2022年2月22日火曜日

サウナを愛でたい・セイでしょ・幕府

 「サウナを愛でたい」で四季荘をやるというので、観た。行ったことのあるサウナの紹介は、「俺ここ行ったことあるぜ」という意味でおもしろかったが、逆にいうと紹介される内容はすべて知っているため、観る意味がないともいえた。それにしてもBSとはいえ全国放送なわけで、やっぱり今後はますます盛況するに違いない。以前と違って今は平日の休みがないので、行けるとしたら週末になるが、週末の四季荘はただでさえ熱波師だのなんだのの内輪受けがひどそうなのに加え、さらに大混雑ということになってくると、いよいよ足は遠のく。こんなこといっても本当にしょうがないけど、僕はたぶん、去年オープンした四季荘のサウナエリアの、先着200番台くらいの客なんだぜ。最初に行ったときは貸し切りだったんだぜ。
 あと今回の放送は四季荘のLINEで知らされたので観たわけだが、観た結果、実は山陰シリーズと銘打って、先週あたりに鳥取でオーシャンに行っていたようだということを知って(最後にヒャダインが振り返っていた)、ファルマンと、「むしろそっちが観たかったわー」と悔しがった。11月の鳥取旅行は、われわれの中でとてもしあわせな思い出になっている。

 先日ファルマンにその膨大な量のデータを発見され、プチトラブルになった、ウェブ上のエロ画像を保存していく行為について、「見ていても、見たいものだけが並んでいるわけではないから、自分の性癖に合致するものだけを保存していくことによって、とても心地よいフォルダが出来上がるって寸法」と記述したが、あとになって、「精製」という言葉を思いついた。そうなのだ。それは「混合物を純物質にする工程、あるいはその技術」というwikipediaの説明がとてもしっくりくる。さらにいえば、「生成」でもあるし、「聖性」でもある。あるいは「清々」ともいえるし、なにより「精誠」だし「正々」だ。だからつまり、その行為は、「せいせいせいせいせいせいせいせいせいせい」なのだ。これからは、「なんでそんなことするの?」と訊ねられたら、「だって、せいせいせいせいせいせいせいせいせいせい!」と答えよう。もはや意味が分からないけど、そうやって煙に巻こう。

 髪をとても伸ばしている。金髪にしているのとまったく同じ感情から、できる状況にあるのだから、長髪というものも気の済むまでやってみようじゃないかと思っている。現時点で、結ぼうと思えば結べるのだけど、いま結ぶと、ただの「結ぶのをしたいだけの男」でしかない長さなので、もうしばらく伸ばし、「必然性のある場面では結んだりもする男」になろうと思っている。
 こうして髪を伸ばす試みは初めてではなく、しかしこれまではゴールに至らず頓挫してきた。どういう理由で頓挫するかといえば、それは大抵の場合はファルマンだ。ファルマンが、「見苦しいから切らせろ」「変だから切らせろ」と苦言を呈し、そのしつこさに僕が、「じゃあ目にかかる前髪を中心に、整えるだけだよ」と根負けし、ケープを纏って椅子に座ることとなり、そして鋏を持ったファルマンを前に、僕はまな板の鯉になるほかないので、結局「ちょっとだけ、先っぽだけ」と騙す悪い男のように、ずっぽり根元まで挿入され、いつしか後ろもばっさりいかれてる、ということになる。いつもそうして僕の夢は断たれてきた。
 実際、髪を伸ばす最中には、数々の難関がある。難関とは、半端な変な状態のことである。襟足がマイルドヤンキーの息子のようになる時期、目にかかる前髪を払おうとして前髪がパッカリ分かれる時期、耳との干渉によって下に伸びるというより横に広がるような状態になる時期など、こういうときにファルマンは苦言を呈してくる。
 そして先週の後半あたりが、まさにこの挙げた中の最後の状態、横に広がる時期のピークで、見かねたファルマンが、「絶対に週末に切るよ!」と宣言をしていた。普段ならばここで万事休す、あえなく断髪の憂き目に遭う状況だったのだが、今回は違った。土曜日にファルマンの歯の詰め物が取れるという出来事が起り、週末のファルマンはそのことにずっと囚われ通しで、僕の頭髪のことなどすっかり思考の埒外となったのだった。かくして難所であった週末を乗り切り、安心しながら観た日曜日の夜の「鎌倉殿の13人」で、源頼朝はまず助からないような場面でも奇蹟的に助かり、それは天の導きによるものだ、というような話をしていて、今回の僕の髪とファルマンの歯の詰め物のくだりも、まさにそれだな、と思った。天が、僕の髪を切らないよう差配しているとしか思えない。じゃあ僕も数々の難関をかいくぐり、いつの日か髪切らん幕府を開きたいな、と思います。いい髪型にしよう髪切らん幕府。おあとがよろしいようで。

2022年2月18日金曜日

蛮行・脱衣・性癖

 ダイソーで買った、200円でも300円でもない100円の、4色(黒、赤、緑、青)ボールペン&シャーペンが、やけに書き味も抜群で、嬉しいと同時に、若干のやるせない思いも抱く。大人なので、あまりにも安く、あまりにも機能的に十全なものに接すると、経済であるとか、労働であるとか、そんな部分に思いを馳せてしまうのだ。などと言いつつ、あまりにもコスパがいいので、自宅用や職場用など、何本か買い足して使っている。
 そのペンに関して、元から入っていたシャーペンの芯がなくなったので、補充しようと思い、てっぺんにあるキャップとミニ消しゴムを外したところ、穴がないのでびっくりした。これまでこういう多色ペン&シャーペンみたいなものを持ったことがないので、この手のペンはこういうものなのか、それともここに100円商品の限界があるのか、判然としない。とにかく穴がないと芯の補充のしようがないではないか。どうすればいいのか。リビングでそう嘆いていたら、ファルマンが、「ペンの先っぽから入れればいいじゃん」と言う。「って言うか私はいっつもそうやって補充してるよ」と。その内容に驚いていたら、横にいたポルガまでが、「自分もそうしてる」と言い出したので、多大なショックを受けた。シャーペンのペン先から芯を入れるなんて発想、まるでなかった。芯は後ろから入れて前から出すものと、自分の中で明確に定まっていた。そういう流れというか、矢印というか、それが僕の中にはあった。だから出口から芯を入れるなんて、蛮行ではないかと感じた。この他に聞き取り調査をできる人がいないので、果してどちらの発想がどれだけ一般的なのか、よく分からない。たまたまふたりが、世界めんどくさがりチャンピオンと、世界めんどくさがりジュニアチャンピオンである可能性もある。あとそう思うと同時に、入口と出口、穴と棒の話なので、男と女のそれぞれの観念も無意識に作用しているのだろうか、とも思った。僕はちゃんと正道に差し入れたい。でも穴がないのならしょうがない。ペン先から挿入した。ちょっと背徳的な気持ちになった。

 「パンツを脱いで寝る即効療法」という、タイトルの通りの内容の本に出会い、非常に興味深く読んだ。医師が語る科学的な論拠パートもよかったが、ページの大部を占める、「実践者による成功体験報告」がとにかくおもしろかった。それによると、パンツを脱いで寝ると、肌荒れ、腰痛、肩こり、神経痛、ぜんそく、鬱、水虫など、ありとあらゆる体の不調が改善されるようだった。
 今が冬でなければ僕もすぐにやるんだけどなあ、ということを前に書いたが、この療法が最初に流行ったのはなんと北海道で、実は裸で寝ることと寒さはぜんぜん関係ない、むしろパジャマで余計な空気の層を作るよりも裸で直接布団にくるまれたほうが暖かいのだ、みたいな記述もあり、そこまでいうなら、ということでやってみた。というより、やってみている。隣の布団のファルマンにものすごく嫌な顔をされながらも、半裸だったり全裸だったりで寝ている。その結果、どうなったかというと、そもそも僕はさしあたっての体の不調というものがないので、劇的な効果は得られようもないのだが、まあ本当に単純な感想として、なんか気持ちがいい。眠りの質とか、寝起きとか、そういうことじゃない。ちんこが出ていることで高揚感が発生し、ひと晩中、微弱な性感を得続けながら過せているような気がする。この本は、常にゴムで締め付けられていることは害悪である、という論旨なのだが、ゴムから解放された結果、常に微弱な性感が下半身を覆うようになったわけで、こんな締め付けなら大歓迎ですね。「寝るときなにを身に着けていますか?」と訊ねられたら、僕はこう答えよう。「性感だ」と。今後も続けようと思う。

 子どもの画像の整理をしていたファルマンが、僕のパソコンに繋いだハードディスク内のそれを取り込もうとした際、「ゆめ」と名付けられた、やけに容量の大きなフォルダを見つけ、子どもの映像だろうかと思い、確認しようと開いたところ、膨大な数のエロ画像のサムネイルが表示されて、それはもう、それはもうとても、ショックを受けたという。これはとても不幸な事件であった。誰も悪い人はいない。見てしまったファルマンは不幸だし、見られてしまった僕も不幸だ。もういちど言おう。誰も悪い人はいない。
 夫にそんな習慣があったことを知らなかったファルマンは、「なぜ?」と困惑したそうだ。そういうものを、見ていることは知っている。でもなぜ、なぜ保存するの? と。帰宅後、実際にその疑問を投げつけられたが、なぜ、と問われても困る。見て、見るだけより、保存するほうが、自然だろう、としか答えられない。強いて言うなら、見ていても、見たいものだけが並んでいるわけではないから、自分の性癖に合致するものだけを保存していくことによって、とても心地よいフォルダが出来上がるって寸法である、というくらいの理由か。それが積み重なって、1枚1枚はそれほど容量の大きくない画像が、映像もかくや、というくらいの容量になった。その結果、悲劇が起きた。みたび言おう。誰も悪くない。
 気持ちが悪い、とファルマンは言った。ああいう画像そのもの、ああいう世界そのものが受け入れられないし、なによりその画像が、子どもたちの写真と同じハードディスクに入っていることが耐えられない、と。それは見解の相違だな、と思った。そのふたつが同じフォルダに入っていたら、それはもちろん異常だと思うけど、フォルダは分かれていたのだ。フォルダってそういうもんだろう。分かれているんだから、なんの問題もないだろう。
 そんな僕の主張は通らず、早晩USBメモリを購入し、そこへいくらでも保存すればいい、ということになった。しかしハードディスクも、USBメモリも、同じく僕のパソコンに繋がれるのである。じゃあそれとフォルダ分けのなにが違うの、と思うが、それでファルマンの気が済むのなら黙って従おうと思う。最後にもういちど言っておく。誰も悪くない。

2022年2月8日火曜日

THIS IS US・カムカムエブリバディ・鎌倉殿の13人

 「THIS IS US」のシーズン5がプライムビデオに出たので、さっそく観ている。おもしろい。本当にリアルタイムの世の中の設定でドラマが作られているため、今シーズンはきちんとコロナ禍での話になっている。感染対策で撮影が大変なのはもちろんのこと、このドラマの場合、ちょいちょい未来の風景も描いているため、コロナのことなんて頭になかった時代(数年前)に描いた未来と、コロナを経た未来の、辻褄を合わせなければならず、そういう意味でも大変そうだと思う。それでリアルタイムということを意識したせいか、改めて主人公たち3人と自分がほぼほぼ同世代であることを実感し、過去の思春期の時代であるとか、大学生の時代であるとか、主人公たちがそれぞれいろんなことをしていた時代、遠く離れた日本で、僕は男子校に通ってお好み焼き屋でバイトしてたなあ、とか、モーニング娘。とか聴いてたなあ、なんてことを思ったりした。本当にドンピシャで同世代だから、そういう意味でも愉しい。まだシーズン序盤で、いっぱい話が残っているので嬉しい。

 「カムカムエブリバディ」も引き続き観ているが、こちらはもう3世代ヒロインのアンカーになって、放送もあと2ヶ月ほどと、ひなた編はまだ始まったばかりとはいえ、終わりが見えはじめてしまって、なんとなくもの哀しい気持ちがある。近ごろはこれを「ロス」と、なにかが終わるたび、登場人物の誰かが死ぬたび、条件反射のようにみんな言う。本当にただの「反応」でしかない感じで、馬鹿みたいだな、とも思うが、まあたかがドラマなのだから、そのくらい簡単な受け止め方でいいのだ、ドラマの感想に美辞麗句を並べようとするほうがよほど馬鹿みたいだろ、という気もする。併せて、「ナレ死」という言葉もあり、このドラマの感想でもさんざん、ナレ死だナレ死だ、と言い募る向きがあるけれど、ナレ死という言葉が生まれる前のドラマって、そんなにちゃんと登場人物の死を、死の瞬間を、映像として表現していただろうか。ましてや戦国ものでもない、朝の連続テレビ小説である。合戦をして胸に矢が刺さるわけでもないのだ。そんな物語世界での、ナレ死じゃない死って、きちんと描いたら朝からとても陰鬱な気持ちになるだろ、と思う。でもまあ、それでいいのだ。ナレーションで誰かの死が告げられたら「ナレ死だ!」とつぶやき、そして「ロスだ!」とつぶやけばいいのだと思う。朝ドラってどうやらそれでいいのだ。

 「鎌倉殿の13人」ももちろん観ていて、というか今期は朝の連続テレビ小説と大河ドラマしか、ドラマを観ていない。なんと保守的なのか、とも思うが、順当な帰結だろう、とも思う。ところで鎌倉に行きたいという気持ちは、数年前から募らせていて、しかし帰省するときは夏にしろ正月にしろ人が多い時期だし、数年前まではインバウンドとかいって、本当に人が多そうだった。いまは外国人は少ないのだろうが、外国人が少ない理由とまったく同じ理由から、帰省そのものがままならない。そして夏ごろ、(ともすれば)ようやく帰省ができたとしても、その頃はこのドラマの影響で、やはり鎌倉は大混雑であろう。あざみ野から鎌倉までは、電車で1時間ほどで着くようだが、近くて遠い。果たして行けるのはいつのことになるのか。

2022年2月3日木曜日

センター試験・池江・配布

 今年もセンター試験が行なわれていた。本当はもうセンター試験ではなく別の名称になっているらしいが、たぶん僕は一生、センター試験と言うのだろうと思う。そのセンター試験で印象的だったのは、問題流出事件ではなく、どこかのサイトで目にした、「センター試験の日は女子高生に痴漢行為をしても、向こうは事を荒立てて試験に遅れるわけにはいかないから、したい放題だぜ」という文言だ。これには、なんと下劣なのか、と憤ると同時に、まあしかしなんという知恵だろうな、とも思った。こういうことに関する知恵というのは、それ以外のことに取り組んでいるときに較べ、ざっと数百倍くらい、まさにスカボン級に増幅するものだとしみじみと思う。しかしどうしたって下劣だ。ずっとこの日のために勉強をがんばってきたじょっこからすれば、たまったものではない。かくなる上は試験日当日は、受験生のLJKのために、FJKやMJKがあえて制服姿で電車に乗り、痴漢してきた男を駅員に突き出すという運動をしてはどうか、そんな呼びかけをなんかしらのハッシュタグで行ない、実現したら感動的だろうな、なんてことを思った。38歳男性が発起人になってもいいだろうか。発起人が勃起人になる結末が待ち受けているかもしれませんね。駅員さん、こっちです!

 池江璃花子が、なんかの大会の50メートル自由形の予選を、クロールではなくバタフライで泳ぎ、そして2位で通過したという。かっこいい。ちなみに決勝では、さすがにクロールで泳ぎ、そして優勝したという。なんかもう、すごい。2019年、白血病になっていたというのに、地力がとにかくスカボンなのだろう。なにを隠そう池江は僕の大学の後輩なのだけど、ずいぶん差をつけられちまったな、と思う。池江の先輩の僕は、12月31日におろち湯ったり館で泳いだきり、1月はとうとういちども泳がなかったし、行きつけのプールが改修工事に入ってしまい、春まで閉まるので、たぶん2月も3月も泳がない。後輩との差は開くばかりだ。あと日大は、ここ数年の不祥事によって、国からの補助金がとうとう完全にもらえなくなってしまったらしいが、「学費の値上げは一切しない」そうだ。当たり前だボケ。

 上のふたつの話題において、説明をする前に普通に使用してみせたのだが、「スカボン」という表現を考えた。度合がすごい、能力がすさまじい、とにかく激しい、そんな意味。「スカウターがボンッってなるレベル」だからスカボン。フリー素材なので、誰でも自由に使ってください。

2022年1月24日月曜日

ポルガ11歳・すべらない話・一般人の壁

 1月22日にて、ポルガが11歳となる。11歳。10歳はまだ幼児のグループに入る感があるが、11歳からは思春期のグループに所属するような、そんな気がする。数字の上では。ポルガは、背はまあまあ大きくなり、幼児では決してないが(顔は生後2ヶ月くらいからあまり変わっていないが)、じゃあ思春期の気配があるかというとそんなこともなく、前からなんとなく不思議な、普通に街で育て、普通に公立学校に通わせているのに、おととい文明社会に連れてこられたみたいな雰囲気だったが、近ごろは「子ども」でもなければ「少女」でもなくなり、ますます得体の知れない存在になってきた。友達の多い、気さくなタイプではないが、自己肯定感は、強いとか弱いとかの次元を超えて、ドーピングでもしているのではないかというくらい振り切れていて、そもそも(誰に似たのか)ひとりで自分の好きなことをするのが好きなタイプなので、今後も迷いなく自分の満足のためだけに突き進んでくれればいいなと思う。
 誕生日祝いのメニューは、毎年恒例のたこ焼き。これは本当に毎年、リクエストによって必ずなので、今年もせっせと焼きながら、「ああ今年も無事にこうして娘の誕生日を祝えたなあ」と感慨を抱くことができ、便利なシステムのような気がしてきた。今回のたこ焼きは、買った粉が当たりで、とてもおいしかったので、味的にも大満足だった。ケーキはチョコレートのスポンジに、クリームもチョコレート(もともとそういう生クリームが店にあればよかったのだが、なかったので板チョコを溶かして作った)にして、チョコレートケーキにした。なにぶんこの1ヶ月間で3度目のホールケーキなので、味変する必要があった(などというわりに、そういえばこの間にカステラを何度か作っている)。
 誕生日プレゼントは、レジン創作のスターターキット。さすが、1月4日よりは精神が落ち着き、それなりに考えられた「欲しいもの」が挙がるものだと思う。レジン創作に関しては、前に穴に向かって叫んだように、複雑な感情を抱えているのだが、興味がないこともないので(あわよくば僕もペッペッペーってやって、ペッペッペーって稼ぎたいと思っている。完全に裁縫よりも下に見ている)、わが家に器材がやってくるのは喜ばしかった。
 これにて今年の娘たちの誕生日月間はおしまい。7歳と10歳だったものが、8歳と11歳になった。まだまだ小さいものだな、と思うが、嘘だろ、まだ3歳と6歳だろ、と驚く気持ちもある。子育てはまだまだ続く。

 先日職場での会話で、関東でも雪が積もったという日だったろうか、向こうの人たちはスタッドレスタイヤなんて持ってないだろうから大変だろうという話になり、その際に上司が、「そういえば前、外国のメーカーが、1年中履き替えなくてもいいスタッドレスタイヤを開発したって聞いたぞ」と発言し、僕はそれに対して、へえ、それは便利ですね、などと、たぶん適当に返事をしたのだったけど、あとになって、別にどんなスタッドレスだって使おうと思えば、燃費は悪いが1年中使えるじゃないか、と思い至り、あれ? もしかしてさっきのって、上司の渾身のジョークだったのかな? いや、そういうことじゃなくて、なんか特別な1年中仕様の研究開発がなされたスタッドレスタイヤってことなのかな? 分からん、なにもかもがあやふやすぎて、なんにも分からん、なんて意味のない会話だ、とやきもきした。

 「有吉の壁」の、前半の「一般人の壁」が、さすがにマンネリのように思える瞬間があり、でも「有吉の壁」を19時台に放送することは、現代テレビ界の良心であると思っているので、そんなことをいったら罰が当たる、下手なテコ入れなんかしたら台無しになる、あれでいいのだ、後半の「流行語大賞の壁」などをもっと長くしてほしいと思ったりもするが、それは大変なのだろうし、うん、やっぱり「一般人の壁」はあれでいいのだ、と自分を納得させ、視聴している。そんな「一般人の壁」に関して、最近はとみに出てくる芸人の数が多く、(放送されるのは)1組1ネタくらいの感じになっていて、そのため有吉の歩く先に、本当にさまざまな芸人が次々と現れ、芸を繰り広げるので、この雑多なキャラクターたちがひとつの世界に集結し、参戦し、得意技を出したり、ときには合体技をしたりする感じって、スーパーロボット大戦に似ている、と気づいた。そうか、だからこんなにワクワクするし、そしてやがてちょっと飽きるのだな、と思った。

2022年1月22日土曜日

チンコロ・ブックオフ・昭和のクソジジイ

 新型コロナウイルスに感染するとちんこが小さくなる、という話題を目にする。その瞬間、これまで存分に迷惑を被りつつも、どこか他人事だったこのウイルスが、ようやくはっきりとした形になった気がした。
 もっとも話の信憑性は分からない。いわゆる個人差案件というやつだろう。しかし新型コロナウイルスに限らず、体調を崩すということは、いちど減ったら決して増えない、「生命力」の分母を少なくすることだと思っていて、病後、人は、自然な老化とは別の、フレッシュさやエネルギーの喪失をするのだと、経験則から捉えているため、ちんこが小さくなることも、抜け毛や倦怠感、呼吸困難や記憶障害と同じように、普通にあり得るだろうな、とも思う。
 そうなってくると、新型コロナウイルスに感染したくない気持ちが、これまでとは較べものにならない度合で高まってくる。こんなにもか、というくらい、危機感が増した。このことをもっと早い段階で喧伝していれば、特に夜の街で感染が蔓延することは、決してなかったのではないかと思った。
 そして、新型コロナウイルスの場合は直截的ではないけれど、もしも本当に「感染するとちんこが小さくなるウイルス」が生まれ、その感染拡大が確認されはじめたら、そのときのパニックたるや、新型コロナウイルスの比ではないだろうと思う。都市のひとつ、国のひとつくらい、それ以外のすべての国の軍隊が結集して、バスターコールで消し去るのではないかと思った。

 この年始は、たっぷり時間があったくせに、新春のブックオフのセールに行かなかった。別にもう、わざわざ買って所有したいほど欲しい本なんてないな、ということを思い、行く意欲が湧かなかったのだった。とうとうこんなことになったか、と思う。ブックオフに異様に通っていた蜜月時代があるからこそ、この心境の変化に我ながら衝撃を受ける。
 そしてこう思う。
 僕が行かなくなったら、じゃあいったい誰がブックオフに行くのだろう?
 あの僕である。あの僕がブックオフに用がなくなったのだ。何年も前からきっと、櫛の歯が欠けるように、ブックオフに用のある人は少なくなっていき、僕なんかは本当に最後のほうまで残っていたほうなのではないかと思う。それがこのたびついに欠けた。それじゃあもう国民の誰も、ブックオフに用なんてないのではないか。
 企業に対して、失礼な話をしている。店舗は運営を続け、新春セールのCMを正月はバンバン流していたのだから、利用する人間は利用し、会社はきちんと成立しているのだ。世の中は、僕が利用しないのに成り立っている会社ばかりである。

 音楽にしろ、絵にしろ、体験にしろ、人間の力だけでは生み出せない、コンピュータの力を借りてできた作品って、飽きるな、と思った。そういう、一見すさまじい、衝撃的なレベルのものって、くどくて、お腹いっぱいになる前に、もういいや、となる。これって添加物の入った食べものと一緒で、同じ重量で砂糖の800倍の甘さを持ちます、などといわれても、それはもうこちらの知覚を超えて、消費者として享受する側でありながら、味蕾に置けばたしかに甘く、そのオートメーションさは、こちらの感覚までもが加工品の一部であるような気にもなり、その考えなくてもよさに身を委ね、たゆたわせてしまえば楽は楽なのだけど、しかしそれではブロイラーと一緒で、コンピュータで加工されたものに、反射的に「いいね」となって、感動した気持ちに浸るのは、もうほとんど薬漬けみたいなものではないかと思う。自分がコンピュータを使ってそういうことができない負い目から、僕は今後そういうスタンスで、Z世代とかを眺めていこうと思った。

2022年1月19日水曜日

バランスボール・カステラ・健康診断

 バランスボールを買う。
 水泳の教則本のようなものを読んでいたところ、トレーニングにバランスボールを多用していて、なるほど不安定な状態での踏ん張りとか、そういうのを鍛えるのにとてもいいのかもしれない、と思った矢先、ダイソーに行ったらちゃんとした大きさっぽいのが500円で売っていたので、喜んで買ったのだった。膨らませてみると、適度ないいサイズで、バランスボールといえば「最高の離婚」のイメージがあり、置いたら途端に部屋が雑然とするのではないかという危惧があったが、そうでもなかったので安堵した。
 教則本ではボールの上に膝立ちになり、腕はクロールの動きをしていたが、やってみたらクロールの動きなんて到底無理で、ただの膝立ちでさえ数秒しかもたない有様だった。そのあと子どもやファルマンも代わる代わるに試したところ、各人それなりにうまくバランスを取り、膝立ちを保っていた。どうも通常、それくらいは、できるものらしい。どうやら僕が、いわゆる体幹というのだろうか、それが平均よりも劣っている様子である。
 だとすればすばらしいことだと思う。頭の中で、本田圭佑ならぬ、じゅんいちダビットソンの声が聴こえる。伸びしろですね!

 週末、カステラを作った。1月中旬ながら、実は今年に入ってから早くも2度目である。数ヶ月前からカステラ作りに凝り、けっこうな頻度で作っている。
 これまでの数回は、台湾風というのか、半熟っぽい、しゅわしゅわに仕上がるレシピで作っていて、ファルマンは殊のほか気に入ってくれ、子どもたちにも好評だったのだけど、僕の中ではあまり満足いっていなくて、やっぱりカステラといえば、もったりした、もといもはや、ボソボソといってもいいくらいの、ハードな甘いスポンジを喰らっている感じのものがいいなあという思いが募り、最新の今回はレシピを変更し、そういうものを狙って作った。
 結果として、とてもよい出来になった。僕は大満足した。ファルマンは「甘すぎる」といい、明らかにこれまでのものよりも食いつきがよくない。別にいい。僕のおやつだから。ちなみに子どもは「おやつ」という名目で一定以上の甘さがあればなんでも食べる。奴らに味覚などない。

 昨年末に職場で受けた健康診断の結果が届く。この1年半ほど、転職やら引っ越しやら転職やら、いろいろあったため、だいぶ久しぶりの健康診断となった。途中、ストレスで帯状疱疹が出るなど、過酷な局面も多々あったため、どうなることかと思ったが、おおむね問題なかった。よかった。定番の懸念事項であるγ-GTPも、今回はすんなりと正常範囲に収まった。近ごろは酒を飲まずに終わる日がチラホラあるのに加え、せっせと肝臓エキスのサプリメントを飲んでいる効果が出たものだろう。めでたい。その代わりといってはなんだが、初めてコレステロールの値で引っ掛かった。筋肉をつけるため、意識的に卵を摂るようにしていて、カステラ(卵8個使用)もまさにその一環だったりするので、覿面に数字に出るもんだなー、と感心しつつ、だからこれはまあしょうがないよな、と思う部分もあるが、今後はしかし、少しだけこのことを気にするようにしようと思う。健康診断というものの、非常に正しい捉え方だな。あと身長が、どうも計測する人があまりにも無能だったらしく、165.8と出た。僕は他人のことを無能だなんて普段いう人間ではないが、こればかりはいわざるを得ない。彼は、身長計測の才能が決定的に欠如している。実際は167、調子のいい時は168、巨視的には170ある人間を捕まえて、165.8はない。なのでノーカン。