2022年5月10日火曜日

モルック・館・叔父(横浜帰省異聞)

 帰省の記事の際にさらっと書いたが、モルックをしたのだ。モルックである。姉がおもむろに「モルックって知ってる? 持ってきてるんだけど」と言ってきて、モルックってなんだっけな……、と一瞬考えたのち、「あのさらば森田の?」と思い至った僕は偉いと思う。実はつい先日、雑誌で紹介されているのを目にしていた。微妙に興味は湧いていたが、明らかに友達が多い人々の遊びなので、自分には縁がないだろうと思っていた。友達が多い人々が、キャンプとかで興じる遊びであると。どっこい縁はあったのである。僕には、友達が多くてキャンプによく繰り出す親縁がいたのだ。そういえば横浜在住のあの一家は、あまりにも典型的に、モルックをしそうな一家ではないか! 友達の友達の友達の……、と数珠つなぎをしていけば、理論上は5回くらいで地球上の誰とでも繋がれる、みたいな説があり、その話を聞くたびに義兄のことを思い出し、もしも僕がそれを試す状況に置かれたら、絶対に義兄へパスを回そう、義兄ならば無限の選択肢があるから、と思っているのだけれど、僕とモルックも、はるかに遠い関係かと思いきや、間に義兄を挟んで思わぬ至近距離でつながった。さすがである。
 それで実際に競技はどうだったのかというと、義兄・姪コンビチームと、僕・ポルガ・ピイガトリオチームで対戦をした結果、義兄チームが2回投げる間に我々は3回投げられるというハンデがありながら、やはり経験値的に終始劣勢だったのだが、終盤に向こうのチームが50点に近づけるのに手間取っている間に、我々もあと7点で50点というところまで来て、僕の番になり、「7」の棒だけを倒せば勝ちだけど、「7」の周りには何本も他の棒があって、誰の目にもそんなことは不可能だと映るなか、僕の投げた棒は本当に見事に、それ以上でもそれ以下でもそうはならなかったろうという、針の穴を通すような絶妙な加減で「7」だけを倒し、劇的な逆転勝利を収めたのだった。森田がこれのことを「すべらないゲーム」と言っていたが、本当だと思った。ビギナーズラックという言葉があるが、これはそうではなく、たぶん僕は今後の人生でもう二度とモルックをする機会がないだろうから、一生分の運があの一投に注ぎ込まれたのだと思った。

 姉がどういう風の吹き回しか、字の本を読んでいるそうで、どんなものを読んでいるのか訊ねたら、「十角館」という答えが返ってきて、聞き間違いかと思った。しかし間違いではなく、本当に綾辻行人の館シリーズを読んでいるらしい。「いま迷路館」だそうだ。字の本と言ったが、姉は漫画さえ読まない人間だったので、それがミステリの、新本格の、館シリーズを読んでいるということに、違和感に違和感に違和感が重なって、頭がくらくらした。パラレルワールドに迷い込んだのかと思った。そういえば読むきっかけを訊くのを忘れたな。なんでなんだろう。それが最大の謎だ。

 叔父は2021年、青葉区から出なかったそうだ。免許を持たない叔父は、徒歩か自転車でしか行動をしないので、気づけばそういうことになっていたらしい。1年間でいちばんの遠出が、祖母と母のいる実家だそうだ。同区内だ。すごいな。コロナ禍もあり、県内から出なかったという人はたくさんいるだろうが、区内となるとなかなかいないと思う。そして叔父は別に、コロナ禍だから自粛というわけでもなく、ナチュラルにそうなんだと思う。広島から横浜に越してきて、行きたい場所とかないのか。ないんだろう。しかし決して、無気力とか引きこもりとか、そういうことでもないのだ。会うと、やりたいようにやっている感が出ている。きっと誰よりも自由だろう。ちょっと憧れる気持ちも湧く。ファルマンは「最終目標だ」と心酔している。しかし結婚し、子どもを持ち、運転免許を取った身には、あの境地に至ることは絶対に不可能だ。
 餃子を焼いているとき、ホットプレートに繋いだ延長コードが老朽化により発火した、ということを日記に書いた。実はそれを焼き始める前の準備の際、延長コードをパソコンなどに繋いでいる分岐タップの空きに差そうとしたところ、叔父が「それはよしたほうがいい」と忠告をし、少し離れた位置にある、なにも差さっていないコンセントタップを使うことにした、という経緯があった。発火した当時は、その衝撃でそれどころではなかったが、しばらくしてから、「叔父、言ってたな……」と思い出した。叔父は少し先の未来が見え始めたのかもしれない。だとしても違和感はない。
 あとその夕餉が終わったあと、姉の運転する車で、帰りついでに叔父を住まいまで送る際、このとき姪は、日中のこどもの国で動き回り、その際に捻挫というほどでもないが脚の筋を少し痛めていたらしいのだが、「おじちゃんが車から降りた瞬間に、ぴたっと痛みがなくなったんだよ!」と、次の日に報告してきた。これもまた、叔父の人ならざる力によるものではないか。叔父はもう、とても高い次元に至ったのかもしれない。30歳まで童貞だと魔法使いになれるといい、叔父が童貞なのかどうなのかは知る由もないけれど、だいぶ力が強まっていることは間違いない。僕にもう少し山師的な才覚があれば、すぐにでも新興宗教を立ち上げるのだけど。そして叔父の近くには、山師的な才覚に溢れる人間がひとりいて、その娘の足は教祖様のお力によって穢れが取り払われたのだけど、果たして気づいているだろうか。ビッグビジネスのチャンスやで!