2022年5月21日土曜日

みょうが・緩和・ヘアスタイル

 今年もみょうがの季節がやってきて、まだ高いが、先日は安売りをしていたので購入し、冷ややっこにたっぷり乗せて食べた。あの清涼感。とてつもなくベタな言い回しだが、夏が来たな、という気がした。実家で「去年の夏はみょうがに嵌まった」という話をしたら、酒を飲み出す前の、野菜をほとんど食べなかった頃の僕と暮していた母と姉は、「お前が、みょうがを……」と衝撃を受けていた。実家では庭でみょうがを栽培しているといい、それはいいなあ、俺も作りたいなあと言ったら、「鉢ではできない」と無碍だった。それで悔しがっていたら、あるときスーパーで、「みょうがの茎」として、たぶん規格外的なみょうがが、中くらいのナイロン袋にぎっちぎちに詰まったものが売られているのを発見し、こんなんめっちゃええやん、と購入した。170円だった。普通に食べて、悪くなる前に食べきれる量ではないので、漬けて保存食として用いるものらしい。というわけでネットでレシピを検索し、甘酢漬けとしょうゆ漬けの2種類を瓶で作った。煮沸消毒した瓶に、調味料漬けにした保存食を作るなんて、クウネルみたいだな、素敵生活だな、と思った。しょうゆ漬けはそのまんまのしょうゆに漬けた味で、汎用性はあるがあまり感動はなかった。甘酢漬けがよかった。もちろん冷ややっこに乗せてもいいし、そうめんにもいいだろう。先日はたこ焼きの際に、これを刻んでゆで卵と一緒にマヨネーズで和え、タルタルソースのようにして掛けて食べた。さっぱりとしていてとてもおいしかった。たぶんチキン南蛮のときとかにもすごくいいだろう。愉しみ。

 気温の高まりとコロナ禍の窄まりが合わさって、マスク着用に関しての緩和策が唱えられはじめた。それはもっともだ、とは思うが、僕は感染予防の観点からではなく社会活動的にいろいろ楽だからという理由で今後もマスクを着け続けようと思っている派なので、そこまでこの話題に関心はない。マスクで顔が隠されることで表情から感情を読み取ることのできない子どもが増える、なんてことが危惧として挙げられていたが、弱いと思う。顔の下半分を隠されたら表情が読み取れない人間は、たぶん基本的に人の感情が読み取れない人間なのだと思う。むしろ通り一遍の作られた表情に惑わされずに内面を察する能力のほうが、よほど大事だろう。どうでもいいけど。ちょっとあまりに弱いな、と思ったので口を挟んだ。
 それよりも今回のマスクの緩和策のことで気になったのは、職場の昼の休憩所でそのニュースが流れたとき、おじさんやおばさんが「あり得ない!」「なにを言ってんだ!」と興奮していた点だ。島根はこのひと月ほど、コロナの新規感染者がわりと多く、過去最高なんかも出していたため、年配の人たちはけっこうセンシティブになっているようだが、しかしそれはこれまでが80人くらいだったのが、近ごろは130人くらいになっているという次元の話で、大都市のそれとはぜんぜんスケールが違う。普通に考えれば、一喜一憂するほどの数字ではないのだ。それなのにあの人々は、いっとき160人くらいを叩き出したとき、「島根もう終わった」くらいに嘆いていた。それくらい必死なのだ。だから今回の緩和策に関してもまるで受け入れる様子はないわけだが、なんだかその感じって、国がもう「戦争は終わった」と言っているのに、ヒートアップしすぎてそれを受け入れられず、はじめは国のために戦っていたのに、その国が「もうやめ」と言ってもそれを否定し、暴走する人民のようで、新型コロナ騒動は、国という括りを平時に較べて強く感じさせる出来事だったため、ナショナリズム的な場面がたびたび見受けられたが、これもまた大いにそれを感じた。人も国も世界も哀しい。たしかなものって本当にない。

 とうとう髪を切った。本当はまだ切るつもりではなく、少し前にこのブログで書いたように、色を抜くことだけをしようと思っていた。その作業はファルマンに頼むわけだが、その際に「ついでに髪切る?」「そろそろ切っとこうかね」としつこく言ってくるのを、まだ切らないから! と強く否定していたのだった。しかしブリーチ剤を塗布し、放置し、風呂で流したあと鏡を見たら、これは……ちょっとどうなんだろう、という相貌の男がそこには映っていて、ファルマンもその姿を見るなり、先ほどまでよりも激しい口調で、「切らねば!」という警告を出してきた。髪の色はこれまでの、下部はもうけっこう黒い明るめの茶髪から、白髪とまではいわないものの、とうもろこしの髭のような、枯れた藁のような、かなりの金髪になっていて、それでいて肩につくまでの長髪&大ボリュームなので、金の面積が大きく、なんかもう、明らかに堅気じゃなかった。これまでが堅気だったかといえば別にそうでもないのだが、ちょっと突き抜けた異様さがあった。プロレスラーの高山善廣のことを思い出した。それでもまだ、外に出るときは結ぶから別に大丈夫じゃないかな……、と思いたい部分もあったのだが、「ぜんぜん大丈夫じゃない」というファルマンの断言を、今までのように突っぱねるための確信は、自分の中から失われていたため、じゃあ頼みます……、ととうとう観念してカットを依頼した。ファルマンはここ数ヶ月の念願が叶い、「よしきた!」と鋏を手に取り、ざっくざっくと髪を落としていった。床に敷いた新聞紙には、すさまじい量の金色の髪が積み上がった。髪を切ってから色を作るのではなく、髪の色を作ってからそれに合わせて髪を切るなんて、めちゃくちゃこだわり派のおしゃれさんみたいだな、と思った。かくして、そう短髪というわけでもないが、まあまあコンパクトな、ド金髪でもそう異様ではない、そんな髪型になったのだった。もっといい喩え、例えばバンドのあれだとか、韓国アイドルのあれだとか、そういうことが言えればいいのだが、そっち方面の情報は乏しいため、これになってしまうのだが、お見送り芸人しんいちみたいな感じだ。だいたいあれみたいな感じで、それのだいぶいい具合にしたほうのやつだ、と主張したい。髪を結べなくなったのは寂しいが、頭が軽く、乾きもいい。まあ夏はしょうがないか。秋からはまた伸ばす。そして、伸ばして、ポニーテールにする際は、髪色は黒がいいんだな、と学習した。長生きして、こうして経験を積んでいく。39歳の僕は、たぶん弓道部の副主将みたいな黒髪ポニーテールをしている。