2023年2月27日月曜日

散髪・天文・時事

 ファルマンに髪を切ってもらう。月曜日の夜に。それなら週末に切ってもらえよという話なのだが、週末はまだ散髪の意欲が高まっていなかった。ポルガが、卒業式に向けて、人生初の美容院でのカットを行なったのが日曜日のことで、ファルマンは「ポルガも切ったし、残りはパパだけだね!」と執拗に言ってきたのだが、その時点では「まだ切んねーし!」と拒んでいた(前にも言ったが、北風と太陽効果もあったかもしれない)。しかし週が明けて出勤したところで、「切る! 絶対切る! できれば今夜切ってほしい!」というほうに針が一気に振れた。なんでかは自分でも分からない。あれほど大事にしていた長髪が、急にただの煩わしいものになった。うんこは、それまで自分の体の内側にあったのに、体の外に出した瞬間にただの汚らしいものになるが、本当にそんな感じで長い髪が急に疎ましくなった。長い長い、半年以上の排泄が終わったということなのかもしれない。
 なかなかに短く仕立ててもらい、すっきりする。短くなっての、髪を洗って乾かす作業の簡便さは、あらかじめ予想が立ったため、実はそこまでの感動はなかった。それよりも風呂上がり、バスタオルを腰に巻いただけの状態で鏡の前に立ち、頭の具合を見ようと思ったのだが、頭よりも体に目が行って、うおっ、となった。鏡の中の僕は、いい体をしていた。これまで、せっせと筋トレをしているわりにぜんぜん筋肉がつかないと思っていたが、実はそんなことはなく、しかしこの半年、筋肉がつくと同時に、髪も伸びていたので、体の成長と、頭の体積の増大が同時進行し、相対的なスケール感にいつまでも変化がなかったのだと気が付いた。それが頭の体積が一気に削減されたため、体が大きく見えるようになったのだ。ライオンの逆の作用だな、と思った。

 天体観測体験、みたいな企画に家族で参加した。さらりと書いたが、2月である。寒かったのはもちろんのこと、なにぶん山陰のことなので、雲が立ち込め、さらには途中から雨まで降り、なかなか十全には観測できなかった。もっとも観測のために山の中へ行くとか、そういう本気の催しではなかったので、そこまでの被害ではなかった。
 プラネタリウムも見せてもらい、冬の夜空の説明を受ける。オリオン座や、おおいぬ座など、ほうほうと興味深く聞いた。天体の話って、取り止めがないのでこれまであまり好きではなかったのだが、わりと愉しく聞けた。これも花鳥風月みたいなものなのか、だんだん情趣が受け入れられるようになるのかもしれない。
 冬の夜空の一等星の話を、神話も絡めて説明した後、「この6つを繋げてできる六角形が、冬のダイヤモンドです」などと言われ、思わずキュンとした。説明役は坊主で小太りの眼鏡の中年男性だったのだが、それだのに。天文話はずるいな。

 「フレーズで振り返る20年の歩み」に投稿もしたのだが、2005年の9月に僕は携帯電話を新しくしていて、それまで持っていた携帯電話について、「メモリースティックがパソコンで読み取れなくて不便だった」と書いていて、わー! となった。
 メモリースティック!
 ソニーの携帯電話を使っていたので、記憶媒体がメモリースティックだったのだ。メモリースティックという存在を、本当に久しぶりに思い出した。言葉は思い出したが、形状が画像として浮かばなかったので、わざわざ検索した。そうしたらやはり、わー! となった。
 18年前の日記、おもしろい。その少し前には、ホワイトバンドについても触れていた。時事ネタも、15年以上経つと感慨深くなるので、書いておくべきだな、と思った。

2023年2月18日土曜日

ペース・寒さ・長髪

 19年分の日記ということは、すなわち228ヶ月分の日記ということである。20周年である来年の2月6日までにそれを読み終えようと思ったら、2日で1ヶ月超を読まなければならない計算になる。
 それは無理ですよ。
 2月に入って本格的に開始したこの作業、半月が過ぎ、2004年9月(の途中)から、2005年6月までようやくたどり着いた。これでやっと9ヶ月。半月のノルマが9ヶ月から10ヶ月なので、ギリギリセーフである。しかし開始早々からギリギリセーフではよくないだろう。だって、どうせ途中でダレる。断言する。ペースは絶対に落ちるのだ。それなのに最初から平均点では、だいぶ見通しは厳しい。
 (読み返し作業をする身にとっては)幸いなことに、あまり書いていない期間というのも存在する。しかしその一方で、こいつブログしか人生の娯楽がなかったのかな、というくらい異様に書いている期間もある。そして頻度としては後者のほうがよほど多い。
 あまりにも遠い、まだ21歳の頃の日記を眺め、そのあとに起るさまざまなことを経た今の自分は、今の自分に至るまで、そこにたどり着くまでの日々に綴られた情報量の多さが実感として察せられるので、その怒涛さに、クラクラする。
 もちろんとても愉しいのだけど。「おもひでぶぉろろぉぉん特設サイト フレーズで振り返る20年の歩み」、日々更新しております。これを見れば読み返し作業の進捗状況が一目瞭然という仕組みです。

 寒さが身に沁みる。正月が終わったあと、「これからは年末年始というゴールが失われた、ただの陰鬱な山陰の冬である」というようなことを書いた。本当にそうだ。2月に入り、もう寒さのピークは過ぎたな、と自分に言い聞かせるように主張したけれど、実際のところまだまだ寒い。日は少しずつ長くなってきた感じがあるが、寒さはまだ変わらぬ威力で続いている。寒さは一定だが、心はすり減っているので、1月よりつらみが強い。
 つらみと来ればセットで付いてくるのがうらみで、前向きなのかなんなのか自分でもよく分からないが、あったかくなったらこの野郎、覚えとけよ、という、一族を抹殺された少年のような思いが、頭の中に巣食っている。春になったら、この鬱憤をとことん晴らしてやる。せいぜい覚悟しとけよと、一体なにに差し向けたものか自分でもよく分からない、並々ならぬ敵意がある。くじけず生き抜くための精神作用なのだろうが、あまり健全ではないな、とも思う。寒い国の戦争意欲を理解することに繋がってしまうから。

 髪をとことん伸ばした。具体的にいつからだったかもう定かではないが、伸ばすほうに振れた時期がよかったように思う。男にとっての長髪に移行する時期と、秋から冬への寒さが増してくる時期がうまく噛み合い、髪を切らない大義名分が得られた。去年もそんなことを言ったような気がするが、今年は、今は、人生でいちばん髪が長い。「アトムの童」の山崎賢人くらいの長さ。外出時は必ずゴムで結っている。
 しかしいつまでも伸ばすわけではない。自分の中でも潮時は感じ取っている。乾かすのも時間が掛かるので、もう少し暖かくなれば、切るのもやぶさかじゃない。やぶさかじゃないのだが、他者から、他者というかファルマンなのだが、「切れ」だの「見苦しい」だのと言われるたびに、「なにを!」となり、散髪のタイミングがどんどん後ろにずれ込むのだった。まんま「北風と太陽」である。乱暴に取っ払おうとされるたびに、僕は必死でコートを守ろうとする。そのような類の言葉を掛けられるたびに、そこまで信念のあったわけでもなかった長髪が、必ず守らなければならないもののようになる。今のこの長さは、そんなファルマンの口さがない言い様を養分にして醸成されたと言っても過言ではないと思う。
 春になれば切る。切って、今度はまた色かな。

2023年2月8日水曜日

獲得・時計・妹

 日記の読み返しが、2005年の2月6日を迎えた。すなわちcozy ripple開設1周年である。
 ちょうど節目のその日、僕は架空の生き物の生態を解説する「ikimono」という企画の50匹目として、クチバシを発表していた。なんとなく覚えているが、クチバシははじめから考えていたわけではなくて、30匹目あたりまでやったところで思いつき、これはすごいキャラクターだと瞬時に確信したので、31匹目にはせず、1周年の日の50匹目という、華やかな舞台を用意したのだった。
 この瞬間のことを、こうして18年後に読み返して、このときに僕はようやくクチバシを獲得したのだな、ということを思った。このあとヒット君も生まれるし、結婚もするし、娘たちも生まれる。いろいろ得た。大げさに言えば、自分が生きた証のようなものを。
 翻るにその以前、20歳やそこらの頃、僕は若さと自尊心以外、ほぼなにも持っていなかったのだな、と思った。渡り鳥が、身ひとつで海を越えることを、なんて無謀な行為だろうと思ったりするが、人間だって実は同じようなものかもしれないと思った。

 職場の、自分が受け持っている場所に、デジタルの置時計が置いてあるのだが、その表示時刻が狂っている。実際は10時20分なのに、表示は「07:20」。ちょうど3時間ズレている。3分とか5分とかじゃなく、3時間で、分に関しては正確なので、最初に見たときは「時差なのかな?」と思った。日本時間からマイナス3時間。サイトで確認すると、バングラデシュやブータンなどがその時差に当てはまるらしい。しかし職場にその国籍の人はいないし、以前にいたという話も聞いたことがない。でもなぜか、かの国の現在時刻を表示し続けている。毎回、目にした表示時刻に3時間を足すのが億劫なので(「11」だから、午後2時だな、などと無駄な思考をしなければならない)、時刻合わせをしようと試みたりもするのだが、なぜかぜんぜん融通が利かない。いくつかあるボタンを、同時に押したり、長押ししたり、いろいろな操作を行なったが、まるで時刻合わせを受け付けてくれないのだった。この融通の利かなさは外国製のような気がしてきた。もしかしたらバングラデシュ製なのかもしれない。仕方なく今日も頭の中で3時間を足して時刻を確認している。
 ちなみに表示画面は、5秒間隔で、その3時間遅れの時刻と、日付を交互に表示していて、日付はもうダイナミックにズレている。時計によると今は6月だ。だからそちらに関してはぜんぜん気にも留めていなかったのだが、最近になって「あっ」と発見したこととして、その日付は、15時に1日進むのだった。実際の15時、すなわち、その時計の中では「12:00」ということになるが、そこで日付が進む。ということは、この時計は3時間ズレているのはなかった。15時間ズレているのだった。なんかのトリックに使えないかな、これ。

 父が死んだらどういうことになるのだろう。
 そういう話があるわけではぜんぜんないのだが、たまに思いを馳せる。
 僕は葬式に参加するのだろうか。いや、しないよな、したところでどの立場での参加になるのか、という話だ。いまどきの離婚のように、パパとママは夫婦ではなくなるけど、パパはいつまでも君たちのパパだから、みたいなことは一切なく、潔く人生からいなくなったので(結婚式に呼んでしまったことはとても後悔している)、もはや父子関係という感覚はまったくないのだった。
 ただし父の葬式が、腹違いの妹を目にする、人生で最初で最後のチャンスかもしれない、という思いはある。両親の離婚は、この腹違いの妹の受胎が決定的な要因ということでどうやら間違いなく、だとすれば離婚が僕の小学2年生の頃だったので、腹違いの妹は僕よりも10ほど年下ということになる。
 僕には、会ったことがない10ほど年下の腹違いの妹がいる、という事実は、両親の離婚の真相をなんとなく察した大学生くらいの頃からずっと頭の中にあって、今ごろ10歳くらいか、とか、今ごろ20歳くらいか、などと人生の節々で思ったりしたが、そんな彼女ももう30歳になんなんとするはずで、嘘だろ、と思う。いちども目にしたことがないけど、あの子がもう30!? と衝撃を受ける。少女という印象が強いから。見たことないけど。

2023年2月2日木曜日

続鈴カステラ・1月の報告・テーブル

 鈴カステラがないことを嘆く僕に、優しい妻が「ネットで注文すればいいじゃん。ほら、ここなら送料無料だから注文してあげるよ。いくつ買う?」と言ってくれたので、僕は「5個」と答えた。そうしたら数日後に、5袋の鈴カステラが無事に届いたので大喜びした。しかし喜んだのも束の間、その初めて目にしたメーカーの鈴カステラの、袋越しの見た目や感触が、どうも、前回の記事で言った、僕の求める鈴カステラの条件に適さないもののように感じられて、一転、暗雲に包まれた。食後、とりあえずひと袋を開けて食べてみる。果たして危惧した通り、それはさっくりタイプだった。ネットの画面でも窺えた外袋には、「しっとり!」という記述があったが、それは観念的なものだから、僕にとってはしっとりタイプじゃなくてさっくりタイプのものであっても、しっとり詐欺と訴えるわけにはいかない。さっくりタイプの鈴カステラというのは、あのいわゆるカステラの生地とは違い、どちらかと言えばブッセとか、ナボナとか、あるいは甘食のような、なんかそんな食感である。それは僕にとって鈴カステラではないし、鈴カステラではないけどこれはこれでおいしいよね、と言うにはちょっと嗜好からズレすぎてしまっている。さらには成分表を見たら、たんぱく質よりも脂質が高い。これも僕が求める鈴カステラの条件から外れる。そんなわけで、優しい妻には悪いが、失敗だった。それでも期限だけは長いので(そこがもう駄目な証拠だろう)、長いスパンで消費しようと思う。それにしても鈴カステラは店頭にない。イオンのトップバリューのものが好きだったので、店頭にないのならイオンのネットスーパーで買えばいいのではないか、と思って探るも、やはりない。どうしたって採算が合わなくなったか。これまでは100g入って90円とかだった。それはまあ、安すぎたかもしれない。75gで100円出す。どうか帰ってきてほしい。

 1月が終わった。上旬、ほとんど仕事をしないような、悠々とした日々を過したが、月間でその帳尻を合わすため、中旬下旬は土曜日も出勤の日が続いたため、結果的に仕事で疲弊した印象ばかりが強く残った月となった。
 プールはなんてったって寒いものだからあまり行けなかった、と書こうと思ったのだが、それでも8回行っている。ちなみにこれも配置のバランスが悪く、最後に行ったのは22日で、そこからあとは行っていない。さすがに寒波が来て気力が失せた。そして会員となっているプールは2月が丸々休業なので、泳ぎたい、会員だから行かないと損だ、でも寒い、という葛藤からは解放される。
 同じく射精に関しても、こう寒いとなんてったってちんこをズボンから出しづらいよ、そもそもエロい気持ちになりづらいよ、だから回数は極めて少ない、と書こうと思ったのだが、どっこいこちらは去年6月の集計開始以降、なぜか最高記録となった。本当になぜだろう。負けん気だろうか。普通に考えればそうなりそうな時候だからこそ、そうはさせるかと発奮したのかもしれない。骨みたいに硬いのに、反骨精神の塊。えらちんぽだな。

 夫婦の部屋にダイニングテーブルを設置する。おととしの年末に、リビングのテーブルを座卓に替え、テーブルは解体してずっと外の物置に入れてあったのだが、このたび、ここにテーブルがあればいいのではないかという思いが膨らみ、実行した次第である。かつてリビングにおいて、普通に家族で食事を摂るのに使っていたものなので、きちんとした大きさである。ただでさえ工業用ミシンやトレーニングベンチなどがあって狭いのに、果たして成立するだろうかと危ぶんだが、テーブルの下に、これまで部屋の隅に放置していた、布入れやショーツ入れを置けば、使用スペースはそんなに変わらないということで、なんとかなった。テーブルはなんのためかと言うと、作業台である。これまで裁断やアイロンを、僕はなんと床でやっていた。しかし長い時間やると、背中と腰が痛くなるのだった。これを解消するためには作業台があればいいのだと考え、物置のテーブルに白羽の矢を立てた。使用してみたところ、やはりいい。当然である。床よりいいに決まっている。脚の太い、頑丈なテーブルなので、裁断のローリングカッターの動きにもびくともしない。とても快適になった。去年、ショーツを130枚作る前に気づけばよかった。