試験のたびに、「勉強しなさい」「嫌だ」「成績が悪かったら塾に行かすよ」「じゃあ逆にいい点数だったらご褒美ね」というやりとりがあり、結果としてポルガはこれまで順調に塾をすり抜け、褒美をゲットし、そして真摯に勉強をしないのにわりといい点数を取って帰ってくる娘に、ファルマンは自分の悲惨な思い出と照らし合わせて膝から崩れ落ちるという、そこまでが一連の流れとなっている。
褒美は、これまではゲームのソフトや漫画だったのが、今回のポルガのリクエストは、スマホの1日の使用制限時間の拡大と、さらにはTikTokアプリのダウンロードの許可で、なんかあれだな、フェーズが変わったんだな、ということをしみじみと思った。そのことに一抹の寂しさを感じつつも、ご褒美に一切費用が掛からなくて助かるなあ、とも思った。
TikTokは、どんなものかファルマンが試しにダウンロードして覗いてみたところ、1分くらいで「これはあかん」となり、かなりの高得点でなければ実現しない設定とした。僕自身はTikTokはまだ見たことがないけれど、ひとつだけ分かることは、もしも今回かなりの高得点を取ってTikTokを無事にゲットしたら、それ以降はもう高得点を取ることは絶対になくなるに違いない、ということだ。そのくらいの、バカまっしぐら装置だと認識している。YouTubeもその装置の機能としては大概だが、TikTokはそれをさらに加速させたものであろうと。
それで試験の結果はどうだったかと言うと、どうも、塾に行かせなければならないほど悪くもなかったが、ろくに勉強しなくてもぜんぜん高得点という、これまでの流れには、ちょっと翳りが見え始めたのかな、という感じで、少々の使用時間の拡大はやぶさかではないけれど、TikTokは不許可という、そのあたりに落ち着きそうな案配だ。いい落しどころだな。
昔とてもおいしく食べていたお菓子が、そこまでおいしいと思えなくなった、という現象があって、舌が肥えたというよりも、年を取ったことで、強い味のものを受け付けられなくなったんだなあ、などと感じたりしていたのだけど、先日ふと思ったこととして、量や大きさがダウンするステルス値上げという言葉があるけれど、それら物理的な要素のほかに、使用している材料の品質がステルスでダウンしている可能性だって大いに考えられるわけで、かつてはバターを使っていたのがマーガリンになったりとかして、本当においしくなくなっている場合も往々にしてあるのではないだろうか。そのように考えると自分の生きる力的には安心感が得られるのだけど、この世やこの社会という視点で考えると、ちょっと暗澹たる気持ちになる。安寧は得難い。
ゆめタウン出雲で今週の日曜日、ドラえもんショーが行なわれるという情報が入ってきて、そのショーのタイトルが「石ころぼうしでひとりぼっち?」だったので、見出しをパッと見た瞬間に、ドラえもんの石ころ帽子をモチーフにした体験イベントが開催されるものと勘違いをしてしまい、夢を見てしまった。
よくある「ドラえもんの道具でひとつ手に入るとしたら?」の問いに、「どこでもドア」や「もしもボックス」などと答えるのは浅はかだ。当たり前すぎて話が盛り上がらない。僕のその答えは断然「石ころ帽子」だ。石ころ帽子のなにがいいかって、もう20年にわたってこのブログで何度も言っているけれど、ただ相手に自分の姿が見えなくなるわけではなく、見えているけど石ころのように気にならなくなる、という点だ。ここが絶妙なのだ。
だから石ころ帽子のイベントと聞いて(勘違いして)、ローションフェスであるとか、ヌーディストビーチであるとか、それこそ乱交パーティーとか、なんかそういう類のものかと思ってしまった。参加者がそれぞれ石ころ帽子を被り、その場にいる自分以外の人を、同時に気にならなくなって(というていで)、思いのままに振る舞うという、なんかそういう淫猥な匂いのするイベントかと。そんなものを開催するなんて、ゆめタウン猛ってるな、ランサムウエアに感染していろいろ大変そうなのに強気だな、などと思った。
もちろんそれは大いなる誤解で、実際は冒頭に書いたと通りの、たぶん着ぐるみが出てくるショーで、のび太がピンチに陥るけど結局は一件落着するんだろう(身も蓋もない解釈)。着ぐるみのショーは、もうわが家の子どもたちは対象年齢ではなくなってしまった。たぶん観に行くことはない。もしも観に行ったとしたら、観客席でやけに感慨深い顔でショーを眺めている男性、それが僕です。気にしないでください。