毎月ノルマとして、最低限2桁記事数ということを心掛けているのだが、これが今年は本当にほぼ最低限の様相を呈していて、果たしてノミネート語を選出できるほどの中身があるのかという懸念から、前回が期せずしてそうなったように、2年にいちどの開催のほうがいいのではないかという意見も運営委員の一部からは出たようだが、そのような引け腰な提案は委員長である僕が突っぱねた。丁寧に探せばなんだかんだであるし、もしも本当に少なかったら、最後に無理やり量産すればいいだけの話だ。なんとかなる。なんとかしてきた。老害は高度経済成長期のマッチョな思想に凝り固まっているのだ。
最近はちょっとサボり気味で、だいぶ遠大な達成計画になりそうな「おもひでぶぉろろぉぉん」も、とは言え同時進行でなされているわけで、なんかもう僕は自分の書いた文章ばかりを読んでいる。そして数ヶ月前の僕も、十何年前の僕も、どちらもそれぞれ愛しいし、さらにはその二者のことを愛しいと思っている僕のこともまた、僕は愛しいと思う。愛しさの合わせ鏡が、光の速さで無限を繰り広げ続けている。
水着の生地を買って作るのが愉しすぎて、日々生産して、日々違う水着で泳いでいるのだけど、先日ふと、こうして水着を自分で作るようになる前って、僕はいったい何を穿いて泳いでいたのだっけ、と思った。
ショーツを作り始めたのだって実はまだ1年半ほどのことで、水着となったらそれよりもさらに最近の出来事なのだが、手作り水着で泳ぐのが当たり前になりすぎていて、既製の水着を穿いている自分が想像できなくなっている。
岡山でもプールにはよく行っていた。岡山生活の途中から、プール習慣は始まったのだった。あの頃は水着はもちろん、ショーツだって自分で作るという発想はなかったので、僕はひたすら既製のものを穿いて泳いでいたはずなのである。それなのに思い出せない。
そこで水着を洗濯してくれるファルマンに、「俺って昔どんな水着を穿いてたっけ」と訊ねたところ、ファルマンも「えっ、思い出せない」と固まった。そしてしばらく考えたのち、「なにも穿いてなかったんじゃない」と答えた。
そうか。俺は水着を自作する前は、なにも穿かずに泳いでいたのか。よく捕まらなかったな。それなら、いま少々面積が小さい上にフロントが盛り上がった水着を穿いてても、穿いてるだけマシだな。穿くようになった分だけ偉いな。
こないだの3連休に、switchのソフト「ぷよぷよテトリス2」を買った。最初、体験版で遊んでいて、とても健全に、体験版で体験して欲しくなったので買ったのだった。
「ぷよぷよテトリス」はその名の通り、ぷよぷよとテトリスが組み合わさっていて、好きなほうを選んで遊べるのだが、僕はもっぱらぷよぷよばかりしている。ファルマンとピイガも基本的にそうだ。それに対しポルガだけが、やけにテトリスをするので、やっぱりちょっと変な奴だな、と思った。テトリスは、テトリスしかなかったらやるけれど、ぷよぷよと並んでいたら、それは断然ぷよぷよだろう、と思う。エンタメ性がぜんぜん違う。
大貧民と同じで、とりあえず僕が頭ひとつ抜けてレベルが高いようで、普通にやると大抵勝つ。そのためとても気分がいい。子どもたちはいつまでもコツを掴まないでほしい。
それにしても、マリオカートも桃鉄も、4人でやれて感動したけれど、ぷよぷよはそのさらに一段上の、「最高じゃねえか」感がある。長く、それこそ一生、集ったときにはこれで愉しめそうで嬉しい。さすがeスポーツだな。