2018年7月24日火曜日

老師・畦道・ハードル

 図書館で太極剣(拳との兼ね合いから「たいきょくつるぎ」と発音するらしい)の教本を借りてきて、ここ数日読んでいるのだけど、言っていることが難解と言うか、独自の世界観すぎて、理解がぜんぜん追いつかない。こっちはバトン回し演舞のステップの一助になれば、という軽薄な目的で本を開いているというのに、そんな僕に向かって、こんなことを言ってくるのだ。

 『剣術において最も重きをおくのは身法であり、「左顧右盻」だけではなく、「前瞻後瞄」や「俯仰翻側」でさえも用いないものはない。いったい何をもって「立身中正」というのであろうか? 剣術における中正は立身の基本であるが、ここでいう中正の意味を理解してはじめて「奇正相生」の道理を理解でき、「俯仰翻側」の妙味を把握することができる。』

 ほら、なにを言っているのかまるで解らないだろう。こういうの読んでいると、僕の頭の中にゴー☆ジャスが現れて、「わけわかんねえだろう!」と僕の代わりに言ってくれる。杉村に続き、ふたりめの「わからない」キャラである。しかしまるで解らないのだが、実際に道場に出向いて、月謝を払い、門下生になって、道着姿の髭の老人にこれを言われたら、たぶん「はいっ!」といい返事をするのだろうな、するしかないよな、とも思う。
 でもそんな風に、あまりにも言っていることがちんぷんかんぷんで、逆におもしろくなってきたので、投げ出さずに読んでいる。もとい文字を目で追っている。
 そんなおかしな読書姿勢なのだが、それでもたまに感じ入る部分もある。
 剣での対決の心構えについての文章で、「蓄而後発」というキーワードの解説として、相手の出方を探りながら自分の出方を見極めることを指して、著者はこう言う。

 『進は進であるが、退も進である。』

 シンワシンデアルガタイモシンデアル! かっこいい! 思わず、老師! と言いたくなる。進は進であるが、退も進である。このフレーズの要旨は後半部の『退も進である』であり、前半部は本当にそのまんまのことをわざわざ言っているのだが、でもこれがあるからいいのだ。ただ『退も進である』だけだと弱い。当たり前のことを言うことによってそのあとの逆説の効果を上げるという高等テクニック。さすが老師だ。近ごろ僕が実生活で他人から教えられたこととして、さいきんちょっと痩せたという職場の上司のダイエットの心得『寝る前に菓子パンを食べるとよくない』というのがあるが、それと較べてのこちらの含蓄と来たらどうだ。相手がザコすぎるというのもあるが、老師の尊さがいっそう際立つ。僕も前のめりで使っていきたい。ちょっとした相談事で、すかさず使いたい。含蓄が半端ないわりに、汎用性も意外と高いと思う。
 それで、えーと、僕はなんのためにこの本を読んでいるのだったっけ。

 通勤の道程に、車道の両端がだいぶ先まで田んぼ、というエリアがあり、転居してきてすぐの頃のその風景(特に帰宅時の夕景)を目にしての衝撃たるや激しいものがあり(とは言え東京から直接来たわけではないので多少の耐性はあったと言える)、今ではだいぶ落ち着いたけれど、それでもやっぱりときどきハッと息を飲んだりすることもある。そんなエリアの一角で今年の春先、ショベルカーが田んぼの中に入り込んで、なんかしらの作業をしている場面を目撃した。これにはとてもショックを受けた。とうとうこのエリアにも開発の波が押し寄せたのか、造成した土地にはマンションか建売住宅が作られ、この風景はもうすぐ見られなくなるのか、と気を落とした。そうして気を落としたきり、すっかりこの出来事のことを忘れていたのだけど、つい先日、ふと思い出して、そう言えば別になんにも建ってないな、あれはなんの作業だったのかな、とショベルカーが作業をしていた場所に目をやった。そうしたら、田んぼと田んぼの間に、畦道ができていた。それまではたぶんなかった畦道。でも田んぼの一区画が大きすぎて不便だったんだろう、田んぼの持ち主はこの春、畦道を作ることにしたのだ。あれはそういう工事だったのだ。畦道って作ろうと思ったらショベルカーで作るんだなー、とひとつ勉強になった。

 これからおもしろい話をします。
 という話し始めをしたら絶対にいけない、ということは十分理解した上で、それでもやっぱりこの話はその導入で始めたい。だって本当にあまりにもおもしろいのだ。
 ここにも書いた話だが、先日僕は耳栓を買ったじゃないですか。その耳栓をファルマンが、「どんな感じか着けさせて」と言ってきて、だから貸してあげたんですよ。それでファルマンが両耳の穴にそれを嵌めたらですね、その瞬間にファルマン、屁をこいたんですよ。
 最高におもしろくないですか。だって耳の穴に栓を突っ込んだら、屁が出たんですよ。お前は昭和のロボットか。原材料は竹とかのやつか。どんな単純システムやねん。っていう話で。
 この出来事があった翌日、仕事をしながら何度か思い出し笑いをした。たぶん死ぬ直前の走馬灯でも甦る類の思い出だと思う。この人と結婚してよかった、としみじみと思った。