2023年10月28日土曜日

痺れ・しろ・丈

 朝起きて、手首のあたりが軽く痺れたようになっているときがある。
 その原因について考え、このほど真相に至る。
 そういう症状が出る日は、なんとなく気が向いて、服を着たまま寝た日なのであった。この場合、ズボンの中に手を差し込み、ちんこを触ることになるため、ちょうど手首のあたりにウエストのゴムが来ることとなり、それで圧迫されることによって痺れが来るという寸法なのであった。
 もはやバイブルと言ってもいい、裸で寝ることの良さを謳った例の本では、下着やズボンのウエストゴムなど、下半身のゴムが恒常的に体に与えるストレスについては語られていたが、眠りながら股間に手を伸ばしてしまうがために手首が圧迫される害については触れられていなかった。だとすれば今回の僕の発見により、かの論はさらに深化したと言えるかもしれない。
 ファルマンにこのことを離したところ、「触らなきゃいいじゃん」という指摘が返ってきたのだけど、きわめて浅い意見だと思う。じゃああなたは、いびきについて悩む人に、「息をしなきゃいいじゃん」と言うのですか。あまりに乱暴ですよ。
 今回の気付きを経て、寝るときにゴムを身に着けない志は、改めて強固になった。手を守るために、僕は下半身になにも纏わせずに寝る。そして思うがままにちんこを触る。ちんこは本来、そういうノーストレスな存在であるべきだと思う。

 子どもたちと少し久しぶりに「ぷよぷよ」をしたら、なんかあっという間にこれでもかと妨害の白いぷよぷよが落ちてきて、こてんぱんに負けた。3人プレイをして、普通に最初に敗退した。それが2回続いたので、そこでもう「目が疲れたわ!」と叫んでゲームをやめた。
 ソフトを買った直後は、昔少しやっていたこともあり、不慣れな子ども相手に楽勝だったのに、わずか半月ほどで子どもたちはすっかりコツを掴んだようで、普通に勝てなくなってしまった。切ない。「伸びしろ」という言葉が脳裏をよぎる。子どもにあって大人にないもの、なーんだ? それは伸びしろ。じゃあ逆に大人にあって子どもにないもの、なーんだ? それは縮みしろ。「目が疲れたわ!」は決して嘘ではない。2戦もやれば、目も頭ももう限界を迎えるのだった。

 気を悪くした出来事があった。
 ネットショップで寒い時期用のズボンを買ったのだけど、購入前にレビューを確認したところ、大勢の人が「丈が少し短めなのでワンサイズ大きめがおすすめ」と言っている。ふむそうかと皆の意見を取り入れ、普通に考えたらこれだろうと思うサイズより、ひとつ大きいサイズを注文した。
 そして到着したものを穿いたところ、姿見には、新品の大きなズボンを穿いた、憮然とした表情の僕が立っていた。
 裾がかかとを超えて、床にべったり垂れているのだった。
 別に自分のことを、足の長いスタイル抜群の人間だと思っていたわけでもないが(巨根ではあるけれど)、身長に対し、自分がそこまで平均からかけ離れた足の短さであるとも思えない。それなのに、レビューの「丈が短めです」という意見の比率はあまりにも高く、そしてまんまと騙される結果となったので、思わずここに悪意というか、悪意ほどではないにせよ、人間の業のようなものを感じ取った。
 ショーツ作りを始めた際にもさんざん語ったが、メンズショーツの、ちんこのためのスペースをしっかり用意してある系商品のレビュー欄には、そのスペースについて、「小生には小さすぎました……」という意見が必ずあるのである。
 今回のズボンも、これと同じような作用が起っているのではないだろうか。買ったズボンの感想として、「(小生には)丈が短め」と言わずにおれない層というのが、一定数存在するのではないだろうか。そうとしか思えない。
 この悪い流れを断ち切るには、誰かが「丈が短いなんてことないよ! 見栄っ張りたちに騙されないで!」とレビューを書き込む必要がある。だけどそれは僕ではない。なぜなら僕は短足ではないからだ。そんなことを主張する奴は、よほどの短足なんだろう。お前の意見は聞き入れない。俺は向こう側の人間だから、「丈が短い」と教えてくれている同輩たちの言うことを聞く。

2023年10月17日火曜日

裸フェス・試験結果・ハイカカオ

 裸フェスに参加した。
 夢の話である。
 裸フェスとはなにかと言えば、会場内では裸で過すフェスであり、特に会場ステージで愉しいイベントが繰り広げられるなどということはない。じゃあそれってヌーディストビーチ的な、(表向きは)裸をエロいものと捉えず、自然に還ろう的なやつなんじゃないの、と思われるかもしれないが、決してそんなこともないようで、男女ともに、見る・見られることに悦びを覚える輩が来場しているらしかった。
 僕はそこでどうしていたかと言えば、参加者たちが開けっぴろげに裸を披露するさまを軽く眺めつつも、主に視線をやっていたのは、いまから入場門をくぐろうとしている、すなわちまだ着衣の女性たちだった。これから脱ぎ捨てる服を着た、まだ開けっぴろげではない、でも開けっぴろげになれる場所にわざわざやってきたという、羞恥心もまだ服とともに纏っている、そんな女性たちの複雑な表情を熱心に眺めていた。
 ここがいちばんエロいんだよ、と、夢の中の僕はずいぶんと裸フェスの手練れであるらしかった。

 ポルガの2学期の中間試験の結果が返ってきて、やけによかったらしい。やけによかったというか、点数が落ちなかったらしい。中学1年生の1学期のそれは、お試しみたいなもので、なんとなく普通に点数が取れたりするものだが、「2学期以降はそうはいかないよ!」というのは、試験前期間中、ファルマンが呪詛のように唱え続けていた言葉で(苦い実体験に裏打ちされているのだろう)、ろくに試験勉強をしようとしないポルガに向かい、「そうはいかないよ」「ひどいことになるよ」「結果が悪かったら塾に行かすよ」と、さんざん脅しをかけていた(それでもポルガはやはりろくに勉強をしなかった)。
 そうしたら、それなのに、ポルガはいい点数(1学期よりもむしろ主要5教科の平均点は上がりさえしたらしい)を取ってしまい、親としては喜んだり褒めたりしてやるべきなのかもしれないが、ファルマンは「こんなはずじゃ……」と、返討ちに遭った敵キャラのようになり、むしろ消沈している。ファルマンの中の勧善懲悪のシナリオが崩れたのだと思う。かわいそう。早く娘が落ちこぼれたらいいね。もはやなにが真の望みなのか見失い始めている感がある。

 ハイカカオチョコレートが血行改善にいい(陰嚢が寛ぐ)という情報を得て、せっせせっせ、本当に涙ぐましいほど、せっせとハイカカオチョコレートを食べる日々を送っていた。5グラムの個包装で1キロ、すなわち200個あったのだろうそれは、もう残りが4分の1くらいになっている。そのさまを見て、数日前くらいまでは、また注文しなきゃな、と思っていた。
 それが昨日あたりでプツッと自分の中でなにかが切れ、急に忌々しくなった。
 だって85%のハイカカオチョコレート、おいしくないのだ。いや、ただ「おいしくない」ではなく、企業努力により、「おいしくなくはなくなくなくなくもない」くらい、迷える程度のおいしくなさにまでは到達している。すばらしいと思う。でもまあ、やっぱり結局おいしくないのだ。
 それでもはじめのうちは、陰嚢のため、健康のため、と高い意欲で食べていたが、約150個食べ、そのおいしくなさに飽きまでが加われば、それはもう苦行に等しい。
 先ほど、晩ごはんのあとのコーヒーに、いつもならハイカカオチョコレートのところ、反動というほかない、あろうことかチョコパイを食べてしまった。そして、ブラックコーヒーには、こういう、飴みたいに甘いチョコレートを食べないことには、成り立たねえだろうがよ、と、数ヶ月越しのツッコミをした。
 陰嚢をどうしても寛がせたい場面に臨む際は、鼻炎薬を服むことにしようと思います。いつだろう。裸フェスに参加するときかな。

2023年10月7日土曜日

寝言・運動会・鼓舞

 けっこう寝言を言うらしい。もちろん自覚はない。それも、かなり明瞭な発声をするそうなので、隣で寝ているファルマンはいつも驚くという。
 少し前のところでは、
「それはおもしろいことになりそうだ!」
 というセリフだったそうだ。そう言っていたよ、と言われた日にどんな夢を見ていたかは覚えていない。夢と寝言は、やはり連動するのだろうか。だとしたらずいぶん少年まんがのような、意気揚々とした夢を見ていたようである。
 最新のものでは、
「正しい。それは人生にとってすばらしい選択だよ」
 と僕は寝ながら言ったらしい。聞いたとき、嘘だろ、と思ったが、ファルマンがそんな嘘をつくメリットはなんにもないので、事実と認めざるを得ない。
 長い期間に渡って編まれてきた僕の少年まんが風の夢は、主人公もすっかり成熟し、そろそろ大団円を迎えるのかもしれない。苦楽を共にした仲間とも、別れの時が近づく。やるせない寂しさを覚えながらも気丈に振る舞い、新しい目的を見つけた仲間の決断を、受け入れることにしたのだろう。いい奴やん。
 そのうち、
「fin……」
 と寝言を言うかもしれないので、ファルマンにはぜひ聞き逃さないでほしいと思う。

 子どもたちの運動会が中学校と小学校でそれぞれ終わった。
 中学校のはそもそも保護者の存在はあまり意識されておらず、立ち入り禁止というわけでは決してないようだが、平日であり、僕はもちろんのこと、ファルマンも観に行くことはしなかった。ポルガも「来ないでよ」みたいなことを言ったらしい。年頃やねん。
 小学校のはもちろん週末に行なわれたので、夫婦ともども観に行った。ピイガはまだ無垢なので、「ちゃんと観ててよ、ちゃんと撮ってよ」である。あるいは性格かもしれない。相変わらず学年の中ではとびきり小さく、横に2年生や3年生の列があると、あっちに並んだほうがいいんじゃないかな、と思うほどだったが、オーバーじゃなく頭ひとつ分大きい輩とともにやった徒競走で、見事に1位になっていた。やっぱり遺伝ってあるんだな、と思った。僕もたぶん、全力でやればぜんぜん1位だったと思う。実際はまあちょっと、ヘラヘラしながらビリから2番目くらいでゴールする感じだったけど。

 ちんこを擦ることって、僕の人生にものすごい量の喜びを与えてくれているのではないかと思った。40歳、不惑。そんな真理に到達した。ちなみに出すと喪失感が大きいので、出てしまわぬよう、注意しながら擦る。前にも話に出た、不出という考え方である。不惑不出。新しい四字熟語の誕生である。
 ちんこを擦るという行為は、亀頭だけでなく精神を上向きにさせるという意味で、ただ手を滑らせるという行為を指す、どこまでも物理的なそんな漢字ではなく、「鼓する」と表記すべきではないか。擦っているのではない、鼓すっているのである。自分を、人生を、鼓すっているのである。そんな僕の提案をどう思いますか。
 正しい。それは人生にとってすばらしい選択だよ。