2023年4月23日日曜日

髪染め・平井・12年

 予告通り、髪の毛を染める。やはり脱色しただけだと、脱色しただけだな、という感じの金茶色でしかないので、早急に入れないわけにはいかなかった。色は店頭で大いに悩んだ挙句、緑色っぽいアッシュみたいな、なんかそんなものを選んだ。せっかく脱色をしたのだから、栗色みたいな無難なものにするのももったいないよな、ということを思ったのだった。だから緑色と最後まで迷ったのは、ピンク色だった。結果的に、緑がかった金髪というか、くすんだ黄緑というか、だいぶ表現しづらい色合いの、なかなか悪くない感じになった。もっともカラー剤というものは、これから数日間で刻々と色が変化するので、最終的にどう落ち着くのかは分からない。とりあえず、髪もだんだん伸びてきて、形が自分の中で徐々に受け入れるようになってきたこともあり、なんとか挫けずに済みそうだ。よかった。先週の散髪後は、本当に挫けそうだった。

 鳥取県の平井知事が、今話題のChatGTPを、県の機関で使用することを禁止したという話の中で、映像で実際にそれを発しているところは見つけられないのだが、「ChatGTPに頼らず、ちゃんとじーみーちーにやっていくべき」みたいなことを言ったそうで、ChatGTPというものに関しては、当座のところ自分には無関係なのでなんの感情も持っていないのだが、ChatGTPそのものには思うところがなくても、ChatGTPで遊んで調子に乗ってる輩のことはもちろん忌々しく感じていたので、平井知事のこの、奴らの盛り上がりに冷や水を浴びせるような、腰が砕けそうになるダジャレは、とてもすばらしいと思った。そもそも「チャットジーティーピー」という、扱う人のことを考えていない、作った側の事情だろう一方的な名称が気に喰わなかった。いや、気に喰わずにいたのだ、ということをこのダジャレによって気づかされた。名称のイラっと感、そして持て囃す輩へのイラっと感が、「ちゃんとじーみーちー」というダジャレによって、見事に浄化された。尊い。もっとすさまじく褒められるべきなのに、そこまでこのフレーズが世間で取り沙汰されている感じがなくて、悔しい。年末までみんなで風化させずに守り続けようよ。

 2011年に、12年後にまた記事を投稿すると宣言した「KUCHIBASHI DIARY」に、このたび記事を投稿することができたのだった。とても感慨深かった。12年は、香港割譲の99年にも通ずる、事実上の永久、みたいな感覚があった。12年したら12年後が来るのは分かっていたが、あまりにもイメージすることができなくて、来ない気もしていた。来てみれば、12年後の僕は、住んでいる場所や職業こそ変わったが、人間そのものは、当時から別段変わっていることもなくて、なるほどそれは、ブログのトップ画面に、10個の最新記事が並ぶ中で、ひとつ前の記事と最新の記事の更新日時には12年の隔たりがあるという、ただそれだけのことだな、という感じがある。記事は同じように並ぶ。年月が隔たるだけである。なんか、そういうことだな、と思った。ちょっと取り組んだことが珍しいので、あまりこの感覚は理解してもらえないかもしれない。みなさんもやってみたらいい。12年後ブログ。12年かかるけど。

2023年4月18日火曜日

あまちゃん・髪・予報

 BSで「あまちゃん」の再放送が始まり、録画して観ている。おもしろい。放送が2013年だというので、ちょうど10年前ということになる。
 10年前の本放送時は第一次島根移住の頃で、3月で酒蔵の仕事を終え、4月からは洋服のお直し店に勤めていた。その勤務は午後からだったので、「あまちゃん」はちょうどその当時の生活リズムにマッチして、朝ふつうに観ることができたのだった。ドラマ自体が格別おもしろいのに加え、このドラマには個人的にそういう感慨もある。
 それにしても、10年後の今から見ると、震災のわずか2年後に、コメディタッチのこのようなドラマをやるなんてけっこう大胆だな、と思うのだが、当時はそんなことは思わなかった。丸2年は、その丸2年の当事者にとっては、大きい隔たりなのだ。しかし10年後の人間から見ると、2年なんて直後のように思えてしまう。僕の母は1954年生まれなのだが、僕は子どもの頃、母は戦後の生まれだと感じていた。しかし実は終戦から9年も経っているわけで、もちろん当時の空気感は分かりようもないが、たぶんあまり戦後という感じではない。これは大人になってからそう思うようになった。だから下手すれば1983年生まれの自分もまた、自分の子どもや、その子どもの目から見て、戦後の生まれのように思われてしまうかもしれない。なにしろ我々は、源頼朝などと同じ、1000年代生まれなのだから。

 散髪が失敗し、テンションが下がっている。救済策として脱色はしたものの、やはり形の気に入らなさは如何ともしがたく、鏡を見るたびに落ち込んでいる。何年間かにいちど、喉元を過ぎて熱さを忘れてしまうようで、短髪を求め、その似合わなさに絶望するはめになる。一生の大半を、丸っぽい、ちょいモサな髪型でやってきたのだから、僕の顔はもうその髪型に適合する仕様になっているのだ。忘れちゃダメじゃないか。
 鏡を見るたびにテンションが下がるんだ、ということをファルマンに嘆いたら、「あんたはこれまでそんなに自分のビジュアルが好きだったのか」と驚かれた。そう言われて改めて考えてみると、まあ好きなんだと思う。自己愛。ちょいモサの自分の愛しさ。
 ああ早く髪が伸びてほしい。
 そしてこの経験を通して、しみじみと思った。
 禿げたくない。

 帰省しないでいいGWに、心が躍っている。帰省しない代わりに何をするということもない。予定がないことが尊いのである。しかしずっと家や実家でダラダラというのもさすがに、ということでレジャー的な計画を立てた。予約申し込みをするタイプのレジャーである。その申し込みをするにあたり、日取りをどうするかファルマンと話し合う。タイミング的にこの日がいいだろうと決めたところ、ファルマンが天気予報を見て、「その日は雨の予報だ」と言ったのでびっくりした。GW、まだ半月後である。週間天気さえろくに当たらないのを何度も目の当たりにしてきたのに、半月後の天気予報を、見て、そしてそういうことを言ってくる。阿呆か、と思う。それでも予約は入れないといけないので、その日に入れた。もう天候は出たとこ勝負でしょうがない。しょうがないはずなのに、もしも当日が雨だった場合、半月後の、なんの信憑性もない天気予報を見て、「その日は雨らしいよ」と言った人が、たまたまの正解を振りかざして、「ほれ見たことか!」となることを思うと、すごく嫌な気持ちになる。嫌な想像を巡らせ、水を差しておく人、すなわち正常性バイアスの真逆を行く人って、卑怯だと思う。

2023年4月6日木曜日

ポルガと卒業式・甥と屈託・とんびと稲荷ずし

 帰省のどさくさできちんと書けなかったが、ポルガは小学校を卒業したのである。卒業式は、もちろん僕も出るつもりだったのだけど、あの4連休の前日の金曜日だったので、さすがに有休を取るのが気まずく、あきらめた。ちなみに卒業式のポルガの服装は、去年作った「礼服ワンピース」。読み返したらこの記事内でしっかりと予言していたが、本当に小学校の卒業式で着せることになった。「胸に華やかな飾りでもつければ」とも書いていたが、それはたぶん学校で紅白のロゼット的なものが配布されるだろうと予想し、ワンピースの上に、このために買ったライトグレーのニットカーディガンという、とてもシンプルな感じに仕上げた。当日の写真を見たら、クラスの集合写真において、女子の6割くらいが、色彩の暴力のような袴を着ていたので、うちの子の清楚さが際立っていた。それにしても小学校の卒業式は今、あんなことになっているのか。色味的に、どうもスタジオアリス界隈の気配を感じる。ハーフ成人式もいつの間にか浸透してきているし、あの業界というのはなかなか政治力があるようだと思った。僕は娘が手作りのワンピースで卒業式に出てくれて、とても嬉しかった。

 サッカーチームの合宿で前回会えなかった横浜の甥だが、実は今回もギリギリであり、われわれが帰ってすぐ、学校が春休みに入ったタイミングで、早々に合宿に出たという。前回はたしか北関東とかだったと思うが、今回の合宿先はイタリア。……へっ? という話だが、なんでも所属しているサッカーチームは、イタリアのチームの出先機関というか、あるいは提携しているんだか、詳しいことはよく知らないが、とにかく繋がりがあるため、そういうことをするらしい。ちなみに言っておくが、甥にすばらしいサッカーの才能があって見初められて、とか、そういうことでは一切ないそうである。もちろん普通にお金を払って参加するわけで、合宿というより、レクリエーションというか、子どもの人生経験&春休みの厄介払いみたいな意味合いが強そうだと感じた。
 つい先日、甥が無事に帰宅したとのことで、現地での映像が母から送られてきた。そこに映っていたのは、最終日、向こうのサッカーチームの少年たちとハグをして別れの挨拶をする甥の姿で、向こうのサッカーチームの少年たちは、白人も黒人もいて、同世代のはずなのに甥よりもはるかに身長が高く(甥は日本でも小さいほうだ)、それなのに甥はそれらとぜんぜん臆することなくやり取りをしていたので、なんだこいつマジで、と思った。
 なんで甥はこんなに屈託がないんだろう。僕の小学校5年生時代は、絶対にもっと屈託があった。屈託の塊と言ってもよかったと思う。甥の精神に、その母、すなわち姉のほう、つまりは僕を含むこちら側の一族の血は、一滴も入っていないのではないかと思う。こんなに屈託がない人間を、僕は他にひとりしか知らない。義兄だ。
 あんなにも屈託がない人間にとって、世界はどう見えるのだろう。屈託がない、人間関係で悩んだことがなさそうな人を見るたびに、初めてのセックスがさぞ早かったろうな、ということを思う。年頃になれば、狂おしいほど好きというわけでもない、それなりに仲よくしている女の子に向かって、「セックスってめっちゃ気持ちいいらしいから試してみねえ?」くらいの感じで、セックスを行なうのだろうと思う。そして50人も100人も相手にするのだろうと思う。もちろん義兄のその類の話など聞いたことはないが、そういうイメージを持っている。イメージというか、屈託を持っている。もはや屈託こそが僕のアイデンティティだ。
 甥の姿を見て、そんなことを思った、39歳の叔父であった。

 先日のおろち湯ったり館で、ベンチに全裸で横になるのがいつものことながら気持ちよかった、ということを書いたが、実はその際、青空に桜の花びらが舞うと同時に、とんびも旋回しており、目をつむって快楽を味わいながら、頭の片隅に、(もしもとんびが、俺のちんこを果実や小動物などと見間違えて喰いついてきたらどうしよう)という思いが去来して、少しゾクゾクした。この10日ほど前、鎌倉の由比ガ浜において昼ごはんを食べようとしたら、上空を何羽ものとんびが旋回する、という出来事があった。このときわれわれが食べようとしていたのは、奇しくも稲荷ずしであった。そうだ、稲荷ずしと見間違われるかもしれない、稲荷ずしとフランクフルトに見えてしまうかもしれないと思った。サウナ後の朦朧もあってかさらに思いは巡り、「おもひでぶぉろろぉぉん」で読んだ当時の文章に、「曾孫物語」というものがあり、これは今わの際の老人のもとに、遠方に住むはずの曾孫の少女たちが次々にやってきて、なぜか少女たちが老人の肉体に唇を寄せてくるのだが、それは実は生きながら鳥葬に処されている老人の最期に見た夢であった、というなんともいえないお話で、そのことも思い出した。そして、もしも食べ物に見間違われて外気浴中にとんびに啄まれたとしたら、それはそれでいいな、僕の最終的な将来の夢、性に関する象徴的な存在となり神社が建立されてほしい、の実現が一歩近づくかもしれないな、と思った。
 結果的に、とんびはやってこなかった。桜の花びらだけが亀頭に舞い落ちた。

2023年3月16日木曜日

花粉・娘・アーティスト

 今年は花粉がひどい、ということが叫ばれていたが、あまりピンと来ていなかった。春の花粉にはあまり影響を受けない体質だからだ。ところが昨日になって、急にガツンとした攻撃を受けた。花粉症の症状って、くしゃみと鼻水が止まらず頭がボーッとなる、というのが一般的なイメージで、もちろんそれはとてもつらいのだが、しかしなんとなく愛嬌があるというか、悲愴感はあまりないものだと思う。ところが僕のそれはそういうんじゃなく、鼻水も出るには出たがそこまでではなく、ただただ体がしんどくなり、一刻も早く眠りに就きたい……、とひたすら願うだけの感じで、アルコールで酔うのでも、笑い上戸とか泣き上戸とか、そういう賑やかな酔い方なら興があるけれど、ただ気持ち悪くなってテンションが下がるタイプのやつだとなんのメリットもないように、なんか本当に救いがなく、つらかった。夜にアレルギーの薬を服んで、8時間くらい寝たら、今日はだいぶ回復した。薬はありがたいな。薬にもたれかかり、依存して生きていきたい。

 ポルガが小学校を卒業するのだ。びっくりする。3年前くらいに、銀座にランドセルを買いに行った気がするのに。そしてそのとき、6年間もあるという小学校生活は、たぶん永遠のように長く感じられるんだろうと思ったのに。信じられない。
 このところ、ポルガの小学校の卒業、および中学の入学準備と同時に、父親である僕は僕で個人的に「おもひでぶぉろろぉぉん」をしているため、それで余計に感慨深くなっている。39歳の今の僕と、22歳の大学4年生の僕と、12歳の小学生から中学生になろうとしているポルガと、そして僕がポルガに対してたぶん一生抱き続けるのだろう5歳児くらいのイメージが、まるで「This is us」のように入り交じっているのだった。
 ポルガは今年度、集団登校の班の班長をしていたのだが、代替わりによって、これまで副班長だった子が班長になり、そして4年生となるピイガが副班長だそうだ。ピイガが副班長。なんだそれ。あの2歳児が副班長だなんて。

 音楽のサブスクのやつを契約したのだが、そのアカウント作成の際に、「好きなアーティストを3組挙げてください」と言われ、大いに悩む。これまでの人生で、そんなこと考えたこともなかった。挙げたら単にその歌手の曲を案内されるだけのことなのだが、その回答によって、人生観であるとか、人間性であるとか、心の内を見透かされるのではないかと思った。
 そして大いに悩んだ末に僕が挙げたのが、「MAX」「桜田淳子」「純烈」だった。
 いったいどんな心の内なのか。

2023年3月5日日曜日

ブッダ・豆腐・プール

 ポルガが、「図書館で本を予約したので仕事の帰りに図書館に寄って借りて帰ってほしい」というので、軽い気持ちでカウンターに赴いたら、職員が書棚から持ってきたのは愛蔵版の分厚い「ブッダ」(手塚治虫著)全8巻だったので戸惑った。
 苦労して持って帰ったから、というわけでもないが、せっかくの機会なので読んでみることにした。手塚治虫って、読み始めたらおもしろいことは分かっているのに、なぜか能動的には読もうという気持ちにならない。きっかけを与えられて、初めて読めるのだった。
 借りて帰ったのが土曜日の夜で、日曜日の夜に読み終えた。丸一日で一気にブッダの人生を駆け抜けた。そんな読み方になったのは、もちろんとてもおもしろかったからで、手塚治虫ってやっぱり半端ないな、と思った。内容的にはブッダという、仏教を作った人の伝記として読むべきなのかもしれないが、実は主人公はブッダでなくてもなんでもいいと思う。ブッダという人がどうこう、という感想は特になくて、ただひたすらに、手塚治虫がすごい、という思いばかりを抱いた。それが感想として正解なのかどうかは判らない。
 ポルガはもちろんのこと、ファルマンも読んで、しばらくわが家では「ブッダ」のワードが流行った。日常の中で「悟り開いたわ」と頻繁に悟りを開いたし、ピイガが四つん這いになったりすると、すかさず「お前はナラダッタか」などと言った。きもい家庭。

 ファルマンが実家から豆腐をもらってきて、それが翌日の味噌汁に入っていたのだけど、ちゃんとした昔ながらの豆腐屋で購った、いわゆる「いい豆腐」なのだろうそれは、普段自分がスーパーで買うようなものと違って、なんかしっかり大豆から作られている感じがあって、それが、うん、あまり口に合わなかったのだった。たぶん、たぶんではなく確実に、豆腐としては、そっちが正道であるに違いない。豆腐というのは本来ああいうもので、それに較べてスーパーの安いそれは、大豆をなんらかの経済的合理性のもとで加工したものを添加物で固めた、いわば豆腐のまがいもののようなもので、中尾彬なんかは絶対に認めないのだと思う(こういうときに思い浮かぶのはいつも中尾彬)。でももう僕は完全にそっちに染まってしまっていて、本物の豆腐は主張が強すぎて受け入れづらかった。
 だいぶ前に、道の駅で、地元の主婦が作ったというナチュラルな草餅を買って帰ったら、増粘多糖類とかが入っていない餅は硬くてパサパサしていたし、さらにはよもぎの主張も強すぎて、食べられなかったことがあった。
 それでいいのか、と少しだけ思うが、別にぜんぜんいいんじゃないの、と大部で思う。

 3月になりプールが再開して、さっそく行く。一ヶ月ぶりのプールは、それは気持ちがよかった。やっぱり泳ぐというのは、日常であの体の状態、あるいはそれに近似した状態になることが本当にないので、たまらないと思う。水中にあり、泳いでいる間、陸上の人生とは、別の世界の別の人生を生きている気がする。
 でも1ヶ月ぶりの水泳が快適にできたかと言えば実はそんなこともなく、ストレッチや筋トレなどは2月だってそれなりにしていたはずなのだけど、それでも肩回りが往時よりも強ばっていたらしく、肩を回す動作に重みがあった。これからまた頻繁に通い、心と体を整えていきたいと思う。

2023年2月27日月曜日

散髪・天文・時事

 ファルマンに髪を切ってもらう。月曜日の夜に。それなら週末に切ってもらえよという話なのだが、週末はまだ散髪の意欲が高まっていなかった。ポルガが、卒業式に向けて、人生初の美容院でのカットを行なったのが日曜日のことで、ファルマンは「ポルガも切ったし、残りはパパだけだね!」と執拗に言ってきたのだが、その時点では「まだ切んねーし!」と拒んでいた(前にも言ったが、北風と太陽効果もあったかもしれない)。しかし週が明けて出勤したところで、「切る! 絶対切る! できれば今夜切ってほしい!」というほうに針が一気に振れた。なんでかは自分でも分からない。あれほど大事にしていた長髪が、急にただの煩わしいものになった。うんこは、それまで自分の体の内側にあったのに、体の外に出した瞬間にただの汚らしいものになるが、本当にそんな感じで長い髪が急に疎ましくなった。長い長い、半年以上の排泄が終わったということなのかもしれない。
 なかなかに短く仕立ててもらい、すっきりする。短くなっての、髪を洗って乾かす作業の簡便さは、あらかじめ予想が立ったため、実はそこまでの感動はなかった。それよりも風呂上がり、バスタオルを腰に巻いただけの状態で鏡の前に立ち、頭の具合を見ようと思ったのだが、頭よりも体に目が行って、うおっ、となった。鏡の中の僕は、いい体をしていた。これまで、せっせと筋トレをしているわりにぜんぜん筋肉がつかないと思っていたが、実はそんなことはなく、しかしこの半年、筋肉がつくと同時に、髪も伸びていたので、体の成長と、頭の体積の増大が同時進行し、相対的なスケール感にいつまでも変化がなかったのだと気が付いた。それが頭の体積が一気に削減されたため、体が大きく見えるようになったのだ。ライオンの逆の作用だな、と思った。

 天体観測体験、みたいな企画に家族で参加した。さらりと書いたが、2月である。寒かったのはもちろんのこと、なにぶん山陰のことなので、雲が立ち込め、さらには途中から雨まで降り、なかなか十全には観測できなかった。もっとも観測のために山の中へ行くとか、そういう本気の催しではなかったので、そこまでの被害ではなかった。
 プラネタリウムも見せてもらい、冬の夜空の説明を受ける。オリオン座や、おおいぬ座など、ほうほうと興味深く聞いた。天体の話って、取り止めがないのでこれまであまり好きではなかったのだが、わりと愉しく聞けた。これも花鳥風月みたいなものなのか、だんだん情趣が受け入れられるようになるのかもしれない。
 冬の夜空の一等星の話を、神話も絡めて説明した後、「この6つを繋げてできる六角形が、冬のダイヤモンドです」などと言われ、思わずキュンとした。説明役は坊主で小太りの眼鏡の中年男性だったのだが、それだのに。天文話はずるいな。

 「フレーズで振り返る20年の歩み」に投稿もしたのだが、2005年の9月に僕は携帯電話を新しくしていて、それまで持っていた携帯電話について、「メモリースティックがパソコンで読み取れなくて不便だった」と書いていて、わー! となった。
 メモリースティック!
 ソニーの携帯電話を使っていたので、記憶媒体がメモリースティックだったのだ。メモリースティックという存在を、本当に久しぶりに思い出した。言葉は思い出したが、形状が画像として浮かばなかったので、わざわざ検索した。そうしたらやはり、わー! となった。
 18年前の日記、おもしろい。その少し前には、ホワイトバンドについても触れていた。時事ネタも、15年以上経つと感慨深くなるので、書いておくべきだな、と思った。

2023年2月18日土曜日

ペース・寒さ・長髪

 19年分の日記ということは、すなわち228ヶ月分の日記ということである。20周年である来年の2月6日までにそれを読み終えようと思ったら、2日で1ヶ月超を読まなければならない計算になる。
 それは無理ですよ。
 2月に入って本格的に開始したこの作業、半月が過ぎ、2004年9月(の途中)から、2005年6月までようやくたどり着いた。これでやっと9ヶ月。半月のノルマが9ヶ月から10ヶ月なので、ギリギリセーフである。しかし開始早々からギリギリセーフではよくないだろう。だって、どうせ途中でダレる。断言する。ペースは絶対に落ちるのだ。それなのに最初から平均点では、だいぶ見通しは厳しい。
 (読み返し作業をする身にとっては)幸いなことに、あまり書いていない期間というのも存在する。しかしその一方で、こいつブログしか人生の娯楽がなかったのかな、というくらい異様に書いている期間もある。そして頻度としては後者のほうがよほど多い。
 あまりにも遠い、まだ21歳の頃の日記を眺め、そのあとに起るさまざまなことを経た今の自分は、今の自分に至るまで、そこにたどり着くまでの日々に綴られた情報量の多さが実感として察せられるので、その怒涛さに、クラクラする。
 もちろんとても愉しいのだけど。「おもひでぶぉろろぉぉん特設サイト フレーズで振り返る20年の歩み」、日々更新しております。これを見れば読み返し作業の進捗状況が一目瞭然という仕組みです。

 寒さが身に沁みる。正月が終わったあと、「これからは年末年始というゴールが失われた、ただの陰鬱な山陰の冬である」というようなことを書いた。本当にそうだ。2月に入り、もう寒さのピークは過ぎたな、と自分に言い聞かせるように主張したけれど、実際のところまだまだ寒い。日は少しずつ長くなってきた感じがあるが、寒さはまだ変わらぬ威力で続いている。寒さは一定だが、心はすり減っているので、1月よりつらみが強い。
 つらみと来ればセットで付いてくるのがうらみで、前向きなのかなんなのか自分でもよく分からないが、あったかくなったらこの野郎、覚えとけよ、という、一族を抹殺された少年のような思いが、頭の中に巣食っている。春になったら、この鬱憤をとことん晴らしてやる。せいぜい覚悟しとけよと、一体なにに差し向けたものか自分でもよく分からない、並々ならぬ敵意がある。くじけず生き抜くための精神作用なのだろうが、あまり健全ではないな、とも思う。寒い国の戦争意欲を理解することに繋がってしまうから。

 髪をとことん伸ばした。具体的にいつからだったかもう定かではないが、伸ばすほうに振れた時期がよかったように思う。男にとっての長髪に移行する時期と、秋から冬への寒さが増してくる時期がうまく噛み合い、髪を切らない大義名分が得られた。去年もそんなことを言ったような気がするが、今年は、今は、人生でいちばん髪が長い。「アトムの童」の山崎賢人くらいの長さ。外出時は必ずゴムで結っている。
 しかしいつまでも伸ばすわけではない。自分の中でも潮時は感じ取っている。乾かすのも時間が掛かるので、もう少し暖かくなれば、切るのもやぶさかじゃない。やぶさかじゃないのだが、他者から、他者というかファルマンなのだが、「切れ」だの「見苦しい」だのと言われるたびに、「なにを!」となり、散髪のタイミングがどんどん後ろにずれ込むのだった。まんま「北風と太陽」である。乱暴に取っ払おうとされるたびに、僕は必死でコートを守ろうとする。そのような類の言葉を掛けられるたびに、そこまで信念のあったわけでもなかった長髪が、必ず守らなければならないもののようになる。今のこの長さは、そんなファルマンの口さがない言い様を養分にして醸成されたと言っても過言ではないと思う。
 春になれば切る。切って、今度はまた色かな。