2022年6月29日水曜日

常夜灯・髪色思い・梅雨明け

 10日ほど前に、僕とファルマンの部屋の常夜灯が切れて、ふだん寝る際は常夜灯だけの状態にしていたのだが、仕方がないので完全に暗くして寝た。その結果、目覚めがそれはもうパッチリで、いつもなら睡眠が7時間を大幅に下回ると日中がつらかったのが、その日はぜんぜん平気で、「常夜灯、あれ?」となった。常夜灯、睡眠を浅くしていた疑惑。その疑惑が作用して、新しい電球を買う意欲がなかなか湧かず、1週間くらいが経過してようやく交換した。しかし点灯するようになっても、常夜灯を点けずに寝ている。睡眠時間に対しての次の日の寝不足感が、常夜灯ありとなしでは、やはりだいぶ違う気がする。実際のところどうなのかとネットで検索したら、やっぱりそんなことを講ずるページが見つかったのだけど、しかしそれは「常夜灯 睡眠」で検索したから、当然と言えば当然だろうと思う。この場合の検索って自分の知りたい答えを探す手段でしかないので、もはや占いの類だと思う。
 今回の常夜灯のことで思い出したのだけど、僕は高校生の頃、高等なことを考えるには、頭をきちんと休ませてはいけないという考えの下、眠るときは照明を常夜灯どころか全開にして煌々と点けて寝ていたし、さらに言えば長い時間寝るのもよくないと考え、9時から12時、3時から6時というような感じで、分割睡眠を行なっていた。いま考えると、気持ち悪いし、そもそもよく体が持ったことだと思う。若さのなせる業か。男子校に通う男子高校生が、そんな思想で頭を爛々とさせて街を闊歩していたと思うと、危険だと思う。
 それから倍以上の年月が経ち、今はすっかり解脱し、とにかくたっぷり濃厚に、頭を休ませたいということばかりを考えている。

 髪染めを決行した。金髪は、なんとなく「夏に向けて!」みたいな意味合いもあったように思うが(なぜ夏に金髪なのか、と問われたら返事に窮するくらいなんとなくだが)、プリンの進行が夏本番の到来に先んじてしまい、すっかりタイミングが外れた。これは来年以降の教訓としようと思う。あくまで「以降」。きっと来年はブリーチしない。来年ではまだブリーチ賢者タイムは継続していると思う。4、5年経つとウズウズし出す。その頃に今回のことを覚えていたらいい。たぶん忘れている。
 ヘアカラーは予告した通り、ほんのりとしたブラウン系を選んだ。説明書に、明るい髪に使用すると紫がかった色味が出る場合がございます的なことが書かれていて、ふうんと思ったが、直後はまさにそれが出た。金と紺と黒と銀色が混ざったような、宇宙創成のような、一朝一夕では出せない色合いだった。こんな髪色の人は他にいないからいいなあと感動していたら、日々のシャンプーで色味はどんどん変化した。青系の要素はわりとすぐに薄れ、4日ほど経った現在、金髪とシルバーアッシュのあいのこのような感じになっている。悪くないが、金髪の時ほどではないにせよ、これでは根元から黒髪が生えてきたらやはりツートンになってしまいそうだな、と思う。まあそのときはそのときか。

 もう梅雨が明けてしまった。本当か。梅雨終盤、7月上旬にめっちゃ雨降る的なことが、今年はないのか。ないパターンってあるのか。大丈夫なのか。電力不足に水不足まで乗っかったら、もういよいよ末世の感がある。嫌だなあ。
 6月でありながらの容赦ない暑さに参りつつも、山陰だし、労働中はエアコンの効いた屋内なので、実は声高に窮状を訴えるほどは、参る境遇ではないのだろうと思う。やはり太平洋側、あるいは山間部だろう。群馬や山梨の気温を聞くと、かの地の人々はいったいどうやって暮しているのか、と思う。
 これが今から、2ヶ月以上続く。夏は、そうは言っても冬よりは、土地による差が大きくないと思う。よほどの避暑地などでない限り、日本全国、夏は猛暑日ばかりである。我々は、これからそれぞれ各人が、猛暑と闘いを繰り広げる。離れていてもこころはひとつ。猛暑に打ち克ち、元気な姿で秋の再会を迎えよう。健闘を祈る。

2022年6月21日火曜日

髪色・呼吸・女体化

 短髪の金髪にして1ヶ月が経ち、根元からは黒いのが伸びてきて、なにぶん茶髪とかじゃなくちゃんと金色なので、かなり目立つのだった。そろそろ限界かな、と思う。そうなんだよな、脱色の流れっていつもこうして、最後はド金髪にして、そうなると生えてくる髪とのギャップでおかしくなって、挙句の果てに「もうええわ!」となるんだった。また懲りずにそれを繰り返した。まあ別に懲りることでもない。脱色したかったし、ド金髪にしたかったからしたまでだ。そしてぼちぼち気が済んだ。とは言え黒髪戻しをするつもりはなく、いま僕の頭で支配権争いを繰り広げる金髪と黒髪の仲を取り持つ融和策のような、落ち着いたブラウンというかベージュというか、そういう色にしようと思う。それならば下から黒髪が生えてきてもそこまで違和感がないし、それにプールに頻繁に通っているので、塩素の効果によって、うまくいけば髪の色はずっとそんな色合いがまろやかに続けられるのではないかと目論んでいる。

 水泳のレベルをアップさせるため、あれこれ本を読むのだが、水泳時の呼吸法について書かれた本を読んで以来、どうも呼吸が乱れがちで、悩んでいる。水泳時に限らず、呼吸法って意識すればするほど、ゼロの状態よりも駄目になりがちだと思う。やれ腹式呼吸だの、吸うよりも吐くほうを長くするだの、考えてやろうとすると、途端に息苦しくなる。そしてそれまで自分がやっていた加減まで忘れてしまう。無意識にやっている状態が、結局いちばんいいんだろうと思う。思うのだが、無意識に常にやっているこの呼吸というものが、質の高いものになったらば、人生全体がバージョンアップするような薔薇色の未来が待っている気がしてしまい、つい手を出してしまう。そして苦しくなる。阿呆だと思う。

 生まれ変わっても男として生まれたい、なぜなら男にはちんこがあるからだ、という考えで生きているが、先日ファルマンに、「もしもあなたが女として生まれたらどんな子だったろうね」と、割とよくある類のもしも話を振られ、少しだけ夢想した。どうせ女の子になるのなら、やっぱり美少女になりたい。ポニーテールを揺らす活発な美少女。異性のことが気にならないわけじゃないけど、男の子の粗野なところが苦手。女子ってことでバカにするような態度を取る男子には、こう言ってやる。「金玉蹴っ飛ばしてやる!」。思わずそう叫んだら、それが夜22時半くらいの、隣の部屋で子どもがうとうとし始めているような時間だったので、「急におっきい声でなに言ってんの!」と怒られシュンとした。

2022年6月14日火曜日

レベル・露出・あの野郎

 せっせとプールに通っている。週に2ないし3回くらい。1000メートルを目安に泳いでいる。1000メートル泳いできたよ、とファルマンに言うと、「すごい!」となるのだけど、1000メートルというのはスイマーにとっては鼻で笑う距離のようでもある。まったく泳がない人と、マジで泳ぐ人の乖離は広い。僕はその狭間にいる。まあまあうまいこと泳げているな、などと思っていたら、隣のレーンに、お前は脚にモーターが付いてるだろ、みたいな人が現れ、意気消沈したりする。泳ぐのが速い人の、あの意味が分からない推進力ってなんなんだろう。あれって体の使い方とかじゃなくて、前月に5万円以上買い物した人は翌月プラチナ会員としてポイント利率アップ、みたいな感じで、同じことをしていても、なんかその人だけ水に優遇されているように思える。まあたぶん、同じことをしているんじゃないんだろう。前回のプールで、いつものように泳ぎながら、ふと、ここで腕をこうなんじゃね? と閃き、実践したら、泳ぎが少しスムーズになったように感じられた。テレレレッテテッレー、と福音が聴こえたような気がした。たぶん、地道なこれの繰り返しなんだろうな。

 今年の夏は小学校でプールの授業があるらしい。てっきりないだろうと思っていたため、慌てて水着の準備をしたりした。最近のスクール水着(女子の)は、なんとなく見知ってはいたが、下はスパッツ、上はタンクトップ、それどころかTシャツのような袖付きの型の、セパレート(といってももちろん間が空いて素肌を晒すわけではない)タイプが主流で、へえ、と思う。ちなみに僕はスクール水着については一切のフェチがなく、競泳水着にもなく、これに関しては猛烈にビキニ一辺倒なので、このスク水の変遷にはなんの感慨もなかった。そんな、自分の時代に較べ生地多めの、娘のスクール水着を買いながら、ファルマンが、「ブルマと一緒で、昔のスクール水着を見て、昔は女子生徒にこんなものを着せていた、って驚かれるようになるんだろうね」としみじみと言っていた。それを聞いて思ったこととして、大正や昭和の、水着なり体育着なりは、まるで囚人服のような長袖長ズボンだった、という写真を見たことがあるが、そこからだんだん生地が削られ、削られ、行き着いた先がブルマやわれわれの時代のスクール水着で、そして今そこからまた生地が徐々に増えてきているということは、われわれの時代というのは、この100年くらいのそのジャンルの、露出度グラフでいうところの、山のてっぺんだったようだ。ピークの、いちばん過剰だった時代。そんなスリリングな時代に、青春時代を送ったのだ。そんな気がしてたぜ。

 コロナがいよいよ落ち着いた感があり、とてもめでたい。でも今回のコロナ禍に関し、このまま風化させるわけにはいかない事柄がひとつあるので、ここに記しておく。
 ファルマンの上の妹の夫(32歳)のワクチン接種のことである。
 こいつが、新型コロナワクチンを、なかなか打たなかった。
 ひと月半ほど前に第2子が生まれた義妹一家は、すなわちこの9ヶ月間ほど、妊婦と小学生が家にいるという状況だった。さらに言えば夫は、兵庫県の自宅から大阪の中心部に電車通勤する身なのであった。本来であれば、島根県で一切公共の乗り物に乗らない人々なんかよりも、一目散にワクチンを接種するべき立場だろう。
 しかしなかなか打たなかった。あまりに打たないので、職場の方針とか、実家の方針とか、なにか外部の干渉があってのものかと思った。しかし話によればそんなことは一切ないのだった。彼は本当に純粋に、「副反応が怖い」という理由で逃げ続けたのだった。しゃれにならないので当時は書かなかったが、今から半年前の年末年始の帰省の際も、まだ未接種だった。兵庫県から、大阪に通勤する、ワクチン未接種の奴がやってくるというのは、島根では本当に周囲に知られたら大変なことになる事案である。いい加減にしてくれよ、と思った。
 思う一方で、そんなことを思う自分がなんとなく嫌だと思った。国からの「ワクチンを接種しましょう」を無知蒙昧に受け入れ、それを拒む人間を批判する様は、大東亜戦争的な、われら一億ワクチン総火の玉みたいな、もしかしたら自分はそちら側の、出兵バンザイ側の人間になってしまっているのではないか、ということを思った。これは別に思わなくていいことだった。彼が打っていればそれでよかったのだ。そもそも彼はそんな問題提起や体制への抗議のために恭順しないのではなかった。副反応が嫌で打たなかったのだ。なんと迷惑なのか。さらに言えば、副反応に怯える彼は、基本的にとても健康な人間である。屈強な体をしていて、体調を崩した話は聞いたことがなく、虫歯も一本もないらしい。しかしきっと、そうして体を壊したことがないから、コロナに対して絶大な自信を持っていて、むしろワクチンの副反応を恐れたのだろうと思う。
 そんな彼も、2月だったか3月だったか、とうとう打った。あまりに遅い。世間では3回目の接種が始まろうとしていた。ちなみに副反応はまるで出なかったらしい。
 これだけでも十分にとさかに来るエピソードなのだが、いまこうしてコロナ禍がじんわり終息しようとしていて、そして察することとして、彼はまず間違いなく、3回目のワクチン接種を受けない。本人的にも極力受けたくないのに加え、世間がすっかりそれを許容する風潮になっている。断言していい。あいつは絶対に受けない。
 ずるい。あまりにずるくないか。僕だって1回目2回目の副反応なんてほとんどなかった。でも3回目はつらかった。それをあいつは受けない。受けないで許される。俺がつらい思いをしたんだからお前もしろよ、と言いたいわけではない。いや、言いたい。言わせてもらったっていいじゃないか。だって、お利口に、案内が来てすぐに接種した人間が、損をしているじゃないか。さんざん逃げて、年末年始に実家の面々に不必要な葛藤を抱かせた人間が、あのつらい3回目接種を免れる。世の中間違ってる。
 コロナ禍の日々が遠い昔になっても、このことだけは胸に深く刻んで、今後の親戚付き合いをしていこうと心に誓っている。

2022年5月21日土曜日

みょうが・緩和・ヘアスタイル

 今年もみょうがの季節がやってきて、まだ高いが、先日は安売りをしていたので購入し、冷ややっこにたっぷり乗せて食べた。あの清涼感。とてつもなくベタな言い回しだが、夏が来たな、という気がした。実家で「去年の夏はみょうがに嵌まった」という話をしたら、酒を飲み出す前の、野菜をほとんど食べなかった頃の僕と暮していた母と姉は、「お前が、みょうがを……」と衝撃を受けていた。実家では庭でみょうがを栽培しているといい、それはいいなあ、俺も作りたいなあと言ったら、「鉢ではできない」と無碍だった。それで悔しがっていたら、あるときスーパーで、「みょうがの茎」として、たぶん規格外的なみょうがが、中くらいのナイロン袋にぎっちぎちに詰まったものが売られているのを発見し、こんなんめっちゃええやん、と購入した。170円だった。普通に食べて、悪くなる前に食べきれる量ではないので、漬けて保存食として用いるものらしい。というわけでネットでレシピを検索し、甘酢漬けとしょうゆ漬けの2種類を瓶で作った。煮沸消毒した瓶に、調味料漬けにした保存食を作るなんて、クウネルみたいだな、素敵生活だな、と思った。しょうゆ漬けはそのまんまのしょうゆに漬けた味で、汎用性はあるがあまり感動はなかった。甘酢漬けがよかった。もちろん冷ややっこに乗せてもいいし、そうめんにもいいだろう。先日はたこ焼きの際に、これを刻んでゆで卵と一緒にマヨネーズで和え、タルタルソースのようにして掛けて食べた。さっぱりとしていてとてもおいしかった。たぶんチキン南蛮のときとかにもすごくいいだろう。愉しみ。

 気温の高まりとコロナ禍の窄まりが合わさって、マスク着用に関しての緩和策が唱えられはじめた。それはもっともだ、とは思うが、僕は感染予防の観点からではなく社会活動的にいろいろ楽だからという理由で今後もマスクを着け続けようと思っている派なので、そこまでこの話題に関心はない。マスクで顔が隠されることで表情から感情を読み取ることのできない子どもが増える、なんてことが危惧として挙げられていたが、弱いと思う。顔の下半分を隠されたら表情が読み取れない人間は、たぶん基本的に人の感情が読み取れない人間なのだと思う。むしろ通り一遍の作られた表情に惑わされずに内面を察する能力のほうが、よほど大事だろう。どうでもいいけど。ちょっとあまりに弱いな、と思ったので口を挟んだ。
 それよりも今回のマスクの緩和策のことで気になったのは、職場の昼の休憩所でそのニュースが流れたとき、おじさんやおばさんが「あり得ない!」「なにを言ってんだ!」と興奮していた点だ。島根はこのひと月ほど、コロナの新規感染者がわりと多く、過去最高なんかも出していたため、年配の人たちはけっこうセンシティブになっているようだが、しかしそれはこれまでが80人くらいだったのが、近ごろは130人くらいになっているという次元の話で、大都市のそれとはぜんぜんスケールが違う。普通に考えれば、一喜一憂するほどの数字ではないのだ。それなのにあの人々は、いっとき160人くらいを叩き出したとき、「島根もう終わった」くらいに嘆いていた。それくらい必死なのだ。だから今回の緩和策に関してもまるで受け入れる様子はないわけだが、なんだかその感じって、国がもう「戦争は終わった」と言っているのに、ヒートアップしすぎてそれを受け入れられず、はじめは国のために戦っていたのに、その国が「もうやめ」と言ってもそれを否定し、暴走する人民のようで、新型コロナ騒動は、国という括りを平時に較べて強く感じさせる出来事だったため、ナショナリズム的な場面がたびたび見受けられたが、これもまた大いにそれを感じた。人も国も世界も哀しい。たしかなものって本当にない。

 とうとう髪を切った。本当はまだ切るつもりではなく、少し前にこのブログで書いたように、色を抜くことだけをしようと思っていた。その作業はファルマンに頼むわけだが、その際に「ついでに髪切る?」「そろそろ切っとこうかね」としつこく言ってくるのを、まだ切らないから! と強く否定していたのだった。しかしブリーチ剤を塗布し、放置し、風呂で流したあと鏡を見たら、これは……ちょっとどうなんだろう、という相貌の男がそこには映っていて、ファルマンもその姿を見るなり、先ほどまでよりも激しい口調で、「切らねば!」という警告を出してきた。髪の色はこれまでの、下部はもうけっこう黒い明るめの茶髪から、白髪とまではいわないものの、とうもろこしの髭のような、枯れた藁のような、かなりの金髪になっていて、それでいて肩につくまでの長髪&大ボリュームなので、金の面積が大きく、なんかもう、明らかに堅気じゃなかった。これまでが堅気だったかといえば別にそうでもないのだが、ちょっと突き抜けた異様さがあった。プロレスラーの高山善廣のことを思い出した。それでもまだ、外に出るときは結ぶから別に大丈夫じゃないかな……、と思いたい部分もあったのだが、「ぜんぜん大丈夫じゃない」というファルマンの断言を、今までのように突っぱねるための確信は、自分の中から失われていたため、じゃあ頼みます……、ととうとう観念してカットを依頼した。ファルマンはここ数ヶ月の念願が叶い、「よしきた!」と鋏を手に取り、ざっくざっくと髪を落としていった。床に敷いた新聞紙には、すさまじい量の金色の髪が積み上がった。髪を切ってから色を作るのではなく、髪の色を作ってからそれに合わせて髪を切るなんて、めちゃくちゃこだわり派のおしゃれさんみたいだな、と思った。かくして、そう短髪というわけでもないが、まあまあコンパクトな、ド金髪でもそう異様ではない、そんな髪型になったのだった。もっといい喩え、例えばバンドのあれだとか、韓国アイドルのあれだとか、そういうことが言えればいいのだが、そっち方面の情報は乏しいため、これになってしまうのだが、お見送り芸人しんいちみたいな感じだ。だいたいあれみたいな感じで、それのだいぶいい具合にしたほうのやつだ、と主張したい。髪を結べなくなったのは寂しいが、頭が軽く、乾きもいい。まあ夏はしょうがないか。秋からはまた伸ばす。そして、伸ばして、ポニーテールにする際は、髪色は黒がいいんだな、と学習した。長生きして、こうして経験を積んでいく。39歳の僕は、たぶん弓道部の副主将みたいな黒髪ポニーテールをしている。

2022年5月13日金曜日

新姪・プール・髪

 ライフハックによってGWの前半にブログを書かなかったので、すっかり記録が遅くなってしまったけれど、ファルマンの上の妹が、4月の終わりに第2子となる次女を産んだのだった。また女。これによりファルマン家は、ファルマン3姉妹からポルガ・ピイガ・上の子・そして今回の下の子まで、7連続女ということになる。この記録はどこまで伸びるのか。とりあえずめでたいことには間違いない。身近に赤ん坊ができたのは久しぶりで、早く感触を愉しみたいが、対面できるのは夏になるだろう。なにぶん上の子が小学2年生なので、里帰り出産もかなわなかったのだった。姉妹の年齢差は8ということになり、なかなかだなと思う。ちなみに一族初の令和生まれということになるが、あわや、別にあわやということもないが、寸でのところで昭和の日生まれになるところだった。令和生まれなのに昭和の日生まれってちょっとおもしろいな、誕生から早速ボケてくるな、と淡い期待を抱いていたが、結局誕生は4月30日となった。図書館記念日だそうだ。ふうん……、と思う。

 5月に入って田んぼに水が張られ、恒例のカエルの喚きが始まっている。鳴き声でも囀りでもなく、喚きである。ともすれば都会の喧騒よりも、絶え間なく大音量で、無数のカエルは喚き続けている。たまに、窓を開けたままにしてたっけ、と勘違いするほどである。そんな季節の移ろいの中、とうとう僕のプール生活が再開した。大みそかのおろち湯ったり館から、結局4ヶ月以上もスイミングから遠ざかったこととなる。実は帰省の際、ワンチャンひとりで夜に横浜国際プールに行けたりしないか、という画策があったのだが、事前にホームページを見たら帰省の期間中はメインプールが大会に使用されて一般利用できないとのことで、あきらめた。サブプールでも50メートルなので十分な設備なのだが、やはりせっかくわざわざ横浜国際プールに行くんならメインプールで泳ぎたいじゃないか。横浜国際プールのメインプールだなんて、草野球の選手が東京ドームで試合をするような、草サッカーの選手が国立競技場で試合をするような、そういう贅沢さだろう。実家からは車で15分ほどで、中学生の頃にできたこの施設に、当時のクラスメイトと行ったことがあった。残念だった。それは残念だったが、島根に戻ってきて、馴染みのプールの会員に復帰し、無事に4ヶ月ぶりのプールにありついた。当初は半年会員になるつもりで、冬からこつこつと資金を貯めていたのだが、申し込みが予定よりも後ろ倒しになった結果、資金がもうちょっと貯まり、ならばいっそのこと1年会員になってやれ、ということで1年会員になった。半年会員だと、秋に期限が切れて、そこから会員を継続するかどうか、これから寒くなるしあまり行きたくなくなるかな、なんて逡巡が発生し、そして会員をやめてしまったら再びプールと何ヶ月にも渡って縁遠くなるに違いないので、冬もひっくるめての1年会員というのは潔くていいと思った。会員である以上は、元を取るために冬も泳ぐだろう。それでいい。月曜日に会員になり、今週は月水金と3回も行ってしまった。再開直後だからって、ちょっと行き過ぎ。でも泳ぐの気持ちいい。嬉しい。

 髪を相変わらず伸ばしていて、もうかれこれ半年以上、前髪以外切っていない。暑くなってきたこともあり、日中は髪を結ぶのがデフォルトになっている。初めの頃は板についていなかったそのスタイルも、今では結ぶのも上手になり、なにより髪の体積は日々増え、日が経るごとに結びやすくもなってくるので、だんだん様になってきたように思う。ファルマンは少し前まで、僕の顔を見ると本当に忌々しそうに、「切れ」「切らせろ」ということを言い連ねてきて、帰省の際に実家の面々、母や姉などから僕が髪のことで苦言を呈されるのを期待していたようだが、結果的に「また金髪にしてんだ」以外の反応が一切なかったことでトーンダウンし、さらには最近ちょっと思うところがあったのか、「生きてくれてるだけで、いいよ……」という感じになっていて、どうやら無事に山は越えたようである。これでもうしばらくは難所は訪れないと思う。もっともプール生活が始まり、髪を乾かしにくいのは厳然たる事実である。でも、でもそれが? と思う。そんな理由で髪を切るのだとしたら、これまでの半年間せっせと伸ばした僕がかわいそうだ。ただしプールのあとは髪を結ばないのでモリっとなって、そして金髪寄りの茶髪みたいな髪色なので、なんか90年代っぽいというか、当時の加藤晴彦や押尾学のような感じで、それがちょっと嫌だと感じている。やっぱりもうちょっと色を抜こうかな。金髪寄りの茶髪ではなく、白髪寄りの金髪にしたい。

2022年5月10日火曜日

モルック・館・叔父(横浜帰省異聞)

 帰省の記事の際にさらっと書いたが、モルックをしたのだ。モルックである。姉がおもむろに「モルックって知ってる? 持ってきてるんだけど」と言ってきて、モルックってなんだっけな……、と一瞬考えたのち、「あのさらば森田の?」と思い至った僕は偉いと思う。実はつい先日、雑誌で紹介されているのを目にしていた。微妙に興味は湧いていたが、明らかに友達が多い人々の遊びなので、自分には縁がないだろうと思っていた。友達が多い人々が、キャンプとかで興じる遊びであると。どっこい縁はあったのである。僕には、友達が多くてキャンプによく繰り出す親縁がいたのだ。そういえば横浜在住のあの一家は、あまりにも典型的に、モルックをしそうな一家ではないか! 友達の友達の友達の……、と数珠つなぎをしていけば、理論上は5回くらいで地球上の誰とでも繋がれる、みたいな説があり、その話を聞くたびに義兄のことを思い出し、もしも僕がそれを試す状況に置かれたら、絶対に義兄へパスを回そう、義兄ならば無限の選択肢があるから、と思っているのだけれど、僕とモルックも、はるかに遠い関係かと思いきや、間に義兄を挟んで思わぬ至近距離でつながった。さすがである。
 それで実際に競技はどうだったのかというと、義兄・姪コンビチームと、僕・ポルガ・ピイガトリオチームで対戦をした結果、義兄チームが2回投げる間に我々は3回投げられるというハンデがありながら、やはり経験値的に終始劣勢だったのだが、終盤に向こうのチームが50点に近づけるのに手間取っている間に、我々もあと7点で50点というところまで来て、僕の番になり、「7」の棒だけを倒せば勝ちだけど、「7」の周りには何本も他の棒があって、誰の目にもそんなことは不可能だと映るなか、僕の投げた棒は本当に見事に、それ以上でもそれ以下でもそうはならなかったろうという、針の穴を通すような絶妙な加減で「7」だけを倒し、劇的な逆転勝利を収めたのだった。森田がこれのことを「すべらないゲーム」と言っていたが、本当だと思った。ビギナーズラックという言葉があるが、これはそうではなく、たぶん僕は今後の人生でもう二度とモルックをする機会がないだろうから、一生分の運があの一投に注ぎ込まれたのだと思った。

 姉がどういう風の吹き回しか、字の本を読んでいるそうで、どんなものを読んでいるのか訊ねたら、「十角館」という答えが返ってきて、聞き間違いかと思った。しかし間違いではなく、本当に綾辻行人の館シリーズを読んでいるらしい。「いま迷路館」だそうだ。字の本と言ったが、姉は漫画さえ読まない人間だったので、それがミステリの、新本格の、館シリーズを読んでいるということに、違和感に違和感に違和感が重なって、頭がくらくらした。パラレルワールドに迷い込んだのかと思った。そういえば読むきっかけを訊くのを忘れたな。なんでなんだろう。それが最大の謎だ。

 叔父は2021年、青葉区から出なかったそうだ。免許を持たない叔父は、徒歩か自転車でしか行動をしないので、気づけばそういうことになっていたらしい。1年間でいちばんの遠出が、祖母と母のいる実家だそうだ。同区内だ。すごいな。コロナ禍もあり、県内から出なかったという人はたくさんいるだろうが、区内となるとなかなかいないと思う。そして叔父は別に、コロナ禍だから自粛というわけでもなく、ナチュラルにそうなんだと思う。広島から横浜に越してきて、行きたい場所とかないのか。ないんだろう。しかし決して、無気力とか引きこもりとか、そういうことでもないのだ。会うと、やりたいようにやっている感が出ている。きっと誰よりも自由だろう。ちょっと憧れる気持ちも湧く。ファルマンは「最終目標だ」と心酔している。しかし結婚し、子どもを持ち、運転免許を取った身には、あの境地に至ることは絶対に不可能だ。
 餃子を焼いているとき、ホットプレートに繋いだ延長コードが老朽化により発火した、ということを日記に書いた。実はそれを焼き始める前の準備の際、延長コードをパソコンなどに繋いでいる分岐タップの空きに差そうとしたところ、叔父が「それはよしたほうがいい」と忠告をし、少し離れた位置にある、なにも差さっていないコンセントタップを使うことにした、という経緯があった。発火した当時は、その衝撃でそれどころではなかったが、しばらくしてから、「叔父、言ってたな……」と思い出した。叔父は少し先の未来が見え始めたのかもしれない。だとしても違和感はない。
 あとその夕餉が終わったあと、姉の運転する車で、帰りついでに叔父を住まいまで送る際、このとき姪は、日中のこどもの国で動き回り、その際に捻挫というほどでもないが脚の筋を少し痛めていたらしいのだが、「おじちゃんが車から降りた瞬間に、ぴたっと痛みがなくなったんだよ!」と、次の日に報告してきた。これもまた、叔父の人ならざる力によるものではないか。叔父はもう、とても高い次元に至ったのかもしれない。30歳まで童貞だと魔法使いになれるといい、叔父が童貞なのかどうなのかは知る由もないけれど、だいぶ力が強まっていることは間違いない。僕にもう少し山師的な才覚があれば、すぐにでも新興宗教を立ち上げるのだけど。そして叔父の近くには、山師的な才覚に溢れる人間がひとりいて、その娘の足は教祖様のお力によって穢れが取り払われたのだけど、果たして気づいているだろうか。ビッグビジネスのチャンスやで!

2022年4月19日火曜日

筋肉・キムシャブ・飛行機

 それぞれのワクチン接種の副反応で中断してしまったが、その少し前あたりから、ファルマンと一緒にHIITをしている。HIITとは筋トレと有酸素運動を兼ね合わせたもので、ファルマンは運動不足の解消、僕は筋肥大と脂肪減を目的に、YouTubeの動画に合わせ、3日にいちどくらいのペースで行なっている。行なうと、次の日に僕は筋肉痛に襲われるのだけど、ファルマンはほとんどそれがないというので、びっくりする。日々、HIIT以外にもせっせと筋トレに励んでいる僕が筋肉痛になり、この時間以外はガラパゴスゾウガメレベルの動きしかしないファルマンは筋肉痛にならない。なぜ、と思う。同じ動きをしているようで、実は僕はちゃんと体を刺激できていて、ファルマンはそれができていない、というのならいい。しかしそれよりも、筋トレ程度では覆せない地力、という考え方のほうが、正直しっくり来る。どんなに筋トレをしてもいつまでもやわらかさのある僕の体(かわいすぎる)に対して、特になんにもしていないファルマンのバキバキたるやどうだ。抗えない事実として、肉牛でいうなら品種みたいな、そういうものを感じる。加えて、前に書いたが、阿呆な奴のほうが、日々のありとあらゆる動きに際し、効率のいい動きというものを一切しないものだから無駄に肉体を使い、しかし結果としてそれが絶え間ない筋力トレーニングになっている、という例の説のこともある。そんなふうに考えて、このやるせない現実を受け止めている。

 吉野家の取締役が言い放ったという、「生娘をシャブ漬け戦略」という言葉が、やっぱりすごくおもしろい。ワードのチョイスがいいのに加え、語呂もいい。近年の流行語でいうならば、「激おこぷんぷん丸」にも匹敵する完成度ではないかと思う。これまで編み出されたすべての「〇〇戦略」の中で、たぶんいちばんおもしろいと思う。あまりに秀逸なので、演劇でいうところの、役に役者のイメージがついてしまうみたいな現象で、今後は「戦略」という言葉を聞くたびに、(生娘をシャブ漬け……)と頭の中に浮かんでしまうだろうと思う。それくらいすごい。すごくひどい。こういう失言の類には、言葉の綾とか、文脈とか、作為的な切り取りとか、そういった弁明がつきものだが、そんなものを完全に受け付けようがない、完膚なきまでのアウト発言。10点満点。見事だ。
 ちなみにファルマンはこの話題を知って、なにをどう感じたかといえば、島根から所沢に出てきて、ひとり暮しで、プロぺ通りの吉野家で牛丼ばかり買って食べていた日々のことを思い出したそうだ。シャブ漬けにされた生娘だったのだった。

 飛行機に乗ることになり、一日のうちの何分間かは、そのことに思いを馳せている。乗っている時間は1時間半ほどなので、その間なにか、空を飛んでいるという阿呆な現実を忘れられるくらい、熱中できるものがあればいい、と思う。そうして考えたとき、やっぱりエロしか思い浮かばない。席は2列のシートを前後で取り、子どもたちをそれぞれ窓側に座らせる予定で(飛んでいる窓の外を見たいなんて狂気の沙汰だと思う)、だから隣には娘が座るわけだが、それでもこのときだけは許してもらって、ぜんぜん普通にエロ漫画を読んで、ぜんぜん普通に勃起して、ぜんぜん普通にちんこをこすったりしていようかな、などと思う。あまりの恐怖に、飛行機が落ちなくても社会的に死ぬ方法さえ検討し始めた。