「心」という字は心臓の象形だとされるけれど、その篆文字を見るとあまりにもちんこっぽくてどうも怪しい、ということを以前に書いた。いつ書いたかと確認したら、2014年6月のことだった。それから心はちんこから来ているというパピ川静学説に則り、心を用いた漢字でエロいものランキングを開催するに至ったのだが、そのときに見逃していた大物を、このたび漢検準1級の勉強中に発見した。当時にこの漢字の存在にたどりついていれば、いろいろ話は早かったことだろうに、と忸怩たる思いを抱いた。
それは「蕊」である。雌蕊、雄蕊の「しべ」。
草冠の部に分類されているため、当時は気付けなかった。気付いていれば、「心」が心臓なんかじゃないことはその瞬間にスパーンと結論が出ていた。だっておしべとめしべに心臓は関係ない。それはどこまでも性器のことだろう。感情のない、心臓のない、植物の、剥き出しの性器を示す言葉の漢字に「心」×3。じゃあもう絶対じゃん。絶対に「心」はちんこじゃん。1ちんこじゃ足りなくて、3つ重ねるほどのちんこじゃん。本当にいったい誰なんだよ、「心」が心臓だって言った奴は。逆にそいつの唱える根拠を聞きたい。
労働後の水泳を本当に実行した。労働後に施設に行ってエクササイズを行なうなんて、まるで意識が高い人のようだと思う。そうです。わたすが意識高い人です。
プールでは、なにしろひとりなので、泳ぐ以外にすることがない。ひとりカラオケはひたすら自分が唄っていなければならないというのと同じで、ストイックに泳ぎ続けなければならないのだった。ファルマンに、「晩ごはんの時間までには帰ってこい」と言われていて、そんなのぜんぜん時間がないじゃないかよ! と泳ぐ前には思ったのだけど、25メートルプールをひとしきり泳いで、息がゼエゼエになって、時間を見たら入館して15分くらいしか経っていなかった。まだ晩ごはんは下拵えの時間だった。でもプールはスイーツの食べ放題みたいに、1分いくらとかのシステムではなく、15分でも2時間でも同じ料金なので、さすがに悔しくてもう少し粘った。ベンチでの休憩を挟みつつ、悲鳴をあげる体に鞭打って、そのあとも何度か泳いだ。結果として、合計350メートルほど泳ぐ。ファルマンに伝えたら「すごい」と言われたが、たぶん世間的にはそれほどすごくない。でも初回だ。ここから僕はどんどんたくさん泳げるようになっていくのだと思う。
そんなわけでなかなかよい労働後スイミングだった。習慣にしようと思う。それにしても通勤途中にあるこの施設、あまりにも気づくのが遅かった。これまでの5年間で既にこの習慣ができていれば、たぶんその世界の僕は今こうして悠長にブログなんて書いてないと思う。屈強になりすぎていて、キーボードなんて打てないと思う。逆に言えば、このブログも長くてあと5年の命だ。そのうち屈強になりすぎて、指がキーボードのサイズを超えると思う。そのくらい屈強になることを見越している。
おもしろいブログが読みたい。せっかくタブレットを持って、合間時間でインターネットができるようになったのに、見るものがなんにもない。本当になんにもない。ラインのやりとりがないのは言うまでもないし、近ごろタブレットでしていることと言えば、ヤフーのトップページで気になった記事を読むことと、「USP」を読むことくらいだ。そうなのだ。読むものがなさすぎて、おもしろいブログとして、僕は「USP」を読んで暮しているのだ。「USP」はおもしろい。すばらしいブログだ。しかし残念なことに、「USP」は過去のブログである。やっぱり人の日記を盗み見するのなら、リアルタイムの、同じ日々を生きる人のものがいい。それでここ数日、おもしろいブログを求めてウェブ上をさまよったりしたのだけど、これがぜんぜん見つからない。これまでそういうことをまるでしてこなかったため、たぶん探す能力がめっぽう低いということもあり、本当に見つからない。ゲームとか、株式とか、スピリチュアルとか、そういうんじゃなくて、読み物として普通におもしろい、日記のようなブログがいい。しかもそれが1個あればいいんじゃなくて、自分もできていないので毎日更新しろとは言わないが、それでも定期的に更新があるとして、だとしてもどうしたって読むペースと書くペースでは差があるので、そういう心地よく読めるブログが、20個は欲しい。1個も見つからないのに、20個も欲しいのだ。でもこれは案外すんなり叶う気もする。ひとついいブログが見つかれば、そのブロガーがお気に入りのブログを20個リンクしている可能性があるからだ。そんなことを期待している。でも探すのが本当に下手。探されるのも下手。こうしてブログは広がってゆかない。