おらが県が舞台の朝ドラ「ばけばけ」を、引き続き愉しく観ている。もちろん朝の放送を録画したものを夜に観るスタイルなのだが、先日リビングに現れたポルガがテレビを観て、「これって何年前くらいの話?」と訊ねてきたので、そんなことはきちんと考えたことがなかったが、なんとなく「たぶん100年前くらいじゃないかな」と答えたところ、「そんなはずはない。日露戦争の前なんだとしたらもっと前だ」と、知識に裏打ちされた反論をしてきたので、少しつらい気持ちになった。しかしよく考えみたら、今年は「昭和100年」ということをNHKなどは盛んに言っていたわけで、たしかにだとすれば明治時代が舞台の話が100年前のはずはないのだ。ちなみにラフカディオ・ハーンが小泉セツと結婚したのは明治24年、1891のことで、130年以上も前のこととなる。
でも僕の中で、明治=だいたい100年前というのは固定観念となっていて、その要因はたぶん夏目漱石(1867~1916)あたりにあるのだが、しかし高校生から大学生くらいにかけて夏目漱石に触れて醸成されたその固定観念というのは、実はもう四半世紀モノであり、若造である自分の人生など、文明という長い歴史の中では、点のようなものに過ぎないという気持ちがどうやら僕にはあったようなのだけれど、実はもう決してそんなことはなくて、戦後というのもいつまでも50年の印象があるのに対し、実際はもう80年だったりして、どうやら気づけば自分の人生というのは、それなりに歴史的なものになりつつあるようだ、ということを、娘とのやりとりをきっかけに思い知らされたのだった。
ドイツで兵役制度に関する法案が可決され、18歳になった男子は全員、兵役の適性検査を受けさせられ、いざというときは徴兵もあり得るらしい。
そのニュースを目にして、そら見たことか、と思った。僕は子どもの頃から戦争が、そして徴兵が、本当に恐怖だったので、体育の授業を決してがんばらなかった。年度始めの体力測定も、ぜんぜん本気を出さなかった。健常な若人であることが国にバレたら、有事の際に優先的に兵隊にさせられるだろうと考えていたからだ。当時のアルバムを見ると、徒競走で僕は、ひとりだけすごくヘラヘラ笑いながら走っていた。運動能力はもとより、精神性もまた、見るからに兵隊に向いてなさそうで、作戦は成功していると言えた。幸い、20代30代の頃にそういうことは起らず、もうぼちぼち逃げ切ったと認識してもいいのではないかとも思うが、コロナ禍がそうであったように、世の中のうねりというものは急で強力なので、なにがどうなるか分からない。
それにしても、ドイツのその、18歳になっての検査というのは、どうやって検査するのだろう。ただの授業の一環としての体力測定だよ、というカムフラージュもなく(僕は聡いので見破っていたが)、兵役のための適性検査と銘打ってやるのだ。そんなの、いったい誰が本気を出すというのか。牛歩レースのようになるのではないかと思うのだけど。
家族でカラオケに行く。カラオケに行った話はこれまで「おこめとおふろ」に書いていたが、カラオケのこと以外に書くこともないので、こちらに唄ったものを書き留めることにする。ちなみに今回、追悼歌唱はない。追悼歌唱のないカラオケもこの世にはあるのだということを、みんなもそろそろ知ったほうがいいと思う。
唄ったのは順番に、「それもいいね」(Wakeys、こっちのけんと)、「最上級にかわいいの!」(超ときめき♡宣伝部)、「ドスコイ! ケンキョにダイタン」(こぶしファクトリー)、「手紙 ~拝啓十五の君へ~」(アンジェラ・アキ)、「ウォーアイニー」(水曜日のカンパネラ)、「エルフ」(Ado)、「愛♡スクリ~ム」(AiScReam)、「イケナイ太陽」(ORANGE RANGE)、「倍倍FIGHT!」(CANDY TUNE)、「ジャンボリミッキー!」(東京ディズニーランド)、「すてきなホリデイ」(竹内まりや)、「クリスマスイブ」(山下達郎)というラインナップ。
「エルフ」は、Adoにしては唄いやすい気がして唄った。気持ちよかった。「愛♡スクリ~ム」は、途中までファルマンがなんの歌かぜんぜん気づいてくれず、「ルビィちゃん なにが好き?」の所が思いっきりスルーされ、切なかった。「イケナイ太陽」は令和ver.のMVがあったのでそっちにしたら愉しかった。俺の精子。「倍倍FIGHT!」は前回も唄ったが、愉しかったので今回も唄った。前回よりも確実に上手になっている自分がいて嬉しかった。「ジャンボリミッキー!」は、わが家がカラオケに行ったこの週末に、義母と三女がディズニーランドに遊びに行くということをしていたので、それにちなんで唄った。数あるディズニーソングの中で、セレクトするのがこれなのか。
ところで去年、年末に親族カラオケというものを開催したが、今年は果たしてどうなるのか。なにぶん去年、最後に「さよならの向う側」を唄ってマイクを置いてしまったからなあ。でもできることならやりたいな。百恵のように潔く引退というのはなかなか難しいようである。