2023年2月8日水曜日

獲得・時計・妹

 日記の読み返しが、2005年の2月6日を迎えた。すなわちcozy ripple開設1周年である。
 ちょうど節目のその日、僕は架空の生き物の生態を解説する「ikimono」という企画の50匹目として、クチバシを発表していた。なんとなく覚えているが、クチバシははじめから考えていたわけではなくて、30匹目あたりまでやったところで思いつき、これはすごいキャラクターだと瞬時に確信したので、31匹目にはせず、1周年の日の50匹目という、華やかな舞台を用意したのだった。
 この瞬間のことを、こうして18年後に読み返して、このときに僕はようやくクチバシを獲得したのだな、ということを思った。このあとヒット君も生まれるし、結婚もするし、娘たちも生まれる。いろいろ得た。大げさに言えば、自分が生きた証のようなものを。
 翻るにその以前、20歳やそこらの頃、僕は若さと自尊心以外、ほぼなにも持っていなかったのだな、と思った。渡り鳥が、身ひとつで海を越えることを、なんて無謀な行為だろうと思ったりするが、人間だって実は同じようなものかもしれないと思った。

 職場の、自分が受け持っている場所に、デジタルの置時計が置いてあるのだが、その表示時刻が狂っている。実際は10時20分なのに、表示は「07:20」。ちょうど3時間ズレている。3分とか5分とかじゃなく、3時間で、分に関しては正確なので、最初に見たときは「時差なのかな?」と思った。日本時間からマイナス3時間。サイトで確認すると、バングラデシュやブータンなどがその時差に当てはまるらしい。しかし職場にその国籍の人はいないし、以前にいたという話も聞いたことがない。でもなぜか、かの国の現在時刻を表示し続けている。毎回、目にした表示時刻に3時間を足すのが億劫なので(「11」だから、午後2時だな、などと無駄な思考をしなければならない)、時刻合わせをしようと試みたりもするのだが、なぜかぜんぜん融通が利かない。いくつかあるボタンを、同時に押したり、長押ししたり、いろいろな操作を行なったが、まるで時刻合わせを受け付けてくれないのだった。この融通の利かなさは外国製のような気がしてきた。もしかしたらバングラデシュ製なのかもしれない。仕方なく今日も頭の中で3時間を足して時刻を確認している。
 ちなみに表示画面は、5秒間隔で、その3時間遅れの時刻と、日付を交互に表示していて、日付はもうダイナミックにズレている。時計によると今は6月だ。だからそちらに関してはぜんぜん気にも留めていなかったのだが、最近になって「あっ」と発見したこととして、その日付は、15時に1日進むのだった。実際の15時、すなわち、その時計の中では「12:00」ということになるが、そこで日付が進む。ということは、この時計は3時間ズレているのはなかった。15時間ズレているのだった。なんかのトリックに使えないかな、これ。

 父が死んだらどういうことになるのだろう。
 そういう話があるわけではぜんぜんないのだが、たまに思いを馳せる。
 僕は葬式に参加するのだろうか。いや、しないよな、したところでどの立場での参加になるのか、という話だ。いまどきの離婚のように、パパとママは夫婦ではなくなるけど、パパはいつまでも君たちのパパだから、みたいなことは一切なく、潔く人生からいなくなったので(結婚式に呼んでしまったことはとても後悔している)、もはや父子関係という感覚はまったくないのだった。
 ただし父の葬式が、腹違いの妹を目にする、人生で最初で最後のチャンスかもしれない、という思いはある。両親の離婚は、この腹違いの妹の受胎が決定的な要因ということでどうやら間違いなく、だとすれば離婚が僕の小学2年生の頃だったので、腹違いの妹は僕よりも10ほど年下ということになる。
 僕には、会ったことがない10ほど年下の腹違いの妹がいる、という事実は、両親の離婚の真相をなんとなく察した大学生くらいの頃からずっと頭の中にあって、今ごろ10歳くらいか、とか、今ごろ20歳くらいか、などと人生の節々で思ったりしたが、そんな彼女ももう30歳になんなんとするはずで、嘘だろ、と思う。いちども目にしたことがないけど、あの子がもう30!? と衝撃を受ける。少女という印象が強いから。見たことないけど。

2023年2月2日木曜日

続鈴カステラ・1月の報告・テーブル

 鈴カステラがないことを嘆く僕に、優しい妻が「ネットで注文すればいいじゃん。ほら、ここなら送料無料だから注文してあげるよ。いくつ買う?」と言ってくれたので、僕は「5個」と答えた。そうしたら数日後に、5袋の鈴カステラが無事に届いたので大喜びした。しかし喜んだのも束の間、その初めて目にしたメーカーの鈴カステラの、袋越しの見た目や感触が、どうも、前回の記事で言った、僕の求める鈴カステラの条件に適さないもののように感じられて、一転、暗雲に包まれた。食後、とりあえずひと袋を開けて食べてみる。果たして危惧した通り、それはさっくりタイプだった。ネットの画面でも窺えた外袋には、「しっとり!」という記述があったが、それは観念的なものだから、僕にとってはしっとりタイプじゃなくてさっくりタイプのものであっても、しっとり詐欺と訴えるわけにはいかない。さっくりタイプの鈴カステラというのは、あのいわゆるカステラの生地とは違い、どちらかと言えばブッセとか、ナボナとか、あるいは甘食のような、なんかそんな食感である。それは僕にとって鈴カステラではないし、鈴カステラではないけどこれはこれでおいしいよね、と言うにはちょっと嗜好からズレすぎてしまっている。さらには成分表を見たら、たんぱく質よりも脂質が高い。これも僕が求める鈴カステラの条件から外れる。そんなわけで、優しい妻には悪いが、失敗だった。それでも期限だけは長いので(そこがもう駄目な証拠だろう)、長いスパンで消費しようと思う。それにしても鈴カステラは店頭にない。イオンのトップバリューのものが好きだったので、店頭にないのならイオンのネットスーパーで買えばいいのではないか、と思って探るも、やはりない。どうしたって採算が合わなくなったか。これまでは100g入って90円とかだった。それはまあ、安すぎたかもしれない。75gで100円出す。どうか帰ってきてほしい。

 1月が終わった。上旬、ほとんど仕事をしないような、悠々とした日々を過したが、月間でその帳尻を合わすため、中旬下旬は土曜日も出勤の日が続いたため、結果的に仕事で疲弊した印象ばかりが強く残った月となった。
 プールはなんてったって寒いものだからあまり行けなかった、と書こうと思ったのだが、それでも8回行っている。ちなみにこれも配置のバランスが悪く、最後に行ったのは22日で、そこからあとは行っていない。さすがに寒波が来て気力が失せた。そして会員となっているプールは2月が丸々休業なので、泳ぎたい、会員だから行かないと損だ、でも寒い、という葛藤からは解放される。
 同じく射精に関しても、こう寒いとなんてったってちんこをズボンから出しづらいよ、そもそもエロい気持ちになりづらいよ、だから回数は極めて少ない、と書こうと思ったのだが、どっこいこちらは去年6月の集計開始以降、なぜか最高記録となった。本当になぜだろう。負けん気だろうか。普通に考えればそうなりそうな時候だからこそ、そうはさせるかと発奮したのかもしれない。骨みたいに硬いのに、反骨精神の塊。えらちんぽだな。

 夫婦の部屋にダイニングテーブルを設置する。おととしの年末に、リビングのテーブルを座卓に替え、テーブルは解体してずっと外の物置に入れてあったのだが、このたび、ここにテーブルがあればいいのではないかという思いが膨らみ、実行した次第である。かつてリビングにおいて、普通に家族で食事を摂るのに使っていたものなので、きちんとした大きさである。ただでさえ工業用ミシンやトレーニングベンチなどがあって狭いのに、果たして成立するだろうかと危ぶんだが、テーブルの下に、これまで部屋の隅に放置していた、布入れやショーツ入れを置けば、使用スペースはそんなに変わらないということで、なんとかなった。テーブルはなんのためかと言うと、作業台である。これまで裁断やアイロンを、僕はなんと床でやっていた。しかし長い時間やると、背中と腰が痛くなるのだった。これを解消するためには作業台があればいいのだと考え、物置のテーブルに白羽の矢を立てた。使用してみたところ、やはりいい。当然である。床よりいいに決まっている。脚の太い、頑丈なテーブルなので、裁断のローリングカッターの動きにもびくともしない。とても快適になった。去年、ショーツを130枚作る前に気づけばよかった。

2023年1月24日火曜日

20年前・鈴カステラ・寒波

 2004年の日記を読んでいたら、17年ゼミの話を書いていて、その中に「今年羽化した17年ゼミは昭和生まれ」という記述があり、衝撃を受けた。2004年は平成16年だそうだ。こんな話ばかりで、無理やり自分が年を取ったことを言いたがっているかのようだが、でもやっぱり時の流れにクラクラせざるを得ない。当時はまだ、昭和がそんなに近かったのか。つまり当時の高校生は、昭和生まれだったということになる。昭和生まれの高校生ってなんだよ。表現矛盾じゃないのか。高校生って、いつの世も、令和の象徴みたいな感じじゃなかったのか。思えばファルマンと付き合いはじめたとき、平成元年生まれの下の妹は、中学生だった。それが今年、34歳になる。すごい。20年前の日記、すごい。やばい。

 鈴カステラが店にない。
 僕と鈴カステラの関係は、高校時代から続いていて、たぶん人生中の、鈴カステラがバッグの中にある時間と、ない時間を較べたら、ある時間のほうが多いだろうというくらい、長年愛好している。書店員時代、上司に「お前がいつも鈴カステラを食べているから、どんなにおいしいものかと買って食べてみたら、別にそんなにおいしいもんじゃねえな」と言われたことがある。それくらい僕はよく鈴カステラを食べる人間なのだ(デブキャラのようだ)。
 その鈴カステラが、店にない。あるところにはある。でも鈴カステラには3種類あって、しっとりタイプと、さっくりタイプと、あとそれ以外の、砂糖掛けであったりココア風味であったりの色物に分類できるが、僕が鈴カステラとして認めているのはしっとりタイプだけであり、それが店頭から消えている。
 兆候はあった。何ヶ月か前、ステルス値上げで、内容量が減った。鈴カステラの原料は、小麦粉、卵、砂糖、牛乳、蜂蜜あたりである。昨今の物価上昇を正面からまともに喰らっているようなラインナップであり、なかなか厳しいのだろうと察し、僕はそれを受け入れた。それがこのたび、とうとう姿を消してしまった。よほど製造コストが見合わなくなったのだろうか。鈴カステラは、基本的にスーパーの均一菓子コーナーにあるが、回転ずしなどと一緒で、値段が均一ということは、原価率が高い品と低い品があるはずで、鈴カステラというのは、もともとそれがだいぶ高いほうだったんじゃないかと思う。だってどう考えても、味も、栄養成分も、鈴カステラは飛び抜けて優れているもの。
 これまでずっと当たり前のように傍にいた鈴カステラがいなくなって、僕にとって鈴カステラは、赤ん坊のおしゃぶりや、喫煙者のたばこのような、精神安定の作用もあったのだと気づいた。鈴カステラのない世界は、寄る辺がない気分が少しする。早く戻ってきてほしい。

 強烈な寒波が来ている。参ったな、と思うと同時に、そう来なくっちゃな、という気持ちもある。1月はここまで、そこまで寒くなかった。寒いのは嫌いだけど、「寒さがそこまでじゃない1月」は、別に暑いわけでも暖かいわけでもないから、なにも嬉しくない。それよりも、年間でこなさなければならない「寒さノルマ」を、早い段階で済ませ、2月の半ばあたりからは春の陽気になればいいと思う。こういうことを言うと、すぐに「2月は1月よりももっと寒いものだ」と言ってくる輩がいて、なんとなーくそんな印象もあるのだけど、でも思い出そうとしても、2月の気候のことっておもしろいくらい思い出せない。なんでだろう。28日しかないからかな。気候の印象って、30日に満たないと認識されないという性質でもあるのかな。

2023年1月19日木曜日

健康診断・車・ゲーム

 年末に受診した健康診断の結果が来る。期待通りの結果。とても芳しいものだった。いつも懸念しているγ-GTPの値(70までが許容範囲)が、去年の63からさらに改善し、今年は49を叩き出した。素晴らしい。さすがは12月、ほとんど酒を飲まなかった果以があったというものだ。ちなみに2017年は150くらいあったようだ。不健康だなー。これにより、僕はこれからの11ヶ月間、酒を好きなように飲める免罪符を手に入れたこととなる。そしてまた12月に摂生すればよい。あと去年引っ掛かった総コレステロールの値も、238から218となり、無事にA判定をゲットした(ちなみに許容は219までなのでギリギリではある)。本当に素晴らしい。やはり日々の運動の賜物だろうか。あるいは、体に無理をさせると、ただ単に本当に生活するのがつらい年頃になったので、否が応でも体の調子を整える心掛けを持たざるを得なくなったからかもしれない。不調なく暮したい。なによりの願いである。

 今年もセンター試験の季節がやってきて、先週末に実施されていた。その直前には、試験日に電車に乗る受験生を狙う痴漢の対策について報道されていて、職場で弁当を食べながらそのニュースを眺めた。そしてそんな状況で眺めたからだろうが、たぶん田舎の人、すなわち一緒にテレビを眺めている僕以外のこの会社の誰もが、このニュースのイメージを本当には理解できていないんだろうな、ということを思った。都会は電車が混む、ということは分かるだろう。そこで体を触ったりする犯罪行為があるらしい、というのもなんとなく分かるだろう。でも、田舎の人はたぶんその次にこう考えるに違いない。「じゃあなんで試験日当日くらい、親が車で送ってやらないのか」。ここが田舎の人には絶対に理解できない。僕もだんだんイメージが覚束なくなってきている。都会の車という選択肢のなさ、その圧倒的な度合は、もうだんだんとおぼろげだ。

 子どもたちがお年玉を使って、マリオカートを買う。それに合わせ、こちらは我々が少し援助をして(高いのだ)、switchの追加のコントローラーも2個セットのものを購入した。というわけで先日から我が家では、マリオカートの4人プレイができるようになったのだった。普通に考えれば、とても幸福な家庭の風景だと思う。理想的と言ってもいい。でも実際やってみたら、switchのマリオカート、めっちゃ疲れる。目も手も頭も疲れる。ひとつのカップで4コースを走るのだが、もう2コース目の2周目から3周目に差し掛かるあたりで、心底お腹いっぱいになる。3コース目からはもう惰性でやっている。自分の知っているスーパーファミコンのそれに較べて、情報量が多すぎる。現代の子どもはこんな情報量を処理できるの、できてるの、いやそういうわけじゃないよな、ただひたすらAボタンを押し続けてるだけだよな、これってそういうゲームだよな、と思いつつ、でも現代のデジタルネイティブは生まれた頃から情報の波に晒されて、情報処理能力がムキムキなのかもしれない、とも思う。なんとか息も絶え絶えにひとつのカップを終えたあとは、ほうほうの体でリタイアし、そのあと子どもたちはふたりでプレイを続けるのだった。子どもってすごい。この子どもたちが大人になって、「最近のゲームは情報処理能力が追いつかない」と言う頃、ゲームは一体どうなっているのだろう。もう2世代上の我々には、大きすぎる音は逆に聞こえないのパターンで、なんの動きもない白い画面のように見えるのかもしれない。いやマジで。

2023年1月10日火曜日

男ども・繋がり・文明

 年末年始には兵庫に住む次女一家がやってきて、実家に集った。総数で11人となる。11人中、男は3人。年末あたり、ファルマンには友達の代わりとなる母がいて姉妹がいて娘がいる! という衝撃の事実にたどり着いたが、そのことが改めて痛感させられる場であった。まあ血がまっすぐ繋がっている女性陣に対し、男3人は言わば全員が他人なので、当然と言えば当然なのだけど、それにしたって我々の連帯は希薄だな、と思った。別にそれを嘆いているわけではない。義父は息子というものに夢を持っているので、わりとぐいぐい来る。たまに僕のことを「長男」、次女の夫のことを「次男」と呼んでみたりして、それはちょっと個人的な欲望を公共の場で包み隠さず露出させすぎではないかと感じたりする。でも実際、義父は、あわよくば義理の息子たちと、本当の父と息子のように接したいと思っているのだと思う。それは、なんだかんだで僕はもう15年以上そのビームを浴び続けているので、確信している。しかし長女の夫は、自身の出自もまた思いきり女系家族で、自分以外に女はいないという環境で育ち、父親という存在と接した経験がほとんどなかったため、父性というものとどう接していいのか分からず、それどころか中年男性全般に対して嫌悪感さえ抱いているような男(今は自分が中年男性になったこともあり、そこまでではない)だったため、義父の夢はかなわなかった。次にやってきた次女の夫は、こちらは長女のそれとは正反対で、男系家族の出身だった。弟とふたり兄弟の彼は、野球にサッカー、テニスなど、ひと通りの男性の嗜みを父から教えられているような男だ。だから義父は、彼がやってくるといそいそとボールとグローブを用意して、キャッチボールをするらしい。これもまた、義父のちょっと個人的な欲望を公共の場で包み隠さず露出させすぎ事案ではないかと思う。しかしながら、次女の夫によって夢がかなったと思われた義父だったが、次女の夫は自分の実家の男たちと仲が良すぎて、父と弟と3人で年明けにサウナに行ったりするので、そのあたりのことに対する義父の心の内など聞いたことはないが、僕だったら強い疎外感を抱くと思う。俺と表面的にはキャッチボールなどして付き合ってくれるが、結局あいつの安息の場所は実家であり、同族の男たちなんだよな……、と切なくなると思う。かくしてこの男3人の仲は、いつまでも深化しない。きっと、いついつまでもしないんだと思う。

 毎年、年末にいちどだけLINEのやりとりをする関係の人がいた。毎年と言ったが、この2年ほどのことである。岡山の縫製工場時代の、2つくらい年上の女性で、2020年の6月で工場が閉鎖になり、その年末に、「いまどういう状況?」みたいな感じで向こうから連絡が来た。「いろいろあって、島根に再び帰ります」と伝えたら、驚いていた。驚いていたが、あちらも、いちど就職したがしっくり来なくて今は無職だ、みたいなことを言っていたから、やっぱりみんなしばらくゴタゴタしていたのだと思う。次に連絡が来たのはその1年後、2021年の年末で、お互いにそれなりに落ち着いた近況報告を交わした。そのため2022年の末にもメッセージが来るかと思い、少し愉しみにしていたのだが、残念ながら来なかった。この人と切れてしまうと、岡山の縫製工場時代の繋がりがほぼ途切れてしまうので、年賀状にも似たこの年中行事は、長く続けていきたいと思っていた。だったら今年は自分からメッセージを送ればいいではないか、という話なのだが、去年おととしと、年末というタイミングを守って恒例のように寄越してきた連絡をしてこなかったということは、つまりそういう意思があってのことだろう、ということを思うと、その勇気は湧かないのだった。こうして、人の住まない家が朽ちるように、僕の人間関係はさびれてゆく。やるせない。

 もしも我々がいま10代であったならば、果たしてブログをやっていたかね、という話をファルマンとする。たぶんやっていなかったんじゃないかね、とふたりとも言った。ふたりともそう言ったが、じゃあZ世代として生誕した世界線の我々は、TikTokとかをしていたというのか。そんなことあるだろうか。Z世代のあまりにもブログをやらなそうさ、ブログというもののあまりにも現代的じゃなさに、大した思慮もなく否定してしまったけれど、文章以外の表現をしている自分たちの姿もまた、あまりにも思い浮かばないのだった。結局のところ、Z世代として生誕した世界線の我々など、存在し得ないのだと思った。なぜならそれは我々ではないからだ。人格は時代によって作られる。
 インスタグラムを、思い出したように投稿しているのだけど、やればやるほど、インスタグラムに文章を書くことの無意味さを強く感じる。パソコン画面ならばまだしも、スマホで投稿を見ようとすると、文章は「続きを読む」をクリックしないと読めない。でもいったい、誰がインスタグラムで文章など読むというのか。インスタグラムを漂う人々は、別に文盲というわけではないけれど、一時的にそれに近い状態になっている。それはしょうがない。インスタグラムは文章を読むツールじゃないからだ。でも僕はどうしても、アップした画像について、言葉で説明をしないわけにはいかないのだった。この感覚は、いわゆる「古い」だと思う。時代は、ダンスとか、超絶技巧とか、言葉なしで世界中の人々に伝わる、プリミティブなものになっている。プリミティブが、最新なのだ。じゃあもしかすると、我々の世代というのは、人類の中でいちばん、ゴテゴテした文明の時代を生きたのかもしれない。僕の好きなMAXは、その象徴だとも思う。 

2022年12月22日木曜日

ポイント恨めし・広い心の身長・メスの安寧

 マイナンバーカードの申請をして例のポイントがもらえる期限が、当初の今年12月末から来年2月末まで延長されたらしい。納得がいかない。どの部分に納得がいかないかと言えば、すぐに申請した人間と、そうやって延長されてやっと申請した人間のもらえるポイントが、同額であるという点だ。ここは差をつけなければおかしい。それは首謀者(国)的にも都合がいいはずだ。首謀者は申請数を増やしたいのだろう。だから延長するのだろう。ならばポイントに差をつければいい。3000円程度の差をつければ、12月中の駆け込み申請が怒涛の如く押し寄せるに違いない。そんなの火を見るより明らかだ。「差をつけるなんて不公平だ」という批判が怖いか。あり得ない。どこに不公平があるのだ。門戸はずっと開かれていた。それだのに、他人と較べて損をしてしまう、という実感を得るまで申請しなかった人間が100%悪い。悪いはずなのに、なんの区別もなく救済される。納得がいかない。そのことに納得がいかないし、そしてあまりにもマイナンバーカードが日常でなんの役にも立たない。

 今年も健康診断が執り行なわれる。クリスマスと年末年始の直前というこの時期は、健康診断のタイミングとしてはなかなか好都合だと思う。すなわちそれは、不摂生期間の直前ということだからだ。これが年明けすぐとかだと最悪だろうと思う。
 今年は数値をよくするために静かに闘志をみなぎらせていて、実は12月はこれまでろくに酒を飲まずに来た。なのでたぶん芳しい結果になっていると思う。年明けの結果通知が愉しみだ(なんだか逆に伏線のようになってしまった)。
 ちなみに去年165.8という数字を叩き出し、計測者を無能と言い募り、僕の中でノーカンとすることにした身長だが、今年は165.7だった。0.1に関しては、誤差なので気にしない。大事なのは、同じだということだ。すなわち、去年の数字はなにかの間違いというわけではないのかもしれず、もしかすると僕がずっと信じてきた166.7という数字こそが間違いだったのかもしれない。でもね、それならそれでいいのです。もう達観しました。身長は、低いよりも高いほうがいいが、それは162に較べて176のほうがいいよね、という次元の話であって、165と166は、うん、誰にとっても、もはや本人にとっても、どっちでもいい。だってどちらにせよ、広い心で見れば170ですからね(懲りない)。

 夫婦ともども友達がいないキャラで売っていたつもりが、妻には娘がいるじゃないかよ、すっかり裏切られた、ということを前に書いた。それを読んだファルマンが、「そういえば私は、妹がふたりいたから、昔からそんなに積極的に友達を作ろうと思ったことがない」と言ってきて、ますます打ちひしがれた。さらに言えば、ファルマンにポルガとピイガがいるということは、ファルマンの母にとってはファルマンがそういう存在であるわけで、ファルマンは、上にも、下にも、そして横にも、波長の合う存在が多数いるということだ。ぜんぜんだ。ぜんぜん違う。なぜ最初、同類だと僕は思っていたんだろう。満たされない者同士の友情を感じていたら、実はあいつの実家めちゃくちゃ太い、みたいな裏切られ方だ。
 前回の記事を書いていたときにも頭にあったが、サルとかの群れの、基本はメスで、オスはリーダーの1匹だけで、それはある日急に取って代わられることもあり、そしてオスの子どもはある程度の年齢になったら群れから追い出されるという、そんな仕組みが、人間にもある気がする。僕には父親はおらず、兄弟もいないし、息子もいない。しかしいたとしても、ファルマンがあれらと接するようには接さないだろうと思う。どうも基本的に、人間関係、人間社会というものは、メスの安寧が保たれるように成り立っている気がする。

2022年12月16日金曜日

タイヤ交換・ワクチン接種・クラス担任

 まことに寒い。寒さってこんなにつらいものだったっけ、と呆然とするくらい寒い。一気に寒気がやってきて、先日などは短時間だが吹雪きさえしていた。年内に吹雪くかー、と日本海側の冬のスピード感をまざまざと思い知った。その寒波が来るという予報が出たところで、ファルマンとMRワゴンのタイヤの交換を行なった。フリードのほうは、もう少し前に、義父の車とともに業者に来てもらって既に交換していた。基本的に近所しか運転しないMRワゴンはそこまで急がなくてもいいだろうと暢気に構えていたのだが、思っていたよりも早い決行となった。そして今回、ファルマンとふたりで作業をした結果、われわれ夫婦はひとつの結論に至った。普通自動車は素人にはちょっと大変だけど、軽自動車ならそこまでじゃないから自分たちでタイヤ交換をやるという、義父の流儀をなんとなく踏襲して、この2年ほどをやってきたけれど、軽のタイヤ交換だって、ぜんぜん業者に頼むべきだ。やろうと思えばできることではあるけれど、だから自分たちでやったほうが常に得かと言えば、決してそんなことないのだ。1台2000円ほどである。そしてどうせ業者は義父の車とフリードのタイヤ交換のために呼ぶのだ。じゃあもうついでにMRワゴンもやってもらったほうが、心の底からぜんぜんいい。その2000円、ぜんぜん惜しくない。寒風吹きすさぶ中でのタイヤ交換、普通にとてもつらかった。できることならもう二度としたくない。あれが2000円で回避できるのなら、そのほうが断然いいと思った。次の、4ヶ月後くらいの、ノーマルタイヤへの交換から、そういうことでお願いしようと、夫婦で強く心に誓った。

 4回目の新型コロナウイルスワクチンを接種する。マスクもワクチンももう不要なんだよ、いまだにそんなことに拘泥している奴は思考停止の情報弱者なんだよ、という風潮もあり、そういうことを言う人々に対し、マスク着用やワクチン接種の重要性を訴える熱意も知識もないのだが、ただもう単純に、やっぱり受けておいたほうがいいかな、というほうに気持ちが振れたので受けることにした。というのも、もう1ヶ月ほど前になるが、ピイガが熱を出したことがあり、とうとうわが家にもコロナがやってきたかと暗澹たる気持ちになり、しかし抗原検査の結果は陰性だったので事なきを得たのだが、でもそのときに抱いた恐怖というのは想像していた以上に強かったので、やっぱりワクチンは受けておくに越したことはないな、と思いを改めたのだった。それまでは、3回目の副反応がけっこうハードだったこともあり、4回目からは逃げようと思っていた。思っていたんですけど、やっぱり受けることにしたんですよ、というエピソードを職場で披露したら、職場には高齢者が多いため、なかなか好評を得た。いちどは受けないスタンスを取りながら改心して受けることにした、というストーリーが、余計に老婆たちの心を掴んだと見えた。
 それで4回目の副反応だが、ファルマンはいつも通りの1日半くらいダウン、そして僕はほぼほぼなし、という結果だった。接種の予約が取れたのが平日で、次の日も普通に出勤だったため、副反応がひどかったら嫌だな、と思っていたので、本当によかった。
 受けたら受けたで、やはり安心感がある。寒さが増し、感染者数もどんどん増えてきていて、そして年末年始に突入するので、あのタイミングで決心し、なんとか予約が取れ、接種することができてよかった。

 2学期も終わるということで、子どもたちの個人面談が行なわれた。
 その際にそれぞれの担任から語られた子どもたちの評をファルマンが教えてくれ、なかなかおもしろかったので、ここに記録しておくことにする。
 まずポルガ。

・文章すごい。
・休み時間は自由帳が多いが、たまには人とも遊ぶ、誘われれば遊ぶ。
・自由帳を描き続けているので、男子にたまに「なに描いてるのー」などちょっかいっぽく言われることもあるが、意に介さない様子。実は心が痛いのではないかと心配しているが、行動がぶれる様子はない。
・係の仕事を忘れがち。周りの人がやっていても気づかず、言われないとやらないので、もう少し周りの様子を見れるようになるといい。
・勉強はよくできてるので、もっと難しい問題集を買ってやってみることをお勧めする。

 続いてピイガ。

・男子と鬼ごっこなど、日々元気いっぱい遊んでいる。
・自然と周りに人が集まってくるキャラクター。
・困っている人を助けてくれる。
・係の仕事を決して忘れず毎日やってくれている。
・勉強は、ノートがきれい。
・よく手を挙げて発表する。間違うこともあるが、再びくじけず発表する。
・テストはほどほどにちゃんとできている。
・一学期よりは、じっと座っていられるようになった。ものを机から落とす頻度も減った。
・分からないときちゃんと質問できるので偉い

 まあどちらもおおむね想像通りの学校生活なのだな、と思った。キャラが違っていておもしろい。そして教師というのは思っていた以上に生徒をちゃんと見てくれているようだ。時代だろうか。僕の小学校時代はたぶん、そんなことなかったと思う。あるいは地域性だろうか。学校給食がひどいことで名高い横浜市だからな。教育が崩壊しているのかもしれない。