2023年7月23日日曜日

40代・繋がり・おろち

 季節が梅雨から本格的な夏へと移行するタイミング。ここで毎年、体もそれまでの状態から夏仕様へと移り変わる必要があって、サーフィンのように、スムーズに波に乗れれば大成功なのだが、今年はそこに風邪菌という隕石が堕ちて、海は荒れに荒れ、甚大な被害が発生した。僕の顛末は「おこめとおふろ」に書いた通りだが、ここへ来てファルマンのダメージが大きい。ファルマンは僕がだんだん回復してきた週の半ばあたりから、入れ替わるように徐々に体調を悪化させていった。今週は難易度の高い仕事が来ていたことに加え、先の記事にも書いたように、ファルマンは咳という行為に多大なエネルギーを消費するため、「咳が続く状態」は、どんどんファルマンの体を疲弊させてゆくのだった。体の具合を訊ねた僕に向かってファルマンは、「30代までの風邪は日に日に良くなる。40代からの風邪は日に日に悪くなる」と答えた。なんて、なんて嫌な格言か。4月生まれの妻だけが40代というこの半年余りを、思う存分にいじり、堪能してやろうと思っていたが、そこまで悲愴感を漂わされたら、さすがに茶化せなくなった。また、「40代の風邪は寝ても良くならない」というフレーズ、これは僕自身も感じ、記事の中で述べたけれど、ファルマンは朝起きてしばらく布団から上半身だけを持ち上げた状態で、なにもせず、どこも見ないまま、廃人のように項垂れ、そしてそれを絞り出すように言うので、説得力がまるで違った。さすがモノホンの40代なのだった。
 そんなファルマンは、日曜日になった今日現在、やはりまだ気怠そうだ。でももう季節は容赦なく真夏に移行したし、夏休みに入った子どもたちは毎日家にいる。もうこれから2ヶ月、ファルマンが本当の意味で清々しく快調になることは、決してないのかもしれない。そして考えてみれば、ファルマンって毎夏こんなもんじゃなかったっけ、とも思う。

 音楽のサブスクのやつ、家族各人それなりに活用し(なんと言っても中学生が一番だが)、どうやら契約はこのまま継続され、わが家に定着されそうな様相である。
 ところで先日これに関してヒヤリとする出来事があったのだが、あるときポルガから急に、「パパ、落語とかダウンロードしてたね」と言われたのである。えっ、なんで知ってるの、と訊ねたら、「フォローしてるから」とのことで、どうもデフォルトの、非公開にしていないアカウント設定では、フォロワーに対してプレイリストなども丸裸であるようで、もちろんアカウント名が本名というわけではないのだが、それにしたって嫌なので、慌てていろんな項目を非公開設定にした。
 どうも感覚が現代のそれに追いついていないのだが、なんで、なんで音楽をダウンロードし、そして聴くサービスに、「データベース」と「自分」以外の、横の繋がりが必要なのか。こちらは、そんな繋がりの可能性を、はじめからまるで想定していないのだから、非公開設にするという考えが浮かぶはずもない。そして現代っ子には丸見えとなっていた。
 これは恐怖である。
 結果的にダウンロードしなかったのだが、あるとき、音声データみたいな感じで、延々と喘ぎ声が流れ続けるのってないかなー、と検索を掛けたことがある。そうしたらそれっぽいものがそれなりに出てきたのだが、でももしも操作をミスって家族でのドライブのときに再生されちゃったらまずいしなー、と思って取り込まなかった。九死に一生である。家族でのドライブのときにミスって流すどころの話ではない。もう少しで娘に喘ぎ声のダウンロードを目撃されるところだった。
 今回のヒヤリハットを肝に銘じ、これからの人生で取り入れるさまざまなサービスは、基本仕様として横の繋がりが推奨され、さらけ出すことが初期設定になっている、だから取りも直さずあらゆる項目を非公開に設定しなければならない、と思った。ライフハックだ。

 体調不良を経て、体に老廃物的なものがまつわりついているような感覚があり、サウナ欲が高まっていた。サウナって、行ったら行ったで、こんなもんか、という感じなのだけど、行きたいなあと切望するときの期待値と来たら、いつもとんでもないものがある。
 というわけで暑気払いも兼ね、久々におろち湯ったり館へと足を運んだ。土曜日の晩。さすがに夏なのだからプールが混んでいるかな、と危惧していたが、大丈夫だった。貸し切りだった。木次は裏切らんな。木次は1年のうち、桜が満開の1週間しか人が密集しない。本当にそう。そういう習性の希少生物のようだ。
 サウナも気持ちがよかった。相変わらず客は僕以外みんな顔見知りで、どこまでも田舎臭い話をしていた。あまりにもリアルで、あまりにも別世界なので、逆に僕はいま都会のタワーマンションにいて、VRゴーグルを着けてこの情景を疑似体験しているのではないかという気持ちになった。マニアックなソフトだな。
 サウナで老廃物が排出されるということは特にないらしいが、そうは言っても、なんかしらのものは払われた感じがたしかにある。だから行ってよかった。行くたびに、もう少し近くにあって、もう少し頻繁に行ければなあ、と思うが、このくらいの距離感が、あのサウナの別世界感を得るにはちょうどいいのかもしれないとも思うのだった。あのクソみたいな田舎臭さも、おろち湯ったり館の魅力であるに違いない。