2019年2月21日木曜日

二の腕・猪・新元号

 プールは週に1回ないし2回行くくらいの感じで、今後も緩やかに続いていきそうな気配がしている。いい習慣だと思う。泳ぐ距離は、毎回ちょっとずつ増やすよう心掛けていて、前回は550メートル泳いだ。毎回50メートルずつ伸ばすとしたら、50回を経たとき、僕は3000メートルくらい泳いでいる計算になる。そう考えると気持ち悪い。スポーツはマゾヒズムだと言われるが、だんだん大きな刺激でないと満足できなくなってくる感じは、まさにその通りだと思う。ほどほどのところでストップしよう。
 初めてひとりで行って、ちゃんと泳いだ翌日は、さぞや筋肉痛になるかと思ったら、そうでもなかった。ただし二の腕に少し来た。泳法はクロールなのだが、負荷は二の腕に来るのか、とちょっと意外な気がした。しかし二の腕はなあ、できればなあ、あまり筋肉をつけたくないのだよな。ただでさえバトンで否が応でも鍛えられてしまうのに、さらに水泳でもとなると、そんなのもう、筋肉おばけじゃんかよ! 参っぜ!

 帰宅途中、猪を目撃した。
 去年の暮れあたりから微妙に猪の話題が多い気がする。嫌だな。アーバンなブログのはずなのだが、猪がやけに生活にまとわりついてくる。おかしいな。
 家に帰るべく車を走らせていたら、交差点の脇の茂みから猪の親子3頭が現れたのだった。そして僕の車の3台前を、交差点の横断歩道などもちろんまるで気にすることなく、左から右へ悠々と横切っていった。悠々と歩く猪に対して人間の運転する車ができることなどなにもなくて、交差点はしばし「猪ストップ」状態になった。猪が車道を渡り切ったところでストップは解除され、再び走り出した。道を渡った猪たちは、そのまま反対側の茂みの中に消えるのかと思いきや、普通に歩道を歩きはじめたのでびっくりした。それで車道を走る僕と、歩道を歩く猪親子は、反対車線を挟みながらも、15メートルほど並んで進む形となり、まあまあ近い距離から、まじまじとその姿を見つめることとなった。だって猪である。動物である。ペットじゃない野生動物だ。猪の体重はだいたい人間と同じくらいだという。その体躯を抱えながら、親子で、野生で生きているのだ。なんか感動する。子どもたちは、ウリ坊というほど小さくはなくて、人間で言ったら小学校高学年から中学生くらいだろうと思う。そろそろ親の手伝いもできる年頃だ。親子で仲良く、いつまでも達者で暮してほしい。歩道を普通に歩いている姿を見て、怒って突進とかしてこないのであれば動物ともぜんぜん共存できそうだな、などと思った。錯覚だけど。

 新元号を当てにいこう企画。2回目。
 回輪。
 かいりん。イニシャルのKが来るのではないかという読みがあり、それでカ行の漢字を多く見ているのだが、その中で「回」っていいなあと思った。平易だし、意味も深いし。たぶん実際には選ばれないのだけど。輪のほうには特に意味はない。だから本当は「回回」(かいかい)でもいいと思う。あるいは深い「回」の概念の教えという意味で、「回教」(かいきょう)もありだ。ありだけどそれはイスラム教という意味だ。