2023年9月29日金曜日

2023始動・水着・ぷよ

 毎年恒例の「cozy ripple名言・流行語大賞」の選考作業が始まった。これが始まると、1年ももう後半なのだなという感じがしてくる。もはや風物詩ですね。
 毎月ノルマとして、最低限2桁記事数ということを心掛けているのだが、これが今年は本当にほぼ最低限の様相を呈していて、果たしてノミネート語を選出できるほどの中身があるのかという懸念から、前回が期せずしてそうなったように、2年にいちどの開催のほうがいいのではないかという意見も運営委員の一部からは出たようだが、そのような引け腰な提案は委員長である僕が突っぱねた。丁寧に探せばなんだかんだであるし、もしも本当に少なかったら、最後に無理やり量産すればいいだけの話だ。なんとかなる。なんとかしてきた。老害は高度経済成長期のマッチョな思想に凝り固まっているのだ。
 最近はちょっとサボり気味で、だいぶ遠大な達成計画になりそうな「おもひでぶぉろろぉぉん」も、とは言え同時進行でなされているわけで、なんかもう僕は自分の書いた文章ばかりを読んでいる。そして数ヶ月前の僕も、十何年前の僕も、どちらもそれぞれ愛しいし、さらにはその二者のことを愛しいと思っている僕のこともまた、僕は愛しいと思う。愛しさの合わせ鏡が、光の速さで無限を繰り広げ続けている。

 水着の生地を買って作るのが愉しすぎて、日々生産して、日々違う水着で泳いでいるのだけど、先日ふと、こうして水着を自分で作るようになる前って、僕はいったい何を穿いて泳いでいたのだっけ、と思った。
 ショーツを作り始めたのだって実はまだ1年半ほどのことで、水着となったらそれよりもさらに最近の出来事なのだが、手作り水着で泳ぐのが当たり前になりすぎていて、既製の水着を穿いている自分が想像できなくなっている。
 岡山でもプールにはよく行っていた。岡山生活の途中から、プール習慣は始まったのだった。あの頃は水着はもちろん、ショーツだって自分で作るという発想はなかったので、僕はひたすら既製のものを穿いて泳いでいたはずなのである。それなのに思い出せない。
 そこで水着を洗濯してくれるファルマンに、「俺って昔どんな水着を穿いてたっけ」と訊ねたところ、ファルマンも「えっ、思い出せない」と固まった。そしてしばらく考えたのち、「なにも穿いてなかったんじゃない」と答えた。
 そうか。俺は水着を自作する前は、なにも穿かずに泳いでいたのか。よく捕まらなかったな。それなら、いま少々面積が小さい上にフロントが盛り上がった水着を穿いてても、穿いてるだけマシだな。穿くようになった分だけ偉いな。

 こないだの3連休に、switchのソフト「ぷよぷよテトリス2」を買った。最初、体験版で遊んでいて、とても健全に、体験版で体験して欲しくなったので買ったのだった。
 「ぷよぷよテトリス」はその名の通り、ぷよぷよとテトリスが組み合わさっていて、好きなほうを選んで遊べるのだが、僕はもっぱらぷよぷよばかりしている。ファルマンとピイガも基本的にそうだ。それに対しポルガだけが、やけにテトリスをするので、やっぱりちょっと変な奴だな、と思った。テトリスは、テトリスしかなかったらやるけれど、ぷよぷよと並んでいたら、それは断然ぷよぷよだろう、と思う。エンタメ性がぜんぜん違う。
 大貧民と同じで、とりあえず僕が頭ひとつ抜けてレベルが高いようで、普通にやると大抵勝つ。そのためとても気分がいい。子どもたちはいつまでもコツを掴まないでほしい。
 それにしても、マリオカートも桃鉄も、4人でやれて感動したけれど、ぷよぷよはそのさらに一段上の、「最高じゃねえか」感がある。長く、それこそ一生、集ったときにはこれで愉しめそうで嬉しい。さすがeスポーツだな。

2023年9月16日土曜日

タイガース・X(笑)・魂胆

 阪神タイガースが優勝した。18年ぶりだという。
 2005年のことだそうで、そこは既に「おもひでぶぉろろぉぉん」の作業が完了している時代だったので、優勝が決まったであろう当時の9月や10月あたりの抜き出し記事をざっと読み返してみた(便利です)。すると、「ほっとけない」でおなじみのホワイトバンドをはじめとするラバーバンドが流行っていた時期だった。そうか。大昔だな。あと個人的なことだが、ソニーの携帯電話からパナソニックのものに乗り換えていて、記憶媒体がメモリースティックからSDになったので便利になった、と喜んでいた。折しも先日発表されたiPhone15で、アップルはとうとうLightningケーブルを諦め、USB‐Cを採用することになった、というニュースがあったので、18年越しの共通項というか、人類の技術進化のスピードは加速化していると言われるが、案外そんなこともないんじゃないか、と思ったりした(Lightningケーブルというものには結局まったく触れ合わなかった人生だった)。
 ちなみに「優勝」を指して岡田監督が用いた「アレ」という表現は、かなりよかったと思う。大賞になるかどうかは分からないが(今年は当たり年である)、流行語大賞にノミネートされるのは間違いないし、よくある「それは流行語じゃなくてただの流行!」というツッコミに当て嵌まらない、純然たる流行「語」なので、好感度が高い。優勝が決定した試合後のインタビューで「アレはもうやめて優勝と言います」と監督が述べ、ファンが「ワーッ!」と盛り上がったのも秀逸だと思った。でも同時に、だからもうあの時点から、優勝のことを「アレ」と濁して発言するのは古い、ということにもなったと思う。そのため優勝が決まったあとの街頭インタビューで、「アレが決まって最高でした!」などと答えている人を見ると、ダサッ! と思った。そしてこの、一瞬で古くなるというのも、流行語としてのポイントが高いんじゃないかと思った。

 TwitterがXになり、もう1ヶ月くらい経ったのだろうか。
 この一連の騒動に関して、自分がどういう思いを抱いているのか、これまで心の動きを静かに見つめていた。そしてこのたび結論が出たので記す。
 ざまあ、だ。
 ブロガーにとって、Twitterは脅威だった。華やかで、ポップで、活気があって、品も(まあ)ないこともなかったように思う(いま思えば)。
 ブログが、築30年くらいの、和室なんかも普通にあるような、質実剛健な、5階建てくらいの、でも法律がなかったのでエレベーターが設置されていないみたいな、昔ながらの集合住宅であるのに対し、Twitterはそのすぐ横に建った、タワーマンションであった。豪奢な造りで、設備も充実し、なにより新しさがあった。
 でもその誰もがひそかに羨んでいたタワーマンションに、施工の致命的な欠陥が見つかった。耐震性がぜんぜんないとか、塗料に発がん性物質を使っているとか、なんかそういう感じの、本当にどうしようもない欠陥。これまで栄華を誇っていた住民たちは阿鼻叫喚。しかも頼みの綱の補償関係も、業者がとんずらしたとかでままならないと来た。
 そのさまを見て、昔ながらの集合住宅の住民たちは思う。思わない。大声で叫ぶ。
 ざまあ、と。
 別に自分たちの立場が上がったわけでは決してないのだけど、忌々しく思っていた存在の凋落は純粋に嬉しい。この世に本当に純粋な感情があるのだとすれば、こういう感情だとしみじみと思う。テレビなどで、「X(旧Twitter)」などと見苦しい表現をしているのを見るたびに、ベホイミくらい生命力が回復するのを感じる。
 Xという名称がまたいい。悪すぎて、こちらとしては万々歳だ。よく知らないが、イーロン・マスクはこれまで、ブログを一切やってこなかったんじゃないだろうか。ブログをいくつかやっていたら、絶対にこんなネーミングはしない。最初はどうしたって、「つれづれ日記」みたいなタイトルを付けてしまいがちだ。Xには、「つれづれ日記」と同じセンスを感じる。黒歴史感がすごい。ブログもせず、コーチの経験もなく、監督になってしまったら、Twitterみたいなことになるし、中日ドラゴンズみたいなことになるといういい例だ。
 この文章内で、僕はどれほどの人間を敵に回したろう。おかしいな。めっちゃ性格いいはずなのにな。

 あまりにも友達がいないせいか、お店などで同年代とか、もう少し若いくらいの男性を見ると、この人が俺の友達だったら……、などと考えるようになった。もはや片親のいない子のようだ。もっとも僕は実際に片親のいない子どもだったが、街中で見かける父親くらいの年齢の男に対し、この人が父親だったら、なんて発想は抱いたことがなかった。たぶん父親は別に欲しくなかったし、友達は今でもやっぱり欲しい気持ちがあるからだろう。友達がいつまでもひとりもいないので、友達なんていても別にしょうがないもんだな、という真理にいつまでも到達せず、憧憬の燃え殻みたいなものだけがくすぶり続ける。
 先日は、僕に友達をもたらすという目的で、三女が結婚をすればいいんだ! ということを思った。三女が結婚をするとなったら、その相手本人であったり、相手の人間関係において、僕に友達が生まれる可能性がにわかに湧いてくると思う(そうだろうか?)。
 思わずもうちょっとのところで、三女にLINEをするところだった(頭を冷やし、思いとどまった)。独身者に婚活をけしかけるのって、大抵はおせっかいというか、それでも一応は本人のことを思って行なわれる行為であることが多く、それであっても今の時分、時代錯誤だと大いに疎まれがちだというのに、僕のこの魂胆の場合、良かれと思ってでさえない。ただ僕の友達を生み出すためにやれと言っているわけで、ここまで最低だと、逆に清々しさも出てくる気がする。さらにゲスなことを言うなら、僕との友情が築かれたあとなら、いくらでも離婚してくれたって構わないと思う。

2023年9月13日水曜日

還暦・人生一・プレゼント

 ちょうどあと1週間で誕生日である。皆々様、プレゼントの準備はお済みですか。
 40歳になるということについて、なんだかそれってものすごいことのような気もする一方で、もはや逆に凪いでいる感じもある。先日、おもひでぶぉろろぉぉんで読んでいた2006年9月の記事で、僕は23歳の誕生日を迎えていて、でもそれは23歳の自分には受け入れがたいことだったようで、「自分は20歳から先はこれまでの年齢を下っていく奇病にかかった」と主張し、「だから僕はこのたび17歳になった」とほざいていた。23歳の僕は、23歳という年齢が、大人すぎて受け入れられなかったか。そうか。23歳か……。
 それでいくと、僕は1週間後の40歳になった瞬間、満0歳ということになり、存在が消え去る計算だ。この仕組み、なんか微妙に引っ掛かる部分があるな、と感じて、その正体をよく考えたら、なんのことはない、還暦とほぼ同じ考え方だ。60年で十干十二支がひと回りして、元通りになるから、赤ん坊に帰り、赤いちゃんちゃんこを羽織る。それを僕ともなると、40年でしてしまうということか。人類未踏の2度目の還暦、いわゆる大還暦も、120歳はさすがに難しいので、いっそのことこの方式にしてしまえば、80歳で条件が満たされることとなり、ぐっと現実味が増す。そして目指すは夢の3度目の還暦、いわゆる超還暦だ。結局120歳じゃないか、という。そしてなんでそんなに還暦をしたがるのか、という。

 職場の上司がおもむろにケーキ屋の話を始める。本人が買いに行ったわけではなく、奥さんが買って帰ったものらしいが、プリンであったという。上司はプリンが好きで、ケーキ屋ではいつもプリンを選ぶのだそうだ。そのプリンは、アルミの容器に入っていて、注文をすると店員がいちど厨房に持って帰り、バーナーで表面を炙ってくれるらしい。それはプリンではなくクレームブリュレですね、と口を挟もうとしたが、実際のところプリンとクレームブリュレの定義をしっかり知っているわけでもないのでよした。
 そしてここからがこの話の骨子であり、上司がわざわざ話題に出した理由でもあるのだが、「そんでそのプリンがさ、俺がいままで食べてきたプリンの中で、いちばん美味かったんだよ」と上司は言ったのだった。
 この表現に、ほほぅ、と感じ入る部分があった。「今まで食べた中でいちばん美味しい」って、ありきたりな表現ではあるけれど、それは子どもやB級タレントがよく使うものであって、一般人の50代の男性が、さらにはその場にいる人が作ったものだったり、持ってきてくれたものを褒めるために冗談めかして言うわけでもなく、本当にそう感じたから、いまここにその物品があるわけでもないのに、どうしても感動を伝えたくて使ってしまったのだと考えると、まるで重いパンチのような強いパワーがあるな、ということを思った。50代一般男性の、人生一。もっともカラメルが焦げてるのが初体験で新鮮だっただけの可能性もあるけれど。

 誕生日プレゼントが浮かばない。ファルマンから「どうすんだ」とせっつかれているのだが、いまだに決められずにいる。なんだか寂しい。昔は、もっと欲しいものがたくさんあった気がする。「欲しいもの」という言葉は、類語というわけでもないが、「意欲」という言葉と結びつきやすい。それが減退してしまったことか、などと思う。
 先日は悩んだ挙句、寝る直前にamazonのカートに、新体操のリボンと、ヌンチャクを入れていた。でも次の日に、どちらもいらないな、と思って削除した。それにしてもどうして僕は小手先でクルクルするようなものに魅力を感じるのだろうか。
 新しい服も別にいらないし、アクセサリーも欲しくない。ゲームもしないし、推しもいない。なんだか考え始めると、自分がつまらない人間のように思えてくる。日常の中で、自分の自由に使えるお金をなにに使っているかと言えば、生地と、酒と、プールの会員費くらいのものか。どうしたものかな。10月から第3のビールの酒税が上がるらしいので、それにしようかなとも思ったが、あまりにも日常的でしみったれていて、節目の40歳の誕生日プレゼントがそれってどうなのか、と思ってやめた。やめてどうしよう。どうしようどうしようとなって、欲しいものを探してamazonをさまよう行為の、なんと阿呆なことか。

2023年9月7日木曜日

プールよ・LINE・侵食

 9月に入り、夏が終わった感はありつつも、でもまだ晴れた日は暑く、むしろ夏の疲れがぼちぼち決算され、不足していた分の体力の支払いが求められているような、不良債権のごとく重くのしかかってくるものがある感じもする。そんなわけで、夏休みを中心になんだかんだで8月はそこそこの回数行ったプールに、9月に入ってからはいよいよ足が向いていなかったのだけど、会員なのだから行かないことには、と貧乏根性で奮起し、泳ぎに行った。そうしたら8月の喧騒が嘘のように空いていて、祭りの後の会場跡みたいに寂しかった。でもそれが実は常態なのだし、実際人が少ないほうが利用する上では快適だった。そして行ったら行ったで、やはり泳げば気持ちがよく、夏のバブルにあてられたけど、ここでいちどリセットし、オフシーズンの、趣味としてのスイミングを、実直に行なっていこうと決意を新たにした。本当にただそれだけのことを書いた。

 ファルマンがLINEの設定画面を刷新する。中心の、会話の画面にも出てくるあの円形の画像はヒエログリフになり、その背景の、わざわざ見ないと見れないあの画像はイズミル王子になった。「王家の紋章」を読んだのだな、そしてかなり嵌まったのだな、ということが容易に窺える新体制なのだった。経験があるので分かるが、変えると気持ちが改まって少しいい気分になるようで、ファルマンは僕にも「変えるといいよ」と薦めてきて、それも悪くないなあと思ったのだけど、しばらく考えても、なんにも変更する当ての画像が思い浮かばないのだった。僕は最初、あの円形の画像は、「耳をすませば」の杉村の顔にしていて、そのあと「スター☆トゥインクルプリキュア」のキュアミルキーに一瞬したのだけど、姉から即座に「やめなよ」と窘められて以降は、もう何年もオオキンケイギクの写真のまま停止してしまっている。変えたい、とも思う。しかし本当になにも思い浮かばない。昔の人間なので、現実世界とネット世界をきちんと分けており、現実の人と繋がるLINEに、ヒット君やクチバシを登場させるわけにはいかない。目下の趣味は、ショーツ作りと、水着作りと、スイミングだが、そのどれもがLINEの画像にするにはふさわしくないと思う。かと言って今さら、ブラックジャックだったり上杉達也だったり、漫画のキャラクターにするのもダサい。いったいどうすればいいのか。もう無難な花の画像とかにしておこうかな。

 先日、起きたポルガが目の調子が悪いと言って、ファルマンが学校の前に眼科に連れて行ったところ、目の中に異物、それも植物の種子と思しきものが入っていたそうで、麻酔効果のある目薬を注したのち、摘出してもらったそうだ(ひー)。しかしなぜ植物の種が目の中に入るのか、それも寝て起きたあとなどに、という話なのだが、この報告をファルマンから聞いた瞬間に、僕にはピンときた。ポルガは相変わらず、昔に作った、1メートル超あるヒット君を抱いて毎晩寝ているのだけど、何を隠そう、ヒット君というのは植物なのである。そういう設定の生き物なのである。ポルガとあのヒット君との関係は、イマジナリーフレンドの域を超えて、作った僕が言うのもなんだが、少し気色悪い次元に至っているが、ここに来ていよいよ、ヒットくんはポルガを乗っ取ろうとし始めたかもしれない。今回は失敗に終わったが、もしも摘出しなかったら、ポルガの眼窩内の水分で種が発芽し、なにしろ眼と脳はすぐ近くだ、あっという間に侵食されて、ポルガはヒット君になっていたことだろう。怖い。ヒット君が一気にホラーになった。そしてそんな出来事があった日からも、ポルガはもちろん毎日ヒット君を抱いて寝ております。もう時間の問題かもしれませんね。