帰省のどさくさできちんと書けなかったが、ポルガは小学校を卒業したのである。卒業式は、もちろん僕も出るつもりだったのだけど、あの4連休の前日の金曜日だったので、さすがに有休を取るのが気まずく、あきらめた。ちなみに卒業式のポルガの服装は、去年作った「礼服ワンピース」。読み返したらこの記事内でしっかりと予言していたが、本当に小学校の卒業式で着せることになった。「胸に華やかな飾りでもつければ」とも書いていたが、それはたぶん学校で紅白のロゼット的なものが配布されるだろうと予想し、ワンピースの上に、このために買ったライトグレーのニットカーディガンという、とてもシンプルな感じに仕上げた。当日の写真を見たら、クラスの集合写真において、女子の6割くらいが、色彩の暴力のような袴を着ていたので、うちの子の清楚さが際立っていた。それにしても小学校の卒業式は今、あんなことになっているのか。色味的に、どうもスタジオアリス界隈の気配を感じる。ハーフ成人式もいつの間にか浸透してきているし、あの業界というのはなかなか政治力があるようだと思った。僕は娘が手作りのワンピースで卒業式に出てくれて、とても嬉しかった。
サッカーチームの合宿で前回会えなかった横浜の甥だが、実は今回もギリギリであり、われわれが帰ってすぐ、学校が春休みに入ったタイミングで、早々に合宿に出たという。前回はたしか北関東とかだったと思うが、今回の合宿先はイタリア。……へっ? という話だが、なんでも所属しているサッカーチームは、イタリアのチームの出先機関というか、あるいは提携しているんだか、詳しいことはよく知らないが、とにかく繋がりがあるため、そういうことをするらしい。ちなみに言っておくが、甥にすばらしいサッカーの才能があって見初められて、とか、そういうことでは一切ないそうである。もちろん普通にお金を払って参加するわけで、合宿というより、レクリエーションというか、子どもの人生経験&春休みの厄介払いみたいな意味合いが強そうだと感じた。
つい先日、甥が無事に帰宅したとのことで、現地での映像が母から送られてきた。そこに映っていたのは、最終日、向こうのサッカーチームの少年たちとハグをして別れの挨拶をする甥の姿で、向こうのサッカーチームの少年たちは、白人も黒人もいて、同世代のはずなのに甥よりもはるかに身長が高く(甥は日本でも小さいほうだ)、それなのに甥はそれらとぜんぜん臆することなくやり取りをしていたので、なんだこいつマジで、と思った。
なんで甥はこんなに屈託がないんだろう。僕の小学校5年生時代は、絶対にもっと屈託があった。屈託の塊と言ってもよかったと思う。甥の精神に、その母、すなわち姉のほう、つまりは僕を含むこちら側の一族の血は、一滴も入っていないのではないかと思う。こんなに屈託がない人間を、僕は他にひとりしか知らない。義兄だ。
あんなにも屈託がない人間にとって、世界はどう見えるのだろう。屈託がない、人間関係で悩んだことがなさそうな人を見るたびに、初めてのセックスがさぞ早かったろうな、ということを思う。年頃になれば、狂おしいほど好きというわけでもない、それなりに仲よくしている女の子に向かって、「セックスってめっちゃ気持ちいいらしいから試してみねえ?」くらいの感じで、セックスを行なうのだろうと思う。そして50人も100人も相手にするのだろうと思う。もちろん義兄のその類の話など聞いたことはないが、そういうイメージを持っている。イメージというか、屈託を持っている。もはや屈託こそが僕のアイデンティティだ。
甥の姿を見て、そんなことを思った、39歳の叔父であった。
先日のおろち湯ったり館で、ベンチに全裸で横になるのがいつものことながら気持ちよかった、ということを書いたが、実はその際、青空に桜の花びらが舞うと同時に、とんびも旋回しており、目をつむって快楽を味わいながら、頭の片隅に、(もしもとんびが、俺のちんこを果実や小動物などと見間違えて喰いついてきたらどうしよう)という思いが去来して、少しゾクゾクした。この10日ほど前、鎌倉の由比ガ浜において昼ごはんを食べようとしたら、上空を何羽ものとんびが旋回する、という出来事があった。このときわれわれが食べようとしていたのは、奇しくも稲荷ずしであった。そうだ、稲荷ずしと見間違われるかもしれない、稲荷ずしとフランクフルトに見えてしまうかもしれないと思った。サウナ後の朦朧もあってかさらに思いは巡り、「おもひでぶぉろろぉぉん」で読んだ当時の文章に、「曾孫物語」というものがあり、これは今わの際の老人のもとに、遠方に住むはずの曾孫の少女たちが次々にやってきて、なぜか少女たちが老人の肉体に唇を寄せてくるのだが、それは実は生きながら鳥葬に処されている老人の最期に見た夢であった、というなんともいえないお話で、そのことも思い出した。そして、もしも食べ物に見間違われて外気浴中にとんびに啄まれたとしたら、それはそれでいいな、僕の最終的な将来の夢、性に関する象徴的な存在となり神社が建立されてほしい、の実現が一歩近づくかもしれないな、と思った。
結果的に、とんびはやってこなかった。桜の花びらだけが亀頭に舞い落ちた。