2019年12月15日日曜日

プール・ナビ・ショーツ

 一家でプールへ行く。12月である。冬のレジャーの選択肢にプールが入るってすごいと思う。1年前では考えられなかった。もちろん空いていた。空いていたが、12月にプールに来ている人たちというのは、スイミングにちゃんと向き合っている人たちというか、「12月だけどプールに来ている人たち」なわけで、なかなかストイックな雰囲気があった。子連れは我々だけだった。とは言えフリースペースは設置されているのだから、物怖じせず使用した。ポルガは前回からさらに、まあまあ泳げるようになった。ピイガは相変わらず、プール中に響くような大声でしゃべりながら遊んでいた。プールって水が振動を吸収するので声が通らず、僕の話し声はファルマンに「えっ?」と3回聞き返されたりするのだが、ピイガの声はなんであんなに響くのだろうか。ちなみにプールはもちろん温水ながら、それでもやっぱりなかなかに寒く(なんといっても更衣室からプールへの通路が寒い)、泳ぎ終えて着替えたあとも、なるべくしっかりと髪を乾かしたのだが、どうしたって寒かった。やはり微妙に無理があるかな、冬プール。ストイックに運動して体が温まるならまだしも。早く暖かくなってほしい。屋外プールが恋しい。

 島根時代に買った後付のカーナビが、データの更新のできないやつで、表示と実態が食い違う場面が散見されるようになり、そもそももう7年近く使っているので、機械として寿命が近づいてきていて、「新しいのを買わなければいけないかねえ」と話していた。もうかれこれ2年くらい、話していた。そんな折、グーグルのナビ機能が便利らしいという話をファルマンが聞きつけ、初めて行く場所に行くとき、使ってみた。そうしたら本当に便利だった。自車の位置とか、こっちのルートなら何分早いとか、渋滞情報とか、こまごまと世話してくれる。こんなのもうカーナビ買う必要まったくないじゃん、となった(業界が心配になる)。
 しかし渋滞情報まで出るってどういう仕組みだろうと考え、そんな誰もがグーグルのナビを起動させて走っているわけでもあるまい、と思ったのだが、別にナビを起動させなくても、端末の位置情報がオンになっていれば、それの乗った車がスムーズに移動できているか、あるいは滞っているかは、秒単位で情報が集約されるわけだ、と気づいた。すごい世の中だ。とんでもない世の中だ。
 そのことに生理的な恐怖を感じつつも、微妙な心境の変化も起った。これまで僕は、タブレットの位置情報は基本的にオフにして使っていたのだけど、自分が必要なときだけグーグルのナビを利用する一方で、そうでないときには情報の提供を拒絶することは、自分勝手な行為なのではないかと思うようになった。美徳というのだろうか。自治会の持ち回りの掃除当番のような、本気で拒めば免除されなくもないが代わりに大事なものを失う、というような、そんな心の作用がここには存在していると思った。つまり発展した情報化社会は、すなわちグローバルな自治会化ということなのかもしれない。だとしたらずいぶん息の詰まる社会だな。まあ実際そうだけど。

 女の子のショーツの、脇の部分が細いのが好みだ。
 考えてみたら不思議な話だ。女性器とか、尻とか、女の子の股間にはいろいろと見たい部分があって、その中で脇の部分はどんなに細くても、それで見えて嬉しいものというのは特にないのだ。なのに脇の部分は絶対的に細いほうがいい。前にエロ小説の作家がインタビューで、セックスは結局のところ、男性器が女性器に入るだけのことだから、そう変わり映えするものではない、だから差異をつけるためには、どういう男の男性器が、どういう女の女性器に入るか、という部分に凝らなければならない、といっていたが、フロントやバックではなく、脇の部分にこだわりたいというのは、つまりそういうことなのかもしれない。ショーツの神髄は脇。これはショーツ界で20年くらい修行して到達できる境地といわれている(可能性がなくもない)。
 ショーツの脇の細さといえば、思い浮かぶのはビーチバレーのことだ。浅尾美和のおかげで一時期みんな注目したビーチバレー。女子ビーチバレーにはかつて、ユニフォームのビキニのショーツの脇の幅は7センチ以下でなければならない、という規則があったという。「規則」という、ちょっと嫌なイメージのある言葉で、これ以上に幸福な内容を僕はほかに知らない。規則でエロが定められているのだ。エロくないとルール違反なのだ。夢物語だ。あるいは宇佐木学園だ。残念ながら現在はさまざまな事情により撤廃されてしまったらしいが(それはそうだろ、とも思う)、しかしこんな素敵な言い伝えが残っている。「ビーチバレーは、強い選手ほど水着が小さい」。どこか「実るほど頭を垂れる稲穂かな」に通じる、徳を諭すような雰囲気さえ漂う。ビーチバレー協会、あるいは業界の、執念を感じる。とにかく、とにかく女の子に、ほぼ裸同然の姿で、動き回ってほしいのだ。これにより、なかなか成績の出ない選手には、「ちょっと水着が大きいんじゃないか」という指導をすることが可能となる。でも実際、水着が小さければ小さいほど、スポンサーがつきやすくなり、強くなれるのではないかとも思う。もしも僕がスポンサーの立場であれば、細い細いショーツの脇に、小さく小さく企業名を入れたい。小さければ小さいほどいい。宣伝効果はばっちりだと思う。

2019年12月12日木曜日

割烹着・今年の漢字(全体)・今年の漢字(ティーン)

 この時期になると朝晩が寒くなり、パジャマの上になにか羽織る必要があり、この10年ほど1着のユニクロのフリースをずっと着ていたのだけど、なぜか今年それが衣替えでサルベージされず、ファルマンに訊ねたら「そう言えばなかった」と無碍にいわれる。なかったってなんだ、ユニクロのフリースは作物か、芋の類か、と思うが口には出さない。「去年の最後、捨てたんじゃなかったっけ」とファルマンは続けていい、そういわれるとそんな気もしてきた。ここ数年、袖のパイピングのほつれを縫ったりして着ていたのだ。そんな状態だったので、衣替えの際に冬物の箱には他の衣類と一緒に戻してもらえず、捨てたのだったか。もう7、8ヶ月も前のことなので覚えていない。
 ないとなると困る。「来年新しいのを買えばいいよ」と当時は気さくに捨てたのだろうが、案外ユニクロになんかそうそう行かないものだ。それでも寒さにあぐねて、仕方なく近所の激安衣料品店でどてらを買った。どてらというものを着るのは初めてだったので、なんとなくテンションが上がった。たぶんコスプレ的な興奮だと思う。冬と言えばどてらだよ、正しいよ、などとご満悦だった。しかしいざ着てみると、重いし動きにくいし、見た目も「なんかぎょっとする」と不評で、ぜんぜんよくなかった。わずか数日で、押し入れに押し込む結果となってしまった。
 そんな折、ファルマンが割烹着を着る習慣というのを始め、そうですかそうですか、うちの女房は割烹着を着ますか、と和やかに眺めていたのだけど、どてらが失敗に終わって着るものがなくなってしまった僕を見かねて、ファルマンが洗い替えの1着を「これを着れば?」と貸してくれた。そして着てみた。そうしたらこれがすごくよかった。冬仕様の割烹着で、外側は吸水性のある綿素材なのだが、内側にフリースが使われていて、ずいぶんあたたかいのだ。そしてもちろん割烹着なので動きやすい。これだよ、と思った。
 なのでここ数日はなんか割烹着を着て過している。そして割烹着を着たまま、筋トレでダンベルプレスなどしている。我ながら得体の知れない生き物だと思う。

 本日、今年の漢字が発表された。「令」だという。令和だから「令」。まあオリンピックだから「金」になるくらい、忖度もへったくれもなく、良くも悪くも純然たる多数決で決定するものなので、だとしたら「令」ということになるだろう。モザイク部分を、薄目で見てなんとなく見えているようにするような感じで、思考において頭をそんな風にして1年を振り返ればじわっと浮かんでくる漢字、それが今年の1字だ。ちゃんと考えたらダメなのだ。ラジオ番組で、「ラグビーの桜と、桜を見る会で、今年は「桜」じゃないか」と言っていたが、それはちょっと考えすぎのパターン。うまいこと言おうとしたら外れるのだ。だから僕はもう予想することさえしないのだ。
 ちなみに「令」の令和以外の用例として、「避難命令」というのは、まあ災害が多かったから納得してやってもいい。しかし「法令改正」はないと思う。これは憲法改正のことをにおわせたくて(含ませたくて)いっているに違いないが、憲法と法令は似て非なるものであり、「令」という1字でいろいろ包括している風にするのは偽装行為といっていい。漢字一字の重み、意味合いの深さ、みたいなものが企画のテーマとしてあるので、どうしてもそういうことをしがちだが、2010年の「暑」で明らかに「熱」の用法も入れてしまった例など、すればするほど、逆に1字の限界を露呈してしまっている気がする。だからもう観念して、「今年の五七五」くらい、創作させるべきだと思う。そのくらい容量がなければ1年を表すのは無理がある。要するに、川柳だ。

 これも今年の漢字に関連するのだが、数日前にラジオで、小中学生に今年の漢字を訊ねた結果が発表された、という話をしていて、その内容に衝撃を受けた。
 結果は、3位が「令」と「楽」。「令」は全体のものと一緒だが、それと「楽」が並ぶのがいかにもティーンらしいと思う。今年の漢字を訊ねられて、「楽しかったから「楽」!」とてらいもなく答えるティーン。ま、眩しい……。
 2位は「新」。ちなみに全体のほうの2位も「新」だった。全体のほうは、元号が新しくなった、というほぼそれだけの意味だろうが、ティーンの「新」はそれに加え、なにしろあいつらは毎年、新入生だったり新2年、新3年だったり、新部長、新会長だったりするので、生活に「新」が横溢しているのだ。ま、眩しい……。
 しかしなんといっても1位だ。3位に「令」が出てしまっているので、1位は別のものなのだ。なんだったと思いますか。ショックを受けますよ。いいですか。いいますよ。1位は……「恋」だそうだ。もう「カハッ……!」と血を吐くくらいの衝撃。新元号とか、災害とか、ラグビーとか、そんなのぜんぜん関係ないのだ。僕たち、私たちにとって、この1年を漢字1字で表すとしたら、そんなの「恋」っきゃないのだ。だってずっと好きな人のことを考えて生きてたもん! 好きな人のことでいつも頭ん中いっぱいだったもん! もん! もん! 悶々!
 なんだかティーンの凄まじさというものを、まざまざと見せつけられた気がする。ティーンとは、こんなにも凄まじい存在だったか。なるほどこれだからセカイ系の物語というのはティーンに支持されるのか、としみじみと納得した。
 しかしいいなあ、「恋」。「あなたにとって今年の漢字は?」と訊ねられ、「恋」と答える。そんな素敵なことってない。僕もそうしよう。今年のニュースを振り返ってうまいこといおうとするとか、いかにも薄汚い大人のやりそうなことだ。そんなのぜんぜんおもしろくない。この問いかけの正解はいつだって「恋」だったのだ。ただし30代の所帯持ちがいう「恋」は、途端になんだか不穏な空気を纏う。く、悔しい……。

2019年12月3日火曜日

流行語・時代・生まれ変わり

 ユーキャンのほうの流行語大賞が発表になる。大賞は大方の予想通り「ONE TEAM」だった。しかし受賞式にラグビー日本代表の選手たちが現れないのは意外だった。わりとサクサクとバラエティー番組に出ているので、けっこう気軽な人たちなのだと思っていた。賞を受け取ったのはラグビー協会の会長だという、初見のおっさんで、なんかこの形になるまでに各所でいろんな話し合いが持たれたのだろうなあ、と思った。僕がノミネート語発表の際の記事で唱えた、去年の大賞でカーリングの選手たちが登壇したので、2年連続でスポーツチームの面々というのはいかがなものか、という面も考慮されただろうか。されるはずないわな。本当に流行語大賞に選ばれた言葉というのは、ギャグに限らず、1年できれいさっぱり忘れ去られるものだ。もう誰も「そだねー」なんて覚えていないし、さらに言えばカーリングという競技そのものもすっかり忘れただろう。そして1年後には、もうラグビーなんてスポーツは誰の頭の片隅にもなくなっているはずだ。
 それにしても大賞のラグビーがそんなだったし、渋野日向子も現れず、「令和」で菅官房長官が来ることもなく、今年は芸人のギャグはノミネートがそもそもなく、「闇営業」で受賞をしたのは宮迫でも入江でもなくFRIDAYの編集長で、選考委員特別賞というけったいな扱いとなったイチローも来るはずがなく、登壇した面々の中でかろうじていちばん喋れそうなのが練馬のスーパーの社長というのは、なかなかどうしようもない受賞式だと思った。来年は芸人のギャグが流行るといいよね。できればコウテイの「ズィーヤ!」がいいな。

 車に自動ブレーキ機能を付けるのが義務化されるらしい。新しく買う車はもちろんのこと、既存の車にも後付けすることになるらしい。詳しくは知らないけど。
 そのニュースを知って思ったのは、「それまでの時代」と「これからの時代」のことだ。これからの時代、日本で販売されるすべての車に自動ブレーキ機能が付くのだとしたら、わりとすぐに、車はいざというときには自動でブレーキが掛かるもの、という認識になることだろう。そしてそれが普通になった世界で、人々はそれまでの時代の無茶苦茶さに驚愕する。「なんと、かつて車には自動ブレーキ機能がなかったんです!」「ええーー!?」という会話が繰り広げられる。そのため老人の運転する車が事故を起しまくり、ずいぶんな数の人が命を落としたというエピソードを聞いて、「む、昔のやること……」となる。我々はそんな風に、麻酔せずに外科手術が行なわれていた、みたいな時代と、同列に扱われる時代に、これまで生きていたのだ。前に読んだエッセイで、「飛行機に乗客全員分のパラシュートを搭載していないのが信じられない。きっと未来人はそれを知って大いに笑うはずだ」という文があった。これはそれだ。

 ピイガがポルガに、
「脳ってなに?」
 と訊ね(その質問もどういうことだ、という話だが)、それに対してポルガは、
「全てであり、無である」
 と答えたらしい。
 台所に立つファルマンが、そのやりとりを目撃したのだった。
 うちの子はいったいなんの生まれ変わりなのだろうか。

2019年11月29日金曜日

歌集・どうということもない・愛

 Twitterの影響で短歌熱が高まっていて、図書館で短歌関連の本を借りて読んだりしている。短歌関連の本というのは、著者の短歌についての語りの中で、前後1行空きで短歌が次々に引用される、そういうよくあるタイプの本のことだ。その中の歌で、なるほどこれはいいな、と感じるものがあり、作者の名前で検索したら図書館にその人の歌集があったので、それも借りて読んだ。読んだらほとんどおもしろくなかった。あの本で紹介されていた歌しかよくなかった。それ以外は本当にどうでもいい歌ばかりだった。ファルマンに訊ねたら、歌集なんて得てしてそういうものらしい。たぶんひとりの作者による、本当の意味での名歌って、何十年もかけても、10首くらいに収まるんだと思う。でもそれだとあまりにも創作活動として成立しないから、作者も、編集者も、評論家も、読者も、全員が「しょうがない。そういうもんだ」と受け入れ、全体の95%はどうでもいい歌で埋まった歌集を作るしかないのだと思う。ということを、ほぼ初めてくらいに読んだ歌集で感じた。

 先月の何日だったかに、ファルマンの下の妹が誕生日を迎え、30歳になった。それ自体は別にどうということもない話なのだが、と言うか、いまから言おうとしている話も実にどうということもない話ではあるのだけど、この西暦の下一桁が9の年の、10月某日から、西暦の下一桁が0の年の、1月9日までの、この3ヶ月弱というのは、僕と姉の姉弟、ファルマン家の3姉妹が、みな同じ年代(今回で言うなら30代)に入っている、稀有な期間なのである。姉が1980年代のほぼ幕開け、80年の1月9日に生まれ、三女が80年代のほぼ終幕、89年の10月に生まれているので、こういう現象が起る。だからいまは10年単位で考えたとき、ちょっと特別な3ヶ月の中に我々はいる。ほら、どうということもない話だったろう。それにしても姉は近々40歳なのか。いい歳だな

 「G線上のあなたと私」で、波瑠と中川大志はやっぱり両想いになりつつあるのだが、これまで中川大志が一方的に好意を寄せていたバイオリンの先生が、くじけそうになっているという知らせを受けて、波瑠は中川大志に、「行って慰めてやれ」ということを言う。「そんなことしたら、ふたりがせっかく両想いになりつつあるのに、中川大志と先生の間に男女の感情が芽生えてしまうではないか」と松下由樹は止めるのだが、それに対して波瑠はこう言う。「これは人間愛だから」。それを観ていて、ああそうだな、と思った。このドラマを観ていて、僕にも20歳前後の女の子の友達ができるかもしれないと思ったし、その子たちと僕は愉しく4Pとかするだろうとも思った。今年のco大(cozy ripple名言・流行語大賞)のノミネート語にもなった、『フレンドシップイズカインドオブリビドー』を生んだこの考えは、そうだ、要するに人間愛とも言い換えられる。友情も、性欲も、俺自身も、すべては愛なのだ。愛が、万物の最小の単位で、その量によって友情という姿になったり、性欲という姿になったりするのだ。じゃあ僕は愛の錬金術師になりたい。愛を司りたい。求めるすべての者の心の焚火に愛をくべてやりたい。

2019年11月24日日曜日

今年も感謝・サンタ・チントレ

 かくして今年もcozy ripple名言・流行語大賞とパピロウヌーボが終わる。この本番までの準備、そしてやり終えたあとの虚脱感は、そのまま祭りのそれだな、と思う。地元の祭りとかに参加しない男として生きて死んでいくらしい今生だけど、僕にとってはこれが1年にいちどの収穫祭、豊年祭なんだろう。そういった祭りの本分というのは、恵みを下さった神様への御礼では実はなくて、地域の人々の結束の強化であるはずで、だとすれば僕のこの祭りはその要件を満たしていないような気がするが、僕の個人的な部分内での結束が、年を重ねるごとに強化されているのは間違いないので、これはこれでありだということにしたい。ちなみに個人的な部分内での結束は、強化されれば強化されるほど、他者である地域の人々との結束の強化を阻害することは、言うまでもない。
 個々の内容について言及すると、大賞のほうは記事のデザインがいい感じにできた。1年間の、普段の記事の中でさらっと出てきた言葉が、このセレモニーの日だけはタキシードやドレスで登場、という感じがわりと出せたんじゃないかと思う。あとプレゼンターが宮迫というのもよかった。ユーキャンの流行語大賞の候補語に、何年ぶりかに芸人のギャグがエントリーされなかったという今年、プレゼンターを誰にすればいいのかずいぶん悩み、一時期はイチローにしようと考え、しかしイチローって別にこれという決め台詞があるわけではないので、どうにもおもしろく書けなくて、困った末にファルマンに相談したら、「宮迫にすれば」と即答され、おかげで救われた。
 パピロウヌーボのほうは、ゲストを誰にするか、去年は難産だったのだけど、今年はもう2ヶ月前くらいからMAXで確定していて、スケジュールもしっかり押さえていたわけだが、いざ蓋を開けてみたら、MAXでどう盛り上げたらいいのかさっぱりイメージが浮かばず、だいぶ困った。まあある意味それこそMAXのMAXらしい部分だとも言えるが、MAXって、なんかすごく「ない」のだ。MAXに本当に魅力がないのか、こちらがMAXへの興味がないのか、それは判断がつかないが、なんかMAXは胃下垂の人がろくに栄養を吸収せずに排泄まで行ってしまうがごとく、こちらに引っ掛かりをもたらさない。そのためぜんぜん会話も弾まず、往生した。そんな今回のピンチを救ったのは、ひとえに優香の妊娠だ。プロ角による優香の旦那のちりとてちんイジリは前々からやっていたので、その朝ドラのタイトルと、今年の大賞語である「わからんちんぽこどもとっちめちんぽこ」が交わったのは、本当に奇蹟的な僥倖だった。長年やっていると、こういう「期せずして伏線になってた」的なことが起ったりして愉しい。ちなみに最後に「第一部・完」とあるが、これはもちろんノミネート語にそれがあったために使用しただけで、来年からパピロウヌーボが、パピロウヌーボ2になったり、キャサリン三世になったり、ということはないので安心してほしい。
 やあとにかく終わった。すっきりした。次は1週間後のパピ労感謝の日だな。

 クリスマスまであと1ヶ月ということで、子どもたちにプレゼントの探りを入れている。ピイガはまだ素直に欲しいものを言ってくれるのだが、ポルガはいよいよサンタの存在を疑いはじめたようで、サンタが本当にいるのなら欲しいものを口に出さなくても勝手に分かって、それをくれるはずだ、などと言って口を割らなくなってしまった。なんて面倒臭いんだ。疑いはじめたきっかけは、どうせ小学校のクラスメイトがそういうことを言ってたんだろう、あの授業参観で見た阿呆な男子とかが、と思ったら、なんと読んでいた『ドラえもん』に、「お前まだサンタ信じてんのかよ」みたいな場面があったのだという。なんてこったよ。なにやってんだよ、F。それはやったらダメだろ。『サザエさん』もそれですごく怒られたじゃんかよ。「クリスマスの夜はビデオをセットしとく」などとも言っていて、あまりにも面倒臭いので、もう親が親としてプレゼントを渡すことにしたい、と思う。そしてそれはサンタが本当はいなかったということじゃない。サンタの存在を信じなくなったお前が、サンタを殺したんだよ。

 特に深い意味はないのだが、たまにアマゾンでペニストレーニングの器具なんかを眺めていると、ペニストレーニング器具というのは大抵が、陰茎を挟んだりくぐらせたりして使うもので、特に深い意味はないのだが、その使用感についてレビュー欄を確認してみると、そこには絶対に、世の中に絶対と言えることなんてそうそうないけど、これは絶対のこととして、「小さすぎる!」と文句を言っている人がいる。「こんな輪っかに通せる成人男性はいない」とまで彼らは言う。買って、使って、痛くて、「俺には小さすぎる」と文句を書き込む、これはそこまでがワンセットの、そういう体験を売る商品なのかもしれない。だから往々にしてそれらは小さく作られているのかもしれない。もしもそうでないのだとしたら、じゃあ彼らにペニストレーニングは必要ない。よかったじゃん。

2019年11月15日金曜日

流行語・田舎サウナ・外面

 cozy rippleじゃないほう、でおなじみの、ユーキャンの主催する流行語大賞の候補語が発表された。毎年のことだが、選考時期が被っている。ここ数日の満月を眺めながら、あいつも今頃がんばってんのかな、なんて思いを馳せつつ、僕も目下ピックアップ作業に励んでいる。
 というわけで30語である。
 今年はラグビー関連語が多くなっていて、たぶん大賞も「ONE TEAM」だし、授賞式にはリーチマイケルをはじめとして、何人か代表選手が登場するんだと思う。まあ、よろしいんじゃないでしょうか。しかしこうなってくると去年の「そだねー」でカーリングチームを呼んだのが、今年とのバランス(「2年連続でスポーツチームかよ」という印象)を考えると失敗だったな、と思えてくる。言ってもしょうがないけど。
 「後悔などあろうはずがありません」は、イチローという偉大な選手の引退ということで、どうしてもなんかひとつ入れたかったんだな、と捉えるのは、下級流行語大賞民の浅はかさで、僕のような上級流行語大賞民となると、これはイチロー関連語を入れたかったんじゃない、流行語大賞には必ずひとつ野球関連語を入れなければならないというルールがあるのでそれに従ったまでだ、ということがすぐに分かる。
 あとコメントすべきはなんだろう。「令和」は、そりゃあ人の口に上ったという意味では絶対的だけど、これを流行語とするなら、毎年の西暦だって流行語じゃないか、という気もする。あとは、「タピる」は大賞の同時受賞があり得る気がする。その場合はぜひ木下優樹菜に登壇してほしい。今年のタピオカの顔だから。

 労働終わりに温浴施設に寄り、サウナに入る。サウナって、「サウナづく」とけっこう心が奪われて、サウナ衝動がしばらく高まってしまう。
 今回立ち寄った施設は、とても地域密着の所で、僕はもちろん言うまでもなく部外者なのだが、僕以外の、風呂場からサウナ室に入ってくる人はみんな、中にいる人と「よう」「こんばんは」などと挨拶をしていた。い、田舎くさい……。そしてテレビがない所だったので、おっさんたちはおしゃべりに花を咲かせていた。話の内容は、イノシシが畑を荒らして困る、というもので、しかしもうすぐ猟の解禁日なので、そうなったら罠にかけて仕留めて、肉は食えるし、尻尾を持っていけば害獣駆除の賞金がもらえる、などと語らっていた。田舎くさいと言うか、もう田舎そのものだ。俺はすごい所に住んでいる……、と改めて思った。

 東京オリンピックのマラソンと競歩が、札幌で行なわれることになった。ちょっと前から言っているが、僕はもう東京オリンピックの話題には飽き飽きしていて、ただでさえ「くっだらねえ」「どうでもいい」と思っているところへ、さらにそんな話が出てきたので、いよいよ呆れ果てた。家にお客さんが来るときや、会社に偉い人が来るときなど、普段だらしない日常を一緒に過している家族や社員が、にわかに掃除をしたり態度を改めたりしてその場をやり過そうとすることってあるだろう。あれはあれで、共同体の意識が高まって、そう悪くないものだけど、なんだかオリンピックって、国単位でそういうことをするってことなんだな、と思いはじめた。それが世界の人々なんだかIOCの役員なんだか知らないが、やってくるそれのために、我々は普段だらしなく過しているくせに、そんなことありませんよ、立派にやってますよ、という張りぼての取り繕いをしている。国みたいなスケールでもそれをするんだな、国っていうのも案外せせこましいものなんだな、と今回のオリンピック狂騒を目の当たりにして知った。

2019年11月6日水曜日

松下由樹・中川大志・波瑠

 今期のドラマは、「G線上のあなたと私」を観ている。原作があることを知らなかったので、メインキャストのひとりに松下由樹を起用している点に、なんだか制作陣の気概のようなものを感じ、観てみようと思ったのだった。そうしたらちゃんとおもしろい当たりのドラマだったので、ファルマンと毎週愉しく観ている。話は、19歳の中川大志と、27歳の波瑠と、46歳の松下由樹が、バイオリン教室で一緒の授業を受けることになり、そこから友情が生まれ、それぞれの抱える問題や悩みを経て……、というもの(まだ5話なので経ている最中だ)。
 斯様にメイン3人のふり幅が大きいので、その分だけ多くの世代に訴求する要素があるだろうと思う。とは言え36歳男性の僕は微妙に半端で、この3人の誰に感情移入すればいいのか、という疑問はある。ちなみに大学生の中川大志と無職の波瑠はもちろん独身で、くっつきそうな気配がある。松下由樹は既婚で小学生の娘がいて、姑の介護問題を抱えている。その人間模様を冷静に眺めて、そして、えっ!? となる。えっ、俺、もしかして松下由樹? 松下由樹側の人間? ちょ待てよ!

 大学生の中川大志。同性ということもあり、なんならそこの気持ちに俺はなれるよ、と前週までは思って観ていたのだけど、こないだの土曜日、岡山大学の学園祭に行ったろう。そこでリアルの大学生を目の当たりにしたことによって、ああ、俺はやっぱり理人(中川大志の役名)じゃないんだ、ビジュアル的には中川大志に引けを取らないが、どうしたって大学生とはかけ離れた存在だ、ということを痛感してしまった。
 当日にファルマンとも話していたが、今から7年前、練馬から島根に移住する前の思い出巡りで、日芸の所沢校舎に行った際には、ここまでの隔絶は感じなかった。思えば当時まだポルガは赤ちゃんで、29歳と30歳の我々は、大学生に毛の生えたようなものだった。それが7年ぶりに大学生と向き合ってみたら、印象がまるで変ってしまった。大学生が変ったのではない(ファッションはだいぶ変った感じがあるが)。我々が変ったのだ。どうやら子どもが小学生に上がるあたりに、親にとって大きな通過点があるようだ。通過点というか、強制的なセーブポイントのような、そこを通ったら何かが世間的に認められる代わりに、もうその前の世界には戻れないよ、という、そういうものが。

 流行語大賞のための読み返しをしていたら、このブログの5月の記事に、「10年くらい前に高校生や大学生だった世代は実はそんなに驚異のデジタルネイティブ世代ではない」「さらにその下、いま20歳前後の世代、あいつらは本物」という内容があって、それをきっかけに上のふたつも含めて今回の記事を作成した次第である。だいたい8個下(波瑠)と、そのさらに8個下(中川大志)くらいの世代について、35歳の男が言っているわけで、だいぶ主観が入っているが、今回の学園祭でのリアル大学生目の当たりを経て、たしかになあと改めて思った。つまり世代というものは、15年くらいですっかり別物になるのかもしれない。じゃあ僕はなんとか波瑠の目線であのドラマを観てみようではないかと思う。来週は婚活パーティーでえなりかずきと出逢うようだが。