職場の健康診断を受ける。
去年は意気込んで、半月くらいほとんどアルコールを摂取せずに検診に臨み、まんまといい数字をゲットしたが、今年はその期間が3日ほどと短かったので、ガンマ的な部分に不安がある。でも特別な断酒をしてその数値を良くしたところでなんだよ、という達観に至ったので、もう結果に振り回されないことにした。と、まるで精神的に成長したかのような口ぶりで言ってみたが、要するに長く禁酒できなかっただけの話である。
結果に振り回されないと言えば、去年おととしと、なぜか165センチ台という屈辱的な数字を叩き出していた身長は、今年166.1だった。とてもめでたい。165.7と166.1という4ミリでそんなに違うか、という話だが、まあ違うのだ。166センチ台の人間は、165センチ台の人間をどんなに悪しざまに言ってもいいという権利が発生する。だからめでたい。それは同時に167センチ以上の人間からの侮蔑を受け入れることを意味するが、身長というのはそういうものだと思う。上には上がいて、下には下がいて、だから誰も決してしあわせになれない世界。それが身長世界というものだ。なんて嫌な世界だろう。
ところで同僚のおじさんが、「私は毎年、測るたびに身長が1センチ短くなる」と言っていて、すりこぎのようでおもしろいな、と思った。「じゃあ160年後には〇〇さんは存在が完全に消失する計算ですね」と言おうかとも思ったが、しかしそれは僕も同じだな、と思ったので口には出さなかった。
「目頭が熱くなる」という表現は巧みだと思った。
「泣きました」や「涙が出ました」では、目から液体がこぼれ出たという事実がないと嘘になる。しかしそんな嘘が、面と向かって対話しているわけではないウェブ世界には蔓延っていて、Twitter改めX(笑)の、140文字未満の文面で、そんな作用が頻繁に起っている。140文字未満で本当に泣くわけないだろう。本当にそれで泣くんだとしたら、お前の情緒がいよいよおかしいんだよ、あるいはお前はウミガメの一種なんだよ、と思う。
それに対して「目頭が熱くなる」は、どんなときでも嘘ではない。ちょっと心が動かされただけで、実際のところ涙腺にはちっとも響いていなくても、人が目頭に思いを馳せたとき、目頭は普段よりもいくらか熱くなっているのだから、決して嘘にはならない。なにしろ僕は嘘というものが本当に嫌いなので、その点は本当に大事なのである。
その上、「目頭が熱くなる」という表現は、「泣きました」「涙が出ました」に対して、少し知的な印象がある。偏差値が低い学校を出た人は、あまり「目頭が熱くなった」とは言わないと思う。とんでもないアクロバティックな偏見に、目頭が熱くなる思いだ。今後の人生で多用していこうと思う。多用し過ぎて面倒になったら、メガアツと略すのもいいだろう。
健康診断の日、もしもの場合に備えて、オリジナルのショーツではなく、既製品のボクサーパンツを穿いていった。もちろん結果としてはそんな必要はぜんぜんなかったのだが、社会人として念のために予防線を張った次第である。
去年の健康診断の際どうしたのか記憶がないが、とにかく既製の、ローライズと謳っているわけでもないボクサーパンツというものを穿いたのが、何年ぶりかというくらいに本当に久しぶりだったので、穿き心地にびっくりした。
めっちゃ包むやん!
と思った。肉棒も、金玉肉袋も、肛門も、とにかく全てを覆い、包み隠す。ボクサーパンツというものは、こんなにも男の下半身の要素を削ぎ落すものだったか、と思った。
これに較べると、ガーリーライクにしろ、のび助にしろ、最近作っているローライズボクサーにしろ、あれらというのは、ほとんど穿いていないようなものだな、薄々そんな気はしていたけど、本当にそうなんだな、と思った。
その違いは、単純に使われている布の面積の違いもあるけれど、理念も関係していると思う。既製のボクサーパンツは、覆おうとしている。それに対して僕のハンドメイドは、やはりのびのびさせようとしている。ちんこに対するアプローチが異なるのだ。
ブロイラーと放し飼い、というワードを連想する。
「味が濃い!」
「野性味がすごい!」
「本来はこういうものなんですね!」
喜ぶ客の姿が目に浮かんだ。なによりです。