「心」という字は心臓の象形だとされるけれど、その篆文字を見るとあまりにもちんこっぽくてどうも怪しい、ということを以前に書いた。いつ書いたかと確認したら、2014年6月のことだった。それから心はちんこから来ているというパピ川静学説に則り、心を用いた漢字でエロいものランキングを開催するに至ったのだが、そのときに見逃していた大物を、このたび漢検準1級の勉強中に発見した。当時にこの漢字の存在にたどりついていれば、いろいろ話は早かったことだろうに、と忸怩たる思いを抱いた。
それは「蕊」である。雌蕊、雄蕊の「しべ」。
草冠の部に分類されているため、当時は気付けなかった。気付いていれば、「心」が心臓なんかじゃないことはその瞬間にスパーンと結論が出ていた。だっておしべとめしべに心臓は関係ない。それはどこまでも性器のことだろう。感情のない、心臓のない、植物の、剥き出しの性器を示す言葉の漢字に「心」×3。じゃあもう絶対じゃん。絶対に「心」はちんこじゃん。1ちんこじゃ足りなくて、3つ重ねるほどのちんこじゃん。本当にいったい誰なんだよ、「心」が心臓だって言った奴は。逆にそいつの唱える根拠を聞きたい。
労働後の水泳を本当に実行した。労働後に施設に行ってエクササイズを行なうなんて、まるで意識が高い人のようだと思う。そうです。わたすが意識高い人です。
プールでは、なにしろひとりなので、泳ぐ以外にすることがない。ひとりカラオケはひたすら自分が唄っていなければならないというのと同じで、ストイックに泳ぎ続けなければならないのだった。ファルマンに、「晩ごはんの時間までには帰ってこい」と言われていて、そんなのぜんぜん時間がないじゃないかよ! と泳ぐ前には思ったのだけど、25メートルプールをひとしきり泳いで、息がゼエゼエになって、時間を見たら入館して15分くらいしか経っていなかった。まだ晩ごはんは下拵えの時間だった。でもプールはスイーツの食べ放題みたいに、1分いくらとかのシステムではなく、15分でも2時間でも同じ料金なので、さすがに悔しくてもう少し粘った。ベンチでの休憩を挟みつつ、悲鳴をあげる体に鞭打って、そのあとも何度か泳いだ。結果として、合計350メートルほど泳ぐ。ファルマンに伝えたら「すごい」と言われたが、たぶん世間的にはそれほどすごくない。でも初回だ。ここから僕はどんどんたくさん泳げるようになっていくのだと思う。
そんなわけでなかなかよい労働後スイミングだった。習慣にしようと思う。それにしても通勤途中にあるこの施設、あまりにも気づくのが遅かった。これまでの5年間で既にこの習慣ができていれば、たぶんその世界の僕は今こうして悠長にブログなんて書いてないと思う。屈強になりすぎていて、キーボードなんて打てないと思う。逆に言えば、このブログも長くてあと5年の命だ。そのうち屈強になりすぎて、指がキーボードのサイズを超えると思う。そのくらい屈強になることを見越している。
おもしろいブログが読みたい。せっかくタブレットを持って、合間時間でインターネットができるようになったのに、見るものがなんにもない。本当になんにもない。ラインのやりとりがないのは言うまでもないし、近ごろタブレットでしていることと言えば、ヤフーのトップページで気になった記事を読むことと、「USP」を読むことくらいだ。そうなのだ。読むものがなさすぎて、おもしろいブログとして、僕は「USP」を読んで暮しているのだ。「USP」はおもしろい。すばらしいブログだ。しかし残念なことに、「USP」は過去のブログである。やっぱり人の日記を盗み見するのなら、リアルタイムの、同じ日々を生きる人のものがいい。それでここ数日、おもしろいブログを求めてウェブ上をさまよったりしたのだけど、これがぜんぜん見つからない。これまでそういうことをまるでしてこなかったため、たぶん探す能力がめっぽう低いということもあり、本当に見つからない。ゲームとか、株式とか、スピリチュアルとか、そういうんじゃなくて、読み物として普通におもしろい、日記のようなブログがいい。しかもそれが1個あればいいんじゃなくて、自分もできていないので毎日更新しろとは言わないが、それでも定期的に更新があるとして、だとしてもどうしたって読むペースと書くペースでは差があるので、そういう心地よく読めるブログが、20個は欲しい。1個も見つからないのに、20個も欲しいのだ。でもこれは案外すんなり叶う気もする。ひとついいブログが見つかれば、そのブロガーがお気に入りのブログを20個リンクしている可能性があるからだ。そんなことを期待している。でも探すのが本当に下手。探されるのも下手。こうしてブログは広がってゆかない。
2019年2月5日火曜日
2019年1月28日月曜日
干支切手・野生・照ノ富士
今年のお年玉付き年賀はがきの当選番号が発表されて、切手シートが3枚当たる。末等の切手シートは100枚中3枚の確率で、もちろん我が家には4人の総計で100枚も届かない(せいぜい25枚くらいだ)ので、そう考えれば少しだけ強運だと言える。とは言え切手シートではあるのだけど。
ところでその切手シートについて、まだ引き換え前なのだけど、ものすごい情報を仕入れてしまった。それは、「今年の切手シートのデザインは猪じゃなくて猫」だということだ。ネットで画像を見たら本当だった。切手部分には2枚とも思いっきり招き猫が描かれていた。
また出てしまった。発動してしまった。つい出ちゃう。加齢とともに確実に能力が高まってる。あるいは制御する機能が衰え始めている。パピトラダムスの大予言、予言蛇口のコックが緩み気味。チョポチョポ漏れ気味。
まあ昨今の猫ブームと、猪の魅力のなさを考えれば、当然の帰結だとも言える。僕も実際どこまでも理屈で考えてあの漫画を描いた。
ちなみに切手シートの切手部分に干支が描かれないことは珍しいことなのかどうかウェブ上で確かめたところ、前回そういうことがあったのは、昭和50年、1975年の卯年で、そのときは「桂離宮の水仙の釘隠し」がデザインされていた。生まれる前のことなので分からないが、たぶんそのとき日本は空前の桂離宮の水仙の釘隠しブームだったのだろう。
というわけで、干支が切手にならなかったのは44年ぶりということになる。そしてこのタイミングは、明らかに猪が狙い撃ちされたと考えていい。亥年の人間の猪への愛着のなさを見透かされて、実行されたに違いないのだ。これを去年の犬のときにやってみたらどうだ。全国の偽善的な愛犬家たちが、それはもうキャンキャンキャンキャン大騒ぎしただろうことは火を見るより明らかだ。犬好き、猫好きのそういうところ! そういうところが嫌い! 猪に愛着を持たない亥年の人間として、干支の座なんか猫にくれてやろうと思っていたけれど、現実世界の猫好きの人間が喜ぶことを想像したら途端に嫌になってきた。エートゥー離脱問題で情勢を引っ掻き回す、俺はボリス・ジョンソン。
週末、がくんと体調を崩していた。子どもが週の半ばに崩したので、それを見事に引き取った形である。体温もずいぶん高いところまでいって、これはこれは、という感じになった。平日まっとうに働いて週末に体調を崩すなんて、俺は社会人の鑑ではなかろうかと思った。
それで、発症したのが土曜の夜だったので、とりあえず豪快に寝た。翌朝はまだ具合が悪かった。午後から近所の診療所で日曜診察をしているらしいという情報をファルマンが仕入れてくれたので、それまで再びひたすらに眠った。午後になり、ファルマンが「予約だけ先に入れてくる」と言って家を出ていき、少しして「第4日曜はやってへん……」と帰ってきた。もっと遠くの、市内の病院が持ち回りで行なう感じの休日診療ならあるけど、と提案されるが、あまりにも億劫すぎたし、なによりその時点でいくらか体が楽になっていたので、行かないことにした。そしてそれからも寝た。俺はいざとなるとこんなに寝ることができるのだな、と我ながら感心するほどに寝た。
結果として体温は下がり、なんか具合も嘘のように良くなった。本当にただ寝るだけで治した。俺は野生動物か、と思った。あまりにもすっきりと治ったので、月曜日は休もうかとか、午前中に病院に行こうかなどと考えていたのが、雲散霧消してしまい、平常通り出勤した。俺の野生動物でありながら社会人の鑑でもあるという二面性。
いろんなことがあった大相撲初場所は玉鷲が優勝だった。玉鷲の優勝! ということに関して特に感慨はない。その優勝について、「モンゴル勢7人目」というフレーズが使われ、しかしその歴代の6人のことを誰も教えてくれないので、自分で思い出すことにした。まず朝青龍。そして白鵬。日馬富士と鶴竜。あと旭天鵬の優勝はちょっと感動したので覚えている。これで5人。そして玉鷲が7人目。ろ、6人目誰やねん……、となった。でもネットで検索しても誰もモンゴル人優勝力士全7人を紹介してくれていない。仕方ないのでウィキペディアで歴代の優勝力士を見て確かめた。その結果、判明した。ああ、そうかそうか! とアハ体験のようなものが発生した。あー、すっきりした。そして答えは書いてやんねえのだった。
ところでその切手シートについて、まだ引き換え前なのだけど、ものすごい情報を仕入れてしまった。それは、「今年の切手シートのデザインは猪じゃなくて猫」だということだ。ネットで画像を見たら本当だった。切手部分には2枚とも思いっきり招き猫が描かれていた。
また出てしまった。発動してしまった。つい出ちゃう。加齢とともに確実に能力が高まってる。あるいは制御する機能が衰え始めている。パピトラダムスの大予言、予言蛇口のコックが緩み気味。チョポチョポ漏れ気味。
まあ昨今の猫ブームと、猪の魅力のなさを考えれば、当然の帰結だとも言える。僕も実際どこまでも理屈で考えてあの漫画を描いた。
ちなみに切手シートの切手部分に干支が描かれないことは珍しいことなのかどうかウェブ上で確かめたところ、前回そういうことがあったのは、昭和50年、1975年の卯年で、そのときは「桂離宮の水仙の釘隠し」がデザインされていた。生まれる前のことなので分からないが、たぶんそのとき日本は空前の桂離宮の水仙の釘隠しブームだったのだろう。
というわけで、干支が切手にならなかったのは44年ぶりということになる。そしてこのタイミングは、明らかに猪が狙い撃ちされたと考えていい。亥年の人間の猪への愛着のなさを見透かされて、実行されたに違いないのだ。これを去年の犬のときにやってみたらどうだ。全国の偽善的な愛犬家たちが、それはもうキャンキャンキャンキャン大騒ぎしただろうことは火を見るより明らかだ。犬好き、猫好きのそういうところ! そういうところが嫌い! 猪に愛着を持たない亥年の人間として、干支の座なんか猫にくれてやろうと思っていたけれど、現実世界の猫好きの人間が喜ぶことを想像したら途端に嫌になってきた。エートゥー離脱問題で情勢を引っ掻き回す、俺はボリス・ジョンソン。
週末、がくんと体調を崩していた。子どもが週の半ばに崩したので、それを見事に引き取った形である。体温もずいぶん高いところまでいって、これはこれは、という感じになった。平日まっとうに働いて週末に体調を崩すなんて、俺は社会人の鑑ではなかろうかと思った。
それで、発症したのが土曜の夜だったので、とりあえず豪快に寝た。翌朝はまだ具合が悪かった。午後から近所の診療所で日曜診察をしているらしいという情報をファルマンが仕入れてくれたので、それまで再びひたすらに眠った。午後になり、ファルマンが「予約だけ先に入れてくる」と言って家を出ていき、少しして「第4日曜はやってへん……」と帰ってきた。もっと遠くの、市内の病院が持ち回りで行なう感じの休日診療ならあるけど、と提案されるが、あまりにも億劫すぎたし、なによりその時点でいくらか体が楽になっていたので、行かないことにした。そしてそれからも寝た。俺はいざとなるとこんなに寝ることができるのだな、と我ながら感心するほどに寝た。
結果として体温は下がり、なんか具合も嘘のように良くなった。本当にただ寝るだけで治した。俺は野生動物か、と思った。あまりにもすっきりと治ったので、月曜日は休もうかとか、午前中に病院に行こうかなどと考えていたのが、雲散霧消してしまい、平常通り出勤した。俺の野生動物でありながら社会人の鑑でもあるという二面性。
いろんなことがあった大相撲初場所は玉鷲が優勝だった。玉鷲の優勝! ということに関して特に感慨はない。その優勝について、「モンゴル勢7人目」というフレーズが使われ、しかしその歴代の6人のことを誰も教えてくれないので、自分で思い出すことにした。まず朝青龍。そして白鵬。日馬富士と鶴竜。あと旭天鵬の優勝はちょっと感動したので覚えている。これで5人。そして玉鷲が7人目。ろ、6人目誰やねん……、となった。でもネットで検索しても誰もモンゴル人優勝力士全7人を紹介してくれていない。仕方ないのでウィキペディアで歴代の優勝力士を見て確かめた。その結果、判明した。ああ、そうかそうか! とアハ体験のようなものが発生した。あー、すっきりした。そして答えは書いてやんねえのだった。
2019年1月16日水曜日
干支・参列・繁華街
干支4コマが完了する。去年の12話、今年の12話、合計24話の戌亥編であった。
1月に干支4コマが終わっているなんていつぶりだろうと確認したら、2015年の未以来、実に4年ぶりのことだった。それ以降は押し並べて12月や11月までずれ込んでいる。つまり僕はこの3年間、それぞれの1年間のほぼずっと「干支4コマやらなきゃなあ」を頭の片隅に置いて暮していたのだ。なんという無駄な葛藤であることか。今年は違う。僕はその葛藤が頭にない11ヶ月半をこれから過すのだ。素晴らしい!
ちなみに4コマの内容について、ファルマンが理解してくれなかったので、ここに補足を記しておく。犬の口から「干支の交代」を告げられた猪および読者の頭の中には、まず猫が思い浮かぶはずである。しかし蓋を開けてみれば犬の相方として現れたのは猫ではなくアリクイで、猪は驚愕する。だがそれは実は羊の強制睡眠によって見させられた夢であり、猪は干支の交代含めて夢だったのかと喜ぶ。ところが壇上を見てみれば、そこには当初の発想通りの猫がいて、つまり5話までは現実、6話からが夢だったのであり、猪から猫への干支の交代はなんの問題もなく遂行され、それに思い至った猪は打ちひしがれ、うなだれる、というのが話の流れである。なにが解りづらいのかさっぱり判らない。ファルマンは11話4コマ目の、「……猫や」というセリフに、「えっ、これどういう意味?」と言っていた。もしかしたら読解力が皆無なのかもしれない。
ちなみに猪から猫への干支の交代は、漫画内のネタではなく、今後の人生で本気で目論みたいと思っている。猪年の人間として、心底からそれが猫年であればいいと思うのだ。猫がものすごく好きなわけではないけれど、猪よりはだいぶ好きだ。猪デザインのものを持つ気持ちにはならないが、猫デザインなら「干支やねん」と堂々と選ぶことができる。作中で犬にも語らせたが、犬・猫・鼠の並び的にも気が利いているし、「今年は猫年!」ということになれば経済も猪よりは活性化すると思う。だから猪年は猫年になればいい。ダウンタウンのふたりが兎年で、同じ兎年の人に出くわすと、「ウサギ団ぴょーん!」というギャグをするのが、なんだか羨ましいと感じていたが、猪では到底望めないそんな戯れも、猫ならば可能になってくると思う。だから本当に交代すればいい。その機運が高まっていけばいい。
ファルマンの祖母の通夜や葬儀に参列した。
参列と言ったが、あまり列は成さなかった。2日とも、親族控室で自分の所の子どもふたりと、ファルマンの妹の娘(ピイガよりひとつ下)の面倒を見ていて、ほとんど式には参加しなかった。もちろん喪服を着込んでいったわけだが、僕はトレーナーにエプロンの、保父スタイルでもよかったんじゃないかと思う。
ファルマンの母親は3きょうだいの真ん中であり、姉の子ふたり、弟の子ひとりという、ファルマンにとっていとこにあたる人たちがいて、この人たちとは僕は今回が初対面だった。年齢はとても順当で、姉の子ふたり(姉と弟)はどちらも年上だし、弟の子ひとり(男性)は年下なのだが、なんだが全員やけに貫禄があった。35歳のファルマンを中心に、全員30代ではあるのだが、なんか30代って、上(40代)にもう行ってしまおうと思えば行けるし、下(20代)に縋りつきたいと思えば縋れるしで、生きるスタンスによってすごく極端になるものだな、と思った。
通夜に際して、やくもに乗って大荷物(何人分かの喪服)でやってくる三女を岡山駅まで迎えに行くという役目を、自分から買って出た。家で集中してなにかできる状況ではなく手持無沙汰だったし、荷物持ちという大義名分で、滅多にできない「ひとり繁華街ぶらぶら」ができるではないかと色めき立ったのである。そんなわけで、三女が乗ってくるというやくもの到着時刻の、2時間あまりも前に岡山に繰り出した。世間は3連休の最終日だったので、岡山駅はとても賑わっていて、気持ちが盛り上がった。盛り上がったのだが、盛り上がったところで、特にすることがなくて、「あれ?」となる。そう言えば俺は岡山に、繁華街に出てきて、ひとりの気軽さで、そしてなにがしたいんだっけ? と途方に暮れる。結局手芸屋に行って布を買い、ドン・キホーテでチョコレートと調味料を買い、本屋で漫画を買って、あとはベンチでその漫画を読んで過した。「あれ?」と思った。なんか繁華街で時間を過すのがすっかり下手になっているぞ、と思った。でも次の瞬間、そう言えば高校大学の頃だって、僕はブックオフとか本屋とか東急ハンズを延々とぶらぶらしていただけで、それが上手だった時代なんてそもそもなかったではないかと気が付いた。繁華街に来ても結局こうなるだけなのだが、それでも定期的にそのことを忘れ、繁華街を愉しみたい願望が募り、アクションを起してしまう。そしてなんか落ち込む。
2019年1月11日金曜日
ぬるま湯・冷蔵庫・穴埋編
年末年始のぬるま湯で精神が相当に緩んでいたようで、新年1週目はやけにつらかった。へ、平日とは、このようなものであったか……! と衝撃を受けた。これまで数年間続けてきた感覚を9日程度で忘れるものかね、と思うかもしれないが、僕はわりと忘れるのである。感覚だけでなく、仕事内容も実際けっこう忘れていた。でも呆れないでほしい。会社までの道を覚えていて無事に出勤できたことを褒めてほしい。ぬるま湯に浸り続けていたい。生きているだけで称賛してほしい。
新春セールで冷蔵庫を購入した。
これまでの冷蔵庫は、結婚の前後くらいに買ったもので、だからもう10年くらい使っていて、冷えなくなったわけではないのだけど、水が漏れ出るようになっていて、寒い時期はまだ少なめなのだけど、やはり夏場は冷蔵庫的にも無理がたたるのか、床に敷いた新聞紙を毎日のように換えなければならないほどで、いい加減うんざりしていた。この分ではいつ本格的な故障が起ってもおかしくなく、そしてそれは無理がたたる夏場の可能性が高く、そうなったときの悲劇たるや、想像するだにおぞましいものがある(しかもきっと冷凍食品や肉を買い溜めした日とかに限って壊れるのだ)。そのため1年半くらい前からずっと冷蔵庫購入の臨戦態勢を取っていて、条件さえ整えばいつでも買うつもりがあった。そしてそのタイミングが、今般の新春セールでとうとう訪れたのである。amazon。だいぶ安かった。壊れかけとは言え、完全には壊れていない冷蔵庫を買い替えるのである。相当なお買い得感がなければクリックしない。今回はそれがあった。ゆるぎない「買い」だった。かくして冷蔵庫は、数日後に搬入と搬出の予定となっている。
そしてその「注文を確定する」ボタンをクリックすると同時に、うっすらと予想されていた事態ではあるのだけど、もはやそれは「注文を確定する」ボタンではなくて、「古い冷蔵庫の不調を直す」ボタンだったのではないかと思われるほどに、ピタッと水漏れが止まる。水漏れなど、夏場も含めていちども犯したことなどなかったような顔だ。長く家にあり、住人の会話をずっと聞いていた電化製品の、こういうところ。
物語なり、音楽なり、なんかしらのものを作り上げて、しかしいいタイトルが浮かばないとする。そんなときはタイトルを「火の鳥」にすればいいんだと思う。物語の場合、作中に火の鳥はもちろん、あらゆる鳥も登場しないパターンもあるだろう。そんなときだって堂々と「火の鳥」にしてしまえばいい。そしたらなんかほら、その物語を通しての登場人物の精神の昇華みたいな、なんかそんな風な部分のことを、読者が勝手に想像して、「ああ火の鳥な」と感じてくれるに違いない。「火の鳥」にはそんな効果がある。
新春セールで冷蔵庫を購入した。
これまでの冷蔵庫は、結婚の前後くらいに買ったもので、だからもう10年くらい使っていて、冷えなくなったわけではないのだけど、水が漏れ出るようになっていて、寒い時期はまだ少なめなのだけど、やはり夏場は冷蔵庫的にも無理がたたるのか、床に敷いた新聞紙を毎日のように換えなければならないほどで、いい加減うんざりしていた。この分ではいつ本格的な故障が起ってもおかしくなく、そしてそれは無理がたたる夏場の可能性が高く、そうなったときの悲劇たるや、想像するだにおぞましいものがある(しかもきっと冷凍食品や肉を買い溜めした日とかに限って壊れるのだ)。そのため1年半くらい前からずっと冷蔵庫購入の臨戦態勢を取っていて、条件さえ整えばいつでも買うつもりがあった。そしてそのタイミングが、今般の新春セールでとうとう訪れたのである。amazon。だいぶ安かった。壊れかけとは言え、完全には壊れていない冷蔵庫を買い替えるのである。相当なお買い得感がなければクリックしない。今回はそれがあった。ゆるぎない「買い」だった。かくして冷蔵庫は、数日後に搬入と搬出の予定となっている。
そしてその「注文を確定する」ボタンをクリックすると同時に、うっすらと予想されていた事態ではあるのだけど、もはやそれは「注文を確定する」ボタンではなくて、「古い冷蔵庫の不調を直す」ボタンだったのではないかと思われるほどに、ピタッと水漏れが止まる。水漏れなど、夏場も含めていちども犯したことなどなかったような顔だ。長く家にあり、住人の会話をずっと聞いていた電化製品の、こういうところ。
物語なり、音楽なり、なんかしらのものを作り上げて、しかしいいタイトルが浮かばないとする。そんなときはタイトルを「火の鳥」にすればいいんだと思う。物語の場合、作中に火の鳥はもちろん、あらゆる鳥も登場しないパターンもあるだろう。そんなときだって堂々と「火の鳥」にしてしまえばいい。そしたらなんかほら、その物語を通しての登場人物の精神の昇華みたいな、なんかそんな風な部分のことを、読者が勝手に想像して、「ああ火の鳥な」と感じてくれるに違いない。「火の鳥」にはそんな効果がある。
2018年12月29日土曜日
連休・元号・今年の締め
仕事が納まり、年末年始の連休が始まる。すごく嬉しい。普段3連休で嬉ションしそうになっていることを思えば、年末年始の大型連休なんて、昇天してもおかしくないと思う。それなのにいま僕がこうして良い姿勢を保ったままキーボードを打てているのは、たぶんスケールが理解できていないということなのだと思う。ありがたさのスケールが把握できていないくせに、心の余裕だけは闇雲に確保してしまっていて、連休1日目の今日は、大したこともせずにのんべんだらりと過してしまった。連休って逆にこうなりがち。まあ今日に関しては、帰省前のエアポケットのような日だから仕方ない面はあるが、帰省から戻ったあとの日々でこんなことにならないよう、しっかりと自覚を持ち、計画を立て、堂々たる嬉ションを実行したいと思う。
来年は5月1日から元号が変わるわけだけど、今日の新聞に、その新元号の発表は、開始の1ヶ月前にすると決定した、と書いてあった。だとすれば、5月1日の1ヶ月前ということは、それは4月1日ということになるのだろうか。新元号の発表って、平成のときのことはリアルタイムでは覚えていないが、パロディではさんざん目にしてきて、そのためただでさえネタ的なイメージがあるのに、しかもその発表がエイプリルフールとなると、もうすっかり大喜利の様相を呈してくるのではないかと思う。一億総大喜利。欲しがります、笑うまでは。もしも本当に4月1日に発表ということになると、日本中の有象無象が放つネタ回答に紛れて、どれが本当なのか判らないという事態にまで陥りそうな予感がする。なので政府は4月1日発表と言いつつ、3月31日とかにフライング発表し、4月1日用にネタを用意していた国民(お調子者タイプの)を、悔しがらせればいいと思う。
昨日「仲間内10大ニュース2018」を投稿したことで、ブログの年間行事が無事にすべて終了した。めでたい。年越しを前に、やり切った清々しさがある。10大ニュースでは、去年の記事内の文章を引用したりして、長く続けてきたことの蓄積を、うまく活用することができた(内容も珠玉の出来だった)。ファルマンも言っていたが、とにかく続けることが大事なのだと、今年の年間行事をこなしていて、しみじみと感じた。「cozy ripple流行語大賞」は10周年で、「パピロウヌーボ」内で10年間の流行語を振り返ったし、「パピ労の日報告」では今年も朝青龍がコメントをくれた。そして「干支4コマ」では、最初の寅年からなんとなく入れていた右下の通しナンバーが、今年でとうとう100に到達したのだった。長年をかけて培ってきたものが、いよいよ円熟してきたのを感じる。なにしろログである。溜まってなんぼなのだ。じゃあ続けていれば、またこれからもっと愉しくなるということか。いいなあ。いついつまでも続けようと思う。
というわけで今年の投稿もこれでおしまい。ご愛読ありがとう。ご投稿ありがとう(俺)。
来年は5月1日から元号が変わるわけだけど、今日の新聞に、その新元号の発表は、開始の1ヶ月前にすると決定した、と書いてあった。だとすれば、5月1日の1ヶ月前ということは、それは4月1日ということになるのだろうか。新元号の発表って、平成のときのことはリアルタイムでは覚えていないが、パロディではさんざん目にしてきて、そのためただでさえネタ的なイメージがあるのに、しかもその発表がエイプリルフールとなると、もうすっかり大喜利の様相を呈してくるのではないかと思う。一億総大喜利。欲しがります、笑うまでは。もしも本当に4月1日に発表ということになると、日本中の有象無象が放つネタ回答に紛れて、どれが本当なのか判らないという事態にまで陥りそうな予感がする。なので政府は4月1日発表と言いつつ、3月31日とかにフライング発表し、4月1日用にネタを用意していた国民(お調子者タイプの)を、悔しがらせればいいと思う。
昨日「仲間内10大ニュース2018」を投稿したことで、ブログの年間行事が無事にすべて終了した。めでたい。年越しを前に、やり切った清々しさがある。10大ニュースでは、去年の記事内の文章を引用したりして、長く続けてきたことの蓄積を、うまく活用することができた(内容も珠玉の出来だった)。ファルマンも言っていたが、とにかく続けることが大事なのだと、今年の年間行事をこなしていて、しみじみと感じた。「cozy ripple流行語大賞」は10周年で、「パピロウヌーボ」内で10年間の流行語を振り返ったし、「パピ労の日報告」では今年も朝青龍がコメントをくれた。そして「干支4コマ」では、最初の寅年からなんとなく入れていた右下の通しナンバーが、今年でとうとう100に到達したのだった。長年をかけて培ってきたものが、いよいよ円熟してきたのを感じる。なにしろログである。溜まってなんぼなのだ。じゃあ続けていれば、またこれからもっと愉しくなるということか。いいなあ。いついつまでも続けようと思う。
というわけで今年の投稿もこれでおしまい。ご愛読ありがとう。ご投稿ありがとう(俺)。
2018年12月15日土曜日
プリキュア・ヌーボ・はためき
ファルマンとピイガが幼稚園に登園する前、とても余裕のある朝の準備をしている時間帯に、地方局で過去のプリキュアの再放送というのを毎日しているのだそうで、それでにわかにわが家のプリキュア熱が高まっている。女の子を育て始めてそろそろ8年になるが、ようやくである(ひとり目はドラえもんからハリーポッターへ進んだ)。
とにかく平日に毎日やるので、進行が早い。観始めたときは「スマイルプリキュア」だったのが、先般終了し、翌日から「ドキドキプリキュア」になった。こういうアニメって、1年を通して観ることによって、子どもはその1年間、ずっとそのプリキュアとともに日々を暮し、そしてともに成長するみたいな、そういう感慨のあるものなのだと思うが、この視聴にはそういうのが一切ない。愉しんではいるが、心が寄り添う感じは一切ない。さらに言えば、本放送では物語中のプリキュアが用いるアイテムのおもちゃなどが流れていたに違いないCMの時間も、地方局なので本当になんのマーケティング的な思慮もない、鈑金工場とか、渋い銘菓とか、そんなものばかりが流れるのだった。
ところでどうして僕が流れるCMまで知っているかと言えば、にわかなプリキュア熱の高まりは、ファルマンとピイガだけにとどまらず、ポルガや僕にまで派生しているため、録画したものを夜に観たりしているからだ。
観てみたら、まあなかなかおもしろい。娘とともに観るので、なんとなく感じ入る部分もあるのだと思う。たまにちょっと涙が出そうになり、驚くときがある。
グータンヌーボが復活するというニュースに驚いた。
さすがに江角マキコが司会ではないのだけど、タイトルをそのまま用いる、正式な系譜に連なる番組になるようで、ちょっと驚くと同時に感動する部分があった。だって「キャサリン三世」がそうであったように、おんなじような内容の番組を、別のタイトルでやったってよかったのだ。でもやっぱり「グータンヌーボ」が、ネームバリューもあり、人々の心に訴求するものがあると判断されて、そういう結果になったわけである。
そこに、パピロウヌーボを続けてきた身として、誇らしい思いがある。僕はこの数年間、グータンヌーボの灯が絶えることのないよう、薪をくべ続けてきたのだと、言えないこともないと思う。
それがようやく大きな燭台に移され、僕は役割を終える……、ということはもちろんない。番組はたぶん2年弱で終わるから、そのあともやっぱり僕は、正式な系譜に連ならない、あの活動を続けていくのだと思う。
異世界ブームってなんなの、と思う。ラノベで流行るのはいくらでも勝手にやればいいけど、ラノベの流行りは、そのまま美少女文庫や二次元ドリーム文庫へも降りかかってくるので、それで迷惑を被っている。
異世界とか本当に興味がない。姫とか、半裸のアーマーの女戦士とか、魔王とか、そんなものを性欲の対象にするには、想像の羽で飛び越えなければいけないハードルがあまりにも多くて、億劫だ。そこまではためかせられない。はためかせたくない。
途轍もなく極端なことを言ってしまうけど、エロ小説の舞台って、永遠に高校だけでいい。高校から出ようとするから、はためく必要が出てくる。もう翼なんて退化してしまっていい。それで校舎を囲む高い塀を飛び越えることができず、一生そこに閉じ込められるんでいい。本当にそう思う。
とにかく平日に毎日やるので、進行が早い。観始めたときは「スマイルプリキュア」だったのが、先般終了し、翌日から「ドキドキプリキュア」になった。こういうアニメって、1年を通して観ることによって、子どもはその1年間、ずっとそのプリキュアとともに日々を暮し、そしてともに成長するみたいな、そういう感慨のあるものなのだと思うが、この視聴にはそういうのが一切ない。愉しんではいるが、心が寄り添う感じは一切ない。さらに言えば、本放送では物語中のプリキュアが用いるアイテムのおもちゃなどが流れていたに違いないCMの時間も、地方局なので本当になんのマーケティング的な思慮もない、鈑金工場とか、渋い銘菓とか、そんなものばかりが流れるのだった。
ところでどうして僕が流れるCMまで知っているかと言えば、にわかなプリキュア熱の高まりは、ファルマンとピイガだけにとどまらず、ポルガや僕にまで派生しているため、録画したものを夜に観たりしているからだ。
観てみたら、まあなかなかおもしろい。娘とともに観るので、なんとなく感じ入る部分もあるのだと思う。たまにちょっと涙が出そうになり、驚くときがある。
グータンヌーボが復活するというニュースに驚いた。
さすがに江角マキコが司会ではないのだけど、タイトルをそのまま用いる、正式な系譜に連なる番組になるようで、ちょっと驚くと同時に感動する部分があった。だって「キャサリン三世」がそうであったように、おんなじような内容の番組を、別のタイトルでやったってよかったのだ。でもやっぱり「グータンヌーボ」が、ネームバリューもあり、人々の心に訴求するものがあると判断されて、そういう結果になったわけである。
そこに、パピロウヌーボを続けてきた身として、誇らしい思いがある。僕はこの数年間、グータンヌーボの灯が絶えることのないよう、薪をくべ続けてきたのだと、言えないこともないと思う。
それがようやく大きな燭台に移され、僕は役割を終える……、ということはもちろんない。番組はたぶん2年弱で終わるから、そのあともやっぱり僕は、正式な系譜に連ならない、あの活動を続けていくのだと思う。
異世界ブームってなんなの、と思う。ラノベで流行るのはいくらでも勝手にやればいいけど、ラノベの流行りは、そのまま美少女文庫や二次元ドリーム文庫へも降りかかってくるので、それで迷惑を被っている。
異世界とか本当に興味がない。姫とか、半裸のアーマーの女戦士とか、魔王とか、そんなものを性欲の対象にするには、想像の羽で飛び越えなければいけないハードルがあまりにも多くて、億劫だ。そこまではためかせられない。はためかせたくない。
途轍もなく極端なことを言ってしまうけど、エロ小説の舞台って、永遠に高校だけでいい。高校から出ようとするから、はためく必要が出てくる。もう翼なんて退化してしまっていい。それで校舎を囲む高い塀を飛び越えることができず、一生そこに閉じ込められるんでいい。本当にそう思う。
2018年12月3日月曜日
うさんくさい・きもい・おじんくさい
cozy rippleじゃないほう、でおなじみの流行語大賞が発表される。
年間大賞は「そだねー」だそう。なんとも忌々しいことだ。
他になかったのかよ、と思ってトップテンを見てみると、「(大迫)半端ないって」なんかは大迫選手も中西氏も登壇できないので、そこが都合悪かったのかな、と思ったり、まさか大賞でもないだろうが「スーパーボランティア」も尾畠さんが受賞を辞退したというし(この人は普通に立派な人だと思う)、結局のところ代表者がほいほい出てくれるこれにあげるしかなかったのかな、と思う。
あとトップテンに「奈良判定」が入って「悪質タックル」が入っていないのはどう考えてもおかしい。「奈良判定」というフレーズもよかったが、どちらが広く長く世間を騒がせたかと言えば、確実に「悪質タックル」だろう。まあこれはおかしいと言うか、僕が思っている以上に、日大というのは力を持っているということだろう。うさんくさ。
11月は、ファルマンと、母と、姉と、義妹としか、LINEのやりとりをしなかった。
こんなはずじゃなかった。LINEを始めたらこんなことにはならないはずだった。
母とは年末年始の帰省についてのやりとりだったし、義妹とは月頭に義妹がこちらに来たときの送迎のやりとりだったので、これらは言わば事務的な交信である。たとえ僕がLINEをやっていなくても、電話で同じ内容のやりとりが繰り広げられただろう。それに対して姉は、姉の息子の通う幼稚園で劇をやるにあたり、衣装の作製を課せられたので、それについての相談をしてきたのだった。これはたぶん僕がLINEを始めていなければ、わざわざ訊ねてこなかっただろうと思う。つまり、姉くらいなのだ。少し長めの棒を振り回して届くようになる距離関係にいたのは、姉だけだったのだ。じゃあなんだ、僕がLINEを始めた意味は、姉弟間のコミュニケーションのためか。きもいわ。
さんまの季節がそろそろ終わる。今年は豊漁だったこともあり、わりと堪能した。生さんまの塩焼きは、やっぱりしみじみとおいしかった。しかもそこへ新米なのだから、秋という季節はほとほとありがたいものだと、おじんくさいことを思った。
さんまが終わるのは哀しいが、そのぽっかり空いた心の隙間を、ぼちぼち回転ずしに現れ始めたあん肝軍艦が救ってくれるのだ。ああ、魚のはらわたが好き。大好き。
年間大賞は「そだねー」だそう。なんとも忌々しいことだ。
他になかったのかよ、と思ってトップテンを見てみると、「(大迫)半端ないって」なんかは大迫選手も中西氏も登壇できないので、そこが都合悪かったのかな、と思ったり、まさか大賞でもないだろうが「スーパーボランティア」も尾畠さんが受賞を辞退したというし(この人は普通に立派な人だと思う)、結局のところ代表者がほいほい出てくれるこれにあげるしかなかったのかな、と思う。
あとトップテンに「奈良判定」が入って「悪質タックル」が入っていないのはどう考えてもおかしい。「奈良判定」というフレーズもよかったが、どちらが広く長く世間を騒がせたかと言えば、確実に「悪質タックル」だろう。まあこれはおかしいと言うか、僕が思っている以上に、日大というのは力を持っているということだろう。うさんくさ。
11月は、ファルマンと、母と、姉と、義妹としか、LINEのやりとりをしなかった。
こんなはずじゃなかった。LINEを始めたらこんなことにはならないはずだった。
母とは年末年始の帰省についてのやりとりだったし、義妹とは月頭に義妹がこちらに来たときの送迎のやりとりだったので、これらは言わば事務的な交信である。たとえ僕がLINEをやっていなくても、電話で同じ内容のやりとりが繰り広げられただろう。それに対して姉は、姉の息子の通う幼稚園で劇をやるにあたり、衣装の作製を課せられたので、それについての相談をしてきたのだった。これはたぶん僕がLINEを始めていなければ、わざわざ訊ねてこなかっただろうと思う。つまり、姉くらいなのだ。少し長めの棒を振り回して届くようになる距離関係にいたのは、姉だけだったのだ。じゃあなんだ、僕がLINEを始めた意味は、姉弟間のコミュニケーションのためか。きもいわ。
さんまの季節がそろそろ終わる。今年は豊漁だったこともあり、わりと堪能した。生さんまの塩焼きは、やっぱりしみじみとおいしかった。しかもそこへ新米なのだから、秋という季節はほとほとありがたいものだと、おじんくさいことを思った。
さんまが終わるのは哀しいが、そのぽっかり空いた心の隙間を、ぼちぼち回転ずしに現れ始めたあん肝軍艦が救ってくれるのだ。ああ、魚のはらわたが好き。大好き。
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