空気そのままで、とてもうんざりする。あのブロガーたちはもう当時のことをなかったことにしてしまっているのかもしれないが、原発がああなって、節電節電と言われたあの春から初夏にかけて、ブロガーの一部は「節電のために長文を書かない」などという主張をした。あれは本当に気持ちが悪かった。太平洋戦争の際、戦争を礼賛し人々の戦意を高揚させる文章を書いた小説家は、戦後にその過ちを悔いた。「節電のために長文を書かない」は、それに通じる過ちだと思う。僕はもちろんそんなこと書かなかったけれど、ブロガーの端くれとして、当時のブロガーのその振る舞いのことを恥じる気持ちがある。3月11日に関して、ブロガーとしてこのことをどうしても書いておきたかった。