ポルガがインフルエンザに罹る。春の到来を感じる今日この頃、今年は我が家はインフルエンザ禍を免れたなと安心していたら、しっかり2年連続で罹ったのだった。話を聞くと小学校の両隣の子がインフルエンザで学校を休んでいるという。両隣をインフルエンザで挟まれたなら、もはやオセロのルールに従うよりほかない。
発症が土曜の深夜、日曜の明け方だったので、朝になって、市の持ち回りの休日診療をしている医院を調べ、連れてゆく。ちょうど割と家の近くの医院で助かった。タミフルでもリレンザでもなく、ゾルフーザというものを処方される。インフルエンザの特効薬って、家庭用ゲーム機くらいのペースで刷新されているような気がする。それにしてもゾルフーザってドラクエのラスボスっぽい。
そしてさすがは新薬、1日経って、熱はすっかり下がり、元気になって逆に困っている。今のところ僕を含めて感染の兆候はない。このまま鎮火してほしい。
3月の終わりごろの健康診断が予告され、対策を練っている。そのときだけ節制して数字を良くしたって意味なんかないという理屈で、これまでは別になにもしてこなかったのだけど、今年からは違う。なんかそのときばかりの数字でも、なるべく良くしたい気になった。そこに35歳という年齢のリアルさがあるのだと思う。
数字を良くするとはどういうことかと言えば、それはもちろんγ‐GTPのことである。体重なんかは大した問題ではないのだ。とにかく僕の健康診断は、いつもγ‐GTPばかりが足を引っ張るのだ。それを健常な数値にしたい。
というわけで3月は禁酒したろうかな、などと思う。休肝日ならぬ休肝月じゃい、などと豪胆なことを思う。なぜそんなことを思えるかと言えば、今がまだ3月ではないからだ。酒を飲むことを許されている2月だからだ。3月の俺かわいそ(笑)。
3月はプールの月間フリーパスを買う心積もりもあり、ちょっと3月の僕は人間が変わるかもしれない。ブログにも、プロテインの話しか書かなくなるかもしれない。その場合は許してプロテイン。3月はこんなプロテインジョークが次々繰り出される予定。
夫婦の部屋の模様替えをした。
前回の家全体の模様替えによって、僕とファルマンのパソコンデスクが初めて横並びになった、ということを書いたが、これがやってみたらあまりよくなかったのだった。した直後から僕は「パーテーションを立てたい」などと言っていて、実際にちょっとしたボードを立てたりしていたのだが、それでもやっぱりどうもダメだった。居心地がよくなかったの僕だけじゃなく、ファルマンもまた「なんか落ち着かない」と言っていた。あとファルマンの椅子というのが、大社長が座るような図体のでかい物であり、これまでの配置は、ドア、ファルマンのデスク、僕のデスクという並びだったので、僕が僕のデスクに行くにあたり、ファルマンのその椅子がいちいち邪魔なのだった。そんなわけで不満が募り、再調整と相成った。
新しい配置では、互いのデスクの背面を突き合わせる形、つまりわざわざ回り込まなければ相手のディスプレイは見られない形になり、ふたりで「ああこれがいい」と安息した。僕はファルマンと違っていかがわしいサイトとかを見るわけではないのだけど、それでもやっぱり、お花畑とか小動物とかの画像って、ひとりの世界で眺めたいものであり、今回の模様替えによって、これで安心していつでも自由に勃起したりできるな、とほっとしている。
2019年2月25日月曜日
2019年2月21日木曜日
二の腕・猪・新元号
プールは週に1回ないし2回行くくらいの感じで、今後も緩やかに続いていきそうな気配がしている。いい習慣だと思う。泳ぐ距離は、毎回ちょっとずつ増やすよう心掛けていて、前回は550メートル泳いだ。毎回50メートルずつ伸ばすとしたら、50回を経たとき、僕は3000メートルくらい泳いでいる計算になる。そう考えると気持ち悪い。スポーツはマゾヒズムだと言われるが、だんだん大きな刺激でないと満足できなくなってくる感じは、まさにその通りだと思う。ほどほどのところでストップしよう。
初めてひとりで行って、ちゃんと泳いだ翌日は、さぞや筋肉痛になるかと思ったら、そうでもなかった。ただし二の腕に少し来た。泳法はクロールなのだが、負荷は二の腕に来るのか、とちょっと意外な気がした。しかし二の腕はなあ、できればなあ、あまり筋肉をつけたくないのだよな。ただでさえバトンで否が応でも鍛えられてしまうのに、さらに水泳でもとなると、そんなのもう、筋肉おばけじゃんかよ! 参っぜ!
帰宅途中、猪を目撃した。
去年の暮れあたりから微妙に猪の話題が多い気がする。嫌だな。アーバンなブログのはずなのだが、猪がやけに生活にまとわりついてくる。おかしいな。
家に帰るべく車を走らせていたら、交差点の脇の茂みから猪の親子3頭が現れたのだった。そして僕の車の3台前を、交差点の横断歩道などもちろんまるで気にすることなく、左から右へ悠々と横切っていった。悠々と歩く猪に対して人間の運転する車ができることなどなにもなくて、交差点はしばし「猪ストップ」状態になった。猪が車道を渡り切ったところでストップは解除され、再び走り出した。道を渡った猪たちは、そのまま反対側の茂みの中に消えるのかと思いきや、普通に歩道を歩きはじめたのでびっくりした。それで車道を走る僕と、歩道を歩く猪親子は、反対車線を挟みながらも、15メートルほど並んで進む形となり、まあまあ近い距離から、まじまじとその姿を見つめることとなった。だって猪である。動物である。ペットじゃない野生動物だ。猪の体重はだいたい人間と同じくらいだという。その体躯を抱えながら、親子で、野生で生きているのだ。なんか感動する。子どもたちは、ウリ坊というほど小さくはなくて、人間で言ったら小学校高学年から中学生くらいだろうと思う。そろそろ親の手伝いもできる年頃だ。親子で仲良く、いつまでも達者で暮してほしい。歩道を普通に歩いている姿を見て、怒って突進とかしてこないのであれば動物ともぜんぜん共存できそうだな、などと思った。錯覚だけど。
新元号を当てにいこう企画。2回目。
回輪。
かいりん。イニシャルのKが来るのではないかという読みがあり、それでカ行の漢字を多く見ているのだが、その中で「回」っていいなあと思った。平易だし、意味も深いし。たぶん実際には選ばれないのだけど。輪のほうには特に意味はない。だから本当は「回回」(かいかい)でもいいと思う。あるいは深い「回」の概念の教えという意味で、「回教」(かいきょう)もありだ。ありだけどそれはイスラム教という意味だ。
初めてひとりで行って、ちゃんと泳いだ翌日は、さぞや筋肉痛になるかと思ったら、そうでもなかった。ただし二の腕に少し来た。泳法はクロールなのだが、負荷は二の腕に来るのか、とちょっと意外な気がした。しかし二の腕はなあ、できればなあ、あまり筋肉をつけたくないのだよな。ただでさえバトンで否が応でも鍛えられてしまうのに、さらに水泳でもとなると、そんなのもう、筋肉おばけじゃんかよ! 参っぜ!
帰宅途中、猪を目撃した。
去年の暮れあたりから微妙に猪の話題が多い気がする。嫌だな。アーバンなブログのはずなのだが、猪がやけに生活にまとわりついてくる。おかしいな。
家に帰るべく車を走らせていたら、交差点の脇の茂みから猪の親子3頭が現れたのだった。そして僕の車の3台前を、交差点の横断歩道などもちろんまるで気にすることなく、左から右へ悠々と横切っていった。悠々と歩く猪に対して人間の運転する車ができることなどなにもなくて、交差点はしばし「猪ストップ」状態になった。猪が車道を渡り切ったところでストップは解除され、再び走り出した。道を渡った猪たちは、そのまま反対側の茂みの中に消えるのかと思いきや、普通に歩道を歩きはじめたのでびっくりした。それで車道を走る僕と、歩道を歩く猪親子は、反対車線を挟みながらも、15メートルほど並んで進む形となり、まあまあ近い距離から、まじまじとその姿を見つめることとなった。だって猪である。動物である。ペットじゃない野生動物だ。猪の体重はだいたい人間と同じくらいだという。その体躯を抱えながら、親子で、野生で生きているのだ。なんか感動する。子どもたちは、ウリ坊というほど小さくはなくて、人間で言ったら小学校高学年から中学生くらいだろうと思う。そろそろ親の手伝いもできる年頃だ。親子で仲良く、いつまでも達者で暮してほしい。歩道を普通に歩いている姿を見て、怒って突進とかしてこないのであれば動物ともぜんぜん共存できそうだな、などと思った。錯覚だけど。
新元号を当てにいこう企画。2回目。
回輪。
かいりん。イニシャルのKが来るのではないかという読みがあり、それでカ行の漢字を多く見ているのだが、その中で「回」っていいなあと思った。平易だし、意味も深いし。たぶん実際には選ばれないのだけど。輪のほうには特に意味はない。だから本当は「回回」(かいかい)でもいいと思う。あるいは深い「回」の概念の教えという意味で、「回教」(かいきょう)もありだ。ありだけどそれはイスラム教という意味だ。
2019年2月7日木曜日
プール・指示・新元号
労働後プール2回目。前回350メートルだったので、それを超えようと、400メートル泳ぐ。最後は息も絶え絶えだった。その400メートルも、もちろんぶっ通しで泳いでいるわけではなく、休み休みやっているのだが、こじ開けるかのように僕がなんとか400メートルに達するまでの間、ずっと一定のペースで泳ぎ続けているおっさんというのがいて、すごいもんだと思った。でも続けていればきっと僕もあの境地に至れるに違いない。飽きずに精進しようと思う。
脱衣所では、教室を終えた小学生らとタイミングが一緒になり、小学生男子はやっぱりちんこの話をしていた。教室で毎週おんなじメンツで水着の脱ぎ着ををしているだろうに、それでもやっぱりちんこの話をするのだな。それはそうだな、と思った。僕もできることなら一晩中ちんこの話ばかりをしたい。仲間に入れてもらおうかな。
去年大騒ぎした、日大アメフト部の悪質なタックルの件、警察が捜査をした結果、監督とコーチの指示は立証できず、刑事責任は問われないこととなった。そうなんだ、と思った。あんな、ほとんど自白みたいな音声データがあっても、指示は立証できないということになるのか、と驚いた。じゃあもういったいどれほどのあからさまさがあれば刑事責任に問われるのだろうと思う。痴漢とか、被害者女性が訴えたらほぼ100%有罪にされる、という話がある(という話が世間で盛んに取り沙汰された結果、痴漢を訴える女性はヒステリックで自意識過剰な狂言だ、という風潮が逆に蔓延してきた感もあるが)。その逮捕のガバガバさと、今回のアメフト部の捜査の厳密さの違いは、なんだか腑に落ちないものがある。部を支配していた監督およびコーチが、学生に悪質なタックルを強要する空気を作り出していたことは、これはもう確実で、集団を支配する人間が作り出す空気というものは、戦争を例に持ち出すまでもなく、だいぶ絶対的な拘束力を持つ。具体的な指示がなかったとしても、その空気を作り出すことが、もう犯罪に片足を突っ込んでいると言えるんじゃないかと思う。というより、思いたい。空気的な強要は指示ではないので刑事責任はない、ということになると、忸怩たる思いを抱えながらも逃げられない人間(今回のタックルをした学生のような)が、救われなくなる。いや、でも集団の構成員が勝手に暴走するパターンもやっぱりあるので、その線引きが難しいのか。しかしなあ、今回の件はなあ、絶対に指示してるからなあ。ねえ。
エイプリルフールに発表されるという新元号を、これからどんどん予想していこうと思う。平易な二文字の漢字、というルールがあるので、数を撃てば案外的中するのではないかと思う。パピトラダムスとしての能力も高まっていることだし。
というわけで今日の予想。
永広。
えいこう。なんかそれっぽい。このくらいのテンションで挙げていこうと思う。
脱衣所では、教室を終えた小学生らとタイミングが一緒になり、小学生男子はやっぱりちんこの話をしていた。教室で毎週おんなじメンツで水着の脱ぎ着ををしているだろうに、それでもやっぱりちんこの話をするのだな。それはそうだな、と思った。僕もできることなら一晩中ちんこの話ばかりをしたい。仲間に入れてもらおうかな。
去年大騒ぎした、日大アメフト部の悪質なタックルの件、警察が捜査をした結果、監督とコーチの指示は立証できず、刑事責任は問われないこととなった。そうなんだ、と思った。あんな、ほとんど自白みたいな音声データがあっても、指示は立証できないということになるのか、と驚いた。じゃあもういったいどれほどのあからさまさがあれば刑事責任に問われるのだろうと思う。痴漢とか、被害者女性が訴えたらほぼ100%有罪にされる、という話がある(という話が世間で盛んに取り沙汰された結果、痴漢を訴える女性はヒステリックで自意識過剰な狂言だ、という風潮が逆に蔓延してきた感もあるが)。その逮捕のガバガバさと、今回のアメフト部の捜査の厳密さの違いは、なんだか腑に落ちないものがある。部を支配していた監督およびコーチが、学生に悪質なタックルを強要する空気を作り出していたことは、これはもう確実で、集団を支配する人間が作り出す空気というものは、戦争を例に持ち出すまでもなく、だいぶ絶対的な拘束力を持つ。具体的な指示がなかったとしても、その空気を作り出すことが、もう犯罪に片足を突っ込んでいると言えるんじゃないかと思う。というより、思いたい。空気的な強要は指示ではないので刑事責任はない、ということになると、忸怩たる思いを抱えながらも逃げられない人間(今回のタックルをした学生のような)が、救われなくなる。いや、でも集団の構成員が勝手に暴走するパターンもやっぱりあるので、その線引きが難しいのか。しかしなあ、今回の件はなあ、絶対に指示してるからなあ。ねえ。
エイプリルフールに発表されるという新元号を、これからどんどん予想していこうと思う。平易な二文字の漢字、というルールがあるので、数を撃てば案外的中するのではないかと思う。パピトラダムスとしての能力も高まっていることだし。
というわけで今日の予想。
永広。
えいこう。なんかそれっぽい。このくらいのテンションで挙げていこうと思う。
2019年2月5日火曜日
こころ・プール・ブログ
「心」という字は心臓の象形だとされるけれど、その篆文字を見るとあまりにもちんこっぽくてどうも怪しい、ということを以前に書いた。いつ書いたかと確認したら、2014年6月のことだった。それから心はちんこから来ているというパピ川静学説に則り、心を用いた漢字でエロいものランキングを開催するに至ったのだが、そのときに見逃していた大物を、このたび漢検準1級の勉強中に発見した。当時にこの漢字の存在にたどりついていれば、いろいろ話は早かったことだろうに、と忸怩たる思いを抱いた。
それは「蕊」である。雌蕊、雄蕊の「しべ」。
草冠の部に分類されているため、当時は気付けなかった。気付いていれば、「心」が心臓なんかじゃないことはその瞬間にスパーンと結論が出ていた。だっておしべとめしべに心臓は関係ない。それはどこまでも性器のことだろう。感情のない、心臓のない、植物の、剥き出しの性器を示す言葉の漢字に「心」×3。じゃあもう絶対じゃん。絶対に「心」はちんこじゃん。1ちんこじゃ足りなくて、3つ重ねるほどのちんこじゃん。本当にいったい誰なんだよ、「心」が心臓だって言った奴は。逆にそいつの唱える根拠を聞きたい。
労働後の水泳を本当に実行した。労働後に施設に行ってエクササイズを行なうなんて、まるで意識が高い人のようだと思う。そうです。わたすが意識高い人です。
プールでは、なにしろひとりなので、泳ぐ以外にすることがない。ひとりカラオケはひたすら自分が唄っていなければならないというのと同じで、ストイックに泳ぎ続けなければならないのだった。ファルマンに、「晩ごはんの時間までには帰ってこい」と言われていて、そんなのぜんぜん時間がないじゃないかよ! と泳ぐ前には思ったのだけど、25メートルプールをひとしきり泳いで、息がゼエゼエになって、時間を見たら入館して15分くらいしか経っていなかった。まだ晩ごはんは下拵えの時間だった。でもプールはスイーツの食べ放題みたいに、1分いくらとかのシステムではなく、15分でも2時間でも同じ料金なので、さすがに悔しくてもう少し粘った。ベンチでの休憩を挟みつつ、悲鳴をあげる体に鞭打って、そのあとも何度か泳いだ。結果として、合計350メートルほど泳ぐ。ファルマンに伝えたら「すごい」と言われたが、たぶん世間的にはそれほどすごくない。でも初回だ。ここから僕はどんどんたくさん泳げるようになっていくのだと思う。
そんなわけでなかなかよい労働後スイミングだった。習慣にしようと思う。それにしても通勤途中にあるこの施設、あまりにも気づくのが遅かった。これまでの5年間で既にこの習慣ができていれば、たぶんその世界の僕は今こうして悠長にブログなんて書いてないと思う。屈強になりすぎていて、キーボードなんて打てないと思う。逆に言えば、このブログも長くてあと5年の命だ。そのうち屈強になりすぎて、指がキーボードのサイズを超えると思う。そのくらい屈強になることを見越している。
おもしろいブログが読みたい。せっかくタブレットを持って、合間時間でインターネットができるようになったのに、見るものがなんにもない。本当になんにもない。ラインのやりとりがないのは言うまでもないし、近ごろタブレットでしていることと言えば、ヤフーのトップページで気になった記事を読むことと、「USP」を読むことくらいだ。そうなのだ。読むものがなさすぎて、おもしろいブログとして、僕は「USP」を読んで暮しているのだ。「USP」はおもしろい。すばらしいブログだ。しかし残念なことに、「USP」は過去のブログである。やっぱり人の日記を盗み見するのなら、リアルタイムの、同じ日々を生きる人のものがいい。それでここ数日、おもしろいブログを求めてウェブ上をさまよったりしたのだけど、これがぜんぜん見つからない。これまでそういうことをまるでしてこなかったため、たぶん探す能力がめっぽう低いということもあり、本当に見つからない。ゲームとか、株式とか、スピリチュアルとか、そういうんじゃなくて、読み物として普通におもしろい、日記のようなブログがいい。しかもそれが1個あればいいんじゃなくて、自分もできていないので毎日更新しろとは言わないが、それでも定期的に更新があるとして、だとしてもどうしたって読むペースと書くペースでは差があるので、そういう心地よく読めるブログが、20個は欲しい。1個も見つからないのに、20個も欲しいのだ。でもこれは案外すんなり叶う気もする。ひとついいブログが見つかれば、そのブロガーがお気に入りのブログを20個リンクしている可能性があるからだ。そんなことを期待している。でも探すのが本当に下手。探されるのも下手。こうしてブログは広がってゆかない。
それは「蕊」である。雌蕊、雄蕊の「しべ」。
草冠の部に分類されているため、当時は気付けなかった。気付いていれば、「心」が心臓なんかじゃないことはその瞬間にスパーンと結論が出ていた。だっておしべとめしべに心臓は関係ない。それはどこまでも性器のことだろう。感情のない、心臓のない、植物の、剥き出しの性器を示す言葉の漢字に「心」×3。じゃあもう絶対じゃん。絶対に「心」はちんこじゃん。1ちんこじゃ足りなくて、3つ重ねるほどのちんこじゃん。本当にいったい誰なんだよ、「心」が心臓だって言った奴は。逆にそいつの唱える根拠を聞きたい。
労働後の水泳を本当に実行した。労働後に施設に行ってエクササイズを行なうなんて、まるで意識が高い人のようだと思う。そうです。わたすが意識高い人です。
プールでは、なにしろひとりなので、泳ぐ以外にすることがない。ひとりカラオケはひたすら自分が唄っていなければならないというのと同じで、ストイックに泳ぎ続けなければならないのだった。ファルマンに、「晩ごはんの時間までには帰ってこい」と言われていて、そんなのぜんぜん時間がないじゃないかよ! と泳ぐ前には思ったのだけど、25メートルプールをひとしきり泳いで、息がゼエゼエになって、時間を見たら入館して15分くらいしか経っていなかった。まだ晩ごはんは下拵えの時間だった。でもプールはスイーツの食べ放題みたいに、1分いくらとかのシステムではなく、15分でも2時間でも同じ料金なので、さすがに悔しくてもう少し粘った。ベンチでの休憩を挟みつつ、悲鳴をあげる体に鞭打って、そのあとも何度か泳いだ。結果として、合計350メートルほど泳ぐ。ファルマンに伝えたら「すごい」と言われたが、たぶん世間的にはそれほどすごくない。でも初回だ。ここから僕はどんどんたくさん泳げるようになっていくのだと思う。
そんなわけでなかなかよい労働後スイミングだった。習慣にしようと思う。それにしても通勤途中にあるこの施設、あまりにも気づくのが遅かった。これまでの5年間で既にこの習慣ができていれば、たぶんその世界の僕は今こうして悠長にブログなんて書いてないと思う。屈強になりすぎていて、キーボードなんて打てないと思う。逆に言えば、このブログも長くてあと5年の命だ。そのうち屈強になりすぎて、指がキーボードのサイズを超えると思う。そのくらい屈強になることを見越している。
おもしろいブログが読みたい。せっかくタブレットを持って、合間時間でインターネットができるようになったのに、見るものがなんにもない。本当になんにもない。ラインのやりとりがないのは言うまでもないし、近ごろタブレットでしていることと言えば、ヤフーのトップページで気になった記事を読むことと、「USP」を読むことくらいだ。そうなのだ。読むものがなさすぎて、おもしろいブログとして、僕は「USP」を読んで暮しているのだ。「USP」はおもしろい。すばらしいブログだ。しかし残念なことに、「USP」は過去のブログである。やっぱり人の日記を盗み見するのなら、リアルタイムの、同じ日々を生きる人のものがいい。それでここ数日、おもしろいブログを求めてウェブ上をさまよったりしたのだけど、これがぜんぜん見つからない。これまでそういうことをまるでしてこなかったため、たぶん探す能力がめっぽう低いということもあり、本当に見つからない。ゲームとか、株式とか、スピリチュアルとか、そういうんじゃなくて、読み物として普通におもしろい、日記のようなブログがいい。しかもそれが1個あればいいんじゃなくて、自分もできていないので毎日更新しろとは言わないが、それでも定期的に更新があるとして、だとしてもどうしたって読むペースと書くペースでは差があるので、そういう心地よく読めるブログが、20個は欲しい。1個も見つからないのに、20個も欲しいのだ。でもこれは案外すんなり叶う気もする。ひとついいブログが見つかれば、そのブロガーがお気に入りのブログを20個リンクしている可能性があるからだ。そんなことを期待している。でも探すのが本当に下手。探されるのも下手。こうしてブログは広がってゆかない。
2019年1月28日月曜日
干支切手・野生・照ノ富士
今年のお年玉付き年賀はがきの当選番号が発表されて、切手シートが3枚当たる。末等の切手シートは100枚中3枚の確率で、もちろん我が家には4人の総計で100枚も届かない(せいぜい25枚くらいだ)ので、そう考えれば少しだけ強運だと言える。とは言え切手シートではあるのだけど。
ところでその切手シートについて、まだ引き換え前なのだけど、ものすごい情報を仕入れてしまった。それは、「今年の切手シートのデザインは猪じゃなくて猫」だということだ。ネットで画像を見たら本当だった。切手部分には2枚とも思いっきり招き猫が描かれていた。
また出てしまった。発動してしまった。つい出ちゃう。加齢とともに確実に能力が高まってる。あるいは制御する機能が衰え始めている。パピトラダムスの大予言、予言蛇口のコックが緩み気味。チョポチョポ漏れ気味。
まあ昨今の猫ブームと、猪の魅力のなさを考えれば、当然の帰結だとも言える。僕も実際どこまでも理屈で考えてあの漫画を描いた。
ちなみに切手シートの切手部分に干支が描かれないことは珍しいことなのかどうかウェブ上で確かめたところ、前回そういうことがあったのは、昭和50年、1975年の卯年で、そのときは「桂離宮の水仙の釘隠し」がデザインされていた。生まれる前のことなので分からないが、たぶんそのとき日本は空前の桂離宮の水仙の釘隠しブームだったのだろう。
というわけで、干支が切手にならなかったのは44年ぶりということになる。そしてこのタイミングは、明らかに猪が狙い撃ちされたと考えていい。亥年の人間の猪への愛着のなさを見透かされて、実行されたに違いないのだ。これを去年の犬のときにやってみたらどうだ。全国の偽善的な愛犬家たちが、それはもうキャンキャンキャンキャン大騒ぎしただろうことは火を見るより明らかだ。犬好き、猫好きのそういうところ! そういうところが嫌い! 猪に愛着を持たない亥年の人間として、干支の座なんか猫にくれてやろうと思っていたけれど、現実世界の猫好きの人間が喜ぶことを想像したら途端に嫌になってきた。エートゥー離脱問題で情勢を引っ掻き回す、俺はボリス・ジョンソン。
週末、がくんと体調を崩していた。子どもが週の半ばに崩したので、それを見事に引き取った形である。体温もずいぶん高いところまでいって、これはこれは、という感じになった。平日まっとうに働いて週末に体調を崩すなんて、俺は社会人の鑑ではなかろうかと思った。
それで、発症したのが土曜の夜だったので、とりあえず豪快に寝た。翌朝はまだ具合が悪かった。午後から近所の診療所で日曜診察をしているらしいという情報をファルマンが仕入れてくれたので、それまで再びひたすらに眠った。午後になり、ファルマンが「予約だけ先に入れてくる」と言って家を出ていき、少しして「第4日曜はやってへん……」と帰ってきた。もっと遠くの、市内の病院が持ち回りで行なう感じの休日診療ならあるけど、と提案されるが、あまりにも億劫すぎたし、なによりその時点でいくらか体が楽になっていたので、行かないことにした。そしてそれからも寝た。俺はいざとなるとこんなに寝ることができるのだな、と我ながら感心するほどに寝た。
結果として体温は下がり、なんか具合も嘘のように良くなった。本当にただ寝るだけで治した。俺は野生動物か、と思った。あまりにもすっきりと治ったので、月曜日は休もうかとか、午前中に病院に行こうかなどと考えていたのが、雲散霧消してしまい、平常通り出勤した。俺の野生動物でありながら社会人の鑑でもあるという二面性。
いろんなことがあった大相撲初場所は玉鷲が優勝だった。玉鷲の優勝! ということに関して特に感慨はない。その優勝について、「モンゴル勢7人目」というフレーズが使われ、しかしその歴代の6人のことを誰も教えてくれないので、自分で思い出すことにした。まず朝青龍。そして白鵬。日馬富士と鶴竜。あと旭天鵬の優勝はちょっと感動したので覚えている。これで5人。そして玉鷲が7人目。ろ、6人目誰やねん……、となった。でもネットで検索しても誰もモンゴル人優勝力士全7人を紹介してくれていない。仕方ないのでウィキペディアで歴代の優勝力士を見て確かめた。その結果、判明した。ああ、そうかそうか! とアハ体験のようなものが発生した。あー、すっきりした。そして答えは書いてやんねえのだった。
ところでその切手シートについて、まだ引き換え前なのだけど、ものすごい情報を仕入れてしまった。それは、「今年の切手シートのデザインは猪じゃなくて猫」だということだ。ネットで画像を見たら本当だった。切手部分には2枚とも思いっきり招き猫が描かれていた。
また出てしまった。発動してしまった。つい出ちゃう。加齢とともに確実に能力が高まってる。あるいは制御する機能が衰え始めている。パピトラダムスの大予言、予言蛇口のコックが緩み気味。チョポチョポ漏れ気味。
まあ昨今の猫ブームと、猪の魅力のなさを考えれば、当然の帰結だとも言える。僕も実際どこまでも理屈で考えてあの漫画を描いた。
ちなみに切手シートの切手部分に干支が描かれないことは珍しいことなのかどうかウェブ上で確かめたところ、前回そういうことがあったのは、昭和50年、1975年の卯年で、そのときは「桂離宮の水仙の釘隠し」がデザインされていた。生まれる前のことなので分からないが、たぶんそのとき日本は空前の桂離宮の水仙の釘隠しブームだったのだろう。
というわけで、干支が切手にならなかったのは44年ぶりということになる。そしてこのタイミングは、明らかに猪が狙い撃ちされたと考えていい。亥年の人間の猪への愛着のなさを見透かされて、実行されたに違いないのだ。これを去年の犬のときにやってみたらどうだ。全国の偽善的な愛犬家たちが、それはもうキャンキャンキャンキャン大騒ぎしただろうことは火を見るより明らかだ。犬好き、猫好きのそういうところ! そういうところが嫌い! 猪に愛着を持たない亥年の人間として、干支の座なんか猫にくれてやろうと思っていたけれど、現実世界の猫好きの人間が喜ぶことを想像したら途端に嫌になってきた。エートゥー離脱問題で情勢を引っ掻き回す、俺はボリス・ジョンソン。
週末、がくんと体調を崩していた。子どもが週の半ばに崩したので、それを見事に引き取った形である。体温もずいぶん高いところまでいって、これはこれは、という感じになった。平日まっとうに働いて週末に体調を崩すなんて、俺は社会人の鑑ではなかろうかと思った。
それで、発症したのが土曜の夜だったので、とりあえず豪快に寝た。翌朝はまだ具合が悪かった。午後から近所の診療所で日曜診察をしているらしいという情報をファルマンが仕入れてくれたので、それまで再びひたすらに眠った。午後になり、ファルマンが「予約だけ先に入れてくる」と言って家を出ていき、少しして「第4日曜はやってへん……」と帰ってきた。もっと遠くの、市内の病院が持ち回りで行なう感じの休日診療ならあるけど、と提案されるが、あまりにも億劫すぎたし、なによりその時点でいくらか体が楽になっていたので、行かないことにした。そしてそれからも寝た。俺はいざとなるとこんなに寝ることができるのだな、と我ながら感心するほどに寝た。
結果として体温は下がり、なんか具合も嘘のように良くなった。本当にただ寝るだけで治した。俺は野生動物か、と思った。あまりにもすっきりと治ったので、月曜日は休もうかとか、午前中に病院に行こうかなどと考えていたのが、雲散霧消してしまい、平常通り出勤した。俺の野生動物でありながら社会人の鑑でもあるという二面性。
いろんなことがあった大相撲初場所は玉鷲が優勝だった。玉鷲の優勝! ということに関して特に感慨はない。その優勝について、「モンゴル勢7人目」というフレーズが使われ、しかしその歴代の6人のことを誰も教えてくれないので、自分で思い出すことにした。まず朝青龍。そして白鵬。日馬富士と鶴竜。あと旭天鵬の優勝はちょっと感動したので覚えている。これで5人。そして玉鷲が7人目。ろ、6人目誰やねん……、となった。でもネットで検索しても誰もモンゴル人優勝力士全7人を紹介してくれていない。仕方ないのでウィキペディアで歴代の優勝力士を見て確かめた。その結果、判明した。ああ、そうかそうか! とアハ体験のようなものが発生した。あー、すっきりした。そして答えは書いてやんねえのだった。
2019年1月16日水曜日
干支・参列・繁華街
干支4コマが完了する。去年の12話、今年の12話、合計24話の戌亥編であった。
1月に干支4コマが終わっているなんていつぶりだろうと確認したら、2015年の未以来、実に4年ぶりのことだった。それ以降は押し並べて12月や11月までずれ込んでいる。つまり僕はこの3年間、それぞれの1年間のほぼずっと「干支4コマやらなきゃなあ」を頭の片隅に置いて暮していたのだ。なんという無駄な葛藤であることか。今年は違う。僕はその葛藤が頭にない11ヶ月半をこれから過すのだ。素晴らしい!
ちなみに4コマの内容について、ファルマンが理解してくれなかったので、ここに補足を記しておく。犬の口から「干支の交代」を告げられた猪および読者の頭の中には、まず猫が思い浮かぶはずである。しかし蓋を開けてみれば犬の相方として現れたのは猫ではなくアリクイで、猪は驚愕する。だがそれは実は羊の強制睡眠によって見させられた夢であり、猪は干支の交代含めて夢だったのかと喜ぶ。ところが壇上を見てみれば、そこには当初の発想通りの猫がいて、つまり5話までは現実、6話からが夢だったのであり、猪から猫への干支の交代はなんの問題もなく遂行され、それに思い至った猪は打ちひしがれ、うなだれる、というのが話の流れである。なにが解りづらいのかさっぱり判らない。ファルマンは11話4コマ目の、「……猫や」というセリフに、「えっ、これどういう意味?」と言っていた。もしかしたら読解力が皆無なのかもしれない。
ちなみに猪から猫への干支の交代は、漫画内のネタではなく、今後の人生で本気で目論みたいと思っている。猪年の人間として、心底からそれが猫年であればいいと思うのだ。猫がものすごく好きなわけではないけれど、猪よりはだいぶ好きだ。猪デザインのものを持つ気持ちにはならないが、猫デザインなら「干支やねん」と堂々と選ぶことができる。作中で犬にも語らせたが、犬・猫・鼠の並び的にも気が利いているし、「今年は猫年!」ということになれば経済も猪よりは活性化すると思う。だから猪年は猫年になればいい。ダウンタウンのふたりが兎年で、同じ兎年の人に出くわすと、「ウサギ団ぴょーん!」というギャグをするのが、なんだか羨ましいと感じていたが、猪では到底望めないそんな戯れも、猫ならば可能になってくると思う。だから本当に交代すればいい。その機運が高まっていけばいい。
ファルマンの祖母の通夜や葬儀に参列した。
参列と言ったが、あまり列は成さなかった。2日とも、親族控室で自分の所の子どもふたりと、ファルマンの妹の娘(ピイガよりひとつ下)の面倒を見ていて、ほとんど式には参加しなかった。もちろん喪服を着込んでいったわけだが、僕はトレーナーにエプロンの、保父スタイルでもよかったんじゃないかと思う。
ファルマンの母親は3きょうだいの真ん中であり、姉の子ふたり、弟の子ひとりという、ファルマンにとっていとこにあたる人たちがいて、この人たちとは僕は今回が初対面だった。年齢はとても順当で、姉の子ふたり(姉と弟)はどちらも年上だし、弟の子ひとり(男性)は年下なのだが、なんだが全員やけに貫禄があった。35歳のファルマンを中心に、全員30代ではあるのだが、なんか30代って、上(40代)にもう行ってしまおうと思えば行けるし、下(20代)に縋りつきたいと思えば縋れるしで、生きるスタンスによってすごく極端になるものだな、と思った。
通夜に際して、やくもに乗って大荷物(何人分かの喪服)でやってくる三女を岡山駅まで迎えに行くという役目を、自分から買って出た。家で集中してなにかできる状況ではなく手持無沙汰だったし、荷物持ちという大義名分で、滅多にできない「ひとり繁華街ぶらぶら」ができるではないかと色めき立ったのである。そんなわけで、三女が乗ってくるというやくもの到着時刻の、2時間あまりも前に岡山に繰り出した。世間は3連休の最終日だったので、岡山駅はとても賑わっていて、気持ちが盛り上がった。盛り上がったのだが、盛り上がったところで、特にすることがなくて、「あれ?」となる。そう言えば俺は岡山に、繁華街に出てきて、ひとりの気軽さで、そしてなにがしたいんだっけ? と途方に暮れる。結局手芸屋に行って布を買い、ドン・キホーテでチョコレートと調味料を買い、本屋で漫画を買って、あとはベンチでその漫画を読んで過した。「あれ?」と思った。なんか繁華街で時間を過すのがすっかり下手になっているぞ、と思った。でも次の瞬間、そう言えば高校大学の頃だって、僕はブックオフとか本屋とか東急ハンズを延々とぶらぶらしていただけで、それが上手だった時代なんてそもそもなかったではないかと気が付いた。繁華街に来ても結局こうなるだけなのだが、それでも定期的にそのことを忘れ、繁華街を愉しみたい願望が募り、アクションを起してしまう。そしてなんか落ち込む。
2019年1月11日金曜日
ぬるま湯・冷蔵庫・穴埋編
年末年始のぬるま湯で精神が相当に緩んでいたようで、新年1週目はやけにつらかった。へ、平日とは、このようなものであったか……! と衝撃を受けた。これまで数年間続けてきた感覚を9日程度で忘れるものかね、と思うかもしれないが、僕はわりと忘れるのである。感覚だけでなく、仕事内容も実際けっこう忘れていた。でも呆れないでほしい。会社までの道を覚えていて無事に出勤できたことを褒めてほしい。ぬるま湯に浸り続けていたい。生きているだけで称賛してほしい。
新春セールで冷蔵庫を購入した。
これまでの冷蔵庫は、結婚の前後くらいに買ったもので、だからもう10年くらい使っていて、冷えなくなったわけではないのだけど、水が漏れ出るようになっていて、寒い時期はまだ少なめなのだけど、やはり夏場は冷蔵庫的にも無理がたたるのか、床に敷いた新聞紙を毎日のように換えなければならないほどで、いい加減うんざりしていた。この分ではいつ本格的な故障が起ってもおかしくなく、そしてそれは無理がたたる夏場の可能性が高く、そうなったときの悲劇たるや、想像するだにおぞましいものがある(しかもきっと冷凍食品や肉を買い溜めした日とかに限って壊れるのだ)。そのため1年半くらい前からずっと冷蔵庫購入の臨戦態勢を取っていて、条件さえ整えばいつでも買うつもりがあった。そしてそのタイミングが、今般の新春セールでとうとう訪れたのである。amazon。だいぶ安かった。壊れかけとは言え、完全には壊れていない冷蔵庫を買い替えるのである。相当なお買い得感がなければクリックしない。今回はそれがあった。ゆるぎない「買い」だった。かくして冷蔵庫は、数日後に搬入と搬出の予定となっている。
そしてその「注文を確定する」ボタンをクリックすると同時に、うっすらと予想されていた事態ではあるのだけど、もはやそれは「注文を確定する」ボタンではなくて、「古い冷蔵庫の不調を直す」ボタンだったのではないかと思われるほどに、ピタッと水漏れが止まる。水漏れなど、夏場も含めていちども犯したことなどなかったような顔だ。長く家にあり、住人の会話をずっと聞いていた電化製品の、こういうところ。
物語なり、音楽なり、なんかしらのものを作り上げて、しかしいいタイトルが浮かばないとする。そんなときはタイトルを「火の鳥」にすればいいんだと思う。物語の場合、作中に火の鳥はもちろん、あらゆる鳥も登場しないパターンもあるだろう。そんなときだって堂々と「火の鳥」にしてしまえばいい。そしたらなんかほら、その物語を通しての登場人物の精神の昇華みたいな、なんかそんな風な部分のことを、読者が勝手に想像して、「ああ火の鳥な」と感じてくれるに違いない。「火の鳥」にはそんな効果がある。
新春セールで冷蔵庫を購入した。
これまでの冷蔵庫は、結婚の前後くらいに買ったもので、だからもう10年くらい使っていて、冷えなくなったわけではないのだけど、水が漏れ出るようになっていて、寒い時期はまだ少なめなのだけど、やはり夏場は冷蔵庫的にも無理がたたるのか、床に敷いた新聞紙を毎日のように換えなければならないほどで、いい加減うんざりしていた。この分ではいつ本格的な故障が起ってもおかしくなく、そしてそれは無理がたたる夏場の可能性が高く、そうなったときの悲劇たるや、想像するだにおぞましいものがある(しかもきっと冷凍食品や肉を買い溜めした日とかに限って壊れるのだ)。そのため1年半くらい前からずっと冷蔵庫購入の臨戦態勢を取っていて、条件さえ整えばいつでも買うつもりがあった。そしてそのタイミングが、今般の新春セールでとうとう訪れたのである。amazon。だいぶ安かった。壊れかけとは言え、完全には壊れていない冷蔵庫を買い替えるのである。相当なお買い得感がなければクリックしない。今回はそれがあった。ゆるぎない「買い」だった。かくして冷蔵庫は、数日後に搬入と搬出の予定となっている。
そしてその「注文を確定する」ボタンをクリックすると同時に、うっすらと予想されていた事態ではあるのだけど、もはやそれは「注文を確定する」ボタンではなくて、「古い冷蔵庫の不調を直す」ボタンだったのではないかと思われるほどに、ピタッと水漏れが止まる。水漏れなど、夏場も含めていちども犯したことなどなかったような顔だ。長く家にあり、住人の会話をずっと聞いていた電化製品の、こういうところ。
物語なり、音楽なり、なんかしらのものを作り上げて、しかしいいタイトルが浮かばないとする。そんなときはタイトルを「火の鳥」にすればいいんだと思う。物語の場合、作中に火の鳥はもちろん、あらゆる鳥も登場しないパターンもあるだろう。そんなときだって堂々と「火の鳥」にしてしまえばいい。そしたらなんかほら、その物語を通しての登場人物の精神の昇華みたいな、なんかそんな風な部分のことを、読者が勝手に想像して、「ああ火の鳥な」と感じてくれるに違いない。「火の鳥」にはそんな効果がある。
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