年末の買い出しでちょっと浮かれた気持ちになって、20代半ば以来の白ワインを買って飲んだら、意外と美味しく飲めてしまって、そうだよな、白ワインはわりと美味しいんだよな、とは言え赤はさすがに無理だな、あのエグみはどうしたって無理だな、などと思っていたのだが、白ワインを2本ほど飲んだあと、次のものを買うためにお店のワインコーナーに行ったところ、気づけば白ワインと一緒に赤ワインもかごの中に入っていた(無意識状態で酒を買ったなどと言うと不穏な感じがある)。ただし不信感があったので、白ワインに較べてとても小さボトルである。もしもダメだったらハンバーグを焼くときとかに使えばいい、と思った。しかし飲んでみたところ、これがぜんぜんいけるのだ。あっさりした白ワインとはまた別の、こっくりとした味わいがあって、美味しい。ワインを飲もうと思ったのは、ひたすらビールと日本酒と缶チューハイしか飲まない、自分のアルコールのバリエーションの少なさに飽きが来ていたという理由もあり、白と赤、立て続けにふたつも選択肢が増えたのは喜ばしかった。
それにしても、かつてエグくて受け付けなかったものが、いまは受け入れられるようになった、ということで確信したのだけど、年を取るとさまざまな意味で、あらゆる感覚が鈍感になるのだと思う。「これの良さが分からないなんて、まだまだだな」なんてことを年配者が言ったりするけれど、そんなはずないのだ。むしろ「それが受け入れられるだなんて、いよいよですね」だと思う。そう思いながら、赤ワインを飲んでいる。
子どもが、主にピイガが、「ちびまる子ちゃん」にハマる。漫画を読み、アニメを観ている。ピイガは最近になって児童書から漫画へとステップアップし、「ちびまる子ちゃん」の前は「ドラえもん」をがっつり読んでいた。それはまっとうな流れのような気もするが、30年前の、自分やファルマンもまったく同じ筋道であったことを思うと、驚嘆すべき事実のような気もする。なんで子どもが居間のこたつで寝そべって読む漫画が、30年前から変わっていないんだ、と。それともウチが特殊なのだろうか。たしかにポルガの岡山時代の友達は、好きな漫画が、「鬼滅の刃」から「呪術廻戦」になり、「東京リベンジャーズ」、「スパイファミリー」と来て、いまは「葬送のフリーレン」だそうなので、その可能性も十分ある。もしかしたらわが家は、漫画アーミッシュなのかもしれない。
先日髪を切ったわけだが、仕上がったさまを眺めてファルマンが、「あなたって眉毛を整えないよね、なんで?」と訊ねてくる。僕はわりと眉毛が太く、濃い。わりと整えがいのある眉毛だと思う。でも人生でいちどもいじったことがない。なぜかという問いの答えは、「眉毛を整えるのはヤンキーか野球部かビジュアル系だから」ということになる。ひとつ目とふたつ目は、ベン図で言うとだいぶ重なっていて、世代は違うけれど中田翔なんかは、まさにその例であると思う。そして彼らは必ず金色の鎖みたいなネックレスをする。眉毛を整える男というのは、そういう輩だという、時代によるすり込みがあるので、決して自分がする行為ではないと捉えているのだった。そう説明したところ、「でも陰毛は整えるよね」と言われたので、それはまたぜんぜん別の話だ、と思った。陰毛の生やし方、残し方については、一家言ある。こと陰毛に関しては、ビジュアル系に属するとも言える。