2019年12月12日木曜日

割烹着・今年の漢字(全体)・今年の漢字(ティーン)

 この時期になると朝晩が寒くなり、パジャマの上になにか羽織る必要があり、この10年ほど1着のユニクロのフリースをずっと着ていたのだけど、なぜか今年それが衣替えでサルベージされず、ファルマンに訊ねたら「そう言えばなかった」と無碍にいわれる。なかったってなんだ、ユニクロのフリースは作物か、芋の類か、と思うが口には出さない。「去年の最後、捨てたんじゃなかったっけ」とファルマンは続けていい、そういわれるとそんな気もしてきた。ここ数年、袖のパイピングのほつれを縫ったりして着ていたのだ。そんな状態だったので、衣替えの際に冬物の箱には他の衣類と一緒に戻してもらえず、捨てたのだったか。もう7、8ヶ月も前のことなので覚えていない。
 ないとなると困る。「来年新しいのを買えばいいよ」と当時は気さくに捨てたのだろうが、案外ユニクロになんかそうそう行かないものだ。それでも寒さにあぐねて、仕方なく近所の激安衣料品店でどてらを買った。どてらというものを着るのは初めてだったので、なんとなくテンションが上がった。たぶんコスプレ的な興奮だと思う。冬と言えばどてらだよ、正しいよ、などとご満悦だった。しかしいざ着てみると、重いし動きにくいし、見た目も「なんかぎょっとする」と不評で、ぜんぜんよくなかった。わずか数日で、押し入れに押し込む結果となってしまった。
 そんな折、ファルマンが割烹着を着る習慣というのを始め、そうですかそうですか、うちの女房は割烹着を着ますか、と和やかに眺めていたのだけど、どてらが失敗に終わって着るものがなくなってしまった僕を見かねて、ファルマンが洗い替えの1着を「これを着れば?」と貸してくれた。そして着てみた。そうしたらこれがすごくよかった。冬仕様の割烹着で、外側は吸水性のある綿素材なのだが、内側にフリースが使われていて、ずいぶんあたたかいのだ。そしてもちろん割烹着なので動きやすい。これだよ、と思った。
 なのでここ数日はなんか割烹着を着て過している。そして割烹着を着たまま、筋トレでダンベルプレスなどしている。我ながら得体の知れない生き物だと思う。

 本日、今年の漢字が発表された。「令」だという。令和だから「令」。まあオリンピックだから「金」になるくらい、忖度もへったくれもなく、良くも悪くも純然たる多数決で決定するものなので、だとしたら「令」ということになるだろう。モザイク部分を、薄目で見てなんとなく見えているようにするような感じで、思考において頭をそんな風にして1年を振り返ればじわっと浮かんでくる漢字、それが今年の1字だ。ちゃんと考えたらダメなのだ。ラジオ番組で、「ラグビーの桜と、桜を見る会で、今年は「桜」じゃないか」と言っていたが、それはちょっと考えすぎのパターン。うまいこと言おうとしたら外れるのだ。だから僕はもう予想することさえしないのだ。
 ちなみに「令」の令和以外の用例として、「避難命令」というのは、まあ災害が多かったから納得してやってもいい。しかし「法令改正」はないと思う。これは憲法改正のことをにおわせたくて(含ませたくて)いっているに違いないが、憲法と法令は似て非なるものであり、「令」という1字でいろいろ包括している風にするのは偽装行為といっていい。漢字一字の重み、意味合いの深さ、みたいなものが企画のテーマとしてあるので、どうしてもそういうことをしがちだが、2010年の「暑」で明らかに「熱」の用法も入れてしまった例など、すればするほど、逆に1字の限界を露呈してしまっている気がする。だからもう観念して、「今年の五七五」くらい、創作させるべきだと思う。そのくらい容量がなければ1年を表すのは無理がある。要するに、川柳だ。

 これも今年の漢字に関連するのだが、数日前にラジオで、小中学生に今年の漢字を訊ねた結果が発表された、という話をしていて、その内容に衝撃を受けた。
 結果は、3位が「令」と「楽」。「令」は全体のものと一緒だが、それと「楽」が並ぶのがいかにもティーンらしいと思う。今年の漢字を訊ねられて、「楽しかったから「楽」!」とてらいもなく答えるティーン。ま、眩しい……。
 2位は「新」。ちなみに全体のほうの2位も「新」だった。全体のほうは、元号が新しくなった、というほぼそれだけの意味だろうが、ティーンの「新」はそれに加え、なにしろあいつらは毎年、新入生だったり新2年、新3年だったり、新部長、新会長だったりするので、生活に「新」が横溢しているのだ。ま、眩しい……。
 しかしなんといっても1位だ。3位に「令」が出てしまっているので、1位は別のものなのだ。なんだったと思いますか。ショックを受けますよ。いいですか。いいますよ。1位は……「恋」だそうだ。もう「カハッ……!」と血を吐くくらいの衝撃。新元号とか、災害とか、ラグビーとか、そんなのぜんぜん関係ないのだ。僕たち、私たちにとって、この1年を漢字1字で表すとしたら、そんなの「恋」っきゃないのだ。だってずっと好きな人のことを考えて生きてたもん! 好きな人のことでいつも頭ん中いっぱいだったもん! もん! もん! 悶々!
 なんだかティーンの凄まじさというものを、まざまざと見せつけられた気がする。ティーンとは、こんなにも凄まじい存在だったか。なるほどこれだからセカイ系の物語というのはティーンに支持されるのか、としみじみと納得した。
 しかしいいなあ、「恋」。「あなたにとって今年の漢字は?」と訊ねられ、「恋」と答える。そんな素敵なことってない。僕もそうしよう。今年のニュースを振り返ってうまいこといおうとするとか、いかにも薄汚い大人のやりそうなことだ。そんなのぜんぜんおもしろくない。この問いかけの正解はいつだって「恋」だったのだ。ただし30代の所帯持ちがいう「恋」は、途端になんだか不穏な空気を纏う。く、悔しい……。