パズルをやめた。嵌めやすい部分をサクサク嵌める愉しい期間が終わったあと、それでも10日間くらいは粘っていたが、やはりどうしたって時間と労力に対して成果が見合わず、それに部屋の一角もずっと占領されていて困る、ということで中止の決断をした。だって本当にマジで、嵌められずに残っているピースというのがすべて、「茶色」「黒」「緑」の、クスノキの一部でしかないものであり、それを数十分にひとつくらいのペースで嵌めていく作業は、気が狂いそうになるくらいおもしろくないのだった。ちなみに姉一家のほうは完成させたという。なにぶん姉は自腹で購入しているという意地があるので、やらざるを得なかったろうと思う。タダで手に入れた我々にその活力はない。
パズルは、嵌められた部分はなるべく大きな塊のまま箱に戻し、またいつか発起して取り組むとき(たとえば第2波が来たときとか)が来たらやろうね、ということで押し入れの奥に仕舞った。
パズルがそんな結末になったため、ご丁寧にセットで送られてきた額縁が、浮いてしまった。1000ピースのパズル用の額縁なので、薄いものとはいえこれもかなり嵩張る。なのでこれは押し入れに仕舞うより、いっそのことポスターでも買って壁に取り付けよう、という話になった。それでなんのポスターにするかを夫婦で考え、僕は部屋に飾るポスターといえば上杉和也の顔写真のアップだろうと思い、そんな商品はあるだろうかと検索したのだが、残念ながら存在しなかったため、ファルマンの案でビートルズのものを注文した。まあ無難でいいと思う。
それにしてもようやくパズルから解放されてやれやれだ。もう我が家にとってこの日々が、コロナ禍だったのかパズル禍だったのか判然としない。ようやくの宣言解除だ。
「nw」にデザイン布マスクの製作・販売について書き綴ったちょうど翌日に、ヤフーニュースに「布マスクの功罪」みたいな記事が載っていて、興味深く読んだ。やっぱりこのご時世に布マスクで儲けようとするのは、相当な信念がなければただの便乗商法になってしまうのだなあ、と自戒を込めて納得した。何度もいうけど僕は、もう布マスクをマスクとは思ってなくて、「気に入ったデザインの布製品で顔の半分を覆ってもオッケーな時代がやってきた!」というスタンスでこの状況を捉えている。そしてこの暑さも手伝って、その流れはますます加速していくのだと思う。というのも、先日眺めていたネットのアパレルショップでは、「通気性抜群!」という売り文句でオリジナルのファッション布マスクを販売していたからだ。もはやマスクでもなんでもない。
オシャレに敏感で、そしてこれまでマスクの習慣のなかったヨーロッパの人たちは、この時代の流れに対してだいぶ忸怩たる思いがあるようで、「マスクは口輪のイメージ」と記事内のフランス人デザイナーは語っていた。馬なのか奴隷なのか拷問なのか判らないが、そうか、ヨーロッパの人たちにとって、口を覆うというのはそういうことなのか、と考え方の違いに驚いた。このデザイナーはそれでも実際にマスクを作って販売しているのだが、それにあたり中央に縫い目のあるデザインを選ばなかったという。その理由として、「戦士の甲冑のようで見た人を緊張させてしまうから」と答えていた。どうもこの人の発想には、フランス人の民族的なトラウマがだいぶ影を落としているように思えてならないが、しかし立体型マスクを忌避するのは僕も同じで、「不穏な、物騒な、由々しき感じがして、僕は怖い」(「nw」より)ということをいっていたが、それもまた日本人のトラウマとして、地下鉄サリン事件の映像とか、そういうのが影響しているのかもしれないとこの記事を読んで思った。四角いマスクは風邪や花粉用、立体マスクは化学兵器用、みたいな刷り込みが、そういわれてみるとあるような気がする。じゃあコロナウィルスはどっちなの、と問われると、またちょっと難しい話になってくる。
この外出自粛の4月5月に、若者からの妊娠に関する相談が例年に比べてとても増えた、というニュースを目にする。目にして、腑に落ちる気持ちと、腑に落ちない気持ちがない交ぜになり、心が千々に乱れた。前者の落ちているほうの気持ちは、理性的な思考で、そりゃあ家で暇にしてたらセックスになるわなあ、と納得をしている。テレワークで家族全員がずっと家にいるようになった家もあれば、親はやはり出勤で子どもだけが残されるパターンの家もあったろう。そうなったらもう当然の帰結としてセックスということになる。それに対して後者の落ちないほうの気持ちは、若い女の性、それを享受する男がこの世にはいるのだという、いつものそこらへんの部分に対する憤りから、世の不条理を嘆いている。俺が高校生のときにコロナ禍があれば、もしもあればそのときは、うん、うん……、そうだね、コロナとか外出自粛とか中出し推奨とか、関係ないね。なんでもかんでもコロナのせいにしちゃあいけませんよ。
2020年5月25日月曜日
2020年5月19日火曜日
殺してパズル・9月入学・スポーツ
ジグソーパズルがぜんぜん進まない。やたら難しい。子どもの頃、同じく1000ピースで「ウォーリーを探せ」のものをやったことがあり、そもそも実家で姪たちがそれを見つけたことから、今回の姉からの急なジグソーパズル送付は始まっているらしいのだが、あれはここまで難しくなかった。なぜならウォーリーの絵は、隙間がないくらいびっしりと人物や物が描かれているから、手に取ったピースがどこのものか箱を見れば大抵はすぐに分かったのだ。しかし今回の、絵の75%が大クスノキのこれは、トトロやメイなどの分かりやすい部分を嵌めてしまったあとは、ひたすら木の幹の茶色と黒(陰になっている部分)と、葉っぱの緑しかない。だからピースを見ても、全体のどの部分かさっぱり分からない。そのため、長時間やったのに2ピースくらいしか埋められなかった、なんてことになる。とてつもなく時間を無為にしている感がある。ただ上空からの光線に対して、木の幹の、葉っぱの生い茂っている上部は陰になりがちで、それに対して根元のほうは光が直接当たっているために茶色が若干明るいため、その濃淡の加減で、この明るさのピースはたぶんこのあたりだろう、と当たりをつけたりしていると、普段では考えられないほど繊細に色彩を味わっているような気がしてくる。しかし、だからなんだ、という話だ。そんな繊細なセンサーは、生活の中の別の場所で働かせたい。というか、パズルなんて本当にしたくない。一家の誰もしたくなかった。子どもも最初は食いついたけど、難易度の高さに自然と距離が生まれはじめた(当然だと思う)。勝手に送られてきた激ムズのジグソーパズルって、いったいどうすればいいのだろう。あとはもう、辞める勇気だろうか。
にわかに9月入学の話が持ち上がって、でももし実現したとしても、編成が変わるのはピイガのひとつ下の学年からになるようで、だとしたらギリギリセーフ感がある。
最初に話を聞いたとき、じゃあ今まで先輩だったのが同級生になったり、同級生だったのが後輩になったりするのだろうか、などということを思ったが、もう現時点で既に児童・学生になっている世代は(仮に実現したとしても)このままいくものらしい。それはそうか。
僕は9月20日生まれなので、年度が8ー9月区切りになると、4月3日生まれのファルマンほどではないが、学年の中のとても早いほうの生まれということになる。そしてもしも僕らの時代(もはや四半世紀も前)から制度がそうであったとするならば、同級生だった人の一部(たとえばファルマン)は先輩になり、後輩だった人の一部は同級生になるわけで、そんなこといいだしたらキリがないが、人生の形がだいぶ変わってくるなあと思う。今はまだ実現するのかどうか定かではないので、幼児のいる家庭はドキドキものだろう。親が友達同士で、それぞれの子どもが数ヶ月違いで生まれたとして、現行制度なら同学年だったのに、もしも9月入学ということになれば1学年差、なんて状況もある。これはもう現状を鑑みるに、数年後に蓋を開けてみなければ判らない。じゃあこれをシュレディンガーの同級生と呼ぼう。
オリンピックが延期になり、プロ野球、Jリーグ、大相撲も開催されず、スポーツ中継というものが日常からすっかり遠のいた。僕もプロ野球に関して、毎年それなりに愉しんでいるような気持ちになっていたが、なければないでこんなに困らないものかと思った。やってるから見てただけで、他の娯楽っていくらでもある。
その一方で、外出自粛だったり、そもそも施設が休業していたりで、一般の人々の運動欲というのはいよいよ高まっていると思う。かくいう僕がそうだ。プールが徐々に再開しはじめていて、いつ行ってやろうとうきうきしている。
つまり今回のコロナ禍で、人々はこんな結論に至ったと思う。
スポーツは観るものではない、やるもの。
考えてみたらそうだ。人がやってるのを観たって、メリットもないし、ぜんぜん愉しくない。レベルは関係ない。どんな超人的なスーパープレーを観たって、自分で体を動かすのに勝る快感はない。
そんな結論に人々は至り、そしてオリンピックは来年開催されるとかされないとか。
にわかに9月入学の話が持ち上がって、でももし実現したとしても、編成が変わるのはピイガのひとつ下の学年からになるようで、だとしたらギリギリセーフ感がある。
最初に話を聞いたとき、じゃあ今まで先輩だったのが同級生になったり、同級生だったのが後輩になったりするのだろうか、などということを思ったが、もう現時点で既に児童・学生になっている世代は(仮に実現したとしても)このままいくものらしい。それはそうか。
僕は9月20日生まれなので、年度が8ー9月区切りになると、4月3日生まれのファルマンほどではないが、学年の中のとても早いほうの生まれということになる。そしてもしも僕らの時代(もはや四半世紀も前)から制度がそうであったとするならば、同級生だった人の一部(たとえばファルマン)は先輩になり、後輩だった人の一部は同級生になるわけで、そんなこといいだしたらキリがないが、人生の形がだいぶ変わってくるなあと思う。今はまだ実現するのかどうか定かではないので、幼児のいる家庭はドキドキものだろう。親が友達同士で、それぞれの子どもが数ヶ月違いで生まれたとして、現行制度なら同学年だったのに、もしも9月入学ということになれば1学年差、なんて状況もある。これはもう現状を鑑みるに、数年後に蓋を開けてみなければ判らない。じゃあこれをシュレディンガーの同級生と呼ぼう。
オリンピックが延期になり、プロ野球、Jリーグ、大相撲も開催されず、スポーツ中継というものが日常からすっかり遠のいた。僕もプロ野球に関して、毎年それなりに愉しんでいるような気持ちになっていたが、なければないでこんなに困らないものかと思った。やってるから見てただけで、他の娯楽っていくらでもある。
その一方で、外出自粛だったり、そもそも施設が休業していたりで、一般の人々の運動欲というのはいよいよ高まっていると思う。かくいう僕がそうだ。プールが徐々に再開しはじめていて、いつ行ってやろうとうきうきしている。
つまり今回のコロナ禍で、人々はこんな結論に至ったと思う。
スポーツは観るものではない、やるもの。
考えてみたらそうだ。人がやってるのを観たって、メリットもないし、ぜんぜん愉しくない。レベルは関係ない。どんな超人的なスーパープレーを観たって、自分で体を動かすのに勝る快感はない。
そんな結論に人々は至り、そしてオリンピックは来年開催されるとかされないとか。
2020年5月15日金曜日
笑ってジグソー・papapokke・布マスク
姉からジグソーパズルが届く。休校で子どもが退屈してるから買うことにしたから、そちらの分も一緒に注文しといた、という連絡があったのは4月の終わりごろのことで、世の中の人間みんな同じことを考えたのか(風が吹けば桶屋が儲かる的な感じで、コロナが流行ったことで売れているものは医薬衛生品以外にも世の中にたくさんあるようだ)、発送までずいぶん待たされ、つい数日前にようやく届いたのだった。なんの絵柄かは事前に教えてもらえなかったのだが(ポルガが期待したらまずい、ということで「ドラえもんではない」ということは明言された)、文字通り蓋を開けてみたら、「となりのトトロ」だった。そして1000ピース。
休校期間にじっくり取り組む用なので妥当なのかもしれないが、しかし1000ピース。多い。そして絵柄的に、下方にトトロとメイがいるほかは、画面のほとんどの部分が大木となっており、幹の茶色と葉の緑色ばかりで、なかなかの難易度である。もちろん9歳と6歳の娘だけでままなるものではない(また6歳のほうが壊す壊す)ので、親も駆り出される。親も、といったが正確には男親、すなわち僕だ。ファルマンはやらない。やらないというか、できないのである。考えてみたら、できるはずがない。右手に面倒臭がりの精霊、左手に大雑把の精霊を宿してこの世に降り立ったようなファルマンに、1000ピースの、茶色と緑色ばかりのジグソーパズルができるはずがない。「なんで絵をバラバラにしちゃったの」とファルマンはピースを掴んで憤っていた。パズルだからだ。
だから実質、僕が70%、ポルガが25%、残りのふたりで5%くらいの働きで進めている。70%も担っているというと、なんだかジグソーパズルが得意なような、なにしろ姉から届いたわけだし、もしかしてパズルを嗜む系の家の人なのかしら、と思われるかもしれないが、もちろんそんなことはない。(す、すごく時間の無駄だ……)と思いながらやっている。でも居間に簡易座卓を出してその上で取り組んでいるので、完成して額縁に入れてしまわないと(ご丁寧に額縁も送ってくれた)いつまでも部屋が片付かず、それが嫌で仕方なくやり進めているのだった。バイト代欲しい。
minneというハンドメイド作品販売サイトにお店を出して、オリジナルグッズを売り始めた。「nw」にも書いたことで、「nw」と「hophophop」で読者層が分かれているはずもないのだが(そもそも分かれるほどの分母がない)、こちらにもいちおう記し、リンクも貼っておく。商売なのでガツガツしているのである。→PAPAPOKKE
それでガツガツついでに、Twitterも始めた。悖鬼ではない。なんだボッキって。minne舐めてんのか。minneの世界に勃起はない。ただただ素敵な平常世界である。だからTwitterも当然、分ける。別アカウントというやつである。それがこちら。papapokkeである。こちらではminneに出品をしたとか、あるいは家族を中心としたほんわかした内容ばかりをつぶやいていくつもりだ。ちなみにこっちがパピロウの本当。悖鬼のエロ短歌とか、毎日すごく無理してやっている。でもアップしないと人質になっている親友が殺されるので、泣きながらやっている(たまに忘れてアップしない日もあるが、そのたびに死んでる)。それがこっちではのびのび、ただ自分が愛しいと思うことを素直につぶやけるのだ。ああ嬉しい。絶対に間違えてエロ短歌をアップしないようにしよう。
minneを始めて、まずはトートバッグを出品して、他になにを出そうかなあ、などと考えると、どうしたって布マスクという発想が頭をもたげる。実際、minneにおいても布マスク市場はなかなか活況のようである。
でもパピロウ、布マスクを作ったとき、山梨の中学生に敬意を表して布マスクで金儲けはしない、と宣言していたじゃない。もうなの? もう宗旨替えなの?
いや違うんですよ。あれなんですよ。聞いてくださいよ。状況が変わってきたじゃないですか。官製マスクが一向に届かないまま、世の中に不織布マスクが戻りはじめ、感染もちょっとひと段落した感じがあり、緊急事態宣言の解除もはじまって、しかも気候も暑くなってきて、普通に考えたら布マスク(しかも不織布に較べてウイルス対策での効果は乏しいとさんざんいわれる)の需要なんてもうあんまりないはずなんですよ。なのに売れてる。それはなぜかって話なんですよ。
それは、感染がひと段落したといっても今後は「ウィズコロナ」っつって(それにしても今年の流行語大賞はどうなるんだろう)、コロナと共存していく社会においてマスクは必須だし、不織布マスクが店に出はじめたといってもその値段は半年前の5倍以上するので、だから布マスクにはやっぱり需要があるのだ、ということになるわけだが、だからもうこの場合の、これからの社会における布マスクというのは、もう不織布マスクの代替品じゃなくて、着けるのが当たり前の衣料みたいな立ち位置になっていくんだと思う。これも布マスクを作ったときの「nw」の記事内(上のリンク参照)で書いたことだが、かつて白だけだったマスクにさまざまな色が使われはじめた(といってもコロナ前の話なのだが)のは「パンツみたい」な進化の仕方だ、という見方があるけれど、今回のコロナ禍を通してマスクの概念はさらに進化し、パンツから、ずばりTシャツになったのだと僕は思う。僕らはこれから、夏に自分のセンスに合ったさまざまなTシャツを着るように、気に入ったいろんな布マスクを着けて生きていくんだと思う。本当にそんな存在に布マスクはなったのだと、自分自身をはじめ、最近の街中の布マスク着用者を見ていて感じる。
そして僕はこれがとても嬉しい。たしかに暑い。5月でこれでは7月8月はさすがに無理かな、とは思うものの、何年か前から批判めいた口調で指摘されていた「伊達マスク症候群」に、人類は強制的に追いつかされ、価値観はひっくり返り、伊達マスク症候群こそが推奨され、マスクを頑なに拒むおっさんが忌避される世の中になり、僕はこれまでインフルエンザシーズンと具合が悪いとき以外は基本的にマスクをしない人間だったが、今回のことでずっとマスクをするようになって、そうしてしみじみと思うのは、マスクはしているとすごく楽なのだった。鼻と口が隠れていると、対外関係がすごく楽。たぶんコロナ前の「伊達マスク症候群」という指摘は、その楽さを、「社会において大事なことをサボりやがって!」という意味で糾弾していたわけだが、これからはそれが感染予防という大義名分の下、許される社会になる(客商売などのために透明パネルの飛沫ガードというのがあるようだが、なぜそこまでして鼻と口を見たいのだろう)。それはとても喜ばしいことだと思う(それにしてもこのあたりのことは、トランプ大統領が意地でもマスクを着けないことや、イスラム(の特に保守的なほう)の女性の目しか出さないあの頭巾のことなどを思うにつけ、なかなか文化人類学的に根深い問題なのだろうと思う)。
というわけで、話はだいぶ長くなったのだが、僕がもしも今後minneに布マスクを出品したらば、それは火事場泥棒や不安商法といったものではなく、Tシャツを売る感覚で売っているのだ、と解釈してほしい。つまり僕は、実際に作って売るかもまだ分からない布マスクのために、ここまで語ったわけである。なんだろうこれは。矜持だろうか。
休校期間にじっくり取り組む用なので妥当なのかもしれないが、しかし1000ピース。多い。そして絵柄的に、下方にトトロとメイがいるほかは、画面のほとんどの部分が大木となっており、幹の茶色と葉の緑色ばかりで、なかなかの難易度である。もちろん9歳と6歳の娘だけでままなるものではない(また6歳のほうが壊す壊す)ので、親も駆り出される。親も、といったが正確には男親、すなわち僕だ。ファルマンはやらない。やらないというか、できないのである。考えてみたら、できるはずがない。右手に面倒臭がりの精霊、左手に大雑把の精霊を宿してこの世に降り立ったようなファルマンに、1000ピースの、茶色と緑色ばかりのジグソーパズルができるはずがない。「なんで絵をバラバラにしちゃったの」とファルマンはピースを掴んで憤っていた。パズルだからだ。
だから実質、僕が70%、ポルガが25%、残りのふたりで5%くらいの働きで進めている。70%も担っているというと、なんだかジグソーパズルが得意なような、なにしろ姉から届いたわけだし、もしかしてパズルを嗜む系の家の人なのかしら、と思われるかもしれないが、もちろんそんなことはない。(す、すごく時間の無駄だ……)と思いながらやっている。でも居間に簡易座卓を出してその上で取り組んでいるので、完成して額縁に入れてしまわないと(ご丁寧に額縁も送ってくれた)いつまでも部屋が片付かず、それが嫌で仕方なくやり進めているのだった。バイト代欲しい。
minneというハンドメイド作品販売サイトにお店を出して、オリジナルグッズを売り始めた。「nw」にも書いたことで、「nw」と「hophophop」で読者層が分かれているはずもないのだが(そもそも分かれるほどの分母がない)、こちらにもいちおう記し、リンクも貼っておく。商売なのでガツガツしているのである。→PAPAPOKKE
それでガツガツついでに、Twitterも始めた。悖鬼ではない。なんだボッキって。minne舐めてんのか。minneの世界に勃起はない。ただただ素敵な平常世界である。だからTwitterも当然、分ける。別アカウントというやつである。それがこちら。papapokkeである。こちらではminneに出品をしたとか、あるいは家族を中心としたほんわかした内容ばかりをつぶやいていくつもりだ。ちなみにこっちがパピロウの本当。悖鬼のエロ短歌とか、毎日すごく無理してやっている。でもアップしないと人質になっている親友が殺されるので、泣きながらやっている(たまに忘れてアップしない日もあるが、そのたびに死んでる)。それがこっちではのびのび、ただ自分が愛しいと思うことを素直につぶやけるのだ。ああ嬉しい。絶対に間違えてエロ短歌をアップしないようにしよう。
minneを始めて、まずはトートバッグを出品して、他になにを出そうかなあ、などと考えると、どうしたって布マスクという発想が頭をもたげる。実際、minneにおいても布マスク市場はなかなか活況のようである。
でもパピロウ、布マスクを作ったとき、山梨の中学生に敬意を表して布マスクで金儲けはしない、と宣言していたじゃない。もうなの? もう宗旨替えなの?
いや違うんですよ。あれなんですよ。聞いてくださいよ。状況が変わってきたじゃないですか。官製マスクが一向に届かないまま、世の中に不織布マスクが戻りはじめ、感染もちょっとひと段落した感じがあり、緊急事態宣言の解除もはじまって、しかも気候も暑くなってきて、普通に考えたら布マスク(しかも不織布に較べてウイルス対策での効果は乏しいとさんざんいわれる)の需要なんてもうあんまりないはずなんですよ。なのに売れてる。それはなぜかって話なんですよ。
それは、感染がひと段落したといっても今後は「ウィズコロナ」っつって(それにしても今年の流行語大賞はどうなるんだろう)、コロナと共存していく社会においてマスクは必須だし、不織布マスクが店に出はじめたといってもその値段は半年前の5倍以上するので、だから布マスクにはやっぱり需要があるのだ、ということになるわけだが、だからもうこの場合の、これからの社会における布マスクというのは、もう不織布マスクの代替品じゃなくて、着けるのが当たり前の衣料みたいな立ち位置になっていくんだと思う。これも布マスクを作ったときの「nw」の記事内(上のリンク参照)で書いたことだが、かつて白だけだったマスクにさまざまな色が使われはじめた(といってもコロナ前の話なのだが)のは「パンツみたい」な進化の仕方だ、という見方があるけれど、今回のコロナ禍を通してマスクの概念はさらに進化し、パンツから、ずばりTシャツになったのだと僕は思う。僕らはこれから、夏に自分のセンスに合ったさまざまなTシャツを着るように、気に入ったいろんな布マスクを着けて生きていくんだと思う。本当にそんな存在に布マスクはなったのだと、自分自身をはじめ、最近の街中の布マスク着用者を見ていて感じる。
そして僕はこれがとても嬉しい。たしかに暑い。5月でこれでは7月8月はさすがに無理かな、とは思うものの、何年か前から批判めいた口調で指摘されていた「伊達マスク症候群」に、人類は強制的に追いつかされ、価値観はひっくり返り、伊達マスク症候群こそが推奨され、マスクを頑なに拒むおっさんが忌避される世の中になり、僕はこれまでインフルエンザシーズンと具合が悪いとき以外は基本的にマスクをしない人間だったが、今回のことでずっとマスクをするようになって、そうしてしみじみと思うのは、マスクはしているとすごく楽なのだった。鼻と口が隠れていると、対外関係がすごく楽。たぶんコロナ前の「伊達マスク症候群」という指摘は、その楽さを、「社会において大事なことをサボりやがって!」という意味で糾弾していたわけだが、これからはそれが感染予防という大義名分の下、許される社会になる(客商売などのために透明パネルの飛沫ガードというのがあるようだが、なぜそこまでして鼻と口を見たいのだろう)。それはとても喜ばしいことだと思う(それにしてもこのあたりのことは、トランプ大統領が意地でもマスクを着けないことや、イスラム(の特に保守的なほう)の女性の目しか出さないあの頭巾のことなどを思うにつけ、なかなか文化人類学的に根深い問題なのだろうと思う)。
というわけで、話はだいぶ長くなったのだが、僕がもしも今後minneに布マスクを出品したらば、それは火事場泥棒や不安商法といったものではなく、Tシャツを売る感覚で売っているのだ、と解釈してほしい。つまり僕は、実際に作って売るかもまだ分からない布マスクのために、ここまで語ったわけである。なんだろうこれは。矜持だろうか。
2020年5月8日金曜日
DAIGOの功罪・味噌汁・あつ森
官製マスクについてのDAIGOのコメント、「俺にはジャストサイズ」に感銘を受けた、という話をひとつ前の記事でして、あのときは本当に、DAIGOすばらしい、と素直に思っていたのだけど、あれから日が経って、DAIGOと加藤紗里以外の芸能人のところにも官製マスクが続々と届いているようで(岡山県のわが家にはまだ来ていない)、届いたそれを着けては、その姿を撮影してブログにアップし、それを見たファンがコメントで「顔ちっちゃい!」と褒める、というのが定番の流れみたいになっている様を見て、これはよくない、と思っている。心情的にDAIGOのことを悪く言いたくはないのだが、でもやっぱりこれはDAIGOから生まれた流れと言わざるを得ないこととして、官製マスクは今や、「小顔かどうかの判定装置」みたいになってしまっている。政策に対する不満をぶつけてマスクそのもののことを悪く言ってはいけない、それを本当に必要とする人もいるのだから、その人が着けづらい雰囲気を作ってはいけない、ということを前に書いたが、実際にはそれとはまるで別の角度から、一般人が着けづらい空気が醸成されてしまったといえる。
そもそも官製マスクは、主に子どもが着けるのを想定しているのか(世帯分としては届いていないが、実はそれに先行して別枠で子どもたちが小学校でもらってきた)、わりと小さい。でもこれはそういう意図なんだろう、大人のサイズに合わせたら子どもが着けられないから、子どもに寄せたんだろう、と思っていた。だから大人が着けた状態としては、安倍首相のあの姿こそが正しいのだ、ともいえる。ちょっと大の大人にとっては小さい感じもあるが、そこは子ども寄りのユニバーサルサイズなのだから仕方ない、それを大人はなるべくいいポジションに当たるよう調整しようぜ、大人なんだから、というスタンス。いっっっっさいの(力を込めて)説明はないが、そう解釈してやるのが良識のある大人というものだろう。そこへ、もちろんDAIGOはDAIGOで、悪評ばかりが目立つマスクの擁護として言ったわけだが、「小さいなんてことはない」という発言が出てしまった。これで本当に話がややこしくなってしまった。
しかしこの混迷する状況には、大きな商機が隠されていると思う。ガーゼが手に入れば、という前提だけど、官製マスクの作りはそのままで、実はふた回りほど大きく作ったものを売ればいいのである。「小顔かどうかの判定装置」となっている官製マスクの、シークレットシューズみたいなバージョン。これを着ければ、別にぜんぜん小顔ではないあなたも、「#俺にはジャストサイズ」。たぶんすごく売れると思う。でも官製マスクは出品禁止か。
昨日「ケンミンSHOW」を観ていたら、大阪特集の中で、大阪では一般的な和食の献立の際、左手前にごはん、右手前にメインおかず、そして左奥に味噌汁、というふうに配置をする、という話をしていて、とても驚いた。いわれてみたらそのほうが、「左手前にごはん、右手前に味噌汁」よりもよっぽど合理的だ。ごはんと味噌汁には、「椀を左手で持ち上げて食べる」という共通点があり、おかず皿にはそれがない。だとすれば、椀を持ち上げる必要のあるそのふたつを左に置くのは理に適っている。逆にいえば、味噌汁を右に置くのはなんの理にも適ってない。それだのに僕はこれまでの人生で、せっせせっせと味噌汁を右に置き、子どもたちにもそうしつけていた。なんと不見識だったことか。食事に関する不見識といえば、以前どこかで、「箸なんて形状の道具が、物を突き刺して食べることを想定していないはずがない」という文言を目にして、それもそうだ、と目から鱗が落ちたことがあった。日常の中に不見識は溢れている。不見識は、不見識であるがゆえに、不見識な状態のさなかにある間はそのことを認識できない。だからその蒙が啓かれるとすごく驚きがある。ファルマンにこのことを話し、「だからわが家はこれから味噌汁は左奥に置こう」といったら、「あなたってわりと影響されやすいよね」と呆れられた。柔軟といってほしい。
外出自粛の影響もあり、「あつまれどうぶつの森」が大いに売れているという。義妹たちもやっているようで、ゲーム画面を見せてもらったのだが、僕にはどうにもあのゲームの魅力が理解できないのだった。そもそもあれをゲームといっていいのだろうか。あれは要するに、このコロナ禍で精神が参った人たちがすがる、箱庭療法みたいなものだろう。なんかあの世界に横溢する、空虚な明るさみたいなものが、傍から見ていてとても恐ろしく思える。あの世界に浸ったあと、現実のコロナのニュースを見たら、落差で余計につらくなるのではないだろうか。心配だ。ウザいおっさんだな。
そもそも官製マスクは、主に子どもが着けるのを想定しているのか(世帯分としては届いていないが、実はそれに先行して別枠で子どもたちが小学校でもらってきた)、わりと小さい。でもこれはそういう意図なんだろう、大人のサイズに合わせたら子どもが着けられないから、子どもに寄せたんだろう、と思っていた。だから大人が着けた状態としては、安倍首相のあの姿こそが正しいのだ、ともいえる。ちょっと大の大人にとっては小さい感じもあるが、そこは子ども寄りのユニバーサルサイズなのだから仕方ない、それを大人はなるべくいいポジションに当たるよう調整しようぜ、大人なんだから、というスタンス。いっっっっさいの(力を込めて)説明はないが、そう解釈してやるのが良識のある大人というものだろう。そこへ、もちろんDAIGOはDAIGOで、悪評ばかりが目立つマスクの擁護として言ったわけだが、「小さいなんてことはない」という発言が出てしまった。これで本当に話がややこしくなってしまった。
しかしこの混迷する状況には、大きな商機が隠されていると思う。ガーゼが手に入れば、という前提だけど、官製マスクの作りはそのままで、実はふた回りほど大きく作ったものを売ればいいのである。「小顔かどうかの判定装置」となっている官製マスクの、シークレットシューズみたいなバージョン。これを着ければ、別にぜんぜん小顔ではないあなたも、「#俺にはジャストサイズ」。たぶんすごく売れると思う。でも官製マスクは出品禁止か。
昨日「ケンミンSHOW」を観ていたら、大阪特集の中で、大阪では一般的な和食の献立の際、左手前にごはん、右手前にメインおかず、そして左奥に味噌汁、というふうに配置をする、という話をしていて、とても驚いた。いわれてみたらそのほうが、「左手前にごはん、右手前に味噌汁」よりもよっぽど合理的だ。ごはんと味噌汁には、「椀を左手で持ち上げて食べる」という共通点があり、おかず皿にはそれがない。だとすれば、椀を持ち上げる必要のあるそのふたつを左に置くのは理に適っている。逆にいえば、味噌汁を右に置くのはなんの理にも適ってない。それだのに僕はこれまでの人生で、せっせせっせと味噌汁を右に置き、子どもたちにもそうしつけていた。なんと不見識だったことか。食事に関する不見識といえば、以前どこかで、「箸なんて形状の道具が、物を突き刺して食べることを想定していないはずがない」という文言を目にして、それもそうだ、と目から鱗が落ちたことがあった。日常の中に不見識は溢れている。不見識は、不見識であるがゆえに、不見識な状態のさなかにある間はそのことを認識できない。だからその蒙が啓かれるとすごく驚きがある。ファルマンにこのことを話し、「だからわが家はこれから味噌汁は左奥に置こう」といったら、「あなたってわりと影響されやすいよね」と呆れられた。柔軟といってほしい。
外出自粛の影響もあり、「あつまれどうぶつの森」が大いに売れているという。義妹たちもやっているようで、ゲーム画面を見せてもらったのだが、僕にはどうにもあのゲームの魅力が理解できないのだった。そもそもあれをゲームといっていいのだろうか。あれは要するに、このコロナ禍で精神が参った人たちがすがる、箱庭療法みたいなものだろう。なんかあの世界に横溢する、空虚な明るさみたいなものが、傍から見ていてとても恐ろしく思える。あの世界に浸ったあと、現実のコロナのニュースを見たら、落差で余計につらくなるのではないだろうか。心配だ。ウザいおっさんだな。
2020年4月30日木曜日
肌着・DAIGO・パン祭り
Tシャツの季節がやってきた。去年の夏の終わり(といっても10月になんなんとしていた)、あんなにうんざりしたTシャツが、半年置けばこうも喜ばしい。もうネルシャツもカーディガンも着たくない。Tシャツばかりをひたすら着たい。
しかも今年は、いい体になった&オリジナルデザインTシャツがある、というふたつの要素まで加わっているので、ますますTシャツライフに胸が躍る。先日ファルマンが衣替えをやってくれたのだが、見てみたら自分の保持しているTシャツの多さに驚いた。ひと夏、毎日ちがうTシャツで生きていけるんじゃないか、というくらいある。いつの間にこんなことになっていたのか。
しかしTシャツの充実に対して、Tシャツの下に着る肌着のことがいつまでも解決しない。基本的にタンクトップを着ているのだが、白いTシャツだとタンクトップが透けて不格好だ。それとTシャツを最近タイト気味にしているので、肌着も体にピタッとしたものにしたいのだが、そうすると丈も短くなって、裾がボトムスから出てしまう、という問題もある。これを解決するためには、昔の女の子が着ていたような、ちょっとしたワンピースくらいの丈があるキャミソールみたいな、あんな肌着が必要なのではないかと思い、ファルマンに「あれはなんていうんだろう?」と訊ねたら、「たぶんシュミーズだけど、えっ、なにシュミーズ着んの?」と警戒された。シュミーズ着ねえよ。大胸筋鍛えてシュミーズ着てたら、そんなのもう絵に描いたような変態じゃないか。
小さいと不評の官製マスク(「アベノマスク」という言い回しは、はじめに聞いたとき、上手いと感心したが、しかし誰かが発案したジョークであって、正式名称ではないし、みんなでそのジョークを繰り返すのもどうかと思う)だが、このたび家に届いたというDAIGOが、「俺にはジャストサイズ」とSNSに投稿し、その素敵な振る舞いに賞賛が集まっているという。たしかに素敵だ。外出自粛のストレスや政策への不満もあって、人々はついマスクのことを攻撃してしまいがちだが、DAIGOはその状況を逆手に取った。「みんな、文句言うなよ! せっかくもらったんだから受け入れようぜ!」じゃ誰も耳を傾けない。みんな小さいっていうけど、俺にはちょうどいいサイズだったぜ、ということで、もう誰も小ささのことをいえなくなった。だってそれはつまり自分の顔がでかいことを喧伝することに他ならないからだ。素晴らしいな。とんちだ。
この話で思い出したのは、前にも書いたが、ショッピングサイトの、ペニストレーニングの器具とか、コンドームとか、あるいは水着とか下着とか、そういう商品の購入者レビューには、必ず「俺にはちょっとフロント部分の設計が小さすぎた」という内容がある、という例の話だ。世の中に絶対はあまりないが、これは絶対にある。男性器をはめる系の商品には、絶対に「俺には小さすぎ」といっているレビューが存在する。疑うなら試しに見てみたらいい。
それが今回のDAIGOのマスクに関するコメントとどう関連するのか、といわれると、まあ連想したというだけで、そう関連しているわけではない。ちなみに炎上商法で知られる加藤紗里は、各家庭に2枚ずつ配布されるこのマスクを、「ナイトブラにした」といって実際に乳房に装着した写真を公開したらしい。この話もまた、関連する、ようで関連しない、ようで関連する、ような感じだ。それでもちんこと乳房なので、ちょっと近づいた感はある。ちなみにその写真は見ても仕方ないのでもちろん見ていないが、たぶん装着した様は、いわゆる眼帯ビキニのような感じになるんだろうと思う(眼帯ビキニっていわれても一般の人は画が浮かばない気もするが)。そこまで考えてさらに連想するのは、ちょっと前に僕がTwitterで詠んだ短歌、「昨今のマスク不足にグラドルがビキニの寄付を申し出るなり」だ。予言だったのかもしれない。
4月30日ということで、ヤマザキ春のパン祭りが終わる。世の中ではほとんどの春祭りが中止だったが、この祭りだけは今年も無事に開催された。ここ数年、わが家でも毎年何枚か皿を獲得していて、今年も2枚分(今年は少なめ)の点数がたまった。それで交換をしようと思うのだが、しかし東京ほどの深刻性はないにせよ、不要不急の外出をしないとか、ソーシャルディスタンスとか、スーパーの店員さんありがとう、などと叫ばれているこのご時世に、パン祭りの皿の交換って、もう不要不急中の不要不急みたいな行動であるような気がして、なかなかその気になれない。別に皿のためにわざわざ赴くわけではなく、スーパーへは日々の必需品を買うために行くのだから、そのついでにサービスコーナーに立ち寄るのは、そこまで見識のない行為でもないだろうとも思うのだが、しかしやはりどうしたって間が抜けている。そもそもこの、0.5刻みのシールをせせこましく25点分数えて貼った用紙を提出して皿をもらうという行為は、いつだって基本的に間が抜けているのだ。絶対にかっこよくはキメられない行為なのだ。それが今年はさらに時世的に苦境に立たされている。そのハードルはきわめて高い。しかしせっかく50点も集めたのだから放棄するという選択肢はない。交換期限は5月10日までだ。意外と短いな。
しかも今年は、いい体になった&オリジナルデザインTシャツがある、というふたつの要素まで加わっているので、ますますTシャツライフに胸が躍る。先日ファルマンが衣替えをやってくれたのだが、見てみたら自分の保持しているTシャツの多さに驚いた。ひと夏、毎日ちがうTシャツで生きていけるんじゃないか、というくらいある。いつの間にこんなことになっていたのか。
しかしTシャツの充実に対して、Tシャツの下に着る肌着のことがいつまでも解決しない。基本的にタンクトップを着ているのだが、白いTシャツだとタンクトップが透けて不格好だ。それとTシャツを最近タイト気味にしているので、肌着も体にピタッとしたものにしたいのだが、そうすると丈も短くなって、裾がボトムスから出てしまう、という問題もある。これを解決するためには、昔の女の子が着ていたような、ちょっとしたワンピースくらいの丈があるキャミソールみたいな、あんな肌着が必要なのではないかと思い、ファルマンに「あれはなんていうんだろう?」と訊ねたら、「たぶんシュミーズだけど、えっ、なにシュミーズ着んの?」と警戒された。シュミーズ着ねえよ。大胸筋鍛えてシュミーズ着てたら、そんなのもう絵に描いたような変態じゃないか。
小さいと不評の官製マスク(「アベノマスク」という言い回しは、はじめに聞いたとき、上手いと感心したが、しかし誰かが発案したジョークであって、正式名称ではないし、みんなでそのジョークを繰り返すのもどうかと思う)だが、このたび家に届いたというDAIGOが、「俺にはジャストサイズ」とSNSに投稿し、その素敵な振る舞いに賞賛が集まっているという。たしかに素敵だ。外出自粛のストレスや政策への不満もあって、人々はついマスクのことを攻撃してしまいがちだが、DAIGOはその状況を逆手に取った。「みんな、文句言うなよ! せっかくもらったんだから受け入れようぜ!」じゃ誰も耳を傾けない。みんな小さいっていうけど、俺にはちょうどいいサイズだったぜ、ということで、もう誰も小ささのことをいえなくなった。だってそれはつまり自分の顔がでかいことを喧伝することに他ならないからだ。素晴らしいな。とんちだ。
この話で思い出したのは、前にも書いたが、ショッピングサイトの、ペニストレーニングの器具とか、コンドームとか、あるいは水着とか下着とか、そういう商品の購入者レビューには、必ず「俺にはちょっとフロント部分の設計が小さすぎた」という内容がある、という例の話だ。世の中に絶対はあまりないが、これは絶対にある。男性器をはめる系の商品には、絶対に「俺には小さすぎ」といっているレビューが存在する。疑うなら試しに見てみたらいい。
それが今回のDAIGOのマスクに関するコメントとどう関連するのか、といわれると、まあ連想したというだけで、そう関連しているわけではない。ちなみに炎上商法で知られる加藤紗里は、各家庭に2枚ずつ配布されるこのマスクを、「ナイトブラにした」といって実際に乳房に装着した写真を公開したらしい。この話もまた、関連する、ようで関連しない、ようで関連する、ような感じだ。それでもちんこと乳房なので、ちょっと近づいた感はある。ちなみにその写真は見ても仕方ないのでもちろん見ていないが、たぶん装着した様は、いわゆる眼帯ビキニのような感じになるんだろうと思う(眼帯ビキニっていわれても一般の人は画が浮かばない気もするが)。そこまで考えてさらに連想するのは、ちょっと前に僕がTwitterで詠んだ短歌、「昨今のマスク不足にグラドルがビキニの寄付を申し出るなり」だ。予言だったのかもしれない。
4月30日ということで、ヤマザキ春のパン祭りが終わる。世の中ではほとんどの春祭りが中止だったが、この祭りだけは今年も無事に開催された。ここ数年、わが家でも毎年何枚か皿を獲得していて、今年も2枚分(今年は少なめ)の点数がたまった。それで交換をしようと思うのだが、しかし東京ほどの深刻性はないにせよ、不要不急の外出をしないとか、ソーシャルディスタンスとか、スーパーの店員さんありがとう、などと叫ばれているこのご時世に、パン祭りの皿の交換って、もう不要不急中の不要不急みたいな行動であるような気がして、なかなかその気になれない。別に皿のためにわざわざ赴くわけではなく、スーパーへは日々の必需品を買うために行くのだから、そのついでにサービスコーナーに立ち寄るのは、そこまで見識のない行為でもないだろうとも思うのだが、しかしやはりどうしたって間が抜けている。そもそもこの、0.5刻みのシールをせせこましく25点分数えて貼った用紙を提出して皿をもらうという行為は、いつだって基本的に間が抜けているのだ。絶対にかっこよくはキメられない行為なのだ。それが今年はさらに時世的に苦境に立たされている。そのハードルはきわめて高い。しかしせっかく50点も集めたのだから放棄するという選択肢はない。交換期限は5月10日までだ。意外と短いな。
2020年4月28日火曜日
移住・モワーッ・THIS IS US
別にいま住んでいる土地に不満は持っていないつもりなのだが、とても魅力的な島を見つけたので移住したくて仕方なくなる、という夢を見た。
その島は瀬戸内海にあり、広島県に所属する。それに関し、広島県かー、岡山県ならよかったのになー、と夢の中で思ったのを覚えている。しかし具体的にどう魅力的だったのかという、肝心な部分をあまり覚えていない。なんかの用事で僕は実際にその島に上陸し、そこである一家と知己を得た。その一家の感じがとにかくよかった。そしてその家の主人は、島ではそれなりに顔の利く人物であるらしかったので、移住するにあたってそのことはとても頼りになるだろう、ということを夢の中で算段した。夢らしく、変なところが曖昧で、変なところがやけに細かい。
しかし移住となると自分ひとりの問題ではない。僕は普段、夢の中では家族を持たなかったり、それどころか自分が自分でさえなかったりもするのだけど、今回の夢はその点がとてもリアルで、島への移住の欲求にひとり焦がれつつ、しかしファルマンは絶対に嫌がるだろう、それをどう説得しようか、ということを必死に考えていた。夢の中なのだからもっと自由に振る舞えばいいのに、妻の反応を気にするだなんて不憫なことだ。もう尻に敷かれている状態で人格が形成されてしまっているのかもしれない。ファルマンが懸案するだろうポイントは聞かずとも分かっていた。利便性(商業施設や医療機関など)と子どもの教育環境だ。でもなにぶん夢の中の理想の島なので、調べてみたらその点も問題なかった。島は最初に思っていたよりもだいぶ栄えているようで、人口も多く、島内で完結するレベルのしっかりした社会基盤があり、ショッピングセンターなんかもあるようだった。これならファルマンも受け入れてくれるかもしれない、と僕は安心した。
そのあたりで目が覚めた。目覚まし時計が鳴る30分前だった。起きたのだから、今まで見ていた情景は夢だったわけだが、起き抜けの頭に、理想の島に出会った興奮も重なり、じゃあこの30分であの島についてインターネットでもっと情報を集めよう! などと思った。しかしその溌溂さも一瞬のことで、すぐに、あれ? いまの夢だったんじゃね? という疑念が生まれてしまい、それにネットで調べようにも、僕は移住しようとしていたその島の名前さえ知らず、そのことに気付いた瞬間、感動したはずの島の風景もサラサラと幻の向こうへ消えていった。なんだ、夢だったのか……、と切なくなった。
あとからウェブで検索した結果、広島県に所属する瀬戸内海の島でまあまあの規模となると、因島、倉橋島、江田島あたりが該当するようだ。いつか行ってみたい。GWは行けない。
政府広報による「密を避けよう」のコマーシャルで、人の口から発せられるウイルス的なものが、小林製薬のブレスケアみたいに、なんかモワーッとした煙のようなもので表現され、他人と集うということはそれだけ互いの身体から出たものを吸い合うことなんだよ、だから新型コロナウイルスが流行っている今は密を避けようね、ということを伝える、というものがあるのだが、あれってもう「流行っている今は密を避けよう」どころの話じゃなくて、そこを気にしだすと日常生活に支障を来すからこれまで目を逸らしてきたけれど、他人と狭い空間に一緒にいるのってめちゃくちゃ気持ち悪いじゃん! 他人の口から出た、餃子を食べたあとの口臭みたいなモワーッとしたやつを体の中に入れるってことなんじゃん! と、もう一生だれとも近い距離で接したくなくなった。タバコの煙っていうのは、もちろんにおいとか有害物質とかもあるけれど、あのようなCGを使わずともモワーッとしたのが可視化されているから、人の吐いたものを吸うことの気持ち悪さを嫌でも痛感させられ、だから忌み嫌われてどんどん排斥されたんだと思う。それが今後は、ただの呼吸でももうだめだ。タバコを吸っていなくても、誰の口からも、モワーッとしたやつが出るのが見えるようになってしまった。なんて生きづらいんだ。もう友達とカラオケに行くのも控えようかな……。
「THIS IS US」のシーズン1を観終える。18話。観始めたのは何ヶ月か前で、途中で停滞していた期間があったのだが、最近になってprimeにシーズン2も追加されたので、そう意識していたわけではなかったのだが、どうやら僕はそれで安心して、シーズン1を観終えることにしたようで、それからこの10日間くらいで後半をわりとハイペースで観た。とてもおもしろかった。
途中でも書いたが、36歳という年齢のこともあり、主人公たちに感情移入しやすく、そうしてアメリカ人に感情移入ができる、ということに驚いた。主人公のひとりが、婚約者のことを人に話すとき、「フィアンセ」という言葉を使ったあと、「フィアンセだなんてフランス人みたいで照れる」という場面があって、そうなのかー、と思った。フィアンセという言葉はアメリカ人にとってもそうだったのか。そんなふうに、わりとおんなじなんだな、と思うこともある一方、きゃつらは街中はもちろん親の前でも恋人と口でチュッチュチュッチュしたりするので、そこはやっぱり大いに違う、などとも思った。
とてもおもしろく観終え(ラストはびっくりするくらいシーズン2に続くだけの終わり方でしかなくて驚嘆したけれど)、そのあと最終話のあとの特典映像、客を入れたホールでの最終話試写会のあとの舞台挨拶みたいなのも見た。そこに現れた出演者たちは、なにぶん18話を愉しく観賞した愛着があるので愛しかったが、しかし大成功したこのドラマがどれほど素晴らしかったか、どうしてこんなに素晴らしいものになったかを、互いにどんどん褒め合うので、さすがにだんだん鼻についた。僕の「自分が所属している集団に誇りを持っているタイプの人間が嫌い」センサーから出たビームが、18話分のキャラクターへの愛情というフィルターを突き抜けたのを感じた。
でもシーズン2も愉しみ。愉しみというかもう観始めてる。
その島は瀬戸内海にあり、広島県に所属する。それに関し、広島県かー、岡山県ならよかったのになー、と夢の中で思ったのを覚えている。しかし具体的にどう魅力的だったのかという、肝心な部分をあまり覚えていない。なんかの用事で僕は実際にその島に上陸し、そこである一家と知己を得た。その一家の感じがとにかくよかった。そしてその家の主人は、島ではそれなりに顔の利く人物であるらしかったので、移住するにあたってそのことはとても頼りになるだろう、ということを夢の中で算段した。夢らしく、変なところが曖昧で、変なところがやけに細かい。
しかし移住となると自分ひとりの問題ではない。僕は普段、夢の中では家族を持たなかったり、それどころか自分が自分でさえなかったりもするのだけど、今回の夢はその点がとてもリアルで、島への移住の欲求にひとり焦がれつつ、しかしファルマンは絶対に嫌がるだろう、それをどう説得しようか、ということを必死に考えていた。夢の中なのだからもっと自由に振る舞えばいいのに、妻の反応を気にするだなんて不憫なことだ。もう尻に敷かれている状態で人格が形成されてしまっているのかもしれない。ファルマンが懸案するだろうポイントは聞かずとも分かっていた。利便性(商業施設や医療機関など)と子どもの教育環境だ。でもなにぶん夢の中の理想の島なので、調べてみたらその点も問題なかった。島は最初に思っていたよりもだいぶ栄えているようで、人口も多く、島内で完結するレベルのしっかりした社会基盤があり、ショッピングセンターなんかもあるようだった。これならファルマンも受け入れてくれるかもしれない、と僕は安心した。
そのあたりで目が覚めた。目覚まし時計が鳴る30分前だった。起きたのだから、今まで見ていた情景は夢だったわけだが、起き抜けの頭に、理想の島に出会った興奮も重なり、じゃあこの30分であの島についてインターネットでもっと情報を集めよう! などと思った。しかしその溌溂さも一瞬のことで、すぐに、あれ? いまの夢だったんじゃね? という疑念が生まれてしまい、それにネットで調べようにも、僕は移住しようとしていたその島の名前さえ知らず、そのことに気付いた瞬間、感動したはずの島の風景もサラサラと幻の向こうへ消えていった。なんだ、夢だったのか……、と切なくなった。
あとからウェブで検索した結果、広島県に所属する瀬戸内海の島でまあまあの規模となると、因島、倉橋島、江田島あたりが該当するようだ。いつか行ってみたい。GWは行けない。
政府広報による「密を避けよう」のコマーシャルで、人の口から発せられるウイルス的なものが、小林製薬のブレスケアみたいに、なんかモワーッとした煙のようなもので表現され、他人と集うということはそれだけ互いの身体から出たものを吸い合うことなんだよ、だから新型コロナウイルスが流行っている今は密を避けようね、ということを伝える、というものがあるのだが、あれってもう「流行っている今は密を避けよう」どころの話じゃなくて、そこを気にしだすと日常生活に支障を来すからこれまで目を逸らしてきたけれど、他人と狭い空間に一緒にいるのってめちゃくちゃ気持ち悪いじゃん! 他人の口から出た、餃子を食べたあとの口臭みたいなモワーッとしたやつを体の中に入れるってことなんじゃん! と、もう一生だれとも近い距離で接したくなくなった。タバコの煙っていうのは、もちろんにおいとか有害物質とかもあるけれど、あのようなCGを使わずともモワーッとしたのが可視化されているから、人の吐いたものを吸うことの気持ち悪さを嫌でも痛感させられ、だから忌み嫌われてどんどん排斥されたんだと思う。それが今後は、ただの呼吸でももうだめだ。タバコを吸っていなくても、誰の口からも、モワーッとしたやつが出るのが見えるようになってしまった。なんて生きづらいんだ。もう友達とカラオケに行くのも控えようかな……。
「THIS IS US」のシーズン1を観終える。18話。観始めたのは何ヶ月か前で、途中で停滞していた期間があったのだが、最近になってprimeにシーズン2も追加されたので、そう意識していたわけではなかったのだが、どうやら僕はそれで安心して、シーズン1を観終えることにしたようで、それからこの10日間くらいで後半をわりとハイペースで観た。とてもおもしろかった。
途中でも書いたが、36歳という年齢のこともあり、主人公たちに感情移入しやすく、そうしてアメリカ人に感情移入ができる、ということに驚いた。主人公のひとりが、婚約者のことを人に話すとき、「フィアンセ」という言葉を使ったあと、「フィアンセだなんてフランス人みたいで照れる」という場面があって、そうなのかー、と思った。フィアンセという言葉はアメリカ人にとってもそうだったのか。そんなふうに、わりとおんなじなんだな、と思うこともある一方、きゃつらは街中はもちろん親の前でも恋人と口でチュッチュチュッチュしたりするので、そこはやっぱり大いに違う、などとも思った。
とてもおもしろく観終え(ラストはびっくりするくらいシーズン2に続くだけの終わり方でしかなくて驚嘆したけれど)、そのあと最終話のあとの特典映像、客を入れたホールでの最終話試写会のあとの舞台挨拶みたいなのも見た。そこに現れた出演者たちは、なにぶん18話を愉しく観賞した愛着があるので愛しかったが、しかし大成功したこのドラマがどれほど素晴らしかったか、どうしてこんなに素晴らしいものになったかを、互いにどんどん褒め合うので、さすがにだんだん鼻についた。僕の「自分が所属している集団に誇りを持っているタイプの人間が嫌い」センサーから出たビームが、18話分のキャラクターへの愛情というフィルターを突き抜けたのを感じた。
でもシーズン2も愉しみ。愉しみというかもう観始めてる。
2020年4月18日土曜日
間寛平・マスク・健康診断
星野源と安倍首相のコラボ動画の件で、みんないろんな理由で憤っていたが、その中で間寛平のコメントがとてもよかった。間寛平はあの動画を見て「がっかりした」のだという。なぜか。「安倍さんは家ではマスクを作ってるかと思ってた……」間寛平はそういったのである。すばらしくないか。これはもちろんボケなのだけど、なんとキュートでおしゃれなボケだろう。星野源と仲間たちが謳歌していたが、安倍首相の登場で一瞬で蒸発してしまったおしゃれさが、巡り巡って間寛平に集約した形だと思う。吉本の大御所といえば、去年の吉本の闇営業とかの騒動(なんと平和な時代だろう)の際、リポーターの「いま吉本興業にいいたいことは?」と訊ねられた池乃めだかは、「背が高くなる薬を作ってほしい」と答えたそうで、それも当時とてもいいと思った。芸人が他のコメンテーターと一緒に眉をひそめ、同じようなことをいってもなんの価値もない。中世の王様の傍にいたピエロのように、奇矯なことをいうのが彼らの役割だろう。芸人かくあるべし、という姿を見た。
相変わらず不織布のマスクは流通しないが、しかし不織布のそれは布のマスクよりも防御力が高いというのなら、医療現場や、小売店や、あるいは電車で通勤しなければならない人が優先的に手に入れて着ければよく、僕のような田舎でマイカー通勤して日々いつもと変わらない面子で働くような人間は、そんなものを必死に購おうとしなくてよいのだと思う。布マスクをたっぷり作った余裕もあり、そんなふうに思う。
しかしドラッグストアなどには並ばないが、ある所にはあるようで、楽天でこれまでに利用して登録していた店(それもドラッグストア系ともぜんぜん違うような店)などから、「不織布マスク入荷しました!」なんてメールが届いたりする。そしてそれらの値段といえば、これまでよりも大袈裟じゃなく10倍くらい高い。今まで50枚入りで500円しなかったのが、3980円とかするのだ。そういうのを見ると、とても気分がクサクサする。メルカリなどでの転売屋を世間はあんなに批判したのに、悪質さの程度がちょっと違うだけで、やっていることはぜんぜん一緒じゃないか。そしてやっていることがぜんぜん一緒という意味では、戦後の闇市とも一緒だ。
ところで今週末からいよいよ政府謹製の布マスクが配られはじめるらしい。マスク配布て、というそもそもの行為に対する批判や、配られるマスクが微妙に小さいこととか、とかく評判の悪いこの施策だが、しかし届いたマスクで遊んだりネタにしたりすることは絶対にしてはいけないと思う。どうも最近はTwitterやYouTubeで、倫理観のない輩がそういうことをしそうな気配がある。市販のマスクがどうしたって手に入らなくて、その布マスクを使わなければならない人も世の中にはたくさんいるのだ。そういう人たちが、そのマスクを着けにくくなるような揶揄だけはしてはいけないと思う。
今年の健康診断の結果が返ってくる。
これが、めっちゃよかった。
なんてったって、なんてったって、去年までの僕とは別人である。今年に関しては、健康診断の直前だけめちゃくちゃ節制した、なんてことは特にないのだ。それなのにナチュラルにいい数字。つまりマジで健康な人になったのだ。
別にこれまでも、全体的に惨憺たる有様だったというわけではない。僕の健康診断は、要するに肝機能の数値の診断ということになる。毎年それに引っ掛かって、「要精密検査」という紹介状在中の封筒を結果と併せて渡されていたのだ。それが今年はなかった。いつもネックとなるγ‐GTPの値が、17年159、18年134、19年106と来て、今年はとうとう59となった。59! 50までが正常値とされるので、そこからは若干オーバーしているが、ぜんぜん問題視されるようなオーバーじゃない。日々酒を飲んでこの数字なら万々歳だろう。
この結果の要因は、別に厳密な取り決めをしたわけではないがそれなりに休肝日を設けたことと、あとはなんといっても運動だろう。なにしろそれまでまるでしてこなかった運動をするようになったので、僕の身体には伸び代しかなかった。逆にいえば、これまでは伸び代をまるで広げることなく畳んでいたということだ。じゃあもう別人だ。広げてみたら、それは伸び代どころではなく、プリーツみたいになっていたんだ。僕は本当はこんなに健勝で壮健な人間だったんだ。もう東京時代の人間と会っても、誰も僕のことに気づかないかもしれない。寂しいよ……。
相変わらず不織布のマスクは流通しないが、しかし不織布のそれは布のマスクよりも防御力が高いというのなら、医療現場や、小売店や、あるいは電車で通勤しなければならない人が優先的に手に入れて着ければよく、僕のような田舎でマイカー通勤して日々いつもと変わらない面子で働くような人間は、そんなものを必死に購おうとしなくてよいのだと思う。布マスクをたっぷり作った余裕もあり、そんなふうに思う。
しかしドラッグストアなどには並ばないが、ある所にはあるようで、楽天でこれまでに利用して登録していた店(それもドラッグストア系ともぜんぜん違うような店)などから、「不織布マスク入荷しました!」なんてメールが届いたりする。そしてそれらの値段といえば、これまでよりも大袈裟じゃなく10倍くらい高い。今まで50枚入りで500円しなかったのが、3980円とかするのだ。そういうのを見ると、とても気分がクサクサする。メルカリなどでの転売屋を世間はあんなに批判したのに、悪質さの程度がちょっと違うだけで、やっていることはぜんぜん一緒じゃないか。そしてやっていることがぜんぜん一緒という意味では、戦後の闇市とも一緒だ。
ところで今週末からいよいよ政府謹製の布マスクが配られはじめるらしい。マスク配布て、というそもそもの行為に対する批判や、配られるマスクが微妙に小さいこととか、とかく評判の悪いこの施策だが、しかし届いたマスクで遊んだりネタにしたりすることは絶対にしてはいけないと思う。どうも最近はTwitterやYouTubeで、倫理観のない輩がそういうことをしそうな気配がある。市販のマスクがどうしたって手に入らなくて、その布マスクを使わなければならない人も世の中にはたくさんいるのだ。そういう人たちが、そのマスクを着けにくくなるような揶揄だけはしてはいけないと思う。
今年の健康診断の結果が返ってくる。
これが、めっちゃよかった。
なんてったって、なんてったって、去年までの僕とは別人である。今年に関しては、健康診断の直前だけめちゃくちゃ節制した、なんてことは特にないのだ。それなのにナチュラルにいい数字。つまりマジで健康な人になったのだ。
別にこれまでも、全体的に惨憺たる有様だったというわけではない。僕の健康診断は、要するに肝機能の数値の診断ということになる。毎年それに引っ掛かって、「要精密検査」という紹介状在中の封筒を結果と併せて渡されていたのだ。それが今年はなかった。いつもネックとなるγ‐GTPの値が、17年159、18年134、19年106と来て、今年はとうとう59となった。59! 50までが正常値とされるので、そこからは若干オーバーしているが、ぜんぜん問題視されるようなオーバーじゃない。日々酒を飲んでこの数字なら万々歳だろう。
この結果の要因は、別に厳密な取り決めをしたわけではないがそれなりに休肝日を設けたことと、あとはなんといっても運動だろう。なにしろそれまでまるでしてこなかった運動をするようになったので、僕の身体には伸び代しかなかった。逆にいえば、これまでは伸び代をまるで広げることなく畳んでいたということだ。じゃあもう別人だ。広げてみたら、それは伸び代どころではなく、プリーツみたいになっていたんだ。僕は本当はこんなに健勝で壮健な人間だったんだ。もう東京時代の人間と会っても、誰も僕のことに気づかないかもしれない。寂しいよ……。
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