2023年7月11日火曜日

南という女・ゴム・やけに

 ちんこを浅倉南に喩える、ということをしたのを契機に、「タッチ」の何度目か知れない読み直しを始めた。愛蔵版の第2巻で、高校に入学して少し経ったくらいの頃。和也はもちろんまだ存命(あっ、ネタバレしちゃった!)。
 それにしても、こうして数年おきに読み返すたびに、「南という女は……!」という思いが強まるのを感じる。当然南自身の行動は変わらないので、読んでいるこちらの感覚が、数年でわりと変化しているのだ。そのことに気付かされる。つまり、ジェンダーとか、ルッキズムとか、そのあたりのことだ。自分自身は確固たる信念を持ち、他者の影響は受けず、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、という確かな指針がある人間です、などと言いながら、実は知らず知らずのうちに、どうしたって生きている時空のパラダイムに染められているようで、何年か前には気にならなかった南の振る舞いに、それはさすがに嫌な女だろ、などと感じたりする。それは極端な言葉で言えば、「粗暴さ」ということになる。南の行動には、絶対的な自信(自らのポテンシャルもさることながら、上杉兄弟(現状では主に和也)の幼なじみだという出自も合わさっての)に裏打ちされた、無意識の粗暴さがある。この学校で私に敵う女はいないと南は思っているし、それを隠そうともしていない。その隠そうとしなさが現代の感覚からはかけ離れているな、ということを感じる、2023年の「タッチ」読み返し作業である。
 もっともそれはそれとして、純粋に「タッチ」めっちゃおもしろい。双子と南の関係は、これからどうなっていくのだろうか。南はどっちを選ぶのか、あるいはふたりとも一緒にの串刺しファックパターンなのか、目が離せません。

 熱帯夜の季節になり、参っている。寝たあと、2時とか3時とかに、蒸すか、そうじゃないかって、単純に気温だけで決まる話ではないようで、そこが悩ましい。毎日が賭けだと言っても大袈裟じゃない。今日はエアコンなしで大丈夫だろう、と思って付けずに寝たら、3時ごろに汗だくになって起きたりする。もちろんその逆もある。
 さらに事態をややこしくするのが、僕が寝るとき全裸であるという要素である。普通なら逡巡なくエアコンを付ける場面でも、ファルマンはその点において躊躇うことがあるそうで、「お願いだから服を着て寝てくれ」ということを訴えられるのだが、それに対して僕が首を縦に振ることは決してないのだった。なぜなら、2年半前に読んだ『パンツを脱いで寝る即効療法』に、ゴムの締め付けは体に毒なので、寝ているときくらいは脱がないと不健康だ、ということが書いてあったからだ。それがもう完全に刷り込まれてしまい、ゴム製のものを身に着けて寝ると、もはや精神面から体調を崩すような気がするのだ。
 ということをファルマンに説明したら、ファルマンがこう言った。
「その本がゴムだよ!」
 いいフレーズだなあ、と思った。全体の中の悪い部分のことを、これまでは「癌」と表現していたが、これってちょっと不穏なので、今後はゴムでいいんじゃないかと思った。まあ僕、ゴムめっちゃ好きだけど。150枚のショーツを作るために、ダイソーで何回ゴムを買ったか知れない。でも寝るときは全力で忌避する。愛憎入り交じっているのです。

 22歳の春の手書き日記を読み終え、通常運転に戻ったので、久しぶりに「百年前日記」でも書こうかな、とも思ったのだけど、22歳の無職の時期の自分を振り返り、最後ちょっと精神が引っ張られそうになったので慌てて終了させたわけで、このあとすぐに「百年前日記」をやるのは無理だな、と思った。「百年前日記」も、なんのことはない、要するに無職日記に他ならない。しかもこちらは子持ちver.であり、悲壮感や切迫感という意味では22歳の比ではない。だから当分は無理だ。
 それにしても、僕はどうも、人生の中に、無職期間がやけにありはしないか。やけに。いたずらに。放埓に。気儘に。積極的に。乗り気に。前のめりに。おかしいな。