けっこう寝言を言うらしい。もちろん自覚はない。それも、かなり明瞭な発声をするそうなので、隣で寝ているファルマンはいつも驚くという。
少し前のところでは、
「それはおもしろいことになりそうだ!」
というセリフだったそうだ。そう言っていたよ、と言われた日にどんな夢を見ていたかは覚えていない。夢と寝言は、やはり連動するのだろうか。だとしたらずいぶん少年まんがのような、意気揚々とした夢を見ていたようである。
最新のものでは、
「正しい。それは人生にとってすばらしい選択だよ」
と僕は寝ながら言ったらしい。聞いたとき、嘘だろ、と思ったが、ファルマンがそんな嘘をつくメリットはなんにもないので、事実と認めざるを得ない。
長い期間に渡って編まれてきた僕の少年まんが風の夢は、主人公もすっかり成熟し、そろそろ大団円を迎えるのかもしれない。苦楽を共にした仲間とも、別れの時が近づく。やるせない寂しさを覚えながらも気丈に振る舞い、新しい目的を見つけた仲間の決断を、受け入れることにしたのだろう。いい奴やん。
そのうち、
「fin……」
と寝言を言うかもしれないので、ファルマンにはぜひ聞き逃さないでほしいと思う。
子どもたちの運動会が中学校と小学校でそれぞれ終わった。
中学校のはそもそも保護者の存在はあまり意識されておらず、立ち入り禁止というわけでは決してないようだが、平日であり、僕はもちろんのこと、ファルマンも観に行くことはしなかった。ポルガも「来ないでよ」みたいなことを言ったらしい。年頃やねん。
小学校のはもちろん週末に行なわれたので、夫婦ともども観に行った。ピイガはまだ無垢なので、「ちゃんと観ててよ、ちゃんと撮ってよ」である。あるいは性格かもしれない。相変わらず学年の中ではとびきり小さく、横に2年生や3年生の列があると、あっちに並んだほうがいいんじゃないかな、と思うほどだったが、オーバーじゃなく頭ひとつ分大きい輩とともにやった徒競走で、見事に1位になっていた。やっぱり遺伝ってあるんだな、と思った。僕もたぶん、全力でやればぜんぜん1位だったと思う。実際はまあちょっと、ヘラヘラしながらビリから2番目くらいでゴールする感じだったけど。
ちんこを擦ることって、僕の人生にものすごい量の喜びを与えてくれているのではないかと思った。40歳、不惑。そんな真理に到達した。ちなみに出すと喪失感が大きいので、出てしまわぬよう、注意しながら擦る。前にも話に出た、不出という考え方である。不惑不出。新しい四字熟語の誕生である。
ちんこを擦るという行為は、亀頭だけでなく精神を上向きにさせるという意味で、ただ手を滑らせるという行為を指す、どこまでも物理的なそんな漢字ではなく、「鼓する」と表記すべきではないか。擦っているのではない、鼓すっているのである。自分を、人生を、鼓すっているのである。そんな僕の提案をどう思いますか。
正しい。それは人生にとってすばらしい選択だよ。