2024年2月1日木曜日

髪を切らない1月・でしたが妻・髪を切った2月

 ぼちぼち髪を切ると思う。
 Googleのフォトの機能で、同じ日付のあたりの過去の写真というのが、勝手に「思い出ですよ」という感じで表示されるのだけど、そこに写っていた1年前の自分は、いまの僕とまったく同じ髪型をしていた。すなわち、半年以上髪を伸ばして、やっと結べるようになって、喜んで結んでいる、そんな状態である。
 しかし日々鏡を見て薄々感じ、そして1年前の自分の写真を客観的に見て確信に変わったこととして、なんかこの長髪、自分が期待しているものにぜんぜんなっていない。
 なにを期待しているのかと問われると、「こうだ」という具体的な答えがあるわけではないのだけど、漠然と求めている「すてきな感じ」から、だいぶ離れているのは間違いない。金髪で長髪ということもあり、正月に映像通話をした横浜の実家の面々からは、「プロレスラーみたいだね」という遠慮のない言葉を投げられた。おととしだったか、長髪だったところへブリーチをしたら、高山善廣のようになってしまい慌てて散髪したという出来事があったが、今回は金髪が先だったためか、自分としてはそんな印象はなかった。自分的には、「ガラスの仮面」でヘレン・ケラー役のオーディションに参加していた演技派の少女、もちろん名前など憶えていないので検索したのだが、金谷英美という、あの子を彷彿とさせるな、と鏡を見て思ったことは何度かあった。ちなみに高山善廣にしろ金谷英美にしろ、やけにがっしりタイプの印象だが、もちろん僕自身はそういうタイプではない。そしてどちらにせよ、思い描いている理想とは乖離している。
 去年は2月の下旬に切っていた。その記事の中に、体の中にあったものが、外に出した途端に汚物になる、そんな感じに長い髪の毛が疎ましくなった、という記述がある。さすがは自分だ。大いに共感する。そして今年はそれが少し早まりそうな情勢である。

 それまでの38年あまりに渡る蒙が啓かれた、パンツを脱いで寝る健康法の本を、再び図書館で借りて読んでいる。パンツを脱いで寝る健康法は、ビギナー向けも上級者向けもなく、本当にもうそのタイトル通りの内容しかないのだが、じゃあ本1冊にどんなことが書いてあるのかと言えば、パンツを脱いで寝るようになった結果、自分の身にどんないいことがあったかという、実践者たちのレポートである。そればかりがずっと続くのである。しかしその文章が、活気に満ちているというか、みずみずしくて、読んでいてとても心地よい。これが宗教とかの、うちの神様を崇めればどんなにいいことがあるか、という内容であったら、その心地よさには胡散臭さ、すなわち商売っ気が横溢することだろう。しかしこの健康法はそうではない。セミナーがあったり、器具を売ったりするわけではない。読者が信じようが信じまいが、彼等にはなんの損得もないのだ。それなのにこんなにも必死に良さを伝えようとするのだから、そこには真の慈愛と誠実さがある。ような気がする。
 入信した僕は、全裸で布団に入り、夜な夜なこの本を読んでいる(感心な信者だ)。そして隣の布団のファルマンに、内容を伝えている。そのファルマンはもちろん寝間着を着ているし、僕が全裸で寝ることもいまだに不服そうだ。だから僕が喋った内容を、片っ端から否定してくるのだけど、この妻はいったいいつまでこの無駄な抵抗を続けるのだろう、と思う。続ければ続けるほど、伏線というか、前フリというか、『……と、はじめは否定していた妻でしたが、今ではすっかり私以上に……』という、自分がいつか書くであろう、パンツを脱いで寝る健康法のレポートの文面が思い浮かぶ。

 髪を切った。ファルマンに切ってもらった。
 ひとつ目の文を書いたのが昨日1月31日で、そして今日2月1日に切ってもらったので、今回の記事は地味に月を跨いで紡がれているのだった。
 髪はいつもの、切りたいとなったら途端に、長いのがひたすらウザったくなるという例のやつで、平日ながらお願いしてやってもらった。おかげでとてもすっきりした。
 ファルマンはもちろんだいぶ前から「切れ、切らせろ」ということを何度も言ってきていたのだが、拒み続けていた。いま切ってしまったら、去年とぜんぜん変わらないことになる。せっかく1年後にこうしてまた伸ばしたのだから、去年以上のさらなる地平に進むべきではないかと、そんなふうに思っていた。切るほうに振れた今となっては、髪を伸ばす地平ってなんだよ、と思う。
 ファルマンが髪を切るよう促す言い回しの中に、「どうせ切るんだから」というのがあって、これには少し考えさせられた。そうだな、やっぱり切ろうかな、と心が揺れたわけではない。髪はどうせいつかは切る。それはそうなのだけど、その理由で髪を切っていては、じゃあ「どうせ死ぬんだから」も言えてしまうことになり、生きる意義を見失ってしまうのではないかと思ったのだった。髪を伸ばそうと思って伸ばしている間は、そんなことさえ思う。思っていたのに、あるとき急に「切ろ!」となる。我ながら不思議だ。