2023年9月13日水曜日

還暦・人生一・プレゼント

 ちょうどあと1週間で誕生日である。皆々様、プレゼントの準備はお済みですか。
 40歳になるということについて、なんだかそれってものすごいことのような気もする一方で、もはや逆に凪いでいる感じもある。先日、おもひでぶぉろろぉぉんで読んでいた2006年9月の記事で、僕は23歳の誕生日を迎えていて、でもそれは23歳の自分には受け入れがたいことだったようで、「自分は20歳から先はこれまでの年齢を下っていく奇病にかかった」と主張し、「だから僕はこのたび17歳になった」とほざいていた。23歳の僕は、23歳という年齢が、大人すぎて受け入れられなかったか。そうか。23歳か……。
 それでいくと、僕は1週間後の40歳になった瞬間、満0歳ということになり、存在が消え去る計算だ。この仕組み、なんか微妙に引っ掛かる部分があるな、と感じて、その正体をよく考えたら、なんのことはない、還暦とほぼ同じ考え方だ。60年で十干十二支がひと回りして、元通りになるから、赤ん坊に帰り、赤いちゃんちゃんこを羽織る。それを僕ともなると、40年でしてしまうということか。人類未踏の2度目の還暦、いわゆる大還暦も、120歳はさすがに難しいので、いっそのことこの方式にしてしまえば、80歳で条件が満たされることとなり、ぐっと現実味が増す。そして目指すは夢の3度目の還暦、いわゆる超還暦だ。結局120歳じゃないか、という。そしてなんでそんなに還暦をしたがるのか、という。

 職場の上司がおもむろにケーキ屋の話を始める。本人が買いに行ったわけではなく、奥さんが買って帰ったものらしいが、プリンであったという。上司はプリンが好きで、ケーキ屋ではいつもプリンを選ぶのだそうだ。そのプリンは、アルミの容器に入っていて、注文をすると店員がいちど厨房に持って帰り、バーナーで表面を炙ってくれるらしい。それはプリンではなくクレームブリュレですね、と口を挟もうとしたが、実際のところプリンとクレームブリュレの定義をしっかり知っているわけでもないのでよした。
 そしてここからがこの話の骨子であり、上司がわざわざ話題に出した理由でもあるのだが、「そんでそのプリンがさ、俺がいままで食べてきたプリンの中で、いちばん美味かったんだよ」と上司は言ったのだった。
 この表現に、ほほぅ、と感じ入る部分があった。「今まで食べた中でいちばん美味しい」って、ありきたりな表現ではあるけれど、それは子どもやB級タレントがよく使うものであって、一般人の50代の男性が、さらにはその場にいる人が作ったものだったり、持ってきてくれたものを褒めるために冗談めかして言うわけでもなく、本当にそう感じたから、いまここにその物品があるわけでもないのに、どうしても感動を伝えたくて使ってしまったのだと考えると、まるで重いパンチのような強いパワーがあるな、ということを思った。50代一般男性の、人生一。もっともカラメルが焦げてるのが初体験で新鮮だっただけの可能性もあるけれど。

 誕生日プレゼントが浮かばない。ファルマンから「どうすんだ」とせっつかれているのだが、いまだに決められずにいる。なんだか寂しい。昔は、もっと欲しいものがたくさんあった気がする。「欲しいもの」という言葉は、類語というわけでもないが、「意欲」という言葉と結びつきやすい。それが減退してしまったことか、などと思う。
 先日は悩んだ挙句、寝る直前にamazonのカートに、新体操のリボンと、ヌンチャクを入れていた。でも次の日に、どちらもいらないな、と思って削除した。それにしてもどうして僕は小手先でクルクルするようなものに魅力を感じるのだろうか。
 新しい服も別にいらないし、アクセサリーも欲しくない。ゲームもしないし、推しもいない。なんだか考え始めると、自分がつまらない人間のように思えてくる。日常の中で、自分の自由に使えるお金をなにに使っているかと言えば、生地と、酒と、プールの会員費くらいのものか。どうしたものかな。10月から第3のビールの酒税が上がるらしいので、それにしようかなとも思ったが、あまりにも日常的でしみったれていて、節目の40歳の誕生日プレゼントがそれってどうなのか、と思ってやめた。やめてどうしよう。どうしようどうしようとなって、欲しいものを探してamazonをさまよう行為の、なんと阿呆なことか。