2025年12月21日日曜日

不服・不毛・不慮

 裸で寝ることを、ファルマンがいまだに許容しない。許容しないと言っても、僕が裸で寝るのを禁ずる権限をファルマンが持っているわけではないので、ただ「信じらんない、やめてよ」とひたすら言い募るだけである。そんな暮しを、もう3年とか4年とかしている。当初は、「はじめはそんなことを言っていた妻でしたが今では私以上に……」のパターンだろう、その丁寧な前フリなのだろうと思っていたが、どうやらファルマンという人は本当に、裸で寝ることを是とはしない人のようだと、近ごろでは達観した僕である。ならばファルマン側も僕の所業について達観すればいいものを、布団に入ろうとするなりやおら裸になる僕を見て、いつまでも初々しい反応で、「信じらんない、やめてよ」と唱え続けるのだった。ちょっと僕の乳首とか性器について、過剰な反応をし過ぎなのではなかろうか(いや分かるけども!)。
 日々よほど忌々しく思っているのか、僕に体の不調が訪れると、そのすべてを裸で寝ているせいにする傾向がある。「少し洟が出る」「裸で寝るからだ!」、「なんかここが痒い」「裸で寝るからだ!」というふうに。それはまるで、なんの科学的根拠もない村の因習を頑なに守ろうとする老人のようだと思う。寝るときゴムで腰を締め付けるって、本当に因習以外の何物でもないだろ、と強く思う。

 今年の春、Netflixで「白い巨塔」を観たとき、「不毛地帯」も配信されたらいいのになー、ということを書いたが、このたびめでたく配信が開始されたのだった。それで愉しく観ている。放送当時の視聴者もそうだっただろうが、意気揚々と観はじめた第1話がひたすら、だいぶテンションの下がるシベリア抑留時代の話で、それが2時間あるので、なかなかハードだった。いまは主人公はもう商社に勤め、戦闘機のことであれやこれやしている。こちらはこちらで緊迫感があるのだが、そんな中で唐突に井之頭五郎が出てきたので気が抜けた。もちろん井之頭五郎ではないのだが、スーツを着た松重豊は、それはもう井之頭五郎なのである。戦闘機の契約のことで防衛庁を相手に暗躍する井之頭五郎。お腹は減っていないのか、減っていないのだとしたらなにを食べたのか、そんなことばかりが気になる。

 触れたら負けだと思いつつも、さすがに、ということであえて触れる。
 毎年恒例、今年の漢字が、「熊」だった。
 この企画の、一切の忖度のない、操作のない、絶対的な多数決によって選ぶ姿勢は、ここまで来れば逆にすばらしい気もしてくるけれど、しかしそれにしたって「熊」である。それはないだろう、と言いたくもなる。
 じゃあ「熊」じゃなくて何ならいいのか、と問われると、それはどうしたって「熊」からわずか180票差で2位だったという「米」とか、あるいは3位の「高」とか、まあそこらへんなら無難ということになるのかもしれないが、しかしこうして書いていて感じるのは、「米」や「高」だったら何だってんだ、ということで、これがこの企画の「触れたら負けさ」だとしみじみ思うが、そもそもが漢字1字では、1年間を表すことなど不可能なのだ。それを言ったらおしまいなのだが、実際そうなのだ。根本的な企画が無茶なのに、選出形式も無茶だから、もはやパンクの領域だ。そしてパンクの領域なのだとしたら、「熊」というのも案外ふさわしいもののようにも思えてくる。すごい力業。清水寺を使うあたりに、権威を利用してやろうというしたたかさも垣間見え、実は流行語大賞などよりもよほど強靭にできているのかもしれない、とも思う。他人の感情を気にしない剛腕ほど強いものはない。